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自分は存在主義、存在性思想、存在性理論を提唱してるのですが

存在論の勉強が足らないかもです。

存在論を論じるならこの人っていう哲学者はいますか?

存在と言うものは分からないという哲学者もいますが 元は切り述べた人がいいです

教えてくださいm(_ _)m

A 回答 (5件)

お礼ありがとうございます。


哲学で存在論と言うと、形而上学的な観念論に集約されてしまいます。
つまり、存在が人間にどのように認識されるかと言う事を追求してしまうので、存在する対象そのものを分析するのは、科学になってしまいます。
形而上学と書いたのは、哲学の場合は、カント以後は、人間の認識しか扱えないからです。(認識の先にある、対象そのものは、人間が認識した事以上の存在である可能性があるので、それは形而上(人間の認識外)の部分がある可能性があると言う事です)
これは、考え方の問題です。
完全な懐疑主義になってしまうと、自己が認識する対象が、認識上の存在であっても、認識外の実在である保証はありません。
自己の存在まで疑うのは、極端ですが、他を完全に認識するのは、完全な確証を得るのは難しいと言う事です。(これは、考えるだけでは結論は出ません)
素朴実在論ならば、とりあえず、実在だと思えるならば、実在すると考えます。
科学は、基本的に、観測できれば、それは物理的実体と考えるので、素朴実在論の立場です。(あくまで、哲学的な実在の問いかけはしないと言う意味で、実在の根拠については無記と言う事ですから、それは問わないと言う立場です)
存在する対象の意味付けは、現在の哲学の場合は探究の対象にはなりません。(哲学と科学が分離する前(ギリシャ哲学)などは、対象そのものを探究していました)
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アイン・ランド


Ayn Rand
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存在論という言葉自体は結構最近ですが、論理学的な面から出発するならアリストテレスのニコマス倫理学辺りがオススメです。


面倒くさければヴィトゲンシュタインでも読めば一瞬で終わります。
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神学が存在論で、哲学は認識論が中心ですよね。



哲学者で神学みたいな存在論を主張したのは西洋(=キリスト教圏)には幾らもいたのでしょうけど、歴史に残ることは無かったと考えられます。

強いて言うなら、ドイツ観念論が勃興する以前の中世のトマス秋ナスなどかなぁ。
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この回答へのお礼

ありがとう

神学が存在論とは初めて知りました。

哲学は認識論が中心なのですね ありがとうございます。

トマス・アキナス調べてみます。

お礼日時:2017/10/09 10:36

存在論は、基本的に形而上学になりますから、ご希望の存在論は無いと思いますよ。

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この回答へのお礼

ありがとう

形而上学だと 存在論はないのですか?はて面妖な?

形而上学は哲学でなければ何学がするのでしょうか?

お礼日時:2017/10/09 10:37

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