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アメリカはどうしても戦争を始めたかったので、そうなったのですが・・・
難題を突きつけられたアメリカとの日本が戦争を避けるもっとも賢明な方法は・・・いいですか、大胆な仮説ですよ・・・

戦争を始めたことにすれば良い

だったんじゃないでしょうか?
本気で戦争をするのではなく、戦争をしているように装えば良い・・・そうすればアメリカは目的を達せられ、日本の被害も少なくて済む。
山本五十六の言動を見ていると、彼はまさにアメリカの工作員であり、また日本のことを慮って
戦争を始めたことにした
ように見えるのです。私には。
しかし、その後、ナチスが原爆をつくり始めてしまったので状況が変わってしまった。
つまり原爆を横取り、宣伝するために日本するビジョンに切り替えた。原爆が完成するまで日本との戦争を長引かせ、完成したら日本に落として宣伝する・・・

日本が戦争であのようなことになってしまったのは、このような不幸なタイミングに出会ってしまったため・・・のように思うのですがみなさんのご意見はいかに?

A 回答 (4件)

山本五十六は、反対の意見でしたが、政府に押し切られたという説もあります。


譲歩として、日露戦争と同じように、最初の数ヶ月なら優勢にするから、その間に和平交渉をしてくれ。でしたが、連戦連勝で一気に戦線を拡大し、後戻りできなくなった。

アメリカ側は、戦争したければドイツ相手のヨーロッパ戦線に参加すればいいだけですし、戦争で疲弊したヨーロッパ諸国相手に輸出でたっぷり儲けるのが一番賢明な選択ですから、わざわざ日本と戦う必然性はありません。
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この回答へのお礼

う~ん・・・言われてみれば。ヨーロッパ戦線に参加する大義名分がなければ捏造すればいいわけですからねぇ・・・それにしてもヨーロッパと日本と両面戦争して圧倒的に勝っちゃうなんてどんだけ強いんだ。それまでニューディール政策も失敗して経済疲弊していたってぇのに。それはつまり金持ちが金溜め込みまくってたせいで貧乏人が餓死しまくってたってことだよね。アメリカの戦争政策は超超超大成功だったってことか。

お礼日時:2017/07/14 07:32

核兵器の開発については、1939年にナチス、1940年に大日本帝国、1941年にアメリカですから、1941年12月8日の開戦日には、すでに開発は全ての国ではじまっています。


ナチスに関しては、ウラン235の濃縮実験は行っていないので、有効な核爆弾の製造は不可能だったとされています。(ヒトラーもあまり興味は無かったとされています)
この事実は、かなり早い段階でアメリカはつかんでいました。(アメリカは、ナチスの核爆弾製造を防ぐ為にハイゼンベルク暗殺計画を行っていました)
ハイゼンベルク自身は、ナチスに核爆弾を作らせない為に、計画を原子炉にとどめたと発言しています。(ナチスの核爆弾開発は、主流派のハイゼンベルク以外の研究班が、ウラン235の濃縮により実現可能な段階まで進んでいたとの説もあります)
大日本帝国は、ニ号研究、F研究の2班でウラン235の濃縮による方法で研究していましたが、原料のウラン不足、濃縮方法が難しかった事により、アメリカの原爆投下の直前に断念しています。
大日本帝国は、アメリカが核爆弾を開発している事は、開戦前から察知していましたが、戦時中の完成は不可能だと考えていました。
なお、アメリカも大日本帝国が核爆弾の開発を行っている事は、ドイツのUボートを接収した際に、日本向けのウランを積んでいた事から把握していました。(ただし、どの程度まで開発していたかは、知らなかったでしょう)
なお、終戦後はアメリカは、日本の核開発施設の全ての資料の接収と、理研と京都帝大のサイクロトロンを破壊しています。
このような状況で、大東亜戦争をただのふりではじめたとは思えないですよ。(長期化するとは思っていなかったでしょうけどね)
大体、日本に被害を最小にしようなどと考えていたら、ドイツが降伏した後で、日本に原爆を投下する必要は無いわけですからね。(日本が核爆弾を開発済みだったとすれば、話は別ですけど)
山本五十六がどのように考えていたかはわからないですね。(どちらにしろ、山本五十六は終戦前に戦死しています)
もし、山本五十六がアメリカと通じていたのなら、何故昭和18年4月16日に山本五十六が乗った飛行機を撃墜したのでしょうか?(日本との終戦を画策したとしても、日本は終戦に向かいませんでした)
他の回答者の回答のとおり、別にアメリカが日本と戦争をする理由は特に無いですよ。
ABCD包囲陣にしても、アメリカが参加したのは、大東亜戦争開始直前です。(それまでは、モンロー主義により、外国への介入は避けていました)
その後の世界勢力の推移を考えると、対日戦を選んだのは、アメリカにとっては好都合だったわけですが、ソ連の参戦を許したのが、唯一の失敗ですかね。
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この回答へのお礼

