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彼の性格類型はアスペルガー症候群(高機能自閉症)、ADHD(注意欠陥多動性障害)に近いと思うのですが。

A 回答 (1件)

その傾向はあったでしょうね。

陸軍士官学校、陸軍大学校でもまあ劣等生ではなかったけど特に優秀と言うほどでもありませんでした。東條は、小心者が絶大な権力を持つとこうなってしまうと言ういい例だと思います。

陸軍大臣のまま持ち上がって総理大臣になった東條は、かんしゃく持ちでつまらない事に一々ハラを立ててるので閣議でも他の大臣たちが困ったそうです。批判されるとすぐムキになって「私は天皇に信任された人間だ。その私を批判するのか?!」と相手を恫喝。

職責に忠実だったと言う回答がありますが、これはどうかなあ、、、第三次近衛内閣の陸軍大臣だった時、平和路線を摸索していた近衛を怒鳴りあげて戦争を促進し、近衛内閣は総辞職に追い込んだ。

たしかに近衛文麿は状況を悪化させた責任者ですが、第三次近衛内閣は強硬派の松岡洋右を外し、対米交渉を主眼に成立しています。外相はもちろん、海軍も近衛に一任するとして、近衛の対米交渉案を支持しましたが、東條の大反対で破綻しているのですから、むしろ自業自得のいうべきでしょう。

そして次期総理に任命された東條は、天皇から直接「今までの経緯は白紙に戻し、米英との戦争は避ける様に」と要望されたにも拘わらず、強引に戦争を始めたしまった。東條が天皇の意を受けて命をかけて開戦を避ける努力をしたと言う記録はありません。なぜか?そんな努力はしなかったからです。こんな東條を「職責に忠実」と言えますかねえ、、、

戦争が始まったら、総理大臣・陸軍大臣・内務大臣に加えて文部・外務・商工・軍需・文部の各大臣を兼任、歴任、更に憲法違反の陸軍参謀総長まで兼任して権力を一手に集中。憲兵を私兵化して全国にスパイ網を張り巡らし、東條幕府と呼ばれた恐怖政治を行いました。

国民の無駄を調べる為に街へ出てゴミ箱をのぞき回ったり、大戦争中の総理大臣がする事ではない。そして戦争はボロ負け、余りのひどさに陸軍、海軍双方に東條暗殺計画があったくらいです。

天皇に強い忠誠心を持っていたと言うのもウソです。その反対なら例がある。

難攻不落と威張っていたサイパン島が簡単に陥落して辞職に追い込まれた時、部内の訓示でこう言った、「勤皇には広義と狭義がある。狭義の勤王は天皇の意思を直ちに実行する。しかし広義の忠義とは天皇の考えがこちらの意見と違っていたらそれを正す。それでも変わらなければ強制してでもこちらの意思を通す。自分は後者と取る」。これでは忠誠どころか天皇への反逆です。

軍人としても落第。戦争ボロ負けの昭和20年2月、天皇に「戦争はまだ五分五分。本土決戦があっても米軍の三分の一の兵力で勝てます」と言って天皇を呆れさせた。

そして戦争は無残な敗北。東條メモに「政府・国民がこんな簡単に手をあげてしまう様な意気地なしとは夢にも思わなかった」「たった二発の原爆で降伏してしまった」と書いた。無茶な命令でも勇敢に戦って死んだ兵士たち、特攻隊の若者たち、苦しい生活を我慢して黙々と従った国民に対する許しがたい侮辱であり、天皇の聖断をバカにした言葉です。

自分が始めた戦争に惨敗し、大日本帝国陸軍大将として堂々と割腹自決するどころか、米軍憲兵が逮捕に来た時、狂言自殺でみっともない姿をさらした。史上最悪の能無し総理大臣でした。
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