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仏教では、無は死、死は解脱
あなたは輪廻転生を信じますか?
それとも天国か地獄
何が信じられますか?

A 回答 (6件)

貴方の着眼点は凄いですね。

ちょっと勉強になります。
宗教に出てくる「単語及び熟語」は、この地上の人間が勝手に解釈した布教の為
の手段だと思います。


なので、どの仏が言っているのかは検証の方法が有りません。
検証の出来ないものは、タダの文字ですから「信じる者が活用する」しかない。

「信じない者」にどれだけ説教しても、信じる気持ちが有りませんから無理です。

従って、単純に考えると、討論或いは、議論の範疇には入らないと思います。


ウキペディアによると、世界70億人に対して如何に宗教が多いのか?
また、それぞれの宗教の中でも「宗派」があります。驚くべき数字です。
仏教も相当数の「宗派」が有ります。その原点が同じかどうかも解りません。

(参照)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%97%E6%95%99 …


主張している内容は、各宗教がまちまちで、どれが正しいかと研究する宗教家は見つからない。

また、世界全ての宗教家が、宗教の枠を超えて激論をし結論を出そうともしていないのは不思議です。

従って、この質問には、仏教徒以外の人が回答しても接点は見つからないと思います。
言い換えると、信者・個人の意見が正しいと思います。間違いは見つからない。
但し、それは全て自己責任だと認識すればよい事だと思います。
なので、全てが正しいと考えるのが妥当ではと思います???


すみません、この回答は大丈夫かと心配しています。
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この回答へのお礼

助かりました

いえ、私が無知なゆえ疑問が、わいてきます。
身内、知人が他界すると、悲しさより空しさがわいてきます。その隙間を埋めるのが宗教なのでしょうか、本当に多種多様な宗教が、あるなーと感心させられます。一昔前はイデオロギーテロが多かったのが、最近宗教テロが多いイスラム戦士は、真のイスラム教徒とは違いますが、平和や心の平穏を願う者が他人を殺し自殺する。
では神や宗教が無くなり天国と地獄、輪廻思想がないとしたら、現在は、世界の形そのものには、どうなっていたのでしょうか?

お礼日時:2017/09/16 19:53

ご質問が有りましたので簡単に....



>神や宗教が無くなり天国と地獄、輪廻思想がないとしたら、現在は、世界の形
 そのものには、どうなっていたのでしょうか?

今よりは平和だと思われます。(根拠が有りません。主観です。)

理由

世界の中で、宗教で戦争が有ったのが歴史です。なので、逆発想です。
元々、人類は邪悪な生き物で欲望が強すぎる。宗教で抑える事が不可。

例えば、敬虔なキリスト教信者が90%も居る米国は世界でも稀に見る戦争好きです。
なので、宗教の影響力は皆無だと証明している様な物です。

ただ、穏やかな日本の神道・仏教は過去に悪い影響もありましたが、現在においては
非常に静かだと思います。

しかし、その日本の仏教寺には、何処からかこの利権を利用して、金儲けのネタにして
いる所もあります。これは敬虔な教徒ではありませんが放置しているのが現状です。
なので、誤解が生じやすい。税制の問題です。
どうして宗教には膨大な金が必要なのか?が疑問です。

ごめんなさい、変な回答です。ご自分で判断願います。
私の意見に間違いが有るかも知れません? 無責任です。
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この回答へのお礼

ありがとう

いろいろなアプローチで楽しいですよ。宗教法人には税金が少ない、カルト宗教にも審査は無し又は緩い信者から金を搾り取られ私腹を肥やす。古くからの寺も生臭坊主もいますし。神社も神社庁の保護下にありますが維持費が多いのでしょう。
キリスト教福音派は、ダゥーイン種の起源「新説で古い」を教える学校に通わさず自宅学習
無学者が、多いのでベトナム戦争やアフガン紛争「アルカイダの軍事指導者はアメリカ」等から戦争ばかりしてますね。軍事大国とはそんなものと解釈しています。
私にも宗教的真理とか有るのか疑問視しています。

