人間の認識の対象となるのは あくまでこの経験世界における経験事象である。
有る無しや因果関係において認識する。つまり 経験合理性という物指しである。
認識の対象は 認識しうるか認識し得ないかで分かれる。
認識し得るものは 可知であり これはさらに 既知と未知とに分かれる。
認識し得ないもの――すなわち 概念や推論の対象として存在すると捉えている
けれど そのものについては認識し得ないと証明し得た場合――これは 不可知
である。
ところが これら可知および不可知のいづれでもないものが 想定される。
言いかえると 認識し得るかし得ないかが 認識し得ないものである。
これは とうぜん 経験世界を超えている。と想定される。
つまり 《非経験の場》である。
《特異点》が それに近い。ただし まったくの別である。後者は 経験事象だ。
そして 認識し得るかし得ないかが認識し得ないというのは 《非知》である。
これが 神であり霊である。
そんな想定などは要らないのではないか?
と言っても すでに人間は・そしてどの民族も人類は 《かみ》という言葉を持
ってしまっている。これについて哲学は 何であるかを定義するつとめがある。
非知だと定義したまでである。
No.1
- 回答日時:
基本的に神を定義すること自体が、哲学的には不可能だと思います。
もし、人間が神を定義することができるとしたら、人間の思考の範疇に神が存在することになるからです。神がどういう存在にせよ、人間を超える存在出ることは間違いないので不可能ということになります。霊の場合は、可能かも?
ご回答をありがとうございます。
★ 基本的に神を定義すること自体が、哲学的には不可能だと思います。
☆ そんなことはありません。
たしかに趣旨説明としておこなった定義は ふつうの定義の仕方ではあ
りません。――つまり経験合理性にもとづき 対象と定義の内容とはい
ちおう一対一に対応しているという仕方ではありません。そうではなく
《想定する》という要素をともなっているとは言わなければならない。
つまり早い話が 雲をつかむような話を交えて定義しています。
そんな話が・そんなことで 哲学と呼べるか? という疑義が生じると
いうことでしょう。
それでもわたし自身は これは神論としての哲学であって 信仰のみに
もとづく神学ではないと思っております。
ましてや オシヘを倫理規範とし 果ては神そのものだと見なせと聖職
者が――おれは神の代理であるというかのように――説く宗教ではあり
ません。
★ もし、人間が神を定義することができるとしたら、人間の思考の範
疇に神が存在することになるからです。
☆ そのとおりです。しかも ですから ふつうの哲学による定義とは
仕方を異にしています。
それが 《思考の範疇ないしはつまり経験事象》にふくまれる対象を扱
うのではないところの 《想定法(仮説法=アブダクション)》です。
《定義として仮りに想定してみる。その結果 その想定した内容が 経
験世界におけるものごとと照らし合わせて 特別の不都合を生じさせる
ものではない・・・のであれば その仮説は 成り立つと見なす》とい
った仕方を用いています。
仮説を立てること自体は 一般に科学の用いる手法です。
経験科学では その仮説がやがて実証ないし論証されて行きます。
(間違いであったと分かる場合もあれば 《不可知》として《存在する
が認識は成し得ないと証明される》場合もあります)。
ところが 想定に成る定義(仮説法)の場合には その仮説が証明され
得るとも証明され得ないとも決まらず いつまでもその仮説のまま――
しかも正当なる定義として――持たれている。というシロモノです。
言いかえると・具体的には 神が有ると認識され証明されるとも神が無
いと認識され証明されるとも いっさい分からない。決して分かること
はないと分かっている。という想定になっています。
補足欄へ。
No.2
- 回答日時:
全てを知る神ですって目の前に現れれば否定のしようがないのでは。
魔法なんかを操って証明すれば神を認識できます。
神が人間の目の前に現れないのは、それに及ばない生命体だからかもしれません。
馬鹿が多いのは皆が知る通りです。
ご回答をありがとうございます。
そうですね。神論は しっかりと脇を固めてきちんと推論をはこばねば
なりません。
★ 全てを知る神
☆ これは 《非知》なる神に その全知全能といった属性をわれわれ
人間が付与したというものです。
《非経験の場》なら 経験世界を超えているからには 有限でみな移ろ
い行く相対的な経験事象に対して《絶対》です。
人間の《知る》という能力およびそのハタラキにとって 神までは《絶
対のへだたり》があります。
これによって その絶対なる神には 属性として《全知全能》であると
かあるいは《真理や・この上なき善・あるいは慈愛》といった概念を付
与して捉えようとする。
これは あくまで人間の側の成すことがらです。
そんなものを付与されようがされまいが 神としては 痛くも痒くもあ
りません。神は 神です。
★ 目の前に現れれば
★ 魔法なんかを操って証明すれば
★ 人間の目の前に現れない
☆ の意味が分かりかねます。あるいはつまり 《おれは神を見た》と
いった問題については 【№1補足つづき】をごらんください。
参考になさってください。
的をはづしたところがあるかも分かりません。その時には遠慮なく こ
れこれの点について ちゃんと答えろと言って来てください。
No.3
- 回答日時:
bragelloneさんはどうしてそんなに神にこだわるんですか?
