アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

知人で、漫画より小説を読め、小説は素晴らしい、頭の栄養、と言ってる人がいます。しかし、薦めるのは、話題の作品や映画化ドラマ化されるものばかり。
小説は心を豊かにする、タメになる…

正直、「?」と思ってしまいます。

私は、小説は過去の遺産だと思ってます。科学技術の乏しい時代、娯楽の少ない時代、なによりネットの無い時代。数少ない優れた人が、その人の経験、その人の見る景色、感情の動きを独創的な文章で組み立て、世界を作る。

情報の少ない時代、そういったものに触れることで人々は新たな価値観や世界観を知る。それが素晴らしく価値あることだったんだと思います。

しかしそれらは今の時代、必要あるでしょうか?活字離れ文学離れが言われてますが、それは技術の進歩により当たり前に淘汰されるものの一つに過ぎないのではないでしょうか。


漫画、アニメ、映画、ゲーム、といくらでも技術的に進化し続け楽しめる娯楽があるなかで、小説は後退の一途を辿っていると思えるんです。

楽しい、と思って読むのは正しいと思います、当然ですが。しかし、教養がある、漫画やゲームよりタメになる、という考え方はおかしいのではないか?と思えてなりません。

皆さんはどう思いますか?

A 回答 (16件中1~10件)

私は日本語の使い方や語彙を学ぶという点に於いては漫画やゲームよりも小説の方が優れていると思いますよ


なにしろ詰まっている日本語の密度が違いますからね
日本語を使って生きている以上、日本語が生活の根幹となるので日本語を学べるという意味では小説がタメになるという考え方も間違いではないのではないでしょうか
    • good
    • 2

物心つく頃から、漫画が好きでした。

漢字も読めるようになりますし、漫画から自然と小説に移行して、活字が好きになりました。元々、裸眼で0.01無いのに、老眼が加わり
遠近両用の眼鏡をかけても、ピントが合わない為、今は、好きでも、読めません。
私には、それぞれの良さがあると思えます。活字万歳です!
    • good
    • 1

親子でも小説の読み方が変わるんですよね


娘は、早い
私は、のろいしかし共通するのがただ単に本が好きな事ですかね
漫画だって為になるものがあるだろうし、ゲームも?

何を読むのか?何を楽しむのか?ソレは、貴方の自由デス
押しつけられるものでも無いと思いますが

まぁ千差万別としか言いようが無いですね
    • good
    • 1

全てのメディアは情報を伝えるために使われている。

その伝え方を表現方法というのであり、それが小説、漫画、アニメ、映画、ゲーム、と違えばアプローチが違うだけで伝える内容は同じと考えることもできる。だったら文字だけでわかりにくい小説を選ぶのは間違いであり、映像や音声があるものの方が良いと思うのは必然。
ただ、これらのアプローチ法には得意分野がある。ちょっと前にイニシエーションラブが映像化不可能!(結局できたけど)とか言ってたように映像化不可能に近いものもある(幸せの手紙など)そうしたそれぞれの特異点を見ることも楽しみの一つではないのか?
だからどれが優れているとかはなく、みんながそれぞれの良さを持っているのだ。
小説業界が最近、出版不況のせいで下降調子なのはたしかだが、それが特にそう見えるのはアニメと漫画の異常性のせいだ。小説市場が縮小して来ているのはそこまで問題でもない。
市場でなく小説そのものが持つ役割という意味でしたら全く後退、衰退してはいません。人間の想像の集大成が言葉です。抽象的な物事の具体化をする能力を持っています。言葉だけで紡ぐ物語は一度言葉というファクターを通しただけ、漫画、アニメはさらに多くのファクターを通す必要があります。だから、他と比べ、小説は情報量が少なく抽象的なのです。言葉による表現の段階として最も純度が高いのが小説なのです。味付けをしても美味しいですが、生そのままで食べても美味しいのが小説なのです。
最後に為になるという視点で小説を見て見ると個人的に論理的思考力と想像力が身につくと思います。前者は私が受験生だから一層感じることかもしれませんが、後者は皆さんが指摘している通りです。もちろん漫画など他のメディアも為になることは各自あります。ですが、小説は特に論理的思考力は鍛えれるのではとは思います。
    • good
    • 1

