プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

問う人:
人は死ぬとどーなる?

人の道:
人は死ぬとみな成仏する。

問う人:
成仏するとはどーゆーことか?

人の道:
成仏するとはこの世へ沈むことである。
つまり土に帰るのである。
土に帰って木や花の一部になるのである。
草になって草と同化するのである。
また牛や馬に食われて、牛や馬の肉となるのである。

問う人:
坊主は成仏できぬ者がいるから、成仏できぬ者はお経を読んで成仏させているとゆーが、それはほんとーか。

人の道:
それは坊主の作り話である。
坊主はそのよーな作り話をして、自分がお経を読んで成仏させたことにして自分の手柄にし、ついでに金を稼いでいるのである。
人は死ぬと誰それ関係なくみな成仏する。

問う人:
成仏すると人の心はどこに往く?

人の道:
心は我々の体が成仏する過程で宇宙空間に揮発する。
今まで我々の体内に閉じ込められていたものが広大な宇宙空間に放たれるのじゃ。
すると心は次第に希薄になり、最後には無になる。
だから成仏すると心は無になるのじゃ。

問う人:
それは皆同じなのか?

人の道:
皆同じである。
人は死ぬとみな成仏し土に帰る。
そして成仏すると心は無になる。

問う人:
無になったらそれで終わりなのか?

人の道:
それで終わりである。
しかし我々の肉体は土に帰り、その土からは新たな生命が生まれるのである。
これが即ち輪廻転生である。
このよーにして命は地球上で循環するのである。
人は死ぬとみな成仏する。
分かったか?

問う人:
はい、分かりました。
人は死ぬとみな成仏する。

人の道:
皆にも訊いてみい。

問う人:
人は死ぬと誰それ関係なくみな成仏するゆーこと、
そして成仏すると心は無になるゆーこと、
皆も分かったか。

A 回答 (13件中1~10件)

> ガリレオはそれでも地球は回ると言って投獄されたのでありまする。


> 真の信仰とはこれのことなのでございまする。

笑止!ってやつかぁ?
ソレ・・信仰が自然科学を投獄した事例だが?(笑)
結局、自然科学と宗教(信仰)の区別も付いてないのね・・ナルホドねぇ。

科学的真理に辿り着いたガリレオは、科学者としての『信念』で「それでも地球は」と仰っただけ。
これすなわち、信仰でも何でもなくて、「自然の摂理」であり、絶対に曲げられないもの。
一方、当時の宗教的真理が天動説(人為的摂理)で、間違った宗教的真理が、科学的真理を葬った悲劇だ。

この事例に学ぶことなく、摂理と宗教的真理の違いや本質も理解せず、むしろ曲解し。
それを混同して、ひたすら珍説を語ってるだけなのがアナタの正体だ。

宗教が自然の摂理である「食物連鎖」を語っても無意味。
「心は宇宙空間に揮発する」みたいな、誰でも思いつく様な、「人為的摂理」を説くことも。
宗教ってのは、アナタが考えてる様な、安易,陳腐なモノじゃないのよ。

読み返してみなよ。
アナタの駄文で、誰の魂が救われるんだ?

もうエエって。
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> 現代の葬式仏教が原始仏教より進化したと考えるのはあんたくらいと思われまする。



どこに「現代の現代の葬式仏教が原始仏教より進化した」なんて書いた?
アナタのご高説が、「3千年前の、古代宗教より幼稚」と書いてるんだが・・。

まあ、「時の肉食妻帯蓄髪坊主」でも、アナタよりは宗教的素養が遥かに高いことは、間違いなかろうけど。

> たとえ信仰といえども真実とは何かという探求心を備えることは人の務めでありまする。

だからさぁ・・。
「土に還る」とか「宇宙空間に揮発する」なんてのは、義務教育レベルの履修者でも、思い付きで言える様なことで。
それは「真実」とか、まして「探究心」などと言えるシロモノじゃないのよ。

平気でそう言うことを言えるのが、恥ずかしくで堪んない!
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この回答へのお礼

>平気でそう言うことを言えるのが、恥ずかしくで堪んない!

