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日本が植民地支配のために追いた役所をなんと言うのですか?

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A 回答 (3件)

日本では植民地と言いません。


殖民地=欧米植民地支配。
拓殖=日本併合。
東洋拓殖株式会社。大日本帝国の特殊会社。
(南満州鉄道株式会社と日本の二大会社。)
朝鮮・満州・モンゴル・サハリン支配。
朝鮮総督府、漢城→京城
漢城は日韓併合後は京城 現在のソウル特別市。
台湾拓殖。大日本帝国の特殊会社。
台湾総督府。
南洋興発。東洋拓殖の子会社。
サイパン・南西諸島支配。
南洋拓殖。大日本帝国の特殊会社。
南洋諸島・パラオ諸島。
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朝鮮総督府でしょうかね。


ただ、日本は植民地を持ったことはありません。
韓国を併合したことは、韓国を植民地にしたという意味ではありません。
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日本は植民地を持ってなかったのだが、総督府のことを言いたいのかな?

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Q戦国大名などが達筆なこと

質問はタイトルの通りです。
お宝拝見!などの番組や、博物館・資料館などの展示を見ると、
戦国大名など歴史上の人物は、皆さん非常に達筆なように見えます。
そして、私が書道の心得が全くないからかもしれませんが、
とてもじゃないけど、何書いてあるのかさっぱり読めません!
なんか流れるような綺麗な文字、っていうのはわかるんですが。

こういった手紙などの類は、
本当にその戦国大名なりが書いていたのでしょうか?
戦国大名はあれを読めていたのでしょうか?

私が想像するに、
読み書き専門の秘書のような侍従がいて、
その戦国大名のそばで、手紙を読み上げたり、言われたことを書いていたのでは?
と思うのですが。
武士の子ですから、幼い頃から武芸は仕込まれていたでしょうけど、
中には非常に悪筆でろくに相手に送れないような字のかたもいたのでは?

歴史にお詳しいかた、
私の想像が「そうかもしれない」のか「そんなことはない」のか、
ご教授いただければと思います。

Aベストアンサー

祐筆という専門職がいました。
平安・鎌倉の時代から武士の事務処理を補佐する目的でそのような人が使えていたようです。
最終的なサインは本人がするのですが、足利尊氏は全て祐筆任せでやっていたそうです。

戦国大名でもそうですが、毛利元就が祐筆を公募したとき、敵方のスパイが祐筆に応募してきて採用したそうです。
偽の情報を流すために敵方の祐筆を利用したそうです。

Q部落差別

昭和の頃までは部落差別はありましたが、平成の現在は部落差別など若者はしてないですよね?

と言うより部落を知らないですから。

Aベストアンサー

父が役所でその専門部署におりましたので、良く存じておりますし、私も人生経験の中でそうした方とや付き合いもあり
破局に追いやられた経験もございます。

時代が変遷し、そうした意識が薄れて行く事は、個人的には好ましいと思います。

時が解決していく、、、良い事だと思いますよ。

Q旧日本軍が満州地方を短期間で占領できた理由

戦前の日本軍は柳条湖事件をきっかけに満州地方を短期間で占領してしまいます(満州事変)。
日本の3倍近い面積をもつこの地域を、日本はどうして短期間に奪い取ることができたのか不思議でならないのですが、その理由は何だと考えられるでしょうか。

ナチスドイツが征服したフランスよりも広大な地域を、わずか半年程度で勢力下においてしまうというのは恐るべきものだと思うのですが。
また、満州事変においては南京大虐殺のような事件(この事件が本当だったかどうかは置いておいて)がほとんど起きなかったのも不思議です。レジスタンスのような運動もあまり起きなかったのではないでしょうか。
あれだけ反日的な中国政府でさえ、満州事変の際の日本軍の暴虐についてはほとんど言ってこないのですから。

Aベストアンサー

もともと満州は清国を建国した女真族の聖地で、清国全盛時代には漢族が入り込むことは禁じられていました。 当時の満州は今の日本と同じように安全で、家に鍵をかけて外出する必要がなかったと言われています。 ところが清国が衰退し始めると満州に漢族たちが次々と入植を始めました。  漢族が入植した土地は、強盗団が跋扈して、安心して暮らせず、満州の治安も酷い状態になりました。 そのため、日本が女真族をバックアップして女真族の国である満州国を建国したのです。その結果、満州国は以前のように安全な国になりました。 満州国は日本軍が中国人(漢族)を追い払って女真族の皇帝を担いで作った傀儡国では決してありません。 日本が満州を中国から奪い取って、日本の傀儡である満州国を作ったと言うのは、戦勝国のでっち上げでしかありません。 この事実を知れば、質問者さんの疑問も自ずと氷解するでしょう。

Q戦争が進むと日本軍に独立部隊が増えるのはなぜ?

