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私は心の汚れた人としか巡り会えませんでした。現在、付き合ってる彼女も普段話している友人の悪口をいうし、同性の友達はクラスは違うのですが、いじめっぽいことをしてます。私自身も心が綺麗とは言えません。人間 誰もが心の汚れた人しかいないのですか?
大人になったらもっと心が汚れてしまうのですか?
心のきれいな人はいないのでしょうか?

A 回答 (11件中1~10件)

たまたま、そういう人と、多く出会ったのだと思います。


人間は、だれも、良い心と、悪い心の、二つを持っていて、その二つの心が日々、戦いながら生きていると思ったほうがいいと思います。
人間は神ではないので、悪いこともしますよ。
でも、悪いことばかりしているわけではありませんから。
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大人は更に心が汚いよ。

そういう社会をこれから見るでしょう。でも、そんな中にいい奴もいるから勉強になる事もあるさ
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ん~難しいとこですが、多分あなた自身が「悪口を言っちゃいけない」「心が汚れていてはいけない」と思っているからそういうのが目につくのかもしれないですね。



悪口を言ったりいじめをすることが心が汚いとかじゃなくて、そういう事をする人がそれによってなにかを学ぶか学ばないかだと思うので、他人の心が汚いかどうかは違う人が判断する事ではないと私は思います。

ちょっと文章がまとまりませんが自分の心を育てればいいのです。例え今綺麗じゃなかったとしても。
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生まれた時は、皆、「真っ白」なのにねぇ~



育っていく過程の環境かなぁ~

ご自身のことを自問自答されるのだから

あなたは、「白い」とおもいます。

 そういう人たちとは「それなりの距離感」で接することかなぁ~

人生永いからねぇ~処世術も必要だよね~
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自分がしてはいけないと思っている、悪いことをすると、


その人を「汚れた人」と断定するのは間違いなんだよ。

正しくは人間は【悪口を言う「とき」がある】
良いことをする「とき」がある。
どちらかが多いか少ないかは、どういうタイプの人かは
長期的に、かつ、付き合ってわかることなんじゃないのかな。

汚れた話題、汚れた部分で繋がろうとする傾向があるという気づきをしたら
自分に返す。
他人に対する気づきは、自分を映す鏡です。
なるべく、そのような雰囲気を自分から消すように努めるべきかと思います。


悪口を言うことが必ずしも汚れているとは限らない。
本音が言えているとしたら、
本音が言えない相手より、その人にとってあなたは自己開示ができる相手なのかもしれない。

綺麗なことだけ言う人がいるとして、それが本当の自分なのか?純粋なのか。
表面的なものか。

相手を見抜くとか、深く理解する、度量があるのか・・自分は、ってこともある。

他人に、ネガティブな一面しか見ていない・・・それが今の自分という気づきで
ハッとできたらと。
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「類は友を呼ぶ」と言います。

心が汚れていたら似たような人が集まります。
ヤンキーにはヤンキーが集まるでしょう。
ヤクザに憧れて入れ墨入れたら、元巨人の○○さんのように暴力団が覚醒剤を持って
近づくでしょう。
他人に優しく親切にしてたら、心の綺麗な人が集まりますよ。オーラでわかります。
心の綺麗な人はオーラが出てます。探してください。どこにでもたくさんいます。
悪の心を持っていたら心の綺麗な人のオーラが見えません。
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いますよたまに!!


でも私の周りも悪口は多いです!!
これ女の会話なんです!!たまに悪口言わない女もいるけどそういう人は珍しいだけです!!
競争なんで!!
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人間 誰もが心の汚れた人しかいないのですか?


    ↑
ハイ、ワタシの知っている範囲では
みな汚れています。



大人になったらもっと心が汚れてしまうのですか?
   ↑
ハイ、もっと汚れます。
汚れないと、大人として生きていけません。
家族を守れません。



心のきれいな人はいないのでしょうか?
   ↑
誤解していますね。

人間は、百%汚いひとも、キレイなひとも
いません。
皆、どこかに汚い部分、キレイな部分を
持っています。

汚い部分には目をつぶり、キレイな部分だけを
見るようにすればよいのです。
それが大人の技術です。
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「心の汚れた人」という表現がおもしろいね。


あなたがいう「汚れた心」とは、「友人の悪口をいう」、「いじめっぽいことをする」の意味と受けとれます。
しかし、「友人の悪口をいう」と「いじめっぽいことをする」をもう少し具体的にみないと、正しく答えられない。
「皮肉っぽい、軽い悪口を本人のいない所でいう」なら、だれにもある。
だから、この例なら「ふつうの心」。
「友人の悪口をあしざまに、ののしるようにいう」なら、「汚れた心」。

「いじめっぽいことをする」も、「少しつねる、軽く突っついてみる」なら、だれにもある。
しかし、ニュースで取り上げられる「陰湿ないじめ」なら、「汚れた心」。

結論です。
「人間 誰もが心の汚れた人しかいないのですか?」
NO。ほとんどの人は「ふつうの心」。

「大人になったらもっと心が汚れてしまうのですか?」
NO。ほとんどの人は「心が汚れていない」。

心のきれいな人はいないのでしょうか?
NO。「心のきれいな人はいます」。

補足。
「心のきれいな人になる」には、「きれいな心になろう」といつも考えることです。
むずかしいことではない。
「スマイル顔で、気もちよく挨拶をする」、「人が落とした物をひろってあげる(この間、風で飛んでいったメモ用紙を、前から歩いてきた人にひろってもらいました。すがすがしい心になりました)」など。
さらに。
現実的には自分の「損得」を考えるのもいい。
「損」になることをしない。
「友人の悪口を陰でいう」と、やがてはバレて、「自分が嫌われる」し、「自分も悪口を言われる」ようになる。
そして、みんなから信用されなくなる。
「いじめっぽいことをする」も同じ。
「いじめ」に麻痺してくると、前科者になる可能性も出てくる。

これからの人生を大切にね。
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俺の周りの人たちはまあまあきれいだよ。

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