ガリレオはそれでも地球は回ると言って投獄されたのでありまする。
真の信仰とはこれのことなのでございまする。
恥ずかしがるより大切なものがこの世にはあるのでございまする。
そんなことも知らない人が実は恥ずかしい人なのでございまする。

お礼日時:2017/08/09 21:40

全く判らん・・と言うより、読んでて恥ずかしくなったわ。



宗教的ド素人でも、義務教育レベルを受けてりゃ、その程度の概念は、思い付きでも言える内容なので。
従い、ちょっと宗教をかじった人から見れば、アナタ様の大層なご高説は・・・幼稚園レベルなのよ。(笑)
教育勅語を暗唱してる、某幼稚園児の方が、お利口さんとちゃうかな?

仏教をベースに、仏教用語を捻じ曲げて解釈して、新興宗教でも立ち上げたいのかね?
ただね、捻じ曲げた結果、どうなってるのか判ってる?
あろうことか、新興どころか、仏教以前の、古代宗教になってるんだな。これが。

たとえば「心は我々の体が成仏する過程で宇宙空間に揮発する」なんてのは、二千数百年前の古代のヒンドゥ教やらバラモン教にも存在した概念。
ってか、古代宗教より、はるかに退化しとるがな。
3千年近く昔の古代宗教の方が、ブラフマンとかアートマンなどの概念を用いて、もっと論理的でカッコ良く説明してるもんなぁ。

ヒンドゥ教やらバラモン教にも精通した釈迦が説く原始仏教にも、当然、そう言う概念が含まれてて。
それどころか、それを判りやすく体系立てて、進化させたものが、仏教と言えるワケ。

正規に修行なさったお坊様を誹謗中傷する前に、ド素人が薄っぺらな宗教観を偉そうに説く、己の厚顔無恥さに気付きなさいよ。

せめて「輪廻転生」と「食物連鎖」くらい区別して欲しいなぁ。
輪廻転生は、もっと高度な概念で、理科の教科書に出てくる様な、「死体が植物の栄養になる」と言う話と違うよ。

ちなみに釈迦は、「食物連鎖」的な肉体の生滅も、もっと見事に説いてるよ。
たとえば、餓えた聖者を救うため、自ら火の中に飛び込んで、聖者の命を救おうとしたウサギの、涙が出そうな説法が有名。
ところがアナタ様の説法は、根拠なく「〇〇である」と言うだけで・・何も伝わって来ない。

今後はこー言うの、やめてもらっていい?
苦笑いと通り越して、恥ずかしくなっちゃうから。
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この回答へのお礼

>れどころか、それを判りやすく体系立てて、進化させたものが、仏教と言えるワケ。

現代の葬式仏教が原始仏教より進化したと考えるのはあんたくらいと思われまする。
一般には仏教は進化したのではなく、退化したとみなされておりまする。
なにより今時の肉食妻帯蓄髪坊主の出現がこのことを如実に物語っておりまする。


>せめて「輪廻転生」と「食物連鎖」くらい区別して欲しいなぁ。
輪廻転生は、もっと高度な概念で、理科の教科書に出てくる様な、「死体が植物の栄養になる」と言う話と違うよ。

たとえ信仰といえども真実とは何かという探求心を備えることは人の務めでありまする。
信仰といえどもそのことを理解せずして成り立つものではありませぬ。


>たとえば、餓えた聖者を救うため、自ら火の中に飛び込んで、聖者の命を救おうとしたウサギの、涙が出そうな説法が有名。

それは単なる喩えでございまする。
その喩えを喩えのまま終わらせてはなりませぬ。


>今後はこー言うの、やめてもらっていい?
苦笑いと通り越して、恥ずかしくなっちゃうから。

まずはそのよーなことをゆー自らの姿を鏡に移してゆーてもらいたいでござる。

お礼日時:2017/08/09 18:22

>君はやっぱ塚本幼稚園組だな。


どうやら「君はやっぱり塚本幼稚園だったな」という話しが馬鹿げていたことには気付いた様子ですが、「組」を付け足しても結果は同じです。
例えば私が現在「塚本幼稚園」の園児であったとしても、「私は塚本幼稚園です」ということにはなりません。
同様に、私が現在「塚本幼稚園組」という組織の構成員だったとしても、それはたんなる「構成員」であって、「私が塚本幼稚園組である」などという話にはなりません。
電車の運転士はたんなる運転士であって、電車ではありません。

>話が全て単細胞的だ。
「話」は「話」に過ぎません。
生命体ではないのです。
「話が細胞的」などと言う考えは、やはりちなみさんになんとかして貰うしか無いのかも知れません。
科学全般について、塚本幼稚園から再出発が良いでしょう。

