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物的一元論と心身二元論の違いについて教えてください。
とても難しく頭を抱えています

A 回答 (1件)

私は専門家じゃないので詳しい人ではないかもしれませんが



物的一元論 と言うのは「唯物論」の事じゃないでしょうか?これはエネルギーと物質は同類だと見て

相対性理論により質量もエネルギーの一種とみなす考えで エネルギーと物質を含めて「物」と呼び

全てのものは物質の反応などで説明がつくとするものでしょう。

ちなみに私の考えですが じゃあ精神はなんだと聞かれたら、精神は物質の持つ性質によって出来ていると考えます。

心身二元論は 心と(物質である)体は別物であって、この世は「心」と「身体」からなる

これはさっきの様に繋がってなくて 心の世界と物質や体の世界の2元から世界は成っていると考えるものだと思います

頑張って下さい。
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この回答へのお礼

とてもわかりやすい回答ありがとうございます(>_<)がんばります!

お礼日時:2015/09/08 15:51

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Q懐疑論の意味をわかりやすく教えてください

辞書で調べたのですが 懐疑論 「人間の認識は主観的相対的であるとして、絶対的真理の認識の可能性を疑い究極的な判断を中止する思想的態度。懐疑主義。」 と表示されたのですが 僕にはさっぱりわかりません。 この意味を教えてください。

Aベストアンサー

懐疑するとは、自分がもうすでに分かっていると言うことを疑うことです。もう分かっていると言うものの中には、人の物を盗んではいけないとか、人を殺してはならないとか、私は今生きているとか、昨日私仕事に行ったとか、学校に行ったとか、それこそ全てを疑ってみることによって、自分が本当に分かっていることは何なのか、自分が分かっていると思っていたのに実はそれが誤解であり、自分は分かっていなかったのだということは何なのかなどを一つ一つ見つけて行く態度を懐疑論的な態度と言います。この態度を実際に実行して究極まで押し進めたのがモンテーニュの『随想録』です。この本はとても面白いですから、是非読むことをお薦めします。岩波文庫で手に入ります。超高等な話から超下ねたの話まで、人間の行為のあらゆることを一つ一つまな板に挙げて、これでもかこれでもかと、我々がもう分かっていると思っていた考え方を覆してくれます。

この態度を徹底的に進めて行くと、結局我々は何も分かっていないばかりでなく、何も結論を出すことができないと言うことになってしまいます。したがって、全てのことに対して判断を中止せざるを得ないと言う結論にまで到達してしまいます。事実モンテーニュは、自分の座右の銘は「我、何をか知る」であると言っています。今様に言えば、「私は何かを知っているのだろうか?」です。彼はもし誰かが「私は何も知らない」と言ったら、貴方が間違っていることを説得する論理を提示していますし、「私は何かを知っている」と言っても、貴方が間違っていることを説得する論理を提示してしまいますから。

このように、モンテーニュの出現によって、懐疑論は究極的には判断の中止という非生産的な結論を導き出すことになってしまったのです。ところがデカルトがその後それを逆手に取り、全てを疑っても、それを疑っている自分がいる事は疑えないと言う結論に到達しました。それを彼は「我思う、故に我あり」と表現しました。ですから、判断が一つで来たのです。そこで、デカルトの懐疑論は、建設的(あるいは生産的)懐疑論と呼ぶことができます。

デカルトは近代哲学の父と呼ばれていますが、この意味で、デカルトの出現を用意したのはモンテーニュなのです。ですから、近代哲学を本当に理解したいなら、モンテーニュは必読の書です。

懐疑するとは、自分がもうすでに分かっていると言うことを疑うことです。もう分かっていると言うものの中には、人の物を盗んではいけないとか、人を殺してはならないとか、私は今生きているとか、昨日私仕事に行ったとか、学校に行ったとか、それこそ全てを疑ってみることによって、自分が本当に分かっていることは何なのか、自分が分かっていると思っていたのに実はそれが誤解であり、自分は分かっていなかったのだということは何なのかなどを一つ一つ見つけて行く態度を懐疑論的な態度と言います。この態度を実...続きを読む


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