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科学や数学などの分野では特にそうだと思いますが
人はなぜ規則性を見出すと『理解した』と思うでしょう。
人にとって理解と規則性を見出すことは同義なんですかね。

A 回答 (6件)

私も認識の問題だと思います。


「理解した=認識できた」

認識は、連続性に対しての認識もあります。
時間の流れや繋がりの認識ですね。
あらゆる認識がうまく機能している場合、関係性が明確になりますよね。

稀に障害などで認識機能に問題が出ている人は、状況が映画のフィルムのように繋がらず
写真としての捉え方であったり、何がしかの一部欠落であったりのようで
前後の流れに関係無い反応をする人もおられます。

認識は、関係性を捉えられることと大きく繋がります。
生き物は関係性が捉えられないと、生死に関わる問題になり得るので
種として生き残ると言うことは、認識を持ち得てると言えると思いますね。

人間の場合、発展や進歩に関係性の認識を大いに利用していると考えられます。
その関係性の認識に「理解」と言う名が付けてあるのかと思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

そうですね。場合によっては命にかかわる問題にもなりえますよね。

お礼日時:2015/02/06 00:28

#4です。



>論理的に考える必要がないなら理解する必要もないとも言えるかもしれないですね。

トートロジーになってしまうやもしれませんが、理解という作業を放棄したい(実はこの理由が重要なのでしょうが)向きが論理性を無視するのだろうという気もしますね。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

理解するというのは結構頭使いますからね。
労働と同じように疲れますから労働(理解)を放棄したくなる気持ちもわかります。

お礼日時:2015/02/06 00:26

大辞林によると、【物事のしくみや状況,また,その意味するところなどを論理によって判断しわかること。

】が「理解」ということらしいので、同義になるのでしょう。一定の規則性がないと、論理的判断は難しいでしょうから。安心するためには必要な条件なのかもしれません。
なぜ規則性があると、あるいは理解できると安心するのか、というと、人が想像する動物だからかも。
先のことを考えてしまう能力があるので、それを全うするために規則性や理解が必要になるのでしょう。
話題に挙がっている素数も、不規則と思われてきた並びが核物理現象の規則性と一致するらしくて、いずれスッキリできるようになるのかもしれません。非可換幾何学とかいうものを使うようですが。以前テレビでやってました。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

なるほど論理的に考えるためには規則性が必要という事ですね。
論理的に考えたいから規則性を探しているとも言えますね。
論理的に考える必要がないなら理解する必要もないとも言えるかもしれないですね。

お礼日時:2015/02/04 21:28

お礼、ありがとうございます。




☆この質問は素数を理解するうえで考えておくべきことだろうと思いました。
素数を神秘的に思わせるのはその不規則性だろうと思います。
数学とは規則性そのものだろうと思います
すると素数の中に規則性を見いだせなければ理解したと認識することができないのではないかと危惧します。
なので素数を理解するという事はとても哲学的なお題だと思いました。
◇すごい偶然、
私は今日、数学カテで「素数に規則性があるのかどうか」という質問に答えたばかりなんですよ。
そこで、
 リーマン予想
の話を少ししました。

https://oshiete.goo.ne.jp/qa/8912480.html


リーマン予想が正しければ、素数にはある種の規則性があることになる。
そして、
「これを使えば、宇宙の成り立ちなんかが解明できるかも」
なんて噂されています。


リーマン予想と並ぶ数学上の問題であるポアンカレ予想の時は、
これが解決されれば、宇宙が丸いかどうかが分かる、
とか言われていたんだよな。

http://blog.goo.ne.jp/pandagananda16/e/c34637d7b …

ポアンカレ予想が説かれた現在でも、依然として、宇宙が丸いかどうかわかっていない(笑)。


こうした話は、常に誇張される(笑)。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

はは、その質問は私の質問です。
素数の秘密は数学者にはとけないと私のソウルが言っています。
この謎解きを楽しみたいと思います。

お礼日時:2015/02/03 23:29

人間の認識は、パターン認識と深く関係していますからね~。


脳は、膨大な情報量のデータの処理をしたくないから、この膨大な情報処理を軽減するために、パターン的に認識しようとするんですよ。規則性がないものであっても、そこに何らかの規則性を見いだそうとする。

