限定しりとり

先日、「山本五十六」の映画をテレビで観ました。

戦争のときマスコミは戦争を煽っているような描き方がされていますが本当でしょうか?

よくテレビでマスコミの方がマスコミは戦争を止められなかったいうようなことを言っているのを聞いていましたので、ほんとは戦争には反対だったのですが、当時の権力に負けて書きたいことが書けず仕方なく戦争賛成の記事を書いていたのだと思っていました。

だけど、映画で描かれていマスコミの姿勢は、山本五十六がアメリカとの戦争を反対しても、自分の意見として戦争を賛成していました。

すみませんが、お教えいただけましたら助かります

よろしくお願いいたします。

A 回答 (7件)

政権側もマスコミを利用することを学んでいる



ベトナム戦争当時、記者達の取材に関して制約を加えず自由に取材し報道する状態だった
結果、米軍に都合のいい情報だけではなく、様々な不都合な事件や出来事も散々に報道され
戦争の目的や意義に対する疑問が膨らみ、後のベトナム反戦運動に繋がった

その反省に立ち、湾岸戦争時の父ブッシュやイラク戦争時の子ブッシュは、軍の報道担当官を大量に動員し、取材陣の便宜を図る代わりに軍に都合の良い報道を量産した
その結果、米国内で戦争に対する疑問を呈する人間は愛国者ではないと言うような雰囲気が生まれて

大統領の支持率が80%とか90%と言うような信じられないレベルに達した

民度の高いと思われている米国でさえ、悪者を罰すると言うような立場(だと思い込むと)
状況を冷静に判断することが出来なくなる
そういう国民感情が生まれているときには、正論を述べても歯が立たない

新聞なら購読者が減り、テレビなら視聴率は急落、経営が成り立たなければ結局は長いものに巻かれちゃうことになる

マスコミが煽っているのか?民衆が煽っているのか?その両方なのか?
その時その時で様々だけど、マスコミだけが単独で煽るってことは無いだろうね

政府や民衆からの有形無形の力が働くからこそと思われる
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございます。

大統領の支持率が80%とか90%と言うような信じられないレベルに達した民度の高いと思われている米国でさえ、悪者を罰すると言うような立場(だと思い込むと)状況を冷静に判断することが出来なくなる。そういう国民感情が生まれているときには、正論を述べても歯が立たない」
とても怖いなと感じました。私も多数の国民感情側に付いてしまいそうな気がします。正論が歯が立たないというわかるような気がします。

「経営が成り立たなければ結局は長いものに巻かれちゃうことになる」
そうなんですね。

「マスコミが煽っているのか?民衆が煽っているのか?その両方なのか?その時その時で様々だけど、マスコミだけが単独で煽るってことは無いだろうね」
マスコミが煽って、民衆が煽られた側(被害者)という単純な図式がではないような気がしてきました。民衆側にもマスコミに戦争賛美の記事を書かせる国民感情があったような気がしてきました。

いろいろお教えいただき助かりました。
心から感謝いたします。

お礼日時:2016/01/04 09:31

私は資料のソースは可能な限り明確にするべきだとも思っています。


なので、その努力ももせずに都合の良い部分だけを引用する人を評価しません。

【戦争に熱狂した新聞・ラジオ】(田原総一朗 公式ブログ)
http://www.taharasoichiro.com/cms/?p=490
記事中にはこんな文もあります。
【太平洋戦争の最も反省すべき点は、世界で孤立し、負けるに決まっている戦争に踏み切った事だ。
実は、政府の首脳も軍の幹部も誰一人、この戦争に勝てると思っていた人間はいなかった。
無責任に煽っていたのは、マスメディアだった。】

↑の記事内で、彼は「言論弾圧があった」と言っていますが資料を出していません。
他にも疑問のある内容があり、私は彼の主張の全てを賛同することはできません。
(「第一次大戦が終って結ばれたパリ条約によってであった。」という文があり、これを根拠に日本の開戦を批判する意見もあるようですが、その条約では「侵略の定義」が定められていない上に罰則もないので、実質ザル法になっています)

私は、太平洋戦争の最も反省すべき点は、大陸で共産主義と戦っていた日本を連合国が孤立させ開戦させたことであり、それが戦後の冷戦やアジアの混乱の元になったと思っています。



質問の主旨は↓でよいのでしょうか。

>戦争のときマスコミは戦争を煽っているような描き方がされていますが本当でしょうか?

