アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

現状の自分を足し引きせず、そのまま受け入れることが自己肯定ではないのでしょうか?

https://oshiete.goo.ne.jp/qa/8954861.html
にて質問させてもらっていますが、どうも求める答えと違う部分で(それはそれで勉強になるのですが)回答を頂いているので、仕切り直して、問題を絞り込みたいと思います。

現状の自分を深く分析し、できる点・できない点やその理由を自分に落としこめるように理解することが、自己肯定ではないのでしょうか?
それがたとえ結果として「とてもマイナス・残念な結果」であっても、それを受け入れることが、自分を理解し肯定することになると思うのですが、違うのでしょうか?

また、自分の問題点を洗い出し理解した上で行動に移るのは、自己肯定とは別のステップではないのでしょうか?

どうも、頂いた回答も、ネットで見て回った結果も「自己肯定でみんなパッピー!」的な感じを受けてしまいます。まるで「前向き・ポジティブでなければ何もできない、進めない」と言われているようで困惑してしまいます。

実際、どうなのでしょうか?

A 回答 (12件中1~10件)

私が経験したことで恐縮ですが回答させて下さい。


今年50歳になる専業主婦です。
5年前に発症した病の後遺症により身体障害者になりました。
それまでは仕事と家事を両立させ充実した毎日を送っていましたが、病により一変しました。
入院中やリハビリに精を出している時はさほどでもありませんでしたが、後遺障害が固定し身体障害者に認定された時から、自己否定に苛まれるようになりました。
私の場合、自分一人では肯定的な考えになれませんでした。
こんな体になった私でも誰かの役に立てると実感できた時にようやく自己肯定が復活したのです。
勿論その過程に置いて今の自分を受け入れる作業は必要でした。
でもそれだけでは肯定的にはなれなかった。
他者との関わりを通して得られるものだと存じます。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

大変な思いをされておられるのですね。それでも前向きであられるようで、とても素晴らしい人なんだなと思います。
自己肯定とは、あなた様にとっては自信のような位置づけなのでしょうね。
同じ言葉でも、たくさんの捉え方があるようです。

回答有難うございました。

お礼日時:2015/04/06 20:39

#9です。

分かりづらい部分があり、失礼しました。

自己肯定とは、どんな子供でも出来ること(思考力の程度は関係ないという意味)であり、
自己分析しなければ得られないものではありません。
でも、自己否定してしまう自分から変えようとする場合には、
自分の問題点を改善する努力が必要なのかも知れません。
これは一つのやり方であり、必須じゃありません。
たとえば、親からどれだけ愛情を受けてたか思い出すことで、
自分が大切だと思えることもあります。

事件の加害者が自己肯定できるかという疑問は、
むしろ、自己肯定できない人が、他人をも大切に思えなくて起きると思っており、
順序は逆じゃないかと考えます。
原因から治すという意味では、加害者の自己肯定は(難しいけども)必要です。

また、分析した結果を「問題点」とか考えてるようですが、それも違います。
たとえば、人は生き物を殺して食べる存在ですが、それに良いも悪いもないでしょう。
それでも自分は生きてていい存在であると思うことが自己肯定です。
前回は、その理由の一つとして善良であると表現しました。
つまり、「善良な人には生きる価値があるだろう」と私が考えたからそう表現したのであって、
他の人がどう答えるかは、私は知りません。
でも、自分に対し色々と条件を付けるようでは、自己肯定とは言い難いでしょう。
理屈は他人に説明するための都合であり、自己肯定は感情の問題ですしね。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

再度の回答、また分かりやすく説明してくださり有難うございます。

とても分かりやすい説明で、そう考えておられるんだという発見でした。
ただ、どうにも疑問が解けません。回答者様の言っていることが良く分かるが故に、余計に疑問が深まった感じすらあります。

>それでも自分は生きてていい存在であると思うことが自己肯定です。

たぶんこれが一番のキモかと思うのですが、これって自己肯定というよりも「自己愛」の性質のほうが近いのではないでしょうか?
私が自己肯定を求められて困惑するのも多分これです。自分を愛しなさいといわれれば、そういう風に答えを提供できますが、肯定しろといわれて自己愛を求められているかr、答えがちぐはぐに成るのかなと気付きました。

自己肯定と自己愛、質問の範囲を逸脱してますが、どう思われるでしょうか?

分かりやすい回答有難うございます。

お礼日時:2015/04/06 07:00

回答失礼いたします。


個人的見解として、自己肯定は「”現状の自分自身に不満を持っている人”がその不満点に見切りをつけ
て、それ以上そのことについて不満を持つことをしない」ことだと思います。よって、

>たとえ結果として「とてもマイナス・残念な結果」であっても、それを受け入れることが、自分を理解し肯定することになる

という質問者様の意見には賛同します。
>自分の問題点を洗い出し理解した上で行動に移るのは、自己肯定とは別のステップではないのでしょうか?

