太平洋戦線でも大規模な戦闘になりましたが、ヨーロッパ戦線では更に激しい戦闘になっていました。

キリスト教の盛んな土地で何故あれほど無慈悲な戦いが出来たのでしょうか?

A 回答 (2件)

ミサイルが海の向こうから飛んでくる現代はともかく、当時としては


日本と米国のように海を挟んだ戦いなら気持ちに隙もできますが
ヨーロッパのような地続きの戦いでは常に緊張が解けませんから
いきおい相手を殲滅させるような無慈悲なものになるんでしょう。
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この回答へのお礼

なるほど納得です

お礼日時:2017/05/13 10:07

アマレクが、右の手をあげたら神の軍が勢いを増し、下げると悪魔の軍勢が攻めて来た、と聖書にあります。

人々に信仰が弱まるとこの世の空中の支配者はルシファーだから、あちらに軍配が上がるのです。
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この回答へのお礼

了解です

お礼日時:2017/05/13 09:56

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Aベストアンサー

包囲された側は、物資の補給が困難になります。
そのため、戦いが長引けば、武器や食料不足から戦えなくなります。
特に兵数が多くなればなるほど、物資の欠乏が切迫します。

これは、戦術面での話しで、戦略面となりますと、話が異なってきます。

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包囲された側は、物資の補給が困難になります。
そのため、戦いが長引けば、武器や食料不足から戦えなくなります。
特に兵数が多くなればなるほど、物資の欠乏が切迫します。

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1.戦国モノのドラマや映画なんかでホラ貝を「ブォォ~」と吹いているところを見たことがあると思います。主にホラ貝や太鼓などを用いていたようです。おそらく、あらかじめこのリズムが来たら前進、とかこのリズムが来たら現状を維持せよ、とかを決めておいてそれで連絡していたと思います。
開国以前の日本古来の軍制と近代西洋式の軍制では全く違います。そもそも、現在のラッパで整列させたりという方式は16世紀のマウリッツ公が行った軍事革命を起源にしています。それまでは、西洋の軍隊でもラッパひとつで整列させたりすることはなかったのです。わかりやすくいえば、今みたいな厳しい訓練をしていなくて、もっとゆるゆるだったんです。この辺りを説明しようとするとそもそも軍隊とは・・・というところから話をしなければならないのでそれは止めておこうと思います。

2.当時の日本に海軍はありません。
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