例えば、
夜空に現われる無数の星々。
これには、本来、規則性などほとんどないのに、
星と星とを勝手に結び、○○星座としてしまう。
まったくランダムな0~9までの数字が延々と続く数字の列に、
1234
といった連続した数字の列が現われると、ここに何らかの規則性があるように感じてしまう。

こういう癖、習性が人間の脳や人間の思考にはあるんですよ。
こうした機能が脳にないと、実は、今見ているような鮮明な光景にならないらしいんですよ。
例えば、
リンゴを見ているとして、ある時刻に眼など視覚器官から脳に送られてくる情報だけではデータ量が不足していて、これだけではリンゴに見えない。非常に画素の粗いリンゴの写真のようなものになってしまうらしい。ですから、脳は過去の記憶と今送られてきている視覚器官からの情報を照らし合わせて、鮮明なリンゴの姿を見せている。
一点を見つめていると思っているときでも、眼球はたえず動き続け、不足しているデータを補おうとし、時々刻々送られてくるそうした情報と過去に得られた情報を照らし合わせ、脳は鮮明なリンゴの画像を我々に見せる。
ですから、
パターン認識、規則的な認識というのは、人間の認識機構と密接に結びついている。



☆人はなぜ規則性を見出すと『理解した』と思うでしょう。
◇そういう風に人間(の脳)が作られているから、
としか申し上げようがありません。
そして、
怠け者の脳が怠けるためです。



☆人にとって理解と規則性を見出すことは同義なんですかね。
◇このときの理解が何を意味するかにもよりますが、
違うでしょうね。

物理などをやっている人は、現象を支配する方程式を見つける、あるいは、この方程式を使い、現象を説明することができたら、この現象を理解した、という。
この方程式が規則です。

物理学者が使う理解という言葉と我々が日常的に使う理解という言葉には意味の差があります。
ですから、
同一の現象に対して、
物理学者が「この現象は理解された」というのと、
哲学者が「この現象は理解されていない」というのは矛盾したものではなく、両立できます。

こうした理解の意味の差を抜きにして、
この問題についてはちょっと語れませんね。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

なるほど、人の認識がそのようにできているという事ですか。
この質問は素数を理解するうえで考えておくべきことだろうと思いました。
素数を神秘的に思わせるのはその不規則性だろうと思います。
数学とは規則性そのものだろうと思います
すると素数の中に規則性を見いだせなければ理解したと認識することができないのではないかと危惧します。
なので素数を理解するという事はとても哲学的なお題だと思いました。

お礼日時:2015/02/03 16:32

>人にとって理解と規則性を見出すことは同義なんですかね。



仮にこれが宇宙の事なら、その通りです。
宇宙のなにかの規則性を新発見したら「理解した」となります。「理解が深まった」と言ったほうが正しいかもしれないが(その後の、さらなる新発見によってそれが間違っていたともなりえる。実際に行ってみないと机上の空論を脱し得ないので。)。


ただ、規則性の新発見と理解は別物です。
というか、理解というのは範囲が広すぎる。規則性の新発見によって「理解」となる場合もあれば、「1+1=2」を証明できなくても理解する事はできる。と言う意味の「理解」もあります。
前者は高度な知識を要した学者にしか出来ない「理解」ですが、後者は子供でも出来る「理解」です。


「理解」は、範囲が広いのです。
その広い範囲の一部分の共通する点を観て、「理解と規則性を見出すことは同義」とはなりません。「理解と規則性を見出すことは同義」という場合もある。という話です。宇宙に関しては分らない事だらけなので、規則性の発見=理解となりえますね。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

理解とは分解と再構築ができる事かなと思います。
分解は誰でもできるが再構築は規則性を知らなければできない。
故に理解には規則性が必須なのかと感じました。

お礼日時:2015/02/03 16:26

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