なるほど。サンクスです。

お礼日時:2017/07/16 06:52

本気で戦争をするのではなく、戦争をしているように装えば良い・・・


そうすればアメリカは目的を達せられ、日本の被害も少なくて済む。
  ↑
米国は経済復興の為に、戦争をしたかったのですから
それでは目的が達せられません。

当時の米国は、1930年に続く大不況の真っ只中でした。
GDPは1/2に、株価は1/10に落ち、国民の1/4が
失業し、あちこちで暴動が発生していました。
ルーズベルトは、ニューデールなどの政策を打ちましたが効果は
はっきりしません。

これに加えて、当時は社会主義運動が盛んに
なりつつありました。
うかうかしていると、体制すら崩壊しかねません。

また、米国は英国フランスなどにも大量の資金を
貸し付けており、彼等が敗戦になれば、貸し金が焦げ付く
可能性がありました。

それでどうしても戦争をやる必要があったのです。
戦争は最大の公共事業ですから。その証拠に戦後、米国
経済は見事な復活を遂げています。

これは私の偏見ではありません。
米国歴史学の権威チャールズ・A・ビーアド元コロンビア大教授は
公文書を調べて、ルーズベルトが巧妙に日本を戦争に引きづり込んだ
過程を明らかにした本を出版しましたが、これは事実上の発禁処分
にされてしまいました。

31代米国大統領のフーバーが、ルーズベルトを、日本を無理矢理戦争に
引きづり込んだ狂気の男、と評した書見を残しています。
彼は、ルーズベルトは真珠湾を知っていた、とも書き残しています。
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この回答へのお礼

Well...

お礼日時:2017/07/07 22:21

真珠湾の真実?



①大本営作戦部がどんなに頭をひねっても、アメリカに勝つ方法が無かった。

②山本五十六長官は実に正直な人であり、真珠湾奇襲攻撃の計画で、日本の空母1隻損失、航空機6割損失と大本営に報告した。

③②を受けた大本営は、初戦での被害が大きすぎると判断し、真珠湾へ行く機動部隊司令官の南雲中将に対し、真珠湾攻撃後、無傷で戻るよう指示した。※南雲中将は、山本五十六長官からの命令と大本営からの命令の二つを受けた。

④日本を出発した機動部隊は、無線使用を禁じられていたのに、和平交渉と真珠湾攻撃作戦が同時に進行していたため、無線を使用し、アメリカにおおよその位置を知られていた。※真珠湾に空母がいなかった最大の理由。

⑤真珠湾の攻撃により、アメリカは甚大な被害を受けたが、真珠湾にある燃料タンク、修理施設への攻撃が不十分であったのに、③の機動部隊を無傷で日本に戻す命令を優先し、第3次攻撃を中止し、機動部隊は日本への帰路についた。

もし、山本五十六長官の命令通りにことが進んでいたら、長期戦は避けられたかもしれませんね。
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この回答へのお礼

Well...

お礼日時:2017/07/07 22:20

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