いちばん失敗した人決定戦

1. 必要だ。格調高いケチの原則でよい。

2. クリスマスツリーのカザリは要らぬが 樅の木は生きている。香りを放つ。
格調高いと言うが その言い方ではあいまいだ。生きた香りが必要である。それ
までを剃り落とすと言うなら 間違っている。

3. ~~~~~~~~~~~~~~~~
いやいや 何ごとも かたちから入るのだ。郷に入れば その思考形式が成り立
っている。それこそ生きている。相手を思いやり相手に合わせると言うではない
か。これをないがしろにして 何を伝えんとするのか。

そりゃあ かたちだけではダメだろう。中身がともなわなくっちゃ。

だけれど 近ごろでは――ひょんなことで告別式に出る機会があったのだが―― 
坊主が 漢文のお経を詠んでから 日本語でも説教するではないか。中身が分か
るように努力している。

そういうもんだ。飾りは 伊達にあるもんぢゃない。ぶっきらぼうで成功する確
率は みみずが論文を書くようなものだ。

せいぜい これくらいの長さで 話は するもんだ。剃刀というような物騒なも
のは要らない。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


☆ 哲学に オッカムの剃刀は 要らないか。

A 回答 (3件)

#2です。



>☆ 取りあえずは 趣旨説明における(3)の文章例で考えてみて

まず、繰り返しになりますが確認するなら、
「ある事柄を説明するためには、必要以上に多くを仮定するべきでない」
のですから、
『ある事柄を説明するために、必要な(と思う)範囲では多くを仮定すべきである』
と言ってることになる。
☆日本語でも説教
したのも、坊さんが必要だと思ったからこそであり、「オッカムの剃刀」の範疇だという理屈になる。
というわけでオッカムさんは別にして、という条件で申し上げざるを得ませんが、
少なくとも、闇雲に剃刀を旗印にするのは単なる自己満足でしょう。
「これ以上の説明が必要なのはお前であって俺ではないのだから、わざわざ答えてやる気はない」と言ってるわけでもあり、その意味では、愛に欠ける、とも言えそうです。
ただ、リビドーとしての愛を他者へ放出するのはエネルギーを消耗するところから、個々の裁量の範囲、と言わざるを得ず、「愛に欠ける」と目くじらを立ててもしかたない。
論議するなら当然の条件だろうとおっしゃるでしょうが、この場合もやはり、論議すること自体がリビドーの放出になりますので、不当な要求をされたと逆恨みされるのが関の山。
シンプルイズベストではあるのですが、そのこと自体がシンプルに成立するわけではない、という気もする次第。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