質問者さんの疑問は正しいと思います。

小説が漫画、アニメ、ゲームより優れているなんていうことは無いと思います。どれもが、誰かに何かを伝える手段であり、人を楽しませるためにあるものであって、単にその表現方法が異なるに過ぎません。それなのにその中でどれが一番優れているなんて言うことはただのレッテル貼りでしかなく、それこそ豊かな感性など養われるはずがありません。
ただ、一点。僕は純文学も大衆文学も漫画もアニメもゲームも映画も全部好きですし、そのすべてから得るものがあります。だから小説が過去の遺産で淘汰されるものの一つに過ぎないなんて悲しいことを言わないでください。そんな考えは結局漫画やアニメを馬鹿にしているという知人と同類です。
    • good
    • 1

ちょっと乱暴な考え方ですね。

漫画やアニメが小説より進化したものとは思えませんが。。。
小説という原作がなければ漫画やアニメが成り立たないなら、少なくともそれらより上位であると考えるのが自然な思考の流れだとおもうのですが、よくよくメディアに飼いならされたもんですね。そう言った映像文化は簡単に嘘をつけます。あなたの様な人を洗脳するにはもってこいですね。
改めまして、大昔の人間が夜空を見上げながら神話を作り上げたように、人間に旺盛な想豫力がある限り小説はなくなりません。文字から頭の中でそれらを映像化する想像力があなたには失われているのではないか、と心配です。言うまでもなく、映画監督や漫画家には少なからずこの能力が要求されます。小説はその想豫力を鍛えるのに何よりも有益です。未来を志向する想豫力が人類の進歩を支えてきたのは言うまでもありません。願わくばあなたもメディアの垂れ流す映像の怠惰な精神的奴隷になるのではなく、自立しめ自らの想豫力で未来を志向して下さい。
    • good
    • 2

小説が衰退しているとは思いませんが、半面小説だけが為になる媒体なのかと言えばそうでも無い。


与える情報量の差で善し悪しが決まるわけでもないですし、それぞれの媒体はそれぞれに良いところがあるから、今なお売れているんだと思います。

個人的には小説も漫画も好きなのでどちらが上と決めつけるつもりはないし、自分の知らない、興味の無いジャンルの文化だからと言って下に見ることも無い。この考えも押しつけるつもりも無いですが、自分の主張をあたかも絶対正解と言わんばかりに人に押しつけるのは感心しないですよね。
    • good
    • 1

小説は文字だけです。



だから、小説を楽しめるためには、想像力
や経験などが必要になります。

小説を読む過程でそれらの能力が鍛えられる
のです。

漫画やアニメにはそれがありません。
だから子供でも楽しめます。

しかし、小説は子供では楽しめません。
    • good
    • 3

>楽しい、と思って読むのは正しいと思います、当然ですが。

しかし、教養がある、漫画やゲームよりタメになる、という考え方はおかしいのではないか?と思えてなりません。

この部分については全く同感です。
ただ、じゃあ、小説が後退の一途をたどっているのか? と言われれば、それはそれで疑問です。

そもそも、小説など、文字だけの本を読む人が減っているのか? というと、実は減っていなかったりします。
例えば、学校図書館協議会が毎年、実施している小学生~高校生に対する読書量調査では、過去30年を比較しても、読んでいる量、全く読まなかった人の割合はせいぜい横ばい。むしろ、小中学生では、読書時間などを設ける学校の増加などもあり、増加傾向とすら言える状況です。
http://www.j-sla.or.jp/material/research/54-1.html

活字離れ、というのが言われるのは、本屋さんで売っている「新刊の本」の売り上げが落ちていることが原因。これは、新古書店(ブックオフとかのような店)の増加や、図書館利用の増加などによるもので、「本を読んでいる」「読んでいない」と直接結びつけることが出来ない話なのです。