回答:本当です。

この問題ですが、「軍の強制があった」という方がそれを証明する義務があると思います。
そして、なかった事の完全な証明は不可能とされています。
自由に書いておいて、後から「実は脅迫されていました」と言えばOKなら、強制否定派が「煽り記事」の資料を出しても無意味です。


私は、以下の状況から、少なくとも開戦前は報道規制はなかったと思います。

当時は政府も軍も開戦は反対していました。
開戦前の昭和16年に、当時の日本政府は、「総力戦研究所」を作り、各分野の有識者を集めて対米戦のシミュレーションを行っています。
その結果は、現実と殆んど変わりませんでした。(原爆・ソ連の参戦は除きます)
それでも開戦したのは、僅かな可能性に賭けなければならない程、アメリカのハルノートが厳しいものだったと、マスコミが世論を煽ったからです。


議会についても、民主主義が守られており、私には一部の方が仰るような軍国主義であったとは思えません。

この問題では、いわゆる「統帥権干犯問題」による軍の発言力の増大→軍国主義化という意見があるようですが、それは軍が言い出したのではなく、政党政治が原因になっています。

統帥権とは「軍隊の最高指揮権」であり、帝国憲法では以下のように定められています。

第十一條:天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス
第十二條:天皇ハ陸海軍ノ編制及常備兵額ヲ定ム

問題の発端ですが、
ロンドン軍縮会議で日本政府が条約を調印したことについて、野党の「政友会」が前述の11条と12条を理由に天皇の統帥権を干犯していると問題化しました。

↑に対して、浜口首相は以下の答弁で退けています。

【最終権限は天皇にあるが、責任内閣制度なので内閣が条約を結んでもかまわない。
これが統帥権干犯なら、外務大臣が外交をするのは外交権干犯になる。】

しかし、この後に浜口首相は暗殺され、以後も軍部は内閣にこの天皇の憲法上の権限によって圧力をかけました。
マスコミや大衆も支持した為に、議会政治の機能が低下してしまいました。

↑の結果、議会で軍の発言力が大きくなったのは事実ですが、それも国民の指示を背景にした議会政治の中での事態であり、民主主義の範囲での事だと思います。


更に「軍部」の定義も問題になります。
陸海軍の総称なのか、陸軍(もしくはその一部)なのか等の他にも、
当時の陸海軍は対立しており政治的主張が一致した皆無です。
その上、両軍内での派閥もありました。
以上から「軍部」の方も、独裁などしたくても不可能でした。

確かに軍は「軍部大臣現役武官制」を行使して何度も内閣に圧力をかけてはいます。
(軍部大臣現役武官制:扱いは文官だが武官しかなれない役職。)
これは、軍が軍部大臣を出さなければ組閣ができない&後任が決まらない ということです。

しかし、それによって軍主導の内閣を創っても、他の閣僚との対立による閣内不統一や、官庁の協力を得られないことによる辞職に追い込まれています。

このような状況によって、戦前の政権は短命でした。
敗戦までの8年間に総理7人と9の内閣が生まれています。
(戦時の東条内閣も国務大臣の造反で総辞職しています。)


以上から、当時の日本は ダメな民主主義 ではありましたが、複数の政党が存在しており何度も政権が交代していることから、ナチスのような「ファシズム」や、軍国主義ではなかったと思います。
(本当にそうだったら、このようなグダグダにはならなかったと思います。)

私には、以上のような状況から、言論統制がおこなわれていたとは思えません。



戦中の報道規制については、何処の国でもしている事だと思います。

戦争とは、国の全てを動員しなければ行えないものです。
そのためには、愛国心を盛り上げる為に、自国の正義(戦争の正当化)や民族の優秀性をアピールするなど、使えるものは何でも使います。
同時に、情報を統制し、敵国に利する言論は宣言されます。
これらについては、どこの国でも行っていました。
スパイや工作員による情報漏洩やプロパガンダを許す国など、平時でもありません。
日本は戦前から共産主義者に悩まされていました。


日本を批判している人は、終戦間際の一部の時期の統制を、全ての時期の日本の事だと誤解している方が多いように思います。

日本は戦前から軍によって言論統制されていたというのは、戦後にGHQが流したデマです。
連合軍は、日本が再び逆らう事のない様に、精神面から弱体化する為に、戦争の責任は全て日本にあるという宣伝をしました。(戦争は国家の権利なので、勝敗に関わらず「責任」などは発生しません)

