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”一定の成果を出した”というような際の、「一定」とは、どういう意味ですか?

A 回答 (8件)

>”一定の成果を出した”



「一応の」「それなりの」「ある程度の」…というほどの意味ですね。
おとなの世界の言い回し。

『新明解国語辞典』
いってい 【一定】
<語釈・用例 略>
[運用] 「一定の理解(評価)」などの形で、十分満足できるとは言えないが、肯定的に受け入れられるものであるという評価の程度を示す表現として用いられる。例、「米国は日本政府の対応に一定の理解を示した」
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。
評価に関して
<十分満足できるとは言えないが、肯定的に受け入れられる>
という意味なのですね。

お礼日時:2016/07/03 17:57

>それにつけても、おそらく元々の意味である、


<一つに定まって動かないこと>
に、なぜ追加されたのか不思議ですね。

わたしはこの説明に「一定限」(いっていげん)⇒一定限度)と言うことばを思い付いたのですが、辞書に出ていなくてひかえていたのですが、今日「三省堂国語辞典第7版」に出ているのを見つけました。
それで改めて申し上げます。
 この第3の「一定」は学生運動や労働者の組合活動から生まれたという説があります。前回例にあげた作家の一人宮本百合子さんも、宮本顕治(元共産党委員長)の妻で、このようなことばに親しんでいたから使われたのでしょう。
 彼らはよく、デモ行進などを行いました。そしてその後の演説で「われわれはこのデモよって一定の成果を上げることができた」というようなことを言いました。それはたとえば一般人からすれば、交通の邪魔をしたり、大音響でわめいたりで迷惑このうえもなく、あまりデモ隊に同情する人もなかったのに、その一方でこういう行為を行うには自己欺瞞による評価しかなかったのです。それが、「一定(限度)の成果をあげた」ということばです。以後このことばが一般にも広がったと思われます。
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この回答へのお礼

再三のご回答ありがとうございました。
<学生運動や労働者の組合活動から生まれた>
というのは、私も実感があります。めぼしい成果が挙げられなくとも、
<自己欺瞞による評価しかなかった>
のでしょうね。成り立ちからのご説明、よくわかります。

お礼日時:2016/07/02 21:23

みなさんおっしゃるように、また、下記辞書にもありますが、「十分ではないが一応の」という意味が、しっくりきますね。


http://dictionary.goo.ne.jp/thsrs/16093/meaning/ …
#4さんの
『最低限以上の評価に値する結果を出した、十分といえる評価には遠いが。』
というご回答が簡潔・適確でわかりやすいと感じました。

上記辞書が示すところの「一つに定まって動かないこと」という意味から、どのように敷衍されたのかという点についてだけ補足してみます。
この場合、定まっているのは「最低限以上の評価」なのでしょう。
「一定の○○」=○○の最低水準を一応クリアしているという、動かしがたい評価が可能な○○。
といったニュアンス。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。
”一定”というのは、
<最低水準>
から由来しているのですね。

お礼日時:2016/06/30 18:13

>一定の成果を出した”というような際の、「一定」とは、どういう意味ですか?



いっ‐てい【一定】〘名〙
① (━する) 一つに定まって動かないこと。変動がないこと。
② (多く「一定の」の形で) ある規準や範囲が決められていること「みんな一定の目的を有ってゐるらしかった」
③ 十分とは言えないが、ある範囲は満たされていること。「一定の成果を挙げる」
(日本国語大辞典 例文省略)
 上記説明の③ のように、「一定の(範囲内で)成果をあげた」というべき所を「範囲内」を省略した言い方と考えると、説明が付きそうです。
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この回答へのお礼

再度のご回答ありがとうございました。
<一定の(範囲内で)>
ということなのですね。それにつけても、おそらく元々の意味である、
<一つに定まって動かないこと>
に、なぜ追加されたのか不思議ですね。

お礼日時:2016/06/29 22:18

通常は、最低限以上の評価に値する結果を出した、十分といえる評価には遠いが。

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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
<最低限以上>
という意味を持っているのですね。

お礼日時:2016/06/29 14:06

私のように頭の固い人間には不思議なことばです。

数学で「価は一定である」というと、決まっている、不変であるという意味で使うと思いますが、「一定の評価が出来る」というと「ある程度」「一応」の評価が出来るという意味で使っているようです。どうしてこうなってしまったのか、ちょっと不思議です。
 ことばの意味は「一定」と言うものではありませんが、それにしてもどうしてこうなったのか、不思議です。擁護派のご意見を聞きたいものです。もう数十年前に使い始められたと思います。

 次の二例はその例ですね。
〇「キャラメル工場から」を書き、プロレタリア文学の歴史に一定の業績をのこしているこの作家が、複雑な良心の波にゆ 宮本百合子「婦人作家」

〇自分はその欲望、情操、理性、其の他に基いてある一定の自由を欲している、所が社会から来る外部的な抑圧が 戸坂潤「道徳の観念」
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
私も
<それにしてもどうしてこうなったのか、不思議です。>
全く、同感です。

お礼日時:2016/06/29 14:03

ある程度認められる成果

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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
<ある程度>
が、意味されているのですね。

お礼日時:2016/06/29 11:38

その文章内容だと


http://d.hatena.ne.jp/keyword/%B0%EC%C4%EA%A4%CE …
が近いと思います。
発言者が合格基準と認識している成果の量や質を超えた、ということになるでしょう。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
<発言者が合格基準と認識している成果の量や質を超えた>
というレベルが、あるのですね。

お礼日時:2016/06/29 11:36

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