街中で見かけて「グッときた人」の思い出

私の大切な母(64歳)が胸部大動脈瘤であることがわかりました。1年前に45ミリだったのが、先週55ミリに膨れていました。母は「手術して良くなるんだろうか」と不安らしく「このままでもいい」などと言っています。胸部大動脈瘤で手術をされて良くなったという情報があったら母に伝えたいのでぜひ教えてください。また、手術をしなくても良くなる方法があったら教えてください。

A 回答 (7件)

手術を受ける決心がつかれたとのこと、お母様のためにもwacchanさんのためにも、良かったです。


確かに、先のことが想像つかないって、不安ですよね、対処のしようも、心構えのしようもないのですものね。
胸部の傷は、腹部に比べ、筋肉を動かすということがあまりないので、痛みは少ないそうです(痛いことに変わりはないのですが、腹部よりまし、ということです。痛み止めを飲んだりしたので、私には、そんなに酷い痛みには思えなかったです)。傷の大きさは胸の真中に、縦に10センチ程度です。胸のあいた服を着ると、上のほうが見えますが、私は気にせず、着たいものを着ています。お医者様が、極力傷が目立たないようにと、細かく縫合してくださったこともあります(後に、上の部分だけ赤くなったので、形成手術しました)。今は白い筋が一本すーっと見えるか見えないか、くらいです。
手術の1週間くらい前から入院し、手術のこと、病室に戻ってきたら、肺に酸素を入れるようにと、腹式呼吸の方法などいろいろ説明を受けます(土日をはさんでいたので、外泊→帰宅しました)。手術前夜は、よく眠れるようにと、眠剤が出ました(私はなくても眠れそうでした。眠かったし…心臓にケがはえているようです…笑)。当日は手術室に入る前に、浣腸して便を完全に出し、おしりに筋肉注射(麻酔を効きやすくする薬)をうちます。これがツンと痛かったです。手術室に向かう間に少し眠くなってきます。手術室に入り、下着をとり、中央の手術台に移ってマスク(?)を当てられると、意識はなくなります。
私は朝9時に入り、ICUに戻ってきたのは午後5時頃でした。
気が付くと(朦朧としているのでまたすぐに眠るのですが)、ICUで、心電図を見る機械の、ピッ、ピッ、という音が聞こえていて、私の耳には、なぜかその音が、パラン、パランと弱く乱れて聞こえて、看護婦さんに「心臓、大丈夫?ちゃんと動いてますか? バラバラに動いてる気がする」と言ったことを覚えています。第一声でした。
それから強心剤(多分)を注射しました。キ───ン!と、まるで音量をMAXにしたみたいな感じがして、それから心臓が力強く拍動したので、「今のは強心剤なんだ」と勝手に思ったのです。
それからも、起きたり眠ったりしていて、お医者さんに、意識があるかどうか確かめられます。「聞こえる? 聞こえたら私の指を握ってみて」と。ちゃんと聞こえていて、ゆっくり指を動かせます。←この辺りの順序はよく覚えていません。
肺に酸素を送る管と、胃に続く管、2本を鼻から入れているので、意識がはっきりしてくると、その2本の管が不快でたまりません。のどが渇いて渇いて、そのうち痛くなってきます。そのことを訴えると、看護婦さんは口に冷たい水を含ませたガーゼをあてて、唇を潤してくれるのですが、そのおいしいこと、気持ちのいいこと! めんどくさがられる程せがんでしまいました(これは術後はあんまり飲んだりしたらいけない、というのがあるのかもしれないです、もしかしたら…)。あまりにその管が不快で、吐きっぽくなってくると言うと(実際、管を通して胃液が戻ってきました)、翌日、看護婦さんは早めに管を抜いてくれました。「そのかわり、肺に酸素、がんばっていっぱい入れるのよ、自分でしっかり息するのよ」と言われました(抜くときも気持ち悪いし少々痛いです)。確かに、管を通して酸素が送り込まれていたのは、ラクでした。私は、なぜかそのとき、「すみずみまで肺に空気を送らないと肺が腐ってしまう」と思ってしまって、一生懸命、腹式呼吸をしました。息一つするのが、こんなに大変なんて、と、普段何気なくしていたことなのに、とてもすごいことに思えました。それだけ、体力消耗していたのですね。