GHQはそのようなデマを流す一方で、日本の国民については騙されていた被害者であるとしました。
これを受け入れた場合、国民は罪悪感からは解放されますが、代償として国に対する信頼を失い、愛国心やアイデンティティを喪失し、以後自虐史観による連合国に対する劣等感を抱えることになります。
一方で、連合軍は単なる戦勝国ではなく、悪い政府から助けてくれた正義の解放者になることができ、占領政策や、独立後も影響力を保持できます。
「太平洋戦争のときマスコミは世論を煽ってい」の回答画像7
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございます。

当時は政府も軍も開戦は反対していました。
開戦前の昭和16年に、当時の日本政府は、「総力戦研究所」を作り、各分野の有識者を集めて対米戦のシミュレーションを行っています。
その結果は、現実と殆んど変わりませんでした。(原爆・ソ連の参戦は除きます)
それでも開戦したのは、僅かな可能性に賭けなければならない程、アメリカのハルノートが厳しいものだったと、マスコミが世論を煽ったからです。

そうなんですね。

一方で、連合軍は単なる戦勝国ではなく、悪い政府から助けてくれた正義の解放者になることができ、占領政策や、独立後も影響力を保持できます。

実は、太平洋戦争で敗れて連合国から日本が侵略国、侵略戦争を繰り返した、
と決め付けられるまで、日本には戦争が悪い、と言う空気はほとんどなかった。
戦争には勝てばいいのだと言う思いが強かった。
これは日本だけの現象ではない。
イギリス、アメリカ、フランス、オランダなどを始め、
先進国とは侵略戦争を重ねて戦争に勝ち、
負けた国を植民地にする、その歴史を繰り返してきたのである。
先進国とは、すなわち侵略国なのである。
明治維新で開国して以来、日本は侵略国になるか、
植民地にされるかの戦いを繰り返してきたのである。
侵略戦争がダメだと言う事になったのは、
第一次大戦が終って結ばれたパリ条約によってであった。
しかし、これまでに行った侵略、そして植民地作りは認められたのである。
日本で言えば侵略戦争と言えるのは、満州事変と日中戦争だが
実は満州事変はイギリスやフランスが絶対に支持してくれる事を前提で行ったのであった。

田原総一郎さんの貼り付けたいただいたブログ読ませていただきました。
連合軍であるイギリス、アメリカ、フランス、オランダなどを始め、先進国とは侵略戦争を重ねて戦争に勝ち、負けた国を植民地にする、その歴史を繰り返してきたのですね。

いろいろお教えいただき助かりました。
心から感謝いたします。

お礼日時:2016/01/04 09:53

マスコミというより、国民自身が



「神国日本が負ける訳がない」という考えになっており

戦争に反対する新聞や、そのような戦争に反対する仲間を

批判していました。

日清日露と勝ち続けてましたからね、、、。

日本国民自体が「日本が負けるはずがない」という

考えに染まっていましたからね。

でも、大東亜戦争は、陸軍が先走った戦争でした。

海軍は、ずーっと戦争に反対してましたから。
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございます。

「国民自身が「神国日本が負ける訳がない」という考えになっており戦争に反対する新聞や、そのような戦争に反対する仲間を批判していました。」
国民の考えを新聞が書いていた一面もあったのですね。

いろいろお教えいただき助かりました。
心から感謝いたします。

お礼日時:2016/01/04 09:05

内務省内に思想を取り締まる部署があり、新聞や書籍、ラジオの放送原稿を検閲していた。


 軍部に不都合な記事や写真は「不許可」とされて、原稿の書き直しや写真の差し替えが命じられた。
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございます。