これについても同意見です。
自己肯定はただあるマイナス点について理解・納得することのみを指し、それを経た行動や思想の改善がなされずとも自己肯定は完結しているはずです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

有難うございます。

私の考えはそんなにずれていないと思っていただけたと理解します。とても嬉しいです。
辞書的に考えれば、その辺が妥当だと思うのですよね。でも実際には違うという方もいて難しい限りです。

回答有難うございました。

お礼日時:2015/04/06 06:54

自己肯定は、「現状の自分を深く分析」などの必要はまったく無く、


「自分の問題点を洗い出し理解した上で行動に移る」自分であること、
つまり、自分が善良であることを信じることです。
自分の評価を決めることとは、まったく無関係です。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

ご指摘の
>自分の問題点を洗い出し理解
と現状の自分を深く分析することはどう違うのでしょうか?
また
>「自分の問題点を洗い出し理解した上で行動に移る」自分であること、

>つまり、自分が善良であることを信じることです。
がどう結びつくのかも分かりません。
ご指摘の論法だと、例えば事件や事故の加害者は自己肯定できないということになりませんか?事件や事故を起こした自分が善良であると信じるのは、私には難しく思えますが、どうなのでしょうか?

できれば、なぜそうであるのかという説明や論拠なども教ええいただけると、自学もできるかと思います。もし宜しければお願いします。

回答有難うございました。

お礼日時:2015/04/05 07:07

自己肯定について私見ですが・・・。


長所、短所などありのままの自分を受け入れたときに
悲観的に捉えるかどうかの違いでしかないと思います。
悲観的であれば自己否定的(落ち込む)になり、悲観的にならなければ自己肯定的(反省)に
なるのではないでしょうか?

>それがたとえ結果として「とてもマイナス・残念な結果」であっても、それを受け入れることが、自 分を理解し肯定することになると思うのですが、違うのでしょうか?

その通りだと思います。たとえマイナス面であっても悲観的にならず受け入れたのなら
それは自己肯定(反省)だと思います。

>また、自分の問題点を洗い出し理解した上で行動に移るのは、自己肯定とは別のステップではないの でしょうか?

そうですね、反省した後の行動ですからこれは自己改善と言った方がいいですかね。

>「自己肯定でみんなパッピー!」
 
ただ楽観的に反省もなく改善もないのであれば、たとえ前向き(ポジティブ)であっても
いつか必ず痛い目に遭うでしょうし成長もしませんよね。
しかし反省ばかりしていても前に進めないのも事実です。
なので反省し改善策を考えたのなら、とりあえず行動に移す(前に進む)
ことは大切だと思います。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

全体としてお考えは私に伝わっていると思うのですが、少し腑に落ちない点がありました。

>長所、短所などありのままの自分を受け入れたときに
悲観的に捉えるかどうかの違いでしかないと思います。
悲観的であれば自己否定的(落ち込む)になり、悲観的にならなければ自己肯定的(反省)に
なるのではないでしょうか?<

この部分の自己肯定とは=で反省と繋がるものなのでしょうか?
また、自己否定とは「ありのままの自分を受け入れない(これは自分ではないと拒否する)状態だと、私は思っていたのですが、違うのでしょうか?
文面からだと、私の考える自己肯定の範囲「長所、短所などありのままの自分を受け入れたときに」をクリアした次の段階のようにも思えますが、私の自己肯定に対する範囲設定がおかしいのでしょうか?

細かいことと思われますでしょうが、教ええいただければ幸いです。

お礼日時:2015/04/05 06:47

再回答です。


肯定と前向きはたぶん別問題じゃないですか。
肯定は「承認」の中にある感じですが、
前向きは「気持ちの方向」という感じです。

感覚的には承認が大事なんだと思いますよ。
つまり自分を認める。
自分はクズだ、と自分に承認している
質問者様はどうしたいですか?
不都合なら変えればいい、そうでなければ
そのままでいい(かも知れない)
どちらにせよ、その判断も「ありのまま」の中に
入るんでしょうね。

これ以上、難しいことはわかりません(笑)
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

№4様ですよね。
>肯定と前向きはたぶん別問題じゃないですか。

私が前の回答文を誤読していたのですね。申し訳ありません。
気持ちの方向は、承認=肯定と並存するが方向性が肯定という行為そのものには影響はしない(内容は影響されるけど)とお考えと理解しますが、宜しいでしょうか?

>質問者様はどうしたいですか?