あと神がbragelloneさんの言う通りだとして、それがどういう効能を持つのでしょうか?
テロがなくなったりするとか、宗教学の教授にパラダイムシフトを起こさせるとかなんか意味があるんですかね?
誰に対して発信してるのか、何のために発信してるのかわからないので
前から不思議だったんです
よかったら教えてください
ご回答をありがとうございます。
★ bragelloneさんはどうしてそんなに神にこだわるんですか?
☆ 初めは 信仰と宗教との区別――峻別しなければならないで
すね――を哲学として(それは 神論として)明らかにしたいと
いう狙いがありました。
一般および個別絶対性理論として ひととおり成ったと思ってい
ます。発表して来ています。
ただ ほかの質問でのやり取りを見ていて なお普及させなけれ
ばいけないと思って このところは何度も問うています。
★ あと神がbragelloneさんの言う通りだとして、それがどうい
う効能を持つのでしょうか?
☆ 基本的に言って 神とわれとの関係が わが《固有の時》に
あるわれとして成るときそれは 《わたしがわたしである》とい
う自然本性なるわれの成就であると捉えています。
そうして その神論に立つときには 信仰とは――宗教のオシヘ
とは違って――けっきょくどんな名の神との関係としてもみな同
じ類型に成ると明らかにしました。《梵我一如》なる類型でみな
説明ができます。
ならば あとは宗教が勝手にそれぞれのオシヘを クリスマスツ
リーの飾りのごとく 信仰なる樅の木本体に勝手にほとんど余計
なものを付け加えるのだと知られます。
信仰はさらに 無神論と有神論とが――やはり梵我一如のかたち
にて――互いに同等であると分かりますし 宗教との区別が出来
たなら もはや神をめぐる対立や抗争はあり得なくなります。
こういった効能を持ちます。
★ テロがなくなったりするとか、宗教学の教授にパラダイムシ
フトを起こさせるとかなんか意味があるんですかね?
☆ 宗教関連によるテロは無用になりましょう。信仰の人は わ
たしがわたしである状態にあるからには 信仰の所為による人び
との対立はなくなります。
★ 誰に対して発信してるのか、何のために発信してるのかわか
らないので 前から不思議だったんです よかったら教えてくだ
さい
☆ みなさんに向けて発信しています。
哲学のつとめとしても それが持つ効用としても 有益だと考え
て発信しています。どうでしょう。
No.4ベストアンサー
- 回答日時:
>宗教関連によるテロは無用になりましょう
すごいですね!
言ってることはよく理解できないですけどいくつかの使われている言葉から推測するに
世の中には色々な宗教があるけれど、神は神なのだから
神を宗教ごとに区別することないって考え方なのだと見受けました
そしてその考え方の根拠としていずれの宗教の神も非知であるということを挙げていますね
私にはここが論理的におかしいと感じるのですが
というのも例えばバルタン星人もプレデターも宇宙から来たのだから宇宙人だと言うことはできても
だからバルタン星人もプレデターも等しいとは言えないじゃないですか
同様に神は非知だからといってキリスト教の神と仏教の神が同じとは言えないんじゃないですか?
ご回答をありがとうございます。
★ すごいですね!