いろいろお教えいただき助かりました。
心から感謝いたします。

お礼日時:2016/01/04 09:02

>当時の権力に負けて書きたいことが書けず仕方なく戦争賛成の記事を書いていた


それが常識、内務省・特別高等警察・参謀本部はマスコミ(新聞・雑誌・NHK)を全て押さえていた、記者より検閲官の方が多かったと思う。
>山本五十六がアメリカとの戦争を反対しても、自分の意見として戦争を賛成していました。
それも正しい、山本は親米英派だった、と言うより日本の海軍は日露戦争後も英国にすり寄っていた。だが東南アジアに植民地を持っていた英、仏は陸軍の侵攻を押さえたいがその力が無かった、だからいくら海軍がすり寄っても英国は突き放した。チャーチルはアメリカを巻き込みたかった、アメリカはボケだが既に第一次世界大戦でアメリカの物量作戦の威力はみんな知っていた。山本も同じだった。だが半分当っていた米英親族論は陸軍の東南アジア侵攻でチャーチル(前任者かな?)を追い詰めていた、米国陰謀論は半分事実だった、日本の使っていた暗号解読は開戦時には完成していなかった、フランクリン・ルーズベルトのみならず米国世論は日本なんか太平洋のあっち側で「勝手にやってろ」だった。最悪だったのがドイツだ、なんと真珠湾、スピーク湾(フィリピン)急襲の当日ソ連から撤退を開始した。米国がどう云うつもりか全く分からないが、ほぼ完成していた暗号解読を真珠湾の司令官に伝えなかった、彼はほとんど狂ってしまった。米国機動艦隊がどこに居たのかわからない、山本は苦汁の決断を迫られた、機動艦隊を温存されると容易に反撃を許す、だが太平洋は広すぎる南側になど居たら全く分からない。ただいまだに不審に思われているのは海軍基地に莫大な量備蓄されていた、ガソリンと、重油に指一本触れなかったことだ、これらの燃料が無ければ米軍機動艦隊の遊弋範囲は限られ、最悪真珠湾への上陸を許しただろう、日本軍がこれらの基地を使えたら戦争は混沌とし、西海岸は絨毯爆撃に会う、有名なB52の基礎設計、富岳は半分出来て居た。
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございます。

いろいろお教えいただき助かりました。
心から感謝いたします。

お礼日時:2016/01/04 09:01

大きな組織の中には色々な考えの人間がいる


当然マスコミ(当時は新聞)も同じ

反戦的な考えを持つ人もいれば、政府に迎合して政府や軍部が喜びそうな記事を書く人もいる

当時、共産主義を弾圧する目的で様々な法規制が存在したが
その規制を利用して出版物に対する、検閲や規制が行われていた
目に見える検閲以外にも、物資不足の為にインクや紙も割当制になり、当然政府に迎合する新聞に優先的に割り当するなど

反戦的な傾向を見せれば 政府や軍部から公式非公式に妨害を受ける事になり
自然と政権に迎合する派閥が新聞社内で主導権を握り、反対派は追放されたり自由にモノを言えなくなっていった

こうやって徐々に反対意見を言えない社会となっていった

但し、マスコミだけが悪いのではない
それを風潮を助長したのは購読者である一般市民の責任

最近、何かというとマスコミが悪いマスコミが悪いと言い
マスコミを規制抑制するような主張をする人間がいるが、それが公権力に利用される危険性をどこまで認識しているのか、70年も経過すると教訓を失ってしまうのかと暗澹たるおもい
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございます。

「反戦的な傾向を見せれば 政府や軍部から公式非公式に妨害を受ける事になり
自然と政権に迎合する派閥が新聞社内で主導権を握り、反対派は追放されたり自由にモノを言えなくなっていった」
政権に迎合する派閥が新聞社内で主導権を握ってしまったということがあったのですね。

いろいろお教えいただき助かりました。
心から感謝いたします。

お礼日時:2016/01/04 08:56

田原総一朗のブログに以下のような記述があるので、参考にしてください。



新聞が戦争を礼賛し始めた最初は日露戦争である。
日露戦争の始まる前、実はほとんどの新聞が戦争反対だった。
ところが戦争が近づくと戦争反対の新聞はどんどん売れなくなった。
経営が危なくなった。
そこで、どの新聞も戦争礼賛に転向した。
特に萬朝報は最後まで戦争に反対したが、
倒産の危機を迎えて結局戦争賛成に変わった。

これをきっかけに戦争が近づくと、日本の新聞は戦争を賛美するようになった。
満州事変、日中戦争の時もメディアは戦争礼賛になってしまった。
戦争を礼賛すればするほど、よく売れるのである。
そこで大新聞がみんな戦争礼賛になると、雑誌や小新聞に対して
政府は過酷な弾圧を加えるようになった。
それでも反対すると、監獄にぶちこむ。
こういう状態で太平洋戦争を迎えるのである。
もちろん新聞社の中にも、或いは雑誌社にも戦争に反対する記者達はいた。
だが、彼らは書く機会が与えられないか、警察に逮捕された。
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございます。

「満州事変、日中戦争の時もメディアは戦争礼賛になってしまった。戦争を礼賛すればするほど、よく売れるのである。」
よく売れるから戦争を礼賛したのですね。

いろいろお教えいただき助かりました。
心から感謝いたします。

お礼日時:2016/01/04 08:52

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