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死の誘惑から逃れられません
50代の主婦です。よろしくお願いします。
まず、誤解のないように申し上げますが、別に自殺したいと思っているわけではないのです。
ただ、小学校3年生頃の私の最大の望みが“痛みも苦しみも無い速やかな死”であったことが、今に至るまで私の心の中で熾火のように燃えていて、最大の望みであり続けていることがいたたまれないのです。日々優しい夫と子供に囲まれて普通に主婦をしている私は、心の中で、この世から消えてしまうことだけを希求しているのです。

私は、幼少期から18歳で家を出るまで、実母に激しく虐待されました。特に恐ろしかったのは、火のついた線香を手の甲に押し付けられたり、顔に近づけられたりしたことです。その理由を、最近母から聞いたのですが「言うことを聞かない悪い子だったから。」とのことでした。
私は、どういうわけか、幼子のくせに大人のウソを見抜いてしまう“能力”がありました。だから、その場しのぎで適当に自分の都合の良いようにウソをついている母親、それを指摘すると烈火の如く怒り狂って感情に任せて暴力をふるい暴言を浴びせかける母親を、非常に軽蔑し母とは“認識”できませんでした。

6歳の時に、私はちょっとした病気で入院したのですが、普段とは別人のように病室で優しくしてくれる母を見て「この人、どうしてこんなに優しくしてくれるんだろう?」と思い、自分にとって母親が「お母さんじゃない」…ということに突然気づいて、愕然としたのを鮮明に覚えています。

自分が大人になり、子供を産んで初めて母親が何を考えていたのかわかるようになりました。
それが、さらに私を苦しめることになりました。
何事も完璧でないと気に入らない性格の母は、障碍者が許せず「びっこ、めくら、つんぼ」などという差別用語を平気で使って軽蔑していました。
従って生まれた時から左目の上に大きな瘤があった女の子(私)に愛情が湧かなかったのだろうと(自分では)思っています。
「当時、他に子供がいなかったご近所の奥さん達がみんなで面倒を見たがったので仕方なくあんたを任せた」と母は言っていますが、「確かに1歳までは可愛がったのよ…」という一言で、私に全く愛情を抱けず育児放棄していたことを理解しました。
私も確かに問題児で、ご近所さんの家に勝手に上がり込んでお菓子を取ったりしていたそうです。それについては記憶にありません。でも、母はもう家には置いておけないと判断したと言います。私は、3歳くらいから父親が仕事(当時、土建業を営んでいたので、車で1日中現場を回っていた)に行く時に、一緒にいかされました。一日中、車の中でラジオを聞いて過ごしました。
従って、母親に抱かれたり、優しくされたりといった記憶が全くありません。私の記憶にあるのは、「あなたのためなのよ!」とヒステリックに叫びながら、激しく抵抗する私の手の甲に火のついた線香を押し付けるサディスティックな母の顔と冷たい白い手だけです。

「せっかく私が五体満足で産んでやったのに」と良く言われるようになったのは、私の左足が麻痺したように不自由になってきた小学校低学年時代です。左足を引きずるように歩き、正座の出来ない私を、母は激しく罵り、食事中は無理に座らされました。
普通の母親なら、我が子の足が原因不明で悪くなれば、当然大病院へ行って調べてもらったり、あちこち名医と呼ばれる人を捜したりするものだと思いますが(もし、私の子がそんなことになれば、地の果てへでも行って治る方法を探します。)母は、近くの開業医(しかも外科)にほんの少し見せただけであとは知らぬふりでした。少し大きくなって母に訊ねてみても、「小さな時に受けた注射のせいでしょう。」と口ごもるだけできちんとした答えは返ってきませんでした。

私は、小学校3年生の時に自殺の仕方を色々考えたのですが、死ねませんでした。
万が一死に損なったら母親によって死ぬより恐ろしい目に遭わされると子供心に考えたからです。(世間体を最も気にしていたので、子供が自殺未遂をしたなどということになったら“みっともない”と激怒すること間違い無しだと思いました。)
死ぬことすら母親に対する恐怖でできなかったことで、死は私にとって甘やかな憧れになってしまいました。
どう考えても異常な精神状態です。誰も私がそんなことを考えているなんて思ってもいないでしょう。
私は、どうしたらよいのでしょう。
アドバイスをお願いします。

A 回答 (4件)

40半ばの女です。



どうせ最終的には死ぬのですから、「死が甘やかな憧れ」なのは、別に悪い事ではないと思います。
自殺願望というのは否定されるべき事ではありません。
だれでも、心のどこかにいくらかは持っているものでしょう。
作家だの芸術家だのには、ゴロゴロしていますしね。