☆ 理解を寄せてくれる人はいるにはいるのですが その人たちと
そうではなく誤解されたままの人たちとのギャップが 大きすぎる
のです。それで何度も問うています。
★ 世の中には色々な宗教があるけれど、神は神なのだから 神を
宗教ごとに区別することない
☆ ええ。いやしくも・およそ神と言うのならば そのほかに別の
神があるなどということはあり得ません。それがあるのは 自分た
ちの神こそが唯一絶対であり ほかの神は間違いだと説く宗教の問
題だと見ます。
この神論の基本の内容は 次の質問の趣旨になります。:
【Q:信仰としての《梵我一如》類型::一般および個別絶対性理論】
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/9161091.html
★ バルタン星人もプレデターも等しいとは言えないじゃないですか
☆ つまり 問題は《非知》かどうかですよね。つまり 両者とも
異星人というふうに人と呼べたり 人型知的生命体として《かたちを
もった存在》だと――むろん想像上の架空のものでしょうが――見な
されている。
つまり 経験的な存在であり事象である。ならば 《非経験の場》と
しての非知ではないわけです。
また 想像の世界というのは 人間のこしらえた神と言う場合に同じ
く 観念であり 有限で移ろい行く相対的なものです。
どちらも 可知であり既知なのではないですか? そしてその知識と
して両者は 互いに別なのでしょう。
仮りに――ちょっと脱線しますが――それらのナゾの生命体を神に・
つまり非知なるほんとうの神にかかわらせて捉えるとするなら それ
ら《知り得るか知り得ないかが知り得ない》非知のナゾそのものでは
ないとしても その非知なる神から出たそれぞれ分身である・・・と
いうことかも知れない。
つまり言いたいことは 神はひとつ――非知なるナゾの神――だとい
うことです。
★ 同様に神は非知だからといってキリスト教の神と仏教の神が同じ
とは言えないんじゃないですか?
☆ つまり 一方に基本として《人類にとってひとつなる神》があり
そのほかにこの非知なる神を――あたかもおれは知ったのだと言わん
ばかりに――或る程度具体的にこれこれこういう神なのだと説明する
場合がある。それだけのことだと思います。
No.5
- 回答日時:
全ての宗教で言う「神」を質問者さん独自のルールで決め込んで
「全ての宗教の神は全て同じ」な考えをしているなら、そういう結論
になるんでしょうね
宗教毎に「神」は違う別物であると考えた場合
神道の神は、神道の中のルールに基づく
つまり、「神とは概念である」という認識=不可知になりますね
さて、
認識できるか、認識出来ないかを判断出来ない
これは間違いです
「神」は認識させない であるといえます。
その証明に、今回は背理法を使います。
人間の目には見えないけれど、そこにあるもの
で、人間が見つけたものがあります
「磁場」「電波」「超音波」「紫外線」等です
これらは、人間が直接見る事は出来ません、が特殊な装置を利用すれば、そこに
それが存在する事がわかります。
さて、「磁場、電波、超音波、紫外線」の様に存在するのだけれど
たまたま現在迄にまだ見つかっていない(特殊な装置があれば見えるだろうけど、
その特殊な装置が無い為に見つかっていない) 波や線、場はあるでしょうか
さて、正解はともかく
まだ見つかっていない波があって、その、その波こそが、霊感の強い人達が共通で
見ている何かの正体であったとします。そして、その「何か」を見る事ができる
道具が発明されたとして、発明者が、その「何か」に「霊波」と名付けたとします。
さて、ここで、「霊波」=「霊」であるという事になります
三段論法で有れば、
・「霊感」の強い人が共通で見ている物は「霊」である
・「霊感」の強い人が共通で見てきた物が「霊波」である
・故に「霊」=「霊波」である
普通の証明ならこうなりますが、
「霊」とか「神」とかに関しては、こうはならないのです
・「霊感」の強い人が共通で見ている物は「霊」である
・「霊感」の強い人が共通で見てきた物が「霊波」である
・故に「霊感」の強い人が共通で見てきた「霊」と読んでいた物は
実は「霊」では無かったのである
的な感じに結論づきます
つまり、「神」とか「霊」とかは、判断出来ない《非知》のではなく、