快復がはやく、5日の予定が、2日はやくICUをで、個室に戻ってきました。少しずつ、口から食事がとれるようになってきます。初めは、ヨーグルトやプリンやジュースなどでした。息をつきながら、休みながらの食事でした。
1週間しないうちに、尿管に入れていた管や、傷口に差し込んでいた太目の管(これを抜くのが大変でした。痛くて。お医者様は、なるべく痛くないように、タイミングを見計らって、一瞬でさっと抜いてくれるのですが、それまでがしんどかったでした)が抜け、気分スッキリ、自分でトイレに行けるようになります。
あとは、抜糸をして、快復を待つのみ、です。
体力が落ち、術後声もろくに出なかったので、体を動かせるようになると、ベッドの上でできるだけ体を動かし、(足を開いたり、閉じたり、少し浮かしたりして)筋力が戻るようにしました。病室から出てもいいと許可が出て、できるだけ体を動かすようにと言われたので、展望レストランまで上がったり、その階の美容室(よく髪を洗ってもらいました。そのあとのマッサージもとても気持ちよく、足しげく通いました)へ行ったりしました。調子に乗りすぎて、美容室で倒れ、皆をビックリさせてしまったことがありました(動いてもいいけど急に遠くへは行かないでと言われました)。貧血でした。自分で大丈夫と思っていても、自分が思うより弱っているのだなと思いました。
だんだん元気になって、病院食じゃ足りなくて、売店でお弁当買ってもらって食べたりして、主治医に笑われました。「でも、何食べてもいいよ、病院食じゃ元気になるものもならなさそうだから」と言われました。
みるみる元気になっていく自分をみた時、とても「生きてる」という感じがしました。目に映る景色総てが、違って見えました。いつ死ぬかわからない、そんな不安もなく、何でもできるような気がしました。それまでの私は、自分に自信がなく、人間関係も一歩引いたものでしたから(皆が楽しんでいるのを遠くから羨ましそうに見ている感じ)、”世間の風”に対しても弱く、傷つきやすく、しかしそれは、私の意識、感じ方の問題でもあったのですが…とにかく、身も心も”ひ弱”で、いつもビクビクし、人の顔色ばかり見て、「同じでなければいけない」という強迫観念に近いものがあり、今思えば、無意識的に無理をしていました。見栄をはったりして…。弱い自分が自分で許せなかったんですね。
今、健やかに暮らしております。
そのときになってみなければわからないもので、精神的に、自分がこんなに落ち着くとは思ってもいなかったし、目の前のことにこんなに集中できるとは思ってもいませんでした。今、資格をとるための勉強をしていて、その姿勢まで違うのですから、驚きです。食器を洗う、拭いて片付ける、きちんと並んでいるお気に入りのお皿…ひとつひとつが嬉しいのです。安心して眠れる夜、苦しみから開放された心、ちょっとのことで挫けない精神、立ち直りのはやさ(笑)、普通は皆あたりまえに持っているものなのでしょうけれど、私にとってはどれも新鮮で、編み物、絵を描く、音楽にふれる、ものを創る…それぞれのことに集中できるのが嬉しいのです。やりたいことがたくさんあります。
wacchanさんのお母様も、きっと、軽くなった心臓を実感できれば、気分も変わると思います。そのことを信じて、がんばってください。強く強く、手術の成功と、お母様のご快復を、お祈りしております。 
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この回答へのお礼