>どこの誰が「成仏」は仏になることとゆーておる。
「成仏」はあなたが書いたのです。
あなたが書いたのが「成仏」ではなく「じょうぶつ」であれば、そのいいわけも出来なくはないかも知れませんが、あなたが書いたのは、残念ながら「成仏」です。
あなたが書いたのは「なる」と「ほとけ」です。
あなた自身が「仏になる」と書いたのです。

>人間は死んでも仏にはなれん。
つまりそれは「成仏不能」ということです。

>人間が出来ることは死んで土に帰ることだけだ。
既にこの件については回答済みですが、火葬によって大気に放出される人体の大部分は気体です。
あなたの論理は、気体が全て水に吸収され、やがてそれが陸地に到達するというものですが、火葬によって気体に変化し、大気の一部分となった人体の全てが水に吸収されることはない事は説明済みです。
そして、あなたの言うように「気体が全て水に吸収」された場合、地球から大気が消えます。

「人間は、その死後に必ず土に返る」というあなたの妄想を覆す決定的な事実である「宇宙葬」問題も提示済みです。
どうしても「人間はみな、死んだら土に返る」を主張したい場合は、広い宇宙空間を漂う骨の燃えカス入りの小さな容器が、しかも全ての容器が、どのようにして地球に舞い戻るのか、説明されることが必要です。

>だから成仏ってのは死んで土に帰ることなんじゃよ。
そもそも「成仏」とは仏教用語です。
成仏と人間の死は、必ずしも直結はしていません。
一般的に使われる「仏さんになる」は、「死んで仏さんになった」の意味ですが、死なずに仏になることもあります。
「悟りを開くことで仏になる」です。
「生き仏」のような表現もありますが、これは、一般的にはその人が仏であることを指すわけではありません。
「まるで仏のようだ」が、「生き仏」を使ったときに意味するものです。
「悟りを開くことで、生きたままの状態で仏になる」のわかりやすい例が釈迦です。
釈迦は悟りの境地に達して、ついに仏陀になった(その様に位置づけられている)訳です。
これが「成仏」です。
土に返る云々は、成仏とは無関係です。
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死とは何でしょうか。

死んだ後私は何かを感じるのでしょうか。
その為には、私は誰なのか考えなくてはなりません。大抵の人は、これが私ですと自分の体を指すでしょう。

 では仮に、手が切り取られたらどうでしょう。手と残りの体とでは、どちらが私でしょう。手は私では無く、残りの方が私ですと答えるでしょう。では首が取れたらどうでしょう。首の方が私ですと答えるでしょう。では脳を取り出したらどうでしょう。脳の方が私ですと答えるでしょう。では脳を半分に切ったらどうでしょう。どちらが私でしょうか。脳を切り刻んだらどうでしょうか。どれが私でしょうか。脳の中のどの部分が私なのでしょうか。

 そもそも、体の中の物質は、3年に一回全てが入れ替わっています。では、3年後の私は私ではなくなっているのでしょうか。

 赤いとか熱いとか感じているのが私です。では、赤い熱いと言う感じは、物質でしょうか。赤い色は、心の外の世界には存在しません。物質の表面に当たって反射する光の波長が存在するだけです。

 では、音はどうでしょうか。外界には、色々な波長の空気の振動があるだけです。私たちが感じている様な音は存在しません。

 この様に、心が作り出したものを取り去ると、何も残りません。従って、赤い熱いと言った感じは、物質ではありません。幾ら科学が発達して、全てを見ることが出来る顕微鏡が出来たとしても、脳の中を覗いたところで、熱いと言う感覚を見ることは出来ません。触ることも出来ません。ただ、私が感じるだけです。物質ではないものを感じている私も物質ではありません。

 私の感じている世界は、私が心の中に作り出したものです。心の外の世界がどうなっているか、私には全く知る術がありません。しかし、心は外界に出来る限り似せて、心の中に世界を作り出しています。

 例えば部屋の中で、テレビを見ている様なものです。テレビは、実際の現場に似せて場面を作り出しています。しかし、決して現場そのものを見ている訳ではありません。あくまでも、テレビが作り出した場面を見ているだけです。
 部屋の中にいる限り、外の現場を直接見ることは出来ません。