人によって永遠に既知にならない、既知にさせない
永遠に認識をさせない 不可知、な存在 が正解です
ご回答をありがとうございます。
やっとみなさんと議論がかみ合って来ました。むろん 情報交換のかみ
合いですが。
★ 全ての宗教で言う「神」を質問者さん独自のルールで決め込んで
☆ 哲学は――特に理論としては――きめの細かな論理構成が求められ
ます。
(あ) 《神》は 宗教でも説きますが 教団や教祖・教義による宗教
とは関係なく 個人のふつうに自然の信仰でも持たれます。
(い) いづれにせよ オシヘとは切り離された《神》を問わなければ
なりません。さもなければ オシヘについての無駄な議論になります。
(う) 宗教のオシヘが説くから《神》があるのではありません。だか
らです。
(え) もしこれまでの定義や説明がかんばしくないとしたら 誰かが
《独自の理論》で説明しなければなりません。
★ (第二段落)
☆ (お) 神が違うという場合は あくまでオシヘにおける神の説明
内容についての話です。
(か) 単純に言って 《神》が違ったなら 神とは言わないでしょう。
それは オシヘや個人のこしらえた神として その概念内容が違うとい
うことです。また それだけのことです。
(き) 言いかえると 神は概念〔だけ〕ではありません。人間にとっ
て《絶対》としての神を 人間がいろんなふうに想像し思考したその産
物としては 概念のみであり 互いに別々のものになっています。
(く) 神道の神々は 《非知としてのひとつなる神》の分身です。
★ 特殊な装置を利用すれば
☆ 見ることのできる神というのは そのように人間が想像し思考した
産物のことです。おもちゃの神です。
★ 不可知、な存在
☆ だとしたら それは経験事象に属します。つまりそれは 実際には
未知です。そしていづれは 既知になります。
もし既知にならないとしたら その《神ないし霊と呼ぶ何ものか》につ
いて その存在を認識することは出来ないとの証明を成し得たときのこ
とです。それが 不可知です。でも 経験事象に属します。
《知り得ないと知り得た》というものです。
非経験の場としての《非知》しか あとは残りません。
No.6
- 回答日時:
>(あ) 《神》は 宗教でも説きますが 教団や教祖・教義による宗教
>とは関係なく 個人のふつうに自然の信仰でも持たれます。
持たれません
神と言う言葉の出典は全て宗教です
宗教以外からの出典である証拠を提示して下さい。
>(い) いづれにせよ オシヘとは切り離された《神》を問わなければ
>なりません。さもなければ オシヘについての無駄な議論になります。
>
>(う) 宗教のオシヘが説くから《神》があるのではありません。だか
>らです。
>
問う必要はありません
なぜなら、それぞれの神は、それぞれの宗教から生まれています
出典が違うのであるから、それぞれの神が同じであるという証拠は何もありません
唯一、聖書の作者や、仏の教えを書いた作者は既になくなっている為、
その神が同じである事を調べることは出来ません
故に、そもそも答えのない問を議論する必要も無いのです。
>(え) もしこれまでの定義や説明がかんばしくないとしたら 誰かが
>《独自の理論》で説明しなければなりません。
ですから、神道の神は神道の理論で解き
キリスト教の神はキリスト教の理論でとけば良いのです。
★ (第二段落)
>☆ (お) 神が違うという場合は あくまでオシヘにおける神の説明
>内容についての話です。
>
>(か) 単純に言って 《神》が違ったなら 神とは言わないでしょう。
>それは オシヘや個人のこしらえた神として その概念内容が違うとい
>うことです。また それだけのことです。
>
基本的に翻訳作業によってどれもこれも「神」と翻訳しているだけです
日本の「神」とキリスト教の「ゴッド」や仏教の「仏」等は全て別物です
>(き) 言いかえると 神は概念〔だけ〕ではありません。人間にとっ
>>て《絶対》としての神を 人間がいろんなふうに想像し思考したその産
>物としては 概念のみであり 互いに別々のものになっています。
>
神は日本語で
翻訳によってどれもこれも「神」としていますが
「日本の神」は概念だけです
あなたの神だと思っているものが概念だけでは無いと言うだけです
>(く) 神道の神々は 《非知としてのひとつなる神》の分身です。
違います.
