プロが教えるわが家の防犯対策術!

おはようございます!よろしくお願いします。
1、諸葛亮は、日本でもさることながら、中国で古来の知恵者とかなり有名ですが、なぜ奇才と言われるまでの、知恵を獲得出来たのでしょうか?本など読むとき、要点だったかな?そこしか読まないようにしていたとか聞いたことあるんですが、これが奇才と言われるまで、成長に繋がったのでしょうか?他になにか極意があったのでしょうか?
後、鬼の努力家だった?とかかな・・・あと、普通の人が読めない本を勉強することが出来たからかな?一日中、本ばっかり読んで知恵を獲得したとか?
なんだろ・・・劉備と出会うまでも、我竜として知恵を認められていたそうですが、その知恵も並大抵ではなかったと思いますし。才能とかそういう答えはなしでよろしくお願いします。
2、諸葛亮のこれは案外知られてないぜ!とかマニアックな知識だぜ!!とかそういう諸葛亮のネタがあれば教えてください。
3、糞な質問ですが、諸葛亮はいつ童貞を卒業したのでしょうか?(そんなの歴史に残らないか・・・)
4、諸葛亮の知恵力は日本人で例えれば、歴史上、誰に当てはまりますか?
5、全部が全部そうじゃないと思いますが、諸葛亮は星を見て、どう戦うかを決めたり、これからどうするか?を決めていたそうですが、ほんとうでしょうか?そこらへんもアドバイスお願いします。
詳しい方、どうかご教授お願いします。

A 回答 (8件)

日本の孔明と言えば、豊臣秀吉に仕えた「竹中半兵衛」でしょう。


19歳で国主:斉藤龍興を諌める為美濃の稲葉山城を僅か17人で占領、惜しげもなく返すと故郷に帰って蟄居、そこを秀吉が訪ねて行って三顧の礼をもって迎えます。
その後秀吉の智恵袋として各地を転戦、病弱であったため天才的閃きで勝利を勝ち取り、毛利との三木城攻めで病没します。
ところでご承知とは思いますが、われわれがよく知る諸葛孔明の活躍ですが、これは「暴れん坊将軍」の徳川吉宗、「水戸黄門漫遊記」の徳川光圀、「遠山の金さん」の遠山金四郎景元等と同じく、モデルになる人物はいましたが、「三国志演義」というお芝居の上でのヒーローですから、作者の都合でどうにでも書けます。
多分女性関係は物語の英雄ですから、無い訳ではないけど触れないと言う事になってると思います。
実は私もこの「三国志演義」の影響で曹操を秀才ぶった嫌な性格で、背は割と高く女性を手玉に取るようなホストタイプの人物と見てました。
実際は、性格はひねてたようですが、チビで短足、正義感は強く、詩歌の才能は彼の子供たちと共に天才的と言われています。
容姿の点では三国志演戯で得をしましたが、その他の点では損な役回りになって、本人もあの世でちょっと「トホホ」してるかも。
尚、日本の竹中半兵衛も息子の重門が書いた話が元になってますから、葬式や結婚式の人物紹介同様、話が少し膨らんだ部分があり、随所に孔明を意識した記述が出てきます。
これも読み物としては面白いので、書店で見たらご一読ください。
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#7 さんの宿について、補足。


宿は古代中国の星座です。
http://www.toxsoft.com/stella/

ですので、現代風に言うと「占星術」ですね。(^^)
まあ、どこかの国の大統領も占星術師にみてもらっていたそうですから、今も昔もあまり変わっていないと言うことでしょうか。

ちなみに、新しい彗星や惑星が発見される度に、占星術師はこれでもっと正確な占いが出来るようになる、と言っていると、どこかの話で聞いたことがあります。

なお演義では八門遁甲という術を使ったと伝えられて、日本でも占いとして使われているみたいです。

参考URL:http://www.toxsoft.com/stella/
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5、密教の教典に宿曜経というのがありますが、その教典が元といわれる『宿曜占星術』というものがあります。

