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『吾妻鏡』の1211年 (承元5年、3月9日建暦元年 辛未)(陰暦の)11月1日 己酉 に
「寅の刻太白房上將星(相去ること六寸ばかり)を凌犯するの由、司天等これを申す」という記述があります。
これは現代語訳すると「明け方4時前後に太白(金星)が房上將星(さそり座のベータ星)に異常接近したと報告があった」ということになります。
星座早見で11月前後(陰暦なので前後不詳)の午前4時頃にさそり座を探しても天空にはなく、午前10時以降にならないと現れず、そうなると昼の光でとても見えないと思われます。『吾妻鏡』のこの記述は信用できないのでしょうか? それとも私の見方に誤りがあるのでしょうか? どのたか教えていただければありがたいと思います。

質問者からの補足コメント

  • どう思う?

    No.1,No.2の方から回答をいただき、「見えるか、見えないか」のポイントは『吾妻鏡』の1211年 (承元5年、建暦元年 辛未)の11月4日が太陽暦の何月何日になるかに拠る、ということが解りました。どなたか、これについてご教示いただけないでしょうか?

      補足日時:2017/03/24 23:17

A 回答 (7件)

最大限、好意的な条件であれば・・・・。



旧暦ですから最大で1.5カ月ほど太陽暦とズレる可能性があります。
 (新暦2月15-20日ころに旧暦の1月1日が来ることもあり)
旧暦の11月の朔日は、新暦の9月中旬から12月中旬でありえます。

このうち、さそり座が早朝に見えるかもしれないのはできるだけ遅い時期、
(新暦の)12月中旬であれば未明の時間(日の出直前)に東の空にさそり座がありますね。
また、午前4時というのも不定時法なので「日の出前」っていう意味でしかなく決してAM4:00っていうことではないですしね。

上記が1211年に該当しているかはわかりません。
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この回答へのお礼

丁寧なご回答ありがとうございました。陰暦と新暦の差異を考慮すると「見える可能性はある」ということですね。そうなるとNo.2のご回答者とも関連しますが、『吾妻鏡』の1211年 (承元5年、建暦元年 辛未)が太陽暦の何月何日になるかがポイントですね。質問補足に追記して、そのあたりをご存知の方に再質問したいと思います。ありがとうございました。

お礼日時:2017/03/24 23:10

旧暦は太陽の運行に対して1年が10日短く、約3年に1回補正してたから今の10月かも知れない。



で、サソリ座は8月に夜南中するから、その時のサソリ座と太陽、地球の位置関係は左の図。

10~11月の関係は右図になる。
朝4時頃の日本の位置は白抜き。

そこからサソリ座は決して見えない位置にいる。
「11月にさそり座が見えるか?(吾妻鏡の記」の回答画像2
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この回答へのお礼

丁寧に図まで入れてご回答いただき本当にありがとうございました。太陽暦の11月のAM4時では見えないということがよくわかりました。しかし、そうなるとNo.1のご回答者とも関連しますが、『吾妻鏡』の1211年 (承元5年、建暦元年 辛未)が太陽暦の何月何日になるかによりますね。質問補足に追記して、そのあたりをご存知の方に再質問したいと思います。ありがとうございました。

お礼日時:2017/03/24 23:10

ユリウス暦だと、建歴元年11月4日は、1211年12月10日になります。

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この回答へのお礼

まことにありがとうございました。星座早見で確認すると12月10日の明け方には地平線ギリギリにさそり座のベータ星が見えることになります。今回の質問は、ほぼ解決(99%)したことになりますが、なぜ現代の標準であるグレゴリオ暦ではなくユリウス暦でのご回答だったのでしょう? 最後に残った(1%)疑問(愚問)です……

お礼日時:2017/03/25 00:02

お礼ありがとうございます。


グレゴリオ暦は、1582年からですから、1211年はユリウス暦だったからです。
グレゴリオ暦に換算した場合は、建歴元年11月4日は、1211年12月17日になります。
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承元5年=建暦元年(3月に改暦)


この年は閏月で1月を2回やって太陽の運行に合わせています。

で、太陽暦とのずれが1ヶ月程度になっていますので、
今の1211年12月10日頃に相当(ユリウス暦では12月17日)。

星座は1日1°(4分)早く上ってくるので、8月1日に南中するサソリ座は、
12月10日頃には昼間に出ている星です。太陽の左側。
その2ヶ月後の2月に昼に南中して太陽と同方向に位置する星座です。

下の図の通り、見えません。
金星が見えたとすると明けの明星になるので、それも一緒に位置関係を図に入れています。
金星とサソリ座が同じ位置に見える事は有りません。

房上將星はサソリ座では無い事になります。
「11月にさそり座が見えるか?(吾妻鏡の記」の回答画像5
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No.5補足



明け方4時では無くて、夕方の5時頃なら日没後に西の空に見えます。
また金星が太陽と逆側に居れば、宵の明星として、サソリ座と一緒に見えます。

房上將星が違うか、時刻が違うか、のどちらかでしょうね。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。(No.1,No.3のご回答者へのお礼も含ませていただきます)
ご回答者の方々の仰られていることを合わせますと、『吾妻鏡』の1211年 (承元5年、建暦元年)の11月1日は現在の12月17日となり、寅の刻は(質問では午前4時と書きましたが)午前3時から午前5時までの幅があります。また鎌倉時代ですからその正確性も曖昧なことでしょう。そして房上將星は、さそり座全体ではなくベータ星です。これらを考慮して星座早見で見てみますと地平線(水平線?)すれすれにベータ星が来ます。また金星も明けの明星であれば同じ方向に来る可能性はあるのではないでしょうか?
私としては『吾妻鏡』の記述はまったくの誤り、または嘘ではなかった、という理解で落ち着かせようと思います。皆様の真摯なご説明に感謝申し上げます。ありがとうございました。

お礼日時:2017/03/25 09:57

そうかも知れないです。


詳しく図で書いて計算して見ました。

黄道上で太陽がサソリ座を通過する期間が、大よそ10/24日~11/22日。
太陽は1日4分左へ移動し、角度にして約1°左(東)に移動。

11/22日~12月10日頃の20日で太陽は20°左へ移動。
つまり、12月10日頃は、太陽は20°左、サソリ座は太陽より20°右に位置する事になります。

日の出の時にもサソリ座は太陽より20°右に位置するから、日の出直前には東の空に居る事になりました。

明けの明星と重なる事は充分可能であると解りました。
チャント正確に計算しないと駄目でした。

<(_ _)>
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この回答へのお礼

再度ご確認いただきありがとうございました。No.1,No.3のご回答者にも重ねてお礼申し上げます。
私は今、源実朝を主人公に小説を書いている者ですが、吾妻鏡を下敷きにしながらも吾妻鏡に書かれていない部分をあぶりだそうと思っています。
史料に書かれていても実際は「あり得ない事」ですと説得力がありません。皆さまのご回答で「あり得る」ということがわかりましたので、自信をもって書き進めることができます。本当にありがとうございました。

お礼日時:2017/03/26 09:22

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