一つの神ではありません。
そもそも、日本の八百万の神々を全員集めた所で、
その神々は宇宙の真理すら判っていません。
せいぜい、太陽神がいるので、太陽系内くらいの範囲の事しか判ってない
と思います。 そして、日本の神はそれで十分なのです
日本人にとって、身の丈にあった神、その神への信仰が「神道」であって
宇宙の真理もクソもないと思います
そして、あなたの言う神は、あなたの空想上の神であって
それは本当の神ではありません。
通常「神」は日本の神の事を言い、それは概念だけです
それ以上の物を「神」に追加して、元にある解釈を捻じ曲げて
それを「神」と呼ぶのは蛇足でしかありません
あなたの描く蛇には足がある、それは蛇ではない
これと同じ様に、あなたの神は神では無いのです
なく77あーるさん こんにちは。ご回答をありがとうございます。
さて きびしく行きますよ。
(け) あなたは 神の定義をしていません。
(こ) 《不可知》だと言いましたが 不可知は 《知り得ないと知り得た
(証明し得た)》ものです。その限りで人間の認識能力のおよぶ対象です。
(さ) それは 概念であり観念です。たしかにそうだと言っていますが
だったら ことさら定義する必要もありません。
(し) ★ あなた(=なく77あーるさん)の言う神は、あなたの空想上
の神であって それは本当の神ではありません。
☆ となります。あとは 《本当の神》などは無いと証明するかです。
(せ) 神はもともと人びとの生活の中から見出されたものであるところを
なおさらに宗教が それを観念としてしまって弄び:
★ それ以上の物を「神」に追加して、元にある解釈を捻じ曲げて それを
「神」と呼ぶ
☆ ということなのです。そのことは:
★ 〔実際には何もないところの〕蛇足でしかありません
(そ) 神については そのように宗教〔家なるペテン師〕が余計なことを
言った。というに過ぎません。
(た) 空中の放電現象が 神の鳴る音だったのです。人びとの生活の中で。
宗教が説いたのではありません。
(ち) 雷の出す光は 稲光であり稲妻でした。稲の栽培が始まってからの
ことでしょうが 稲に米の生るそのチカラだと言うのです。稲つるびとも言
って夫婦の交わりに譬えられ だから稲《妻》とも言います。――これが
〔ほんとうの・自然でふつうの〕神の始まりです。
(つ) やほよろづの神々のひとはしらごとは 非知としてのひとつなる神
の分身です。分身は一般に神鳴りや稲妻のごとく 目に見える経験事象です。
この分身として:
★ あなた(=ぶらじぇろーぬ)の描く蛇には足がある
☆ のです。《蛇》は見えない。
(て) 世の初めの神は 《独り神と成りまして 隠れき》とも伝えられて
います。《隠れたる神:デウス・アブスコンディトゥス》とも知られます。
(と) つまり 霊としては・本体としては 非知なるナゾなのです。この
解釈は すべての《広義の神》に当てはまります。そうでなければその神は
あたまの中だけの想像の産物であり おもちゃの神です。
(な) 想像や思考は 経験事象です。非知は 非経験の場です。
No.7
- 回答日時:
>(け) あなたは 神の定義をしていません。
はい、私は貴方の言う「神」を定義していません。
>☆ となります。あとは 《本当の神》などは無いと証明するかです。
あなたの言う《本当の神》とはなんですか?
神は宗教毎に違う
となれば、どの宗教の神が本当の神なのか、
という意味であれば、それは、個人の自由です
>(せ) 神はもともと人びとの生活の中から見出されたものであるところを
>なおさらに宗教が それを観念としてしまって弄び:
>★ それ以上の物を「神」に追加して、元にある解釈を捻じ曲げて それを
>「神」と呼ぶ
>☆ ということなのです。そのことは:
>★ 〔実際には何もないところの〕蛇足でしかありません
さて、まずはここから、
「神のもともと」とは何でしょうか?