で、小説でも、マンガでも、映画やドラマ、アニメ、ゲーム……何でも良いのですが、これらはそれぞれ、得意な部分、苦手な部分というのがあります。
映画やドラマ、アニメなどの場合、確かに役者さんが演じ、音楽や目に見える演出などで作り上げる総合芸術です。しかし、こういう映像作品の場合、時間という制約が付きまといます。例えば、映画の場合、上映時間は基本的には90分~120分程度しかありません。その中で、物語を作り上げ、最後にしっかりとまとめねばなりません。すると、その中で描ける物語というのはある程度、コンパクトにまとめる必要があります。あまりにも壮大な物語とか、そういうものは描くことが出来ません。ドラマやアニメにも同じことが言えます。

ゲームの場合は、まず、プレイヤーが能動的に楽しむことが出来る、ということを前提に作品を作る必要があります。基本的には文字を読んでいって、選択肢を選ぶだけ、という「ノベルゲーム」というジャンルもありますが、ある意味で、これは小説の延長線にあるものですし……

マンガの場合、その点では一番、小説に近いとは言えます。ただ、絵を使って表現するだけに、小説と同じだけの内容をマンガで描こうとすると、小説の何倍、何十倍ものページ数を要することになります。また、小説と比べて描くのにも時間がかかります。
ライトノベル作品のコミカライズなどが良くありますが、原作となる小説の完結までコミカライズ作品が行かずに終わることがほとんどなのは、そのためです。
勿論、絵がつくことによって小説では描きづらいキャラクターの動きであるとか、そういうものがしっかりと表現できるのはマンガの強みでもあるのは間違いないですが。

それに、私はそれぞれが対立しあい、相容れないものであるとは到底思えません。
質問者様の知人が読んでいる小説が、映像化されたものばかり、と言っているわけですが、言い換えれば、小説という原作がなければ、それらの映像作品が作られることはありませんでした。実際、最近の映画は、小説やマンガなどの原作を映像化しているものがほとんどです。それって、結局、映画などを作る側に物語を作る能力がない、ということにもなるでしょう。勿論、映像化によって、原作よりも面白くなる作品もあるのは事実としても。

結局のところ、それぞれの表現方法に得手不得手がるだけで、どれが優れていて、どれが劣っている、という考え方自体がナンセンスということになるでしょう。
    • good
    • 0

まったく違う。

言葉は単に論説の部品ではなく、伝える相手に向かってイメージを頭の中に創ることができる。それはこれまで書かれた名作の一語一句に表されている。
 (あくまで例だが、 この映像にかぶさる日本語は、文章としても秀逸。文章だけでもその情景が浮かぶ。これが言葉の力。逆は難しい。つまり言葉を消して映像だけ見ても、今ひとつ分かりにくいし、印象にも残りにくい。)だから、ナチスが力をつける大きな武器になったのは言葉だけのラジオ。(有名なオーソンウェルズの「火星人襲来」もラジオ)同時にTVも作られたが、まったくといっていいほどインパクトがなかった。

 それにキミは小説に限っているけど、有名なメルビルの「白鯨」は世の中に出た時は”小説”だったが、のちに文学と言われるようになる。つまりさまざまな言葉の表現を分類しても意味がない。例えば「おいしい牛乳」なんて、論理からいうと”あたりまえじゃん”となるが、これが商品につくと、なにかこれまでとは違ったイメージが浮かぶ。

 人間が他人に向かって、外から見えない自分の気持ちや意思や考えを伝えるには、言葉しかない。いわば魔法。言葉という魔法によって相手の気持ちを昂めたり、支えたり、また落ち込ませたりできる。
 これほど手軽な手段はない。これが消えることはありえない。これが消えれば、人間の文明は一気に崩壊することになる。

 漫画、アニメ、映画、ゲームも、愛だ、根性だ、情熱だ、というのはあくまで言葉の大海から取り出されたイメージの統合された塊。われわれはイメージを分割し、言葉に変換することで思考を組み立て、新しいイメージを再構築している。
    • good
    • 1

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!