質問者様に限らず、人が何を考えているかなんて、誰も本当のところは分りません。
異常だの正常だの、線を引き出せばキリがありません。
それに「異常な精神状態」であっても自分が幸せで周囲にも迷惑をかけない人は、「正常な精神状態」だけれど自分は不幸だと感じていたり周囲に迷惑をかける人より、社会において有益です。
自分の精神状態が異常かどうかを気になさるより、ご自分が幸せと感じる事、周囲を幸せにする事を考えた方がいいと思いますよ。

ひねくれたモノの見方をするならば、質問者様は「幸せ」だから「死が甘やかな憧れ」となると言えるのかもしれません。
客観的に見て「不幸」と呼べる経験、ハンデをお持ちかもしれませんが、今、本当に「不幸」な人だと生きることに精いっぱいで、内容が何であれ「憧れ」なんて持っている余裕はないものです。
また、実際に、重病の人などにとっては、死は「目前に迫る恐怖」あるいは「苦痛からの救い」のどちらかであって、憧れるほど遠くにあるものではなくなります。
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死ぬ事を考えるのは楽です。


何でも「ああ、もう、死のう」で、それ以上何も考えなくて済むので。
私は20代の頃、この考えにとりつかれ、どうにかして死のとしていましたが、
どんなに調べてもどこかの土地建物の所有者に迷惑がかかるので諦めました。
筋の通った自殺ってないみたいですわ。
というか「完全自殺マニュアル」等その手の本を読み過ぎて、満足してしまった感もあったが。

異常な精神状態?
そんな格好つけていないで、今度こそ徹底的に死ぬ方法を調べてみては?
オカンと同じ、体裁を取り繕って自分の頭の中に自分でフタをするから
いつまでも頭の片隅にそれがあって、甘い憧れなんてものになるのでしょう。
40年前よりも今の方が大量に情報収集できるでしょう。net上でも遠くの大きな図書館でも。
小学3年生の時の宿題をやってしまおうよ。
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それだけのハンディキャップを持ちながら(病気や家庭環境)、結婚してお子様にも恵まれたことは驚異的だと思います。

健康体なのに一生結婚できない人もいますし…(苦笑)

幼いころに受けた傷というのはなかなか消えませんよね。質問者さんのお母様にも、事情があったのかもしれませんが、そんな事情は質問者には関係がありませんし。

お母様のことを怨んでもいいと思います。自分が鬱蒼とした気持ちになっているのはアイツのせいだ!お前が虐待したからだ!って、紙に書くにもよし、カウンセラーに言うのもよし。あなたはなにも悪くありません。

どうせ、あと30年ほどすれば寿命がやってきます。30年で美味しいものを食べたり、旅行に行ったりすることも100回くらいはできるのではないでしょうか?
憎い人のために自分の人生を犠牲にする必要はありません。
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この回答へのお礼

emiri-wさま、コメントありがとうございました。
おっしゃる通り、50歳になった時「この先、私はこれまでと同じだけは生きられない。元気に自由に動けるのは、せいぜいあと25年。」ということに気づいてしまったのです。
だから何にせよ楽しく生きていこう…と決意したわけですが、いつまでもまとわりついてくるこの気持ち(死だけが、自分に安らぎを与える。)が、真逆の方向に自分を引っ張って行くので、どうにもツラくて相談させていただきました。
なんか元気が出ました。
ありがとうございました。

お礼日時:2015/06/26 11:48

今まで、非常につらい経験をされてきたようですね。


幼少期の体験が今まで影響して、「死」の理想化、イメージから逃れられないということでしょうか。
50代に入られ、安定したご家庭を築かれて生活されているということですが、今も過去のトラウマや死のイメージにとらわれて苦しんでいるということであればカウンセリングなどを受けられ、少しずつ強い感情の風化を目指す時期に来ているのかなと思います。
なかなか身近な方には話しにくいこともあるでしょうから、心療内科、精神科などを受診され、気持ちの扉を開いて話ができると少しずつ楽になっていくのかなと思います。少しでも早く気持ちが楽になられますことを願っております。どうぞお大事にしてくださいね。
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この回答へのお礼

早速コメントをいただきまして、ありがとうございます。
心療内科と精神科の違いがどうもよくわからず、それになんとなく敷居が高くてウロウロしているうちに時がたってしまいました。また、小さな田舎町で「○○さんが、なんとか心療内科に入って行くのを見たけど…XXXかしら?」などとウワサされるのが嫌で、行けなかったというのもあります。
思い切って、他府県の病院をあたってみようかなと思いました。
こんな風に相談を書き込めたのも、おっしゃる通り過去のトラウマとの決別が必要な時がきたと(無意識のうちに)自分が理解したのだと思います。
背中を押して下さって、ありがとうございました。

お礼日時:2015/06/26 11:34

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