空想でかいてみます、根拠はないです
宗教が無かった時代を想像すると、日本の宗教は、農作物を育てる事から
始まったと思う。「雨が降って欲しい」「晴れて欲しい」等の願いを強く
思ったのでは無いか。 そうすると、ある疑問が湧いてきてもおかしくない
雨が降って欲しいって「誰に」ねがっているの?と
この「誰に」の所を、数学で言う X の意味で「神」を代入したとすれば
それで「神」が誕生する
さらに発展させて、「天気」の事を願っているのだから、Xは「天気の神」
であろう、これで、八百万の神々が出来上がる
このX=「神」と名付けたのが宗教家
これで全ての辻褄があう
一方、キリスト教は「神は一つだ」と説いた。 すると、「天気の事」も
「商売の事」も全て一つの神にお願いする事になる。 となれば、
「神は全知全能でなければ辻褄が合わない」事になる
あとは、勝手に尾ひれがついて、
全知ならば、宇宙の真理もわかる となったりもするだろう
それだけの事
さて、そう考えた場合に、もともとの神とはなんだろう
さて、私は数学でいう X の意味で「神」を代入したと書いた
であれば、X は何なのかと言う事になる
そして、その答えとしては、
数学で言う「X」は定義的な概念である となる
だから
>(た) 空中の放電現象が 神の鳴る音だったのです。人びとの生活の中で。
>宗教が説いたのではありません。
>(ち) 雷の出す光は 稲光であり稲妻でした。稲の栽培が始まってからの
>ことでしょうが 稲に米の生るそのチカラだと言うのです。稲つるびとも言
>って夫婦の交わりに譬えられ だから稲《妻》とも言います。――これが
>〔ほんとうの・自然でふつうの〕神の始まりです。
そんなものは宗教家がつくった蛇足でしかない
----------------------
補足より
>非知なる神=普遍神》は 次のようにすべての霊なる神に当てはまります:
それは、異なる宗教の似た所を探して
一致する所を言ってるだけです
これは、
日本の神を船だと仮定し
キリストの神を飛行機だと仮定した場合に
たくさんの人々を一度に遠くに運ぶ乗り物が神である
と説いているだけの話です
ご回答をありがとうございます。
★ このX=「神」と名付けたのが宗教家
☆ たぶん 違うでしょう。なぜなら 《宗教家》が名づける以前に《かみ》
という言葉がすでに持たれていたと考えられるからです。
X に言葉を代入したのではなく そうではなく 《かみ》ならカミという言
葉を当てたのです。人びとがです。
そして 神を あらゆる現象の中に共通にはたらいているチカラとして X に
置き換えられるとしたなら その X は 非知なるひとつなる神つまり 普遍
神のことなのです。目に見える現象としてはそれぞれが その神の分身です。
あるいは――詳説はしませんが―― 日本人の言語において《霊》としてなら
《もともと》三つありました。
み:山つ霊(山祇=やまつみ)・海つ霊(海神=わたつみ)
ち:厳(いか)つ霊 ⇒ 雷(いかづち)
ひ:竈(へ)つ霊 ⇒ へっつい
★ ~~~~~~~~
補足より・・・
これは、
日本の神を船だと仮定し
キリストの神を飛行機だと仮定した場合に
たくさんの人々を一度に遠くに運ぶ乗り物が神である
と説いているだけの話です
~~~~~~~~~
☆ 違います。ひとつに 名前が――言葉として――別々であるだけだと言っ
ているのです。
もうひとつに 共通する要因は 《運ぶ乗り物》といった問題では必ずしもな
く そうではなくやはり《霊》であり それは概念説明として《非知》なのだ
と言っているのです。
大乗・小乗と言う場合があるので 《乗り物》を持ち出すのは おもしろいで
すけどね。
あとは 理由説明としての推論がありません。取り上げかねます。
No.8
- 回答日時:
>そして 神を あらゆる現象の中に共通にはたらいているチカラとして X に
>置き換えられるとしたなら その X は 非知なるひとつなる神つまり 普遍
>神のことなのです。目に見える現象としてはそれぞれが その神の分身です。
ですから、No5に書いた通りですが
例えば、
あの巫女が祈ると高い確立で雨が降る、という事象があったとする
その原因を「X(神)」と仮定する
で、実際問題として、その巫女が祈ると高い確立で雨がふる原因が
本当に単なる「偶然」であったとします
すると、その途端に、「X(神)」は「偶然」に上書きされて
高い確立で雨がふる原因=「偶然」になります
別の例えで言うと
あるおばあちゃんは翌日に雨が降る事がわかるという
雨が降る前日には足に痛みを感じると言う事である。 となれば、
足に痛みを感じる原因=「X(神)からの思し召し」と仮定する
でも、その答えは「神経痛」であったとなると、その瞬間から
足に痛みを感じる原因=「神経痛」となるのです
No5で書きましたが
「霊波」と言う新たな波が発見されたならの例えから
あの巫女が祈ると高い確立で雨が降る、という事象があったとする
その原因が、No5で発見された「霊波」なる謎の波が関係している
とした場合、
雨が降る原因=「X(神)」は「霊波」に書換えられるだけなのです
>神を あらゆる現象の中に共通にはたらいているチカラとして X に
>置き換えられるとしたなら
同じ雨が降る例えで出した例題に共通に働いたチカラの結論は
「神」は数学の「X」そのものであるという事だけ
この例題では「神」は「神経痛」であると言うもの