とても分かりやすく、安心できる内容で、これなら母に勧められると思いました。なんだか私が手術を受けてもいいような気持ちにさえなりました。いろいろなホームページを見ると、術中や術後の合併症や死亡率なども書かれており、不安をぬぐいきれなかったのですが、EARTHさんの体験を読む限り、「母ならがんばれる」と確信できました。痛い思いもたくさんあるけれど、その後の人生を考えたら、わずか数週間の苦しみであればがんばってほしいと願います。EARTHさん、本当にありがとう!!EARTHさんの書いてくださった部分、印刷して、母に届けます。きっと、母にも勇気がわいてくると思います。ありがとうございました。

お礼日時:2004/09/16 01:00

#6です


場所的には先に経験をお話の方の上行大動脈瘤とは異なり下行大動脈瘤のようですね。
ステントグラフト法の適応の可能性はあると思いますので症状が無く手術までの余裕がある程度あると判断されるのならば担当医と相談の上一度現在の検査結果をもってステントグラフト実施施設の診察を受けることも考慮なさってください。
充分理解納得なさって処置法を選択なさいますよう。
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この回答へのお礼

下行大動脈瘤というのですか。ありがとうございます。ステントグラフト法ができるかどうか、主治医の先生と相談するよう、母に勧めておきます。もしできそうならば、今の病院の先生から紹介して頂けるのですよね。主治医の先生を信じて、どちらが母にあっているか、判断していただこうと思います。心臓血管外科の先生方は、どなたでもステントグラフト法というものをご存知なのですよね、きっと。

お礼日時:2004/09/16 23:30

胸部大動脈瘤が存在する場所や範囲にもよりますが弓部以降の下行大動脈瘤であれば最近試みられている方法にステントグラフト挿入術があります。


開胸手術のほうが確実ですが、ご本人の希望などなんらかの理由でそれが困難な場合は考慮すべき方法となっています。
上行大動脈であれば危険性が高いので手術となるのが通常です

参考URL:http://www.tokyo-med.ac.jp/mit/05.html,http://we …
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この回答へのお礼

母も電話で「胸を切らなくていい方法も最近はあるらしいの。私もできるのかしら。」と言っておりました。母の場合、心臓の裏側(背中側)の血管が55ミリ、胸部大動脈全体的に40ミリ~45ミリあるそうです。初めに診てもらった病院では「広範囲にわたって瘤が続いているので手のうちようがない」などと言われ、大変なショックを受けていました。今かかっている川崎市の病院では、開胸手術をたぶん考えて下さっているのだと思います。開胸手術のほうが確実なのでしたら、そちらを勧めたいと思います。専門家の方からのアドバイス、ありがとうございます。さっそく、参考URLを印刷して、母に送りたいと思います。

お礼日時:2004/09/16 00:52

34歳違います。



私が手術を受ける頃、医学は日進月歩で、1年違えば技術も違う、と言われ、動脈が肥大していることは20歳を過ぎた頃からわかっておりましたが、24歳のときに50ミリほどになり、手術の話があり、それでも、様子をうかがって、26歳で手術を受けました(あっ。間違った、手術を受けたのは2年前ではなく、4年前です、すみません。決してサバを読んだわけでは…;)。
それから4年経っています(4年前のお医者様も、経験を積んでいることでしょう、そういう意味でもあります)。4年も経てば、技術も進歩していると思われます(医者でないので詳しくお答えできないのが残念ですが)。
ある程度膨らむと、進行がはやくなることがあるんだそうです(風船みたいに、最初は息を入れるのが大変でも、一度膨らんでしまえば、薄くなって、息を入れやすいのと同じです)。
治ってから、自分の心臓にどれだけ負担がかかっていたのか、よくわかりました。すごくラクになりましたから。
術前、ネットでいろいろ調べましたが、高齢の方でも、手術を受け、前にもまして元気で生活していらっしゃる方の書き込みを読んだことがあります(その時、その方は術後6年でした。元気ということでした)。
確かに、難しい手術です。でも、こればかりは経験してみないと何とも言えないことですよね…。今の私がもう一度同じ手術をするのであるならば、元気になると確信して手術に臨むでしょう。
私が生き証人です(笑)。
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この回答へのお礼

またご丁寧なご返答ありがとうございます。私と4歳違いになりますが、大変な手術を経験され、元気に社会復帰されていて素晴らしいですね。
母にEARTHさんの回答を話したところ、決心がついたらしく、今日の診察で「手術をする」方向に話がまとまったようです。ありがとうございました。それでもやはり不安なようで、「痛いのかしら。どれくらい切るのかしら。」と先ほども電話でオロオロしていました。
いろんな医学情報よりも、経験された生き証人(笑)の方のコメントがやはり力になるようです。
また、手術の様子や入院中の治療などのことで、前回に書かれていないことで、母に伝えられそうなことがあったら、お時間のあるときにでも教えてください。
ご丁寧にありがとうございました。