 テレビを見ているのが私です。決して、テレビが私なのではありません。 テレビが壊れても、修理すればまた見える様になります。見ている私が壊れた訳ではありません。

 もし、見ている私が壊れたのであれば、幾らテレビを修理しても元通りに見える様にはなりません。テレビを修理して、元通りに見える様になったと言うことは、私自身は何も変わってはいなかった事を証明しています。

 同様に、もし病気で脳が壊れて、何も感じなくなったとしても、医学が発達して、脳を直す事が出来る様になれば、また私は前と同じ様に感じることが出来る様になるでしょう。

 この事は、私は何も変わっていなかったことを証明しています。病気をしても、年を取ってボケても、そして死んでも脳を元の状態に戻せば、元通り感じることが出来るので、私自身は何も変わってはいません。

 ただ脳が信号を送らなくなったので、何も感じなくなっただけです。テレビが壊れて直せなくなっても、新しいテレビを買えば元通りに見ることが出来ます。脳が死んでなくなっても、新しい脳が私に信号を送る様になれば、また元の通りに感じることが出来ます。

 科学が発達し、かつて脳を構成していた、物質を掻き集めて、元の通りに組み合わせて、脳を作ったら、また、私は元の通り感じるようになるでしょう。

 私自身は、生じるものでも無くなるものでもありません。穢れるものでも、清くなるものでもありません。増えるものでも、減るものでもありません。宇宙の初めから存在しており、宇宙の終わりまで全く変わらずに存在するものです。

 死んだ後の状態は、生まれる前の状態と何一つ変わりません。何か違いを指摘できるでしょうか。
 生まれる前の状態から、人は生まれてきました。死んだ後の状態から生まれることは、何ら不思議なことではありません。
 「不生不滅不垢不浄不増不減」です。

質問者さん、この様に脳が死ぬと精神である私に刺激を送るものが無くなるので、私は何も感じません。新しい脳がまた私に刺激を送る様になると、私はまた元のとおり感じる様になるでしょう。
死んだら、気が付くと母の胸に抱かれていることに気が付きます。誰しもそうです。ですから、死んだ人にもまた次の生或はその次の生で出会えると考えます。

詳細は、下記のホームページを参照下さい。
http://catbirdtt.web.fc2.com/sitohananika.html
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クリスチャンとかムスリムは成仏せんらしいがの。

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>君はやっぱ塚本幼稚園だったな。


一応教えてあげますが、塚本幼稚園は人間ではありません。
法人格を有する団体が運営する幼稚園です。
私が塚本幼稚園になることは不可能です。
やはりあなたには塚本幼稚園からの出直しをお勧めします。
ちなみさんにぶったたいて貰うと、少しはなんとかなるかも知れません。

>火葬して大気に放出されても雨が降れば海や川に落ちる。
それが事実であれば、大気中の窒素も酸素も、それから当然炭酸ガスも、いずれ海や川に吸収されることになります。
ですが、現実はそうではないようです。
そして、もっと言えば、物事には「受け入れ可能な量」というものがあるのです。
飽和状態まで達したとき、それ以上は受け入れ不能です。
塚本幼稚園に入園された際には、そうした面についても勉強されると良いだろうと思います。

>海や川に落ちても時が経てば陸に戻ってくる。
比重の大きい物体は、川底や海底に沈殿します。
それが陸地に舞い戻ることは、「無い」とは言いませんが、あってもわずかでしょう。
大部分は川底や海底です。

>火葬しようが何しようが最終的には土に戻るんだ。
わかりやすく反論してみますが、最近では「宇宙葬」なるものまで存在します。
宇宙空間で永遠に漂うのです。
或いは、太陽の巨大な引力に吸い寄せられて燃え尽きるようなこともあるでしょう。
このお話が無理筋であることは、あなたも、少なくとも薄々位には気づいておられるでしょう。

>骨壺に入れても無駄だ。
>いずれ時間が経てばその骨壷もろとも土に帰るんだ。
骨壺に収めた燃えかすをどう扱うかは、他人が決めるのです。
更に厳重に、完全に燃やしたり、例の宇宙葬で葬った場合など、土に返るのは不可能でしょう。

>また畳の上とて土の一つといえば土の1つだ。
そもそも、日本の住環境においては、畳は減っているのです。
激減です。
そんなところに縋り付こうとされていること自体が、この話に無理があることを示しているものです。