日本の戦史を見ていて気づいたことが有ります。旧日本軍では師団に属しない部隊は頭に「独立」がついて独立部隊と呼ばれます。日清日露戦争では独立部隊は少なく、砲兵旅団とか騎兵旅団が少しある程度でした。しかし日中戦争あたりから混成旅団などで独立部隊が増えだし、太平洋戦争では独立混成連隊・独立歩兵大隊・独立速射砲大隊・独立戦車中隊など独立部隊がどんどん出現し細分化されていきます。師団を離れた小兵力の部隊が増え続けた理由は何なのでしょうか?

Aベストアンサー

師団では戦闘単位として大きすぎるようになってきたからではないでしょうか。

師団はそもそもそれ単独で方面の戦闘行動を継続できる諸兵科連合の戦闘単位であり最小の戦略単位です。
ところが、師団では大きすぎて小回りがきかない場合というのが往々にして発生するようになってきます。
そこで必要な戦域に必要な戦力を投入するために師団の隷下に属さない独立部隊が増えていったわけです。

同じような事はヨーロッパでも起きていますよ。
ドイツ軍の重戦車大隊はほぼ独立部隊として各戦域を転戦していますが、まさにこれがいい例でしょう。

参考程度にどうぞ。

Q一般に“都”という言葉はどこを指しますか? ・天皇が住んでいるが歴史の浅い東京 ・歴史はあるが今現在

一般に“都”という言葉はどこを指しますか?


・天皇が住んでいるが歴史の浅い東京

・歴史はあるが今現在天皇は住んでいない京都

・もちろん、平城京のあった奈良を指すかも知れません

漢字の意味では東京だと思うのですが、この言葉を使うときは京都を指すことが多いように感じます
みなさんはどう思われますか?

Aベストアンサー

「都」という言葉をミヤコと使った場合、ほとんどの場合「京都」を意味します。

都(ミヤコ)は現代語としてではなく、古語として扱われるからです。古語でミヤコは京都を指します。

天皇がいる場所として重要なのはむしろ「京」の方です。
天皇がいたもしくは居る場所以外は「京」という文字を使うことはできません。

Q第一次世界大戦時の無制限潜水艦作戦に関して質問です。

タイトル通りなのですが、無制限潜水艦作戦は中立国の商船までも一切無差別に撃沈するという強硬策で、イギリスを海上封鎖させて降伏に追い込む策であったそうですが成果は上がらずアメリカ参戦を招く形になったと聞きます。他方、この件以前にアメリカでは1915年のルシタニア号事件やツィンメルマン電報事件などがあり、世論が沸き立っていましたが、無制限潜水艦作戦というかアメリカは英仏がドイツ相手に降伏し、負債を取り戻すことが不可能になるという考えが第一次世界大戦参戦の背景にあったというのは正しいですか?

Aベストアンサー

>成果は上がらず

第一次大戦の時も第二次大戦の時も、それでイギリスは死にかけてますが?
潜水艦狩りが効率よくなったのは、ソナーとかレーダーで発見できるようになったこと
それまでの爆雷に代わってヘッジホッグが採用されたこと、航空機による対潜哨戒が
有効に行われるようになったことなどがありますが、いずれも第二次大戦の中期以降。

第一次大戦でアメリカが参戦する切っ掛けになったのは、ルシタニア撃沈だ。

Qルーズベルトが参戦を決意しなければ、日本は大戦に勝ったと思いますか?

第二次世界大戦の勃発前、アメリカのフランクリン・ルーズベルトは戦争に参加しないという公約を掲げて大統領に当選しました。
当時のアメリカはモンロー主義もあり、国民も戦争参加は止めるべきという雰囲気だったようですし、旧大陸で何が起きようがアメリカには自活できるくらいの力もありました。

第二次世界大戦で日本が真珠湾を攻撃したのは参戦を目論んだルーズベルトが日本がアメリカを攻撃せざるを得ないところまで追い込んだからということを示す資料もありますし、アメリカも国家の総力を挙げて日独を潰しにかかったのは事実です。

ルーズベルトが所期の公約どおり第二次世界大戦において中立を貫いたなら、日本(とドイツ)は戦争に勝っていたでしょうか。

Aベストアンサー

アメリカと日本が戦わなかったら日本はそれ以外の戦争に勝っているかという質問ですが、勝っています。というか、これ、ifではなくて実際に勝っています。

日本は敗戦国ですが、負けたのはアメリカだけでそれ以外は勝っています。
対中華民国戦では、連戦連勝で蒋介石は逃げ回っていただけです。
対オランダ戦は、日本軍に瞬殺されます。
対イギリス戦は、シンガポールまでは日本軍は楽勝。