でも例題が変われば、「神経痛」は「神」にならない
つまり「X(神)」は定義であり概念でしか無い
ご回答をありがとうございます。
★ あの巫女が祈ると・・・
☆ 占いは どうでもよろしい。神の定義にとって関係ありません。経験
事象をどれだけいじくっても 問題は 別です。
★ 「霊波」
☆ も経験事象です。《分身》として捉えたいと言っても 本体のことを
明らかにしなければ 分身は何の分身なのか 分かりません。
★ 降雨の原因
☆ という意味の話もありましたが 神は 経験世界を超えているとする
からには 因果関係から自由なのです。
因果関係を超えているということは その経験事象としての原因結果にも
けっきょくにおいては かかわっている。とも見られます。(相対を超え
た絶対であるなら 絶対は相対に対してチカラを及ぼし得ると言ってよい)。
ですが それが 《分身》の問題です。あなたは 経験的なものごとにつ
いてのみ問うて 神を問い求めています。《 X 》という共通の要因を捉え
た場合にも この X を経験的な現象としてのみ扱っています。それでは
神について定義しようにも無理です。
人間のあたまの中で・その想像や思考の中においてのみ 神を捉えようと
しているのですから。それでは おもちゃの神です。
いはくら(磐座)や ひもろき(神籬)にしても それらは神本体ではあ
りません。本体である神が霊として降りて来るというその依り代なのです。
神は 非経験の場であり非知です。その分身は 目に見えるものごととし
て神の依り代(あるいは 補助線)です。この区別をしっかりとすること
が肝要でしょう。
人びとそれぞれの生活における信仰に対して 宗教が先行したという説は
撤回しましたか?
No.9
- 回答日時:
いつまでも同じ話を繰り返しても意味がないので終わりにします
予め言っておきますが
「神」=「X」と書きましたが、これは単に私の中の理解でしか無いし
これが正しいかどうかは置いておきます
なので、これが一般的かと言われれば違うやもしれません
ただし、私の中で全ての辻褄が合うものがこれであると言う事です
「神」=「X」であるならば、宗教は「X」を問う問題そのもの
なので、問題(宗教)が違えば、「神」が違うのは道理
但、共通項として「神」=「X」が存在するというだけ
少なくとも、これだけで日本語の「神」という言葉は全て辻褄が合うのです
さて、
問題の中にある条件全てに辻褄があうのだけども、その答えが
仮に出題者の考えと違う場合、その答えは○としますか、Xとしますか
普通はその答えを○とします
つまり、少なくとも「神」=「X」である、だけで○なのです
それが出題者の答えかと聞かれた場合それは知りません、
が、条件をクリアしてるのですから○なのです
そして、それは、人によって「神」の認識が違う事も意味します。
条件さえクリアしていれば、例えば、「偶然と必然と無限の時間と空間の事象こそ神である」という答えであっても、
それで条件をクリアしているならば、それは○なのです
私の考えが間違っていると言うのであれば、
貴方の答えこそが、唯一の「神」であると言う考え方こそが間違いです
それは、答えが「神」である条件をクリアしているだけの蛇足
貴方の考える「神」なので貴方独自の名前を付けてよぶべき話です
ご回答をありがとうございます。
(あ) 《 X 》については その要素・要因にかんして 経験事象で
あるか。それとも 経験世界を超えたところ――非経験の場――にお
いてその共通のナゾを捉えるか。これが ひとつの問題でしょう。
(い) もし X = 非経験の場(つまり 非知なるナゾ)だとします
と それは 《普遍神 または 霊(たとえば アートマンだとかル
ーアハだとかです)》のことだとしてよいでしょう。
(う) 言いかえると 経験事象としての――たとえば《みんなの乗
り物(マハーヤーナー)》といった共通の要因としての―― X である
としたら それは 普遍神(X)の依り代(補助線)つまり分身だと
捉えるとよいということです。分身とは仮りの X だということです。
★ 日本語の「神」という言葉は全て辻褄が合う
☆ ためには いま述べた但し書きが 必要です。
★ 人によって「神」の認識が違う
☆ それは 分身(依り代)としての認識が違うということです。山
が神だと言う人と海が神だと言う人とに 山と海との違いがあり そ
してその神本体は いづれも霊( X )としての普遍神です。
★ 無限の時間と空間の事象
☆ 《時間・空間・事象》は 経験世界に属します。
《無限》は 経験事象としての可能無限と非経験の場としての真無限
と やはりふたつがあります。本体と分身とです。
円周率が 小数点以下に限りなく数値がつづくと言ってもそれは た
だの可能無限です。3と4とのあいだに その値はおさまります。つ
まり 有限の数です。
真無限は そうではなく 経験世界を超えています。二で割っても三
で割っても その商は やはり元の無限である。これが 真無限です。
これが 普遍神 X です。
これが 哲学です。
これからも いつでもどうぞ。
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★ 神がどういう存在にせよ、人間を超える存在出ることは間違いないので不可能
ということになります。 / 霊の場合は、可能かも?