お礼日時:2004/09/14 22:52

こんにちは。


私は2年前、大動脈の直径が60ミリになり、弁閉鎖不全になったということもあり、破裂予防のため、手術(ベントール)を致しました。人工弁(機械弁なので、かっちかっち、と時計みたいな音がしますが、夜寝るとき、静かなときに思い出すだけで、普段の生活では気になりません)と、人工血管が入っています。1ヶ月ほどの入院で、社会復帰には、大事をとって約3ヶ月かかりました(胸部の骨を切断して胸を開くわけですが、その骨がくっつくのにもそれくらいかかるそうです)。瘤のできる場所もいろいろあるようですが、私は心臓のつけねの大動脈が膨らんで、洋ナシ型になりました。
最初ふくらみかけたときは、何の自覚症状もなかったのですが、さすがに60ミリにもなると(弁が閉じきらないで血液が逆流するので)、階段を上るだけで息切れがし、不整脈があったりして、精神的にも不安定でした。手術の2,3ヶ月前には、ジゴキシンという薬を飲んでいました。食欲がなくなり、やせました。
術後は、数日でICUを出て、1週間もしないうちに、体に入れていた管は総て抜け自分でトイレに行けるようになりました。初めは自力で息をするのも食事をするのも大変で、普通にしていたことなのに、実は生きるってこんなにもエネルギーの要ることなんだ、とつくづく思いました。しばらく熱の出る日が続きましたが、熱が下がれば嘘のようにすっきりし、初め違和感のあった人工弁もだんだん体に馴染んでいくのがわかりました(これを言っても信じてもらえないのですが)。人工物が体の中に入っているので、生涯血をサラサラにする薬(私は、ワーファリン、パラミヂン、バファリン)を毎朝一回飲まなければなりません(飲まないで生活されている方もいらっしゃるようです。そこは主治医にお任せします)。納豆・わらびなど、ビタミンKが含まれた食べ物は薬の効力を落とすので、食べられなくなります(納豆・わらび以外は、つけあわせ程度なら食べてます。納豆・わらび以外でそんなに神経質にならなくてもいいと言われました)。また、薬の量が適切かどうか、2ヶ月に一回病院へ行き、採血し、薬の量を調節します(私は、薬の量が変わることはめったにないのですが)。ですので、出血(ひどく体をぶつけたりするようなこと)には気をつけています(最初、鼻血がよく出ました。これも個人差があると思います)。あと、歯を抜く、とか、別の手術があったりした場合、何日か前から薬を飲むのを止めないといけません(何をするにも事前に主治医に相談します)。それから、人工弁は、細菌(歯から膿がでる、など)が大好きなので、化膿したら抗生物質を飲んでいます(弁に細菌がついてしまうと、その弁をとりかえなければいけないのですが、大変な手術になるそうです→取り替えても、体の中で増えた菌を殺すのが大変なのだそうです)。
注意することはありますが、今は運動能力も上がり、手術する前より元気です。不整脈も息切れもなくなり、体重もあっというまに15キロ増えました。あの息苦しさが消え、健康ってなんていいんだろう!って思いました。なにより、不安定だった心にも微妙な変化があり、すっかり逞しくなりました。
年齢的に、wacchanさんのお母様と、私とでは治るはやさに若干違いがあるかもしれませんが、同じ病を持っていた私は、今、とても元気です。
解離してしまってからでは、手術も大変ですし、命の危険度も高くなります。お医者様からお話があった時点で、お医者様と相談し、手術に臨まれたほうが良いかと思います。
私の手術のとき、母がとても悲しみました。自分の体にさえメスを入れたことはないのに、と。私自身は、自分のことなので、ノーテンキだったのですが。
ご心痛のことと思います。
心臓は、悪いところさえ治療してしまえば、劇的に治ります。お母様も初めてのことで不安だろうと思います、どんなことも一緒に超える気持ちで傍にいてあげてください。それが、いちばんの力(心の支え)になりますから…。
成功と快復をお祈りしております。
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この回答へのお礼

大変詳しく教えていただき、ありがとうございました。さっそく母に伝えて、手術を勧めたいと思います。今の状態ですと、「いつ破裂するか」と常に時限爆弾を抱えているようなもので、私も夜ねむれません。EARTHさんが、「不安定だった心にも変化があり、たくましくなった」と書かれていたように、母も気持ちの面で、安心してこれから長く生きていてほしいと思うところです。ところで、EARTHさんは母とどれくらい年齢が違うのでしょう?

お礼日時:2004/09/14 13:12

こんにちは。


大動脈瘤は、やがて必ず破裂する病気です。
放っておいて良くなる事は100%ありえません。
虫歯と同じように後戻りはしないのです。

そして、破裂してしまうと緊急手術をしても救命率が非常に低くなってしまいます。

もし私自信や私の身内だったら、一刻も早く手術をするように仕向けるでしょうね。
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主治医と相談しましょう。


参考URL

参考URL:http://www.ncvc.go.jp/cvdinfo/Sick/sick7.html
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