宿曜では星のことを「宿」と呼びますが、27ないし28の宿があり、これを旧暦の日に当てて占います。
 孫子の兵法書に、「箕宿、壁宿、翼宿、軫宿の日は風が吹く」と書かれていますので、孔明も宿曜術を心得ていたと思われます。
 ちなみに、日本にも密教伝来とともに宿曜術が入ってきましたが、その的中率の高さから口伝のみで伝えられ、日本の武将などでも、宿曜術を心得ていた人がいるといわれています。
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三国志演義と正史が混じってるかもしれませんが、その辺りはご勘弁を。



1、他の方も答えていらっしゃいますが、まず一族そのものがそのような知恵者を出す家系のようです。また、師にも恵まれました。徐庶、ホウ統などやはり同時代に活躍した参謀達とも交流があったようです。

4、個人的には江戸時代の老中・松平定信のようなイメージを持っています。政治家として確かに有能ではあるんですが、どちらもやや理想主義に傾いて言われているほどの実績を残していないという部分も似ている気がします。実際、諸葛亮よりライバルといわれる司馬仲達の方が実は残していますしね。

5、当時は占い、占星術などのようないわゆる呪術的なことができるというのも参謀の重要な要素でした。錬金術が後の化学にある程度連なるように、星を見るという事も完全に非科学的と言う事は無く、天文学的な要素があり、それを用いて天候や風向きを占っていたものと想像します。
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1.諸葛一族は、割と皆、優秀なみたいです。

小さい頃から、いろいろ教えてもらっていたのかもしれません。(兄は、諸葛謹:呉。親戚も魏で活躍)

4.やっぱり、石田三成とかでしょうね。
秀吉は、劉備っぽいし
どちらかというと、前線にでて戦争をするタイプではなく、国を豊かにして、前線に食料などを運ぶ宰相に向いている人だったと思います。
食料等物資を輸送する、木牛、流馬を開発しているしね。
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 諸葛孔明の青春時代(?)について語られることはほとんどないので推測ですが


当然小さいときから読書が好きで勉強好きだったんでしょうけど
まあ生まれつきだと思いますよ。いわゆる天才ですね。
一般人が「その秘訣は?」と質問しても
孔明本人は「別に……」と答えるんじゃないでしょうか。

 5ですが
その昔は、星を見たり占いをして行く末を決めるということが当たり前でした。
日本でいうなら安倍晴明のような陰陽師ですね。
どれだけ陰陽道に通じているかというのも軍師として重要なポイントでもありました。
占いだけでなく、寿命を延ばすということもできるのです。
孔明も死期を悟ったとき、ろうそくを立て寿命を延ばすまじないを行ったのですが
成就する寸前に部下が誤ってろうそくを消してしまい
これが私の天命なのかと慫慂として死に臨むのでした。
そういうことが可能だと当時の人たちは信じていたんですね。
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1.まず本人の努力もさることながら、良い先生に巡り会えたからではないでしょうか。

勉強しただけでそれほどの知恵者になれるかどうかは分かりませんけど。
2.結構人の好き嫌いが激しかったです。泣いて馬謖を斬るで有名な馬謖なんて、大したこと無い人物を重用したり、蜀を支えることになる将軍を始め見たときにこいつは裏切りの相があるから信用するなとか、勝手なことを言っています。結局信用してもらえないから我慢しきれなくなって裏切ってしまいましたが、諸葛亮がもう少し大人だったら、彼が裏切ることもなかったかと。
3.あまり興味なかったみたいですが、奥さんは平均以下の容貌ですが、その奥さんの一族は結構権力者だったようです。
4.聖徳太子なんてどうでしょう?(^^)
5.まわりの人間にいくら天文学とかの事を科学的に説明しても信じてもらえません。手っ取り早くまわりの人間を納得させるために、そう言った占いとかの形を使ったと考えられます。

以上記憶だけで書いてみました。
私が好きなのは曹操だったりしますが。(^^;;
では。
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孔明の事を割と詳しく解説してるページがあったので紹介します。


http://www.t3.rim.or.jp/~miukun/koumei%20front1. …

物語の上での「日本の孔明」は竹中半兵衛か山本勘助ですが実像としては石田三成か大岡越前のような優秀な実務官僚のようでした。

参考URL:http://www.t3.rim.or.jp/~miukun/koumei%20front1. …
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