>えーか、死んだ人間が土に帰ることを邪魔するやつはバチあたりなんじゃ。
あなたの主張の根幹は「人は死ぬとみな成仏する」です。
その上での「人は死ぬとみな成仏し土に帰る」です。
あなたは「みな成仏する」「みな成仏し土に帰る」と、それが「みな」に起きると繰り返し書いています。
「みな」は「全員」のことです。
「全員」の中には、当然ながらキリスト教徒もイスラム教徒も含まれます。
モルモン教徒もそうです。
「成仏」は、仏になることです。
キリスト教徒やイスラム教徒などに対しても「仏」を強要しようとするあなたこそは「バチあたり」でしょう。
ISの戦闘員に抹殺されないように注意するといいかも知れません。
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この回答へのお礼

>「成仏」は、仏になることです。

君はやっぱ塚本幼稚園組だな。
話が全て単細胞的だ。
どこの誰が「成仏」は仏になることとゆーておる。
人間は死んでも仏にはなれん。
人間が出来ることは死んで土に帰ることだけだ。
だから成仏ってのは死んで土に帰ることなんじゃよ。

お礼日時:2017/08/04 16:13

>人は死ぬと土に帰る、すなわち成仏するってことだ。


普通の日本人は、死んだからと言って土には戻れません。
日本では火葬です。
肉体の大部分は気体となって火葬場の煙突から大気に放出され、残存するのは骨や歯などの燃えかすです。
一般的には、それは骨壺に収められ、自宅や納骨堂・墓石の下などで保管されます。
一定の期間が経過すると、骨壺から出されて墓石の下の地面に撒かれることがありますが、これがいわゆる「土に返す」行為です。
この作業をやらなければ、燃えかすの骨が土に戻る事はありません。
死んだあとに土に戻れるかどうかは、「他人の意思次第」と言うことです。

>君は塚本幼稚園通ってたんか。
秘密です。
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この回答へのお礼

>普通の日本人は、死んだからと言って土には戻れません。
日本では火葬です。


君はやっぱ塚本幼稚園だったな。
火葬して大気に放出されても雨が降れば海や川に落ちる。
海や川に落ちても時が経てば陸に戻ってくる。
火葬しようが何しようが最終的には土に戻るんだ。
骨壺に入れても無駄だ。
いずれ時間が経てばその骨壷もろとも土に帰るんだ。
また畳の上とて土の一つといえば土の1つだ。

>死んだあとに土に戻れるかどうかは、「他人の意思次第」と言うことです。

えーか、死んだ人間が土に帰ることを邪魔するやつはバチあたりなんじゃ。

お礼日時:2017/08/04 14:46

「死ぬと成仏できる」であったとしても、それは仏教徒だけでしょう。


「誰それ関係なく」は、話しを盛りすぎです。
塚本幼稚園からやり直されるのがいいかも知れません。
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この回答へのお礼

人は死ぬと土に帰る、すなわち成仏するってことだ。
君は塚本幼稚園通ってたんか。

お礼日時:2017/08/04 12:45

問う人:


人は死ぬとどーなる?
  ↑
生ゴミになりますが、人間には宗教的感情が
ありますので、法令、習慣に従って処理されます。



人の道:
成仏するとはこの世へ沈むことである。
つまり土に帰るのである。
土に帰って木や花の一部になるのである。
草になって草と同化するのである。
また牛や馬に食われて、牛や馬の肉となるのである。
   ↑
現代では焼却され、埋葬されますので、そうは
なりません。




人の道:
それは坊主の作り話である。
坊主はそのよーな作り話をして、自分がお経を読んで成仏させたことにして自分の手柄にし、ついでに金を稼いでいるのである。
人は死ぬと誰それ関係なくみな成仏する。
   ↑
遺族の心を安んじるため、という意味もあります。
安んじるにもお金が必要な時代なんでしょう。



人の道:
心は我々の体が成仏する過程で宇宙空間に揮発する。
今まで我々の体内に閉じ込められていたものが広大な宇宙空間に放たれるのじゃ。
すると心は次第に希薄になり、最後には無になる。
だから成仏すると心は無になるのじゃ。
   ↑
心は脳細胞が織りなすネットの産物ですから
脳細胞が死滅すればそれまでです。
宇宙などには放たれません。



人の道:
それで終わりである。
しかし我々の肉体は土に帰り、その土からは新たな生命が生まれるのである。
これが即ち輪廻転生である。
このよーにして命は地球上で循環するのである。
   ↑
自己解体といいます。
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