これは凄く悩ましいところです。現状に適応する努力が、自己のありようと反発していますから。
かといって環境を変えても根本解決はしない。私自身の障害特性に基づく部分なので、一生ついて周り、治る見込みが薄いからです。
現実的には「クズ」を自認しながら「クズっぽくない」行動で周囲を騙し続けることになると思います。

回答有難うございました。

お礼日時:2015/04/05 06:40

kisaragi056さんの仰る通りの意味だと思います。



言葉の意味の捉え方は人それぞれあるのではないでしょうか。

kisaragi056さんにはこだわりのある言葉なのかもしれませんが、私にとっては『自己肯定』という ただの単語です。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答有難うございます。

>言葉の意味の捉え方は人それぞれあるのではないでしょうか。

さらりと恐ろしいことを言ってくれますね。仰ることはとても怖いことだと私は認識しますがどうでしょうか?

例えば№4様と私では「自己肯定」という同じ言葉でも、意味するところは実際違うのだと思います。でも、それって同じ言葉で語らっても、相手と自分は全く違うものを見ている可能性を指摘していますよね。
「自己肯定」くらいならまだ笑って済ませられますが、プロポーズの「一緒に幸せに…」の一緒の対象人物や、幸せの意味なら、とんでもないことになりませんか?
国同士の共存や共栄という言葉の意味が違っていれば、平和の求める先がちがっていたら…

私がこだわりすぎなくらい言葉にこだわるのは、コレがあるからです。
私は場の空気でそれを判断できませんから。

アー様は、自信を持って同じ言葉で人によって違う意味を峻別できますか?
そうでないなら、言葉の意味を少し軽々に考えておられないか心配になってしまいます。

まず、回答有難うございました。

お礼日時:2015/04/04 08:24

ご参考までに。


受け入れても受け入れなくても、特に何も起きません。
肯定的と言う言葉は前向きな表現です。
自己肯定というのは、多分に自助のニュアンスが含まれていると思います。
自分で自分を助けよう。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございます。

参考までに、できれば肯定的が前向きな表現である典拠を教えて頂けると幸いです。
我が家の広辞苑でも、ネット辞書でも、肯定を前向き、よい事・方向に積極的とは見つけられないのです。
心理学の専門用語か、あるいは明文化されない暗黙の了解があるのか、とにかくその論拠が分からないのです。

また、自助というか自分を変えようという気持ちは、前向きからだけ起こる気持ちではないと思うんですよ。現状が嫌だと強く思うのは、どちらかというと後ろ向きではないでしょうか?
もしかして、私とtmmg400様では、前向き後ろ向きの同じ言葉で見ているものが違うのでしょうか?

お礼日時:2015/04/04 08:14

仰る通りですよ。


クズならクズでいいんですよ。
ようは社会で生きていければいいんです。
生きていければあとは周りが
「個性的だね」とか言ってくれます。
自分を受け入れてるか受け入れてないかで
気持ちが大きく違います。
受け入れられないと前にも進みません。
受け入れてるから次のステップも
考えられるんです。
逆に過剰に自分を肯定している人も
いるでしょうがうざいだけです。
ですがそういう人は前への推進力は
すごいかも知れません。
また逆に自分はクズだ、と思っていたら
積極的には前には出ないでしょう。
でもそれを「慎重」ともよびます。
慎重は悪いことではないですよね、
高額な買い物をする時は誰でも慎重になりますよ。

なので自分を知り受け入れられたら、
どうにでもなるんじゃないですか、
変わるも変わらないも自由。
自分が生きていくのに不自由でなければ、
いいと思います。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答有難うございます。

自分が不自由かどうかで判断するのは、いいかもしれませんね。
私はどちらが前か、そもそも今は自由なのか不自由なのかすら、明言できないのがいけないですが。

ところで、文面からは「肯定」はやはり前向きなこととお考えですか?
すこし気になります。

回答有難うございました。

お礼日時:2015/04/04 08:09

ついでに言えば自分じゃないから変えることができるんですよね。


洋服は自分じゃないから着替えることができる。
髪の毛は自分じゃないから染めることができる
体も自分じゃないから治すことができる。

哲学的な意味では本当の自分は自分では変えることはできないんですよね。
私たちが普段使う「自分」とは自分の付属品なんですよ。
自分の学歴、自分の趣味、自分の性格、自分の癖、自分の収入・・・
だからそれを分析して変えることができるんですよ。
洋服を着替えるように。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

とても思慮にとんだご指摘有難うございます。

私は、未だに自分すらも確定できていない愚か者です。自己とは何かすら分かりません。ただ、分からないことが分かるだけで。

回答有難うございました。

お礼日時:2015/04/04 07:59

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!