★ ~~~~
 「ある事柄を説明するためには、必要以上に多くを仮定するべきでない」
のですから、
 『ある事柄を説明するために、必要な(と思う)範囲では多くを仮定す
 べきである』
と言ってることになる。
~~~~~
☆ そして:
★ シンプルイズベストではあるのですが、そのこと自体がシンプルに成
立するわけではない、という気もする次第。
☆ ここまで 明瞭ですよね。基本として。


☆☆ 日本語でも説教
★ したのも、坊さんが必要だと思ったからこそであり、「オッカムの剃
刀」の範疇だという理屈になる。
☆ ということは 必要性あるいは文体の品位・品格を保つに十分な条件
と思うその人の主観の問題になる。・・・という一面が大きくかかわって
いる。・・・

★ ・・・少なくとも、闇雲に剃刀を旗印にするのは単なる自己満足でし
ょう。
☆ と。

★ 「これ以上の説明が必要なのはお前であって俺ではないのだから、わ
ざわざ答えてやる気はない」と言ってるわけでもあり、その意味では、愛
に欠ける、とも言えそうです。
☆ どうですかね。ちょっと きびしいかにも思えました。つまり やは
りその場合もオッカム氏であろうと誰であろうと 本人が必要で十分なま
でには 仮定を置き説明をおこなう。・・・ということでしょうから そ
の主観の内容で ほかの人とのあいだに差が出て来ただけなのかも知れま
せん。結果的にですね。

★ ただ、リビドーとしての愛を他者へ放出するのはエネルギーを消耗す
るところから、個々の裁量の範囲、と言わざるを得ず、「愛に欠ける」と
目くじらを立ててもしかたない。
☆ ええ。やはり 《個々の裁量の範囲》が ひとつの鍵になりそうです
ね。

★ 論議するなら当然の条件だろうとおっしゃるでしょうが、この場合も
やはり、論議すること自体がリビドーの放出になりますので、不当な要求
をされたと逆恨みされるのが関の山。
☆ なるほど。そういう細かな現実もありますか。

ううーん。最後には主観の問題だ。――ただ今のところ ここに帰着した
のですが――わたしも ややお手上げの感じですが―― しばらく様子を
見ましょうか。何か さらに――必要とならば――思い浮かんでくるかも
知れません。


☆ 必要以上に重箱を突っついているのでないと祈りますが。

お礼日時:2017/05/25 20:04

「ある事柄を説明するためには、必要以上に多くを仮定するべきでない」


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%83 …
と定義されているようですが、「必要以上」であるなら仮定すべきでないのは当然。
留意すべきは、「必要」とは「必要と思う」という意味にすぎないのであり、「必要か否か」という判断は主観に委ねられる、という点。
『ある事柄を説明するためには、必要と思う 以上に多くを仮定』
することはあり得ないわけですから、この定義自体に特に意味は無い。
なので、
☆ 哲学に オッカムの剃刀は 要らないか。
と問われるなら、
(オッカムの剃刀は)当然のことを言っているわけだが、または、いるのだから、要るか要らないかと言われれば、要ると言わざるを得ないようです。

あとは、そうした主観の妥当性が問われるだけの話でしょう。
つまり、具体的事例を挙げて必要か否か、と問わないと論点が定まらないように思うのですけどね。
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この回答へのお礼

あぁ はこぶるさん。親しみを感じちゃうから おかしい。あんなに
いがみ合っていたのに。ともかくは ご回答をありがとうございます。

(4)★ 留意すべきは、「必要」とは「必要と思う」という意味に
すぎないのであり、「必要か否か」という判断は主観に委ねられる、
という点。
☆ しごく当然です。

(5)★ 『ある事柄を説明するためには、必要と思う 以上に多く
を仮定』することはあり得ないわけですから、この定義自体に特に意
味は無い。
☆ まぁ そうなります。今度は それは《論理だけではないか》と
いう問題に移るかも知れません。つまり 

(6)☆ 《〈必要な〉論理は 情感をともなうものか》といったふ
うにも言いかえることができるかも知れません。
☆ つまり いまの議論では 《仮定》が主要な話題であるとするな
らばです。

(7)☆ 仮定を置いて推論をはこぶ。そのほかにも 命題とその展
開には何か必要な要素が あるか? ということにも成るかも知れま
せん。


★ なので、
☆☆ 哲学に オッカムの剃刀は 要らないか。
★ と問われるなら、
(8)★ (オッカムの剃刀は)当然のことを言っているわけだが、
または、いるのだから、要るか要らないかと言われれば、要る
★ と言わざるを得ないようです。
☆ もっともなんです。が・・・。

(9)★ あとは、そうした主観の妥当性が問われるだけの話でしょ
う。
☆ 言いかえると この《主観》を広げて:
(10)☆ 哲学の話においても 感情にうったえる要素はその文章
に必要か?
☆ といった問いに代えることができるかどうか。

★ つまり、具体的事例を挙げて必要か否か、と問わないと論点が定
まらないように思うのですけどね。
☆ 取りあえずは 趣旨説明における(3)の文章例で考えてみてく
ださいませんか?

あるいはつまり:
(11)☆☆ ぶっきらぼうで成功する確率は みみずが論文を書く
ようなものだ。か?
☆ つまり早い話としては: 
(12)☆ 欧米と日本とでは 文体が違うか?



☆ 夕方・早い夜にかけて 席を外す時間が多くなります。

お礼日時:2017/05/25 15:02

哲学する者(Philosopher)の好き好きで、、。

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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

そんな・どうでもよい( gleichgueltig )ことなの?

なんで?

お礼日時:2017/05/25 12:02

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