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日本は幕末にペリーによる黒船来航があったため、大国アメリカから恫喝されて開国したというイメージが強いですが、当時の大国といえばイギリスやフランス、ロシアが圧倒的であり、アメリカはウィーン体制化の5大国にも入っていない、辺境の小国であったようです。

19世紀中盤といえば、アメリカは独立後に成長を続けていたものの、米墨戦争や南北戦争といった戦争が多発した混乱期であり、国力の面ではイギリスやフランス、ロシアには到底及ばないものでした。
一方、日本については17世紀前半までは西欧諸国と大差ない軍事力・経済力を持っていたものの、18世紀になると差をつけられ、19世紀にはイギリスやフランス、ロシアには到底及ばないほどの国力にまで転落します。

19世紀中盤、イギリスやフランス、ロシアなどの大国に到底及ばななかった小国であった日本とアメリカの両国は、国力についてはどちらがが上だったと考えられるでしょうか。
なお、日本については天保の改革終了後、アメリカについては米墨戦争終了後、南北戦争開始前を想定しています。

質問者からの補足コメント

  • それが事実であれば、アメリカはイギリスには劣るにしてもフランス、ロシアと同程度の国力があったことになりますね。
    19世紀中盤でも、南北戦争さえなければフランスやロシアと戦争しても勝てたかもしれないですね。

    No.1の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2016/05/09 21:06
  • 19世紀中盤はアメリカの方が国力が上だったようですが、それでは19世紀初頭はどうでしょうか。日本では徳川家斉の時代、アメリカは米英戦争の頃です。

      補足日時:2016/05/09 21:09
  • 独立戦争は1776年で、それから70年程度しか経っていない国(アメリカ)と、長期にわたって戦争はなかったものの、アジアの中ではそれなりの武力を保有していた国(日本)ですよ。

    当時の大国だったイギリスやフランス、ロシアと比べたら、日本が比較にならないのはわかります。
    でも、当時のアメリカは新興国の一つに過ぎず、南米のブラジルやアルゼンチンともどっこいどっこいの国だったはずで、比較の対象にはできるでしょう。

    No.2の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2016/05/09 21:53
  • 19世紀半ばといえばアメリカは米墨戦争に勝ち、ようやく今の領土に近い形になった頃です。
    また、産業革命についても始まったばかりという頃で、人口も同じくらい、日本とあまり差がなかったのではないかと。
    これがイギリスやフランスと日本を比べたら比較にならないでしょうし、19世紀末の日本とアメリカを比べたら、それはアメリカの方が上だと明らかに言えるのでしょうが。

    No.3の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2016/05/12 21:08
  • 調べてみたら、ベッセマー法がアメリカに導入されたのは1850年代末のようですね。
    19世紀半ばというとベッセマー法導入直前の頃ですから、日本とアメリカの技術はそれほど変わらなかったのではないでしょうか。
    また、海軍といっても蒸気船が主流の頃であり、武力もたかが知れていました。
    ダイナマイトも発明されておらず、石油の本格使用もまだの頃です。ペリーが日本に来たのも鯨油がほしかったからです。

    産業革命が先行し圧倒的な武力を持っていたイギリスやフランスはまだしも、産業革命が始まったかどうかの19世紀半ばのアメリカと日本では、国力はそんなに変わらなかったのではないかと思いました。

      補足日時:2016/05/12 21:54
  • アメリカも日本も小国だったが、発展は僅かにアメリカが先行したために、19世紀半ばには日本を追い越すに至った。
    その後日本も明治維新により発展し、超大国化したアメリカとともに20世紀には大国としての地位を確立したということで、FAとさせて頂きます。

    No.4の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2016/05/13 19:07

A 回答 (4件)

国力を比較する指標はいろいろあるが、その中にGDPがある。


経済史家Angus Maddisonが試算した時代別国別GDPではこうなっている。

1700年
米国:527
日本:15,390

1820年
米国:12,548
日本:20,739

1850年
米国:42,583
日本:21,732

1870年
米国:98,374
日本:25,393

出典:http://www.ggdc.net/maddison/Historical_Statisti … [excelファイル]
ここからダウンロードした→http://www.ggdc.net/maddison/oriindex.htm

1820年頃はまだ日本の方が上だったけど、1850年には米国に追い抜かれてしまった感じ。
他の指標や他の人の試算を使えば別の結論になるかもしれないけど、参考まで。
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国力(戦争したらどっちが勝つか)という意味ではやはりアメリカの方が上だったとは思いますが、


国民1人1人の生活の豊かさや文化度で言うと、当時の日本は世界一だった思います。
世界(特に西欧)を魅了したあの芸術や文化はその証拠です。
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独立戦争からずっと、戦争と外交、移民で大きくなっている国と、約250年、ほとんど戦争らしいものもなく、江戸を守るために、諸藩に造船や新兵器の入手などを禁止してきた国とでは、比較にならないでしょう。

今や太平洋戦争時同様、2倍以上の差は間違いない。
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釈迦に説法も、きちがいに説法も無用であるが、どちらでもなければQ&Aは成り立つ。

結論から先に言うと、(1850年ころから60年ころにかけて)米国の方が国力は上だった。
まず人口を見ていくと、米国は1850年2319万人、1860年3144万人。日本は三千万か三千万強で推移したという。ただし、米国は移民で急激に増やせるし、実際そうしたが、日本はそれが無理だった。よって、50年代ころの人口は、やや日本優勢にしてもほとんど引き分けのようなものだっただろう。
ちなみに、米国の人口は1850年から1900年の半世紀に3倍以上にもなり、7621万人に膨れ上がった。同時期に日本の人口も増えたが、1900年は4650万人だった。

名古屋大学の授業 - 松下晴彦 第10講 多民族国家アメリカ
http://ocw.nagoya-u.jp/files/221/lec10.pdf

次に、鉄鋼の生産力を見ると、米国が圧倒的に上だった。1859年には75万トンの銑鉄を生産していたという。一方、日本は明治の初めで約1万トンの生産能力しかなく、その5倍を輸入していたが、合わせても6万トン前後ということになる。そもそも、米国は産業革命が進行していたが、日本は大きく遅れていた。
1850年代にイギリスでベッセマー転炉という画期的な製法が開発され、すぐに米国にも広まった。それまでは反射炉などだったが、取って代わったのだった。
しかし、50年代の日本は、やっとのことで反射炉を導入し始めた時代である。しかも、欧米は木炭からコークスへの切り替えが進んでいったが、日本は木炭を使い続けた。そんなシロモノでも、日本伝統の「たたら製鉄」に比べれば格段の進歩だったのである。転炉など、まだまだ教えてもらえなかった。

日立金属 - たたらの話
http://www.hitachi-metals.co.jp/tatara/nnp0205.htm
「明治時代における洋鉄の輸入・生産と和鉄・和鋼の衰退」のグラフをご覧ください。

また、米国の鉄道については、下記の本の71ページの「図4-8 鉄道網(1860年)」をご覧ください。1860年の時点でこれほどの鉄道網が発達していたのである。一方、日本の鉄道は1872年の新橋 - 横浜駅間開業が最初だった。

浅羽良昌 『アメリカ経済200年の興亡』
https://books.google.co.jp/books?isbn=4492441921

この本を眺めれば、鉄鋼業や鉄道以外でも、米国は諸産業が発達して日本に大差をつけていたことが分かる。
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