お礼日時:2017/09/16 22:32

#2の者です。



>全て原子から出来ていますよね、

いいえ。原子=物質は、認識の不完全性(物事を
いい加減に捉える)によって生じる錯視です。
全ての存在は、量子的な不確定性に基づいており、
無限に詰め込むと存在確率の山が平らになって、
無と等しくなります。
この「絶対無=不確定性無限」において、その無限の
闇に認識体の仮定断面(潜在的認識可能性)の運動
(時系列化=プランク定数hの収束=物体収縮=宇宙
膨張)を想定すれば、相対的に無の風は光になり、
認識体はその光(量子相互作用パターン)の向うに、
自己の補完(相補的不確定性)としての宇宙を認識
するのです。
超弦(量子定常波)において光速に還元される本質を、
仮説的に階層現象を表面的に(いい加減に)捉える事
によって、潜在的認識可能性(現在)から、自我仮説
(記憶=時間の流れ=過去=超光速)と空間仮説(予測
=空間の広がり=未来=光速下)に相補分化する。
「仏教では、無は死、死は解脱 あなたは輪廻」の回答画像5
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この回答へのお礼

OK

そうですね。宇宙の始まりから80億年前から始まった加速膨張を計算してわかりやすく球体とすると差し渡し約950億光年、ただ仮説計算の一つですが?
量子物理学では、素粒子の振る舞いは予測不可能。しかし原子レベルでは、計算できます。
これを結びつける法則「統一理論」はまだ無理でしょうね。
これを精神世界や宗教に当てはめると、宗教の始まりが、わからず、宗教の未来はわかる。
しかし死後の世界は、有るのか無いのか、これは時空の空間の定義でわからないのでは、有りませんか?

お礼日時:2017/09/16 20:09

死は宇宙に溶け込んだ状態、あるともないとも言えない状態



去年花が咲き、実を結んで枯れたものはもうない

今年種は芽を出し、成長する

まったく同じものかはわかりませんが、似ているものが生まれ変わっています

個性そのものが種そのものにあるのか、育つ環境にあるのか、それらの両方が影響するのでしょう

私が生まれ変わるなら、種も同一、環境も同一でなければならないでしょうか。

体験の前後、体験の強度で、性格が変化することと思いますが、生きているあいだにお互いに関係・影響しあった部分はどのように考えられるでしょうか。

わたしとあなたは同じようで、かつ、異なります。同じようでかつ異なるもの同士が関係影響しあうわたしたちは何かを織りなしています。

織りなしているものが、歴史だったり文化だったとして、その環境の中で新しく育つ若いひとたちは、年老いたものたちと同じようであり、かつ、違うものです。

私たちの何が滅び、何が生き続けているでしょうか。
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この回答へのお礼

うーん・・・

木が枯れたら無くなり他の物(肥やし)等になります。では燃やしたら二酸化炭素と灰になります。それはもう木とは呼べませんが、元は同じ。輪廻思想は仏教に限らずヒンデュー教、ジャイナ教等に受け継がれています。人間の生への執着なのでしょうか?天国と地獄は、キリスト教やイスラム教にあり、仏教にはありません。これは環境の違いなのでしょうか?

お礼日時:2017/09/16 16:41

存在(不確定的有限性)が、観察される事で派生する、


即ち宇宙は意識の中にしか存在しない時、「あの世」
の居場所はありません。
「転生」というのは、意識の外に先験的な世界がある
という古典的な錯覚(素朴唯物論)に基づくものです。
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この回答へのお礼

どう思う?

天国と地獄は人が作りし概念、では死とは何でしょう。
生物、植物、鉱物、それらは、全て原子から出来ていますよね、しかも素粒子、極端に言うと素粒子が消える、又は相転移して物質では無くなるときが死かもしれません。
しかもこの時間は、途方もなく長い。

お礼日時:2017/09/16 16:25

死とは何でしょうか。

死んだ後私は何かを感じるのでしょうか。
その為には、私は誰なのか考えなくてはなりません。大抵の人は、これが私ですと自分の体を指すでしょう。

 では仮に、手が切り取られたらどうでしょう。手と残りの体とでは、どちらが私でしょう。手は私では無く、残りの方が私ですと答えるでしょう。では首が取れたらどうでしょう。首の方が私ですと答えるでしょう。では脳を取り出したらどうでしょう。脳の方が私ですと答えるでしょう。では脳を半分に切ったらどうでしょう。どちらが私でしょうか。脳を切り刻んだらどうでしょうか。どれが私でしょうか。脳の中のどの部分が私なのでしょうか。

