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卑弥呼など、大昔のことはどうして詳細がわかるのでしょう?
文献か何かあるのでしょうか。

A 回答 (5件)

詳細?詳細なんかわかってないですよ。

三国志とかの掲載内容しかわかっていない。そこから想像というか、創造というか、膨らませた内容が出回っているだけ。

無論、それが詳細な内容かどうかは人それぞれでしょうけど。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2015/07/20 13:59

卑弥呼に関しては、三国志の中で魏の史書である魏志に倭人伝として、少し記されている程度。

その記述も、邪馬台国の場所が九州と関西の2説に分かれるほどあいまいな内容。

手塚治虫氏が火の鳥・ヤマト編で、大和王朝が勢力を伸ばしたため、それ以外の豪族たちの記録が抹消されたと述べてますが、おそらく真実もそうだったかと。
 ほとんど正確な史料が残ってません。
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この回答へのお礼

ほ~、「少し記されている程度」、それも中国の書、なんですね。
では本当はどうだったかもわからないんですね…。

手塚治虫先生の「火の鳥」は読んだことがないのですが、とても興味が湧いてきました。
早速借りに行って読んでみようと思います。

ありがとうございました。

お礼日時:2015/07/20 13:59

その当時日本には文字がありませんでしたから、直接残っている記述はありません。


 日本が「貢物」を持参した中国の文献に、そこで伝聞した日本の記述があるのが、数少ない事例です。それが、当時(3世紀ごろ)の中国の歴史書『三国志』中の「魏」の歴史書「魏書」の中の「東夷伝」に、当時の日本(倭の国)についての伝聞が書かれている部分、通称「魏志倭人伝」です。
 ただし、そこに書かれている内容が、どこまで信実か、どこまで正確かは、確認しようがありません。

 日本独自の文献が登場するのは、8世紀になって、中国の漢字を借りて記述した「古事記」や「日本書紀」です。そこには、当時の言い伝え(言葉で伝承されてきたもの)が編集され、神話に属するものから史実まで混在して書かれているので、どこまでを史実とみなすかは、いろいろ説があるようです。
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この回答へのお礼

とても簡潔でわかりやすいご回答、ありがとうございました。
感謝したします。
本当に単純に「どうして?」と思ったので質問させていただきましたが、
yhr2様のご回答を読んで、ますます興味が高まってきました。

確かにどこまで真実か、確かめようはありませんね。
だからこそ不思議だし知りたくなります。
迅速で大変理解しやすいご回答、ありがとうございました。

お礼日時:2015/07/20 13:56

最新の技術を使用して、遺跡の遺骨や土器などでもいろいろな情報を得ることができるようです。



↓卑弥呼よりもずっと古い縄文時代の歴史研究


卑弥呼の時代なら新しいのでもっと資料が出るとおもいます。
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この回答へのお礼

そうなんですか~。
全く知りませんでした。
でも最新の技術のすごさもさることながら、それを歴史研究に生かされている、というのを知り、嬉しくなりました。
ありがとうございました。

お礼日時:2015/07/20 13:53

文献→魏志倭人伝(通称)


他の方も書かれていますが、三国志という史書に載っています。三国志というと後の小説として書かれた三国志演義が有名で(日本で三国志といった場合、大抵こちらを指します)、まぁその元となった本です。
中国では王朝が変わると、前の支配者が何をやってどう悪かったから新しい王朝(自分達)に変わったのか、を書物にして残していて、それらの書物たちのいくつかを正史と決めて中国の歴史としています。
日本でも似たものを作ろうとした時代があって、日本書紀や続日本紀などいくつかが残されています(日本の場合はそのうちに作られなくなった)。

そんな三国志、中国の史書なので中国のことが書かれているのですが、魏の書の巻末に周りの国々のことを書いている部分があります。日本人の感覚で言えば、韓国や台湾やフィリピンやベトナムのことを書いているようなもので、あまり関心がないところなのですが、遠いところのこともこの程度分かってるといった意味で西はペルシャ(だったかな)のこと、東は東夷伝として当時の朝鮮半島の北あたりにあった国から朝鮮半島にあった国、そして最後に倭人(条)として倭という国のことが書かれています。この倭という国が日本のことで、まぁ文字数にして2000字ほどなのですが、その中に卑弥呼やら邪馬台国やらという単語が書かれていて、それで今の私達が当時そのような人や国があったことを知ることが出来ています。

書物以外にも考古学といって、古墳や遺跡、土器などを調べて、それらがいつ頃の時代かとか、どのような生活・文化を送っていたのかなどを調べる学問もありますが、こちらの場合は「卑弥呼」や「邪馬台国」といった固有名詞が分かることは非常に稀です。しかしながら、書物に書かれていないこと、書かれる以前の事なども知ることができる、なかなか有用な学問です。

最近では言語学などもあって、たとえば卑弥呼の発音(当時)はピミオだった(だろう)などということが分かっています。呼という字はコとは発音されていなかったので、ミコと読んで巫女に関係付けているものは、全部ウソっぱちだとバレてたりします。
また邪馬台はヤマトと読まれていたものです。こちらは昔から知られていたのですが、後に出来た畿内ヤマト王権と混同するからと、わざとヤマタイと読んだのが広まってしまったものです。今ではヤマタイ国という国があったかのようにTVなどでも言われていますが、存在したのはヤマト国です。

畿内ヤマト王権も同じヤマトなので魏志倭人伝に書かれているヤマト国も畿内の国のことなのだろう、という人が多いのですが、畿内ヤマト王権を作った人たちも当然魏志倭人伝の内容を知っていたでしょうから、そこに倭の王の居る国がヤマト国だと書かれているので自分達のいる国をヤマト国と名付けて、それが後に畿内ヤマト王権と呼ばれるようになったのだと私は思っています。
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この回答へのお礼

大変詳しいご説明、ありがとうございました。
「魏志倭人伝」は教科書で習って知っていましたが、詳しいことを知らなかったので、大変勉強になりました。
いろいろ教えていただいて、歴史に興味が湧いてきました。
また質問させていただくこともあるかと思いますが、どうぞよろしくお願いたします。

お礼日時:2015/07/20 13:51

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