これは、ifでは無く史実です。

史実ではインドに行くと敗北しますが、if設定では、日米戦争が無いためそのまま進撃できるので、昭和17年初頭ならば楽勝です。


因みに、イギリス人やオランダ人は反日的な理由は、過去の歴史で日本に叩きのめされた経験があるからです。そして、それを知らない大半の日本人は話が一切かみ合わず、余計に彼らを腹立たせます。

日本としては、石油が確保できればそれ以上戦争をする必要も無いので、最低でもインドネシアあたりでイギリスとオランダと講和できれば、何も問題なくなります。




フィリピンの兵站の問題がありますが、アメリカに宣戦布告などしないで素通りすれば良いだけです。フィリピンにいるマッカーサーは怒るでしょうが、ルーズベルトから戦争を仕掛ける気が無い設定ですし、戦争にはなりません。フィリピンは素通りさえできればよいだけなので、戦線に影響もありません。

ルーズベルトから戦争を仕掛ける設定ではないと言う事は、アメリカがひそかに中華民国に兵士や戦闘機を送っていた事や(アメリカが先に日本に仕掛けたと言う根拠の一つ)、在米日本人の資産停止や日本人病原菌隔離演説(発言での攻撃も先に仕掛けた事になる。当時の価値観では、外交ルートでその発言を撤回しないなら実力(戦争)で撤回させても侵略にはならない。)などのルーズベルトが行った、日本に対する攻撃も無いかもしれません。

そうなると、日米関係は意外と良好かもしれません。実は、開戦直前までは、日米関係は表向きはそこまで悪くなかったのです。ベーブルースが日本に来た当時も、鬼畜米国人と嫌われる事は無く大変歓迎され、まさかその数ヵ月後に日米で戦争になるとは多くの日本人は思っていませんでした。



そもそもの話ですが、ルーズベルトが日本と戦争をしない方針なら、アメリカの日本に対する石油の禁輸もないかもしれません。そうなると、日本はイギリスやオランダとの戦争すらなかったかもしれません。

中華民国との戦いは、そもそも中華民国がテロ活動を一向にやめず、通州事件などの日本人虐殺事件が発端になっていますが、その治安回復を蒋介石が放置していたため、日本が自己回復のために兵士を送った事変です。これは、日米関係が良好でも蒋介石がちゃんと犯罪者を取り締まらない限り不可避でしょうが、史実でも後一歩まで蒋介石を追い詰めていたので、このif設定では、時間の問題だったでしょう。

アメリカと日本が戦わなかったら日本はそれ以外の戦争に勝っているかという質問ですが、勝っています。というか、これ、ifではなくて実際に勝っています。

日本は敗戦国ですが、負けたのはアメリカだけでそれ以外は勝っています。
対中華民国戦では、連戦連勝で蒋介石は逃げ回っていただけです。
対オランダ戦は、日本軍に瞬殺されます。
対イギリス戦は、シンガポールまでは日本軍は楽勝。

これは、ifでは無く史実です。

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Qまじ質問です。アポロ11号でアームストロング船長が初めて月に降り立つ映像を撮影したのは誰ですか?

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>キャノンが世界初!ならありえますね。

キャノンが世界初でなければ、もっと可能性は高いですよね。
でも、NO10さんの言う通り、ピント固定方式であった可能性の方が高いでしょう。

日本でも固定焦点式のカメラが1986年頃から大衆向けに安価に売り出されています。
構想から大衆向けの商品になるまでに、10~15年位かかっても不思議はないと思いますよ。
NASAは国家威信をかけた事業であった筈ですから、費用は青天井だったと思います。

Q中国の三国志はその後どうなるの?

三国志の話がこの頃よく話題に出てきて、でも、キャラクターが元気なうちは良いのですが、どの国も統一はして居ないようですが、有名人が死んでから、どうなったのでしょうか。
中国を統一したのは秦と、漢と清くらいしか判らないのですが、三人(プラスその軍師や豪傑)が亡くなってからどうなったのでしょう、小国乱立の戦国時代?

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

大まかな中華の歴史

三皇五帝の王神話時代
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夏(初代は禹。末代は桀。私が教わったころは伝説扱いだった)
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殷(「商」とも呼ばれていた。殷の最後は・・・実話ではないけれど「封神演義」を読んで)
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 ↓ 戦国時代に勝ち残ったのが「秦」
秦(初めて「皇帝」と言う称号を使った。故に初代は「始皇帝」)
 ↓ 各地で叛乱続発・「項羽と劉邦」を読んで
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(王莽が起こした)新
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(光武帝が復活させた)後漢
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三国時代(魏志倭人伝は魏の公式書物)
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 ↓ 東北部に「満州国」成立。
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 ↓ 共産党と国民党が再び争う。
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