 そもそも、体の中の物質は、3年に一回全てが入れ替わっています。では、3年後の私は私ではなくなっているのでしょうか。

 赤いとか熱いとか感じているのが私です。では、赤い熱いと言う感じは、物質でしょうか。赤い色は、心の外の世界には存在しません。物質の表面に当たって反射する光の波長が存在するだけです。

 では、音はどうでしょうか。外界には、色々な波長の空気の振動があるだけです。私たちが感じている様な音は存在しません。

 この様に、心が作り出したものを取り去ると、何も残りません。従って、赤い熱いと言った感じは、物質ではありません。幾ら科学が発達して、全てを見ることが出来る顕微鏡が出来たとしても、脳の中を覗いたところで、熱いと言う感覚を見ることは出来ません。触ることも出来ません。ただ、私が感じるだけです。物質ではないものを感じている私も物質ではありません。

 私の感じている世界は、私が心の中に作り出したものです。心の外の世界がどうなっているか、私には全く知る術がありません。しかし、心は外界に出来る限り似せて、心の中に世界を作り出しています。

 例えば部屋の中で、テレビを見ている様なものです。テレビは、実際の現場に似せて場面を作り出しています。しかし、決して現場そのものを見ている訳ではありません。あくまでも、テレビが作り出した場面を見ているだけです。
 部屋の中にいる限り、外の現場を直接見ることは出来ません。

 テレビを見ているのが私です。決して、テレビが私なのではありません。 テレビが壊れても、修理すればまた見える様になります。見ている私が壊れた訳ではありません。

 もし、見ている私が壊れたのであれば、幾らテレビを修理しても元通りに見える様にはなりません。テレビを修理して、元通りに見える様になったと言うことは、私自身は何も変わってはいなかった事を証明しています。

 同様に、もし病気で脳が壊れて、何も感じなくなったとしても、医学が発達して、脳を直す事が出来る様になれば、また私は前と同じ様に感じることが出来る様になるでしょう。

 この事は、私は何も変わっていなかったことを証明しています。病気をしても、年を取ってボケても、そして死んでも脳を元の状態に戻せば、元通り感じることが出来るので、私自身は何も変わってはいません。

 ただ脳が信号を送らなくなったので、何も感じなくなっただけです。テレビが壊れて直せなくなっても、新しいテレビを買えば元通りに見ることが出来ます。脳が死んでなくなっても、新しい脳が私に信号を送る様になれば、また元の通りに感じることが出来ます。

 科学が発達し、かつて脳を構成していた、物質を掻き集めて、元の通りに組み合わせて、脳を作ったら、また、私は元の通り感じるようになるでしょう。

 私自身は、生じるものでも無くなるものでもありません。穢れるものでも、清くなるものでもありません。増えるものでも、減るものでもありません。宇宙の初めから存在しており、宇宙の終わりまで全く変わらずに存在するものです。

 死んだ後の状態は、生まれる前の状態と何一つ変わりません。何か違いを指摘できるでしょうか。
 生まれる前の状態から、人は生まれてきました。死んだ後の状態から生まれることは、何ら不思議なことではありません。
 「不生不滅不垢不浄不増不減」です。

質問者さん、この様に脳が死ぬと精神である私に刺激を送るものが無くなるので、私は何も感じません。新しい脳がまた私に刺激を送る様になると、私はまた元のとおり感じる様になるでしょう。
死んだら、気が付くと母の胸に抱かれていることに気が付きます。誰しもそうです。ですから、死んだ人にもまた次の生或はその次の生で出会えると考えます。

詳細は、下記のホームページを参照下さい。
http://catbirdtt.web.fc2.com/sitohananika.html
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この回答へのお礼

天才やな

人間の構成要素は、超新星爆発による鉄までの原子と中性子星どうしのぶつかりによる重原子が少し、脳もしかり!
心の定義も不確定、脳に情報伝達ホルモンや電気信号、電磁気などが関係しているのだろうか、頭から足の先まで素粒子と考えられますが、火葬、土葬に限らず。
エントロピーの不確定要素をいれ、人間として再構築(転生)には数兆年かかる。
天国、煉獄、地獄、これらは人間の想像であり、見つけ検証が出来ない?

お礼日時:2017/09/16 09:58

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