☆ 認識にとって《非知》なる対象を想定すること――つまりは《非経験の場》で
あり《非対象》であるもの――を 《神》と言っていると定義するのですから・そ
して神は霊であるとしますから 《霊》の場合も 同じであるとまづ申し上げます。
あとは:
★ 人間を超える存在〔* または 非存在〕である
☆ という共通の了解があるのであれば それを認識するのは:
★ 不可能
☆ だということには成りません。断定できません。そう成り断定できるのは 《不
可知》の場合です。経験事象か否かで分かれます。
《非知》の場合は 認識が可能であるのか可能でないのか。そのことが 人間には分
からないのです。分かるか分からないかが分からない。こういう想定における定義な
のです。どうでしょう。
№1補足つづき
☆☆(№1補足) 《非知》の場合は 認識が可能であるのか可能でないのか。
そのことが 人間には分からないのです。
☆ したがいまして 神を《有る神》としていだく場合もあれば いや無い
つまりは《無い神》としていだく場合もある。
無神論は 有神論と――神ないし霊の問題としては―― 互いに同等であると
なります。どちらも《広義の神と われとの関係》なる信仰です。
有神論の場合に 《おれは神を見たぞ》とか《われは神の声を聞いたり》と言
っても それとして認められます。
そのような命題についてそれぞれ 是とも非とも 人間は最終的な結論として
断定し得ないからです。それが 非知ですから。
ただしその同じ神を ほかの人が《おれも見たぞ》と言ったとしてもそれは
同じ神であるかどうかはいっさい分からない。と成っています。同じ神だった
らそれは ただの言葉・観念としてのみです。
《非知なる神=普遍神》は 次のようにすべての霊なる神に当てはまります:
A. ブラフマニズム:梵我一如
梵:ブラフマン・・・マクロコスモス。神
我:アートマン・・・ミクロコスモス。霊我
B. ゴータマ・ブッダ:無梵無我一如(=無神論)
無梵:空(無い神)
無我:アン‐アートマン
C. ブディズム:仏仏一如(=有神論)
仏:阿弥陀如来 / 大日如来
仏:如来蔵・仏性
D. クリスチアニズム:霊霊一如
霊:神・聖霊
霊:《神の宮なるわれ》
E. (プラトン?):霊霊一如
霊:宇宙霊魂 / 世界霊魂
霊:《われ》
F. 《もののあはれを知る》
霊:かみ(自然および超自然)
霊:われ(自然本性)
G. ユダヤイズム:霊霊一如
霊:ヤハヱ―
霊:われ
H. イスラーム:霊霊一如
霊:アッラーフ
霊:われ
視 点 :非経験の場~~~~~経験世界
____________________________
概念説明:絶対 相対
〃 :無限(真無限) 有限(可能無限をふくむ)
〃 :不可変性 可変性
〃 :非知 可知(既知・未知)&不可知
神 論 :神(普遍神) 神々(分身)
〃 :本体 依り代
〃 :正解 補助線
人間存在:霊 身と心(身体と精神)
〃 :非思考の庭 感性の原野と思考の緑野
〃 :有る神&無い神 ヒラメキ
〃 :信じる 感じる&考える
次の試論を参考にしてみてください。
【Q:信仰としての《梵我一如》類型::一般および個別絶対性理論】
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/9161091.html
【Q:神とは何か?】
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/9137113.html
【Q:《神は有る》のみや《神は無い》のみはアホバカ教】
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/9456638.html
ほかにも少なからず問うています。
★ バルタン星人もプレデター
☆ もそれぞれ普遍神の分身? というところがおもしろかったので BAです。