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文字どおり たたき台です。思いっきり自由なお考えをお聞かせください。

○ 神とは何か?

§1 考えても 分かるか・分からないかが 分からないこと

世の中には およそ 二つの事柄がある。考えて分かること(Y)と考えて
も分からないこと(X)と。

   Y=考えれば分かること。

     ・いまは分からなくとも いづれ経験合理性に基づく科学行
     為によって分かるようになると考えられること。  

      ・科学が真実と判定したあと 真実ではなかったと判明する
     場合にも その誤謬について 〔有限ながら〕合理的に説明
     しうることがら。
 
   X=考えても分からないこと。

    ・いやむしろ分かるか・分からないかが 分からないこと。

    ・人間の知性を超えていて もはや経験合理性によっては そ
    のことの有無・可否・是非などを 判定しがたいことがら。
 
    ・もしくはつまり むしろこのように想定してしまっておくこ
    とがら。

ひょっとすると 世の中は Yの経験領域のことがらだけであるかも知れな
い。X は 経験を超えた領域のことであって それが有るとも無いとも 決
められないことがらである。

経験領域(Y)を規定するならば 《経験領域(Y)でない領域》は 規定
済みとなる。もはや超経験領域(X)は その定義の中に――あるいは そ
れを超えて――織り込まれているとも言える。だが それとして重ねて触れ
たほうが 説明のしやすい場合が多い。それゆえ 用語に加えたい。つまり 
あらためて

   超経験の領域= X

      超自然・非経験・絶対・無限・永遠・
      〔そしてこのような意味での〕神・
      〔人によっては次のごとく言う〕無・無神・空

人間の精神は 絶対 X ではない。人間じたいも 経験存在 Y であり その
精神も有限であり 経験世界 Y に属す。

《精神は 永遠なり》というのは 想定上 《 Y は X である》と言ってお
り――レトリックでない限り―― マチガヒである。(→§3)

さらには 《無意識》はどうか。これも 経験領域 Y に属すのであって非
経験 X ではない。神でもなければ 絶対法則でもないだろう。




§2 《考える》と《信じる》

考えるのは そして考えたことを表現するのは そしてまた表現をとおして意
思疎通をおこなうのは さらにそして大きくこの意思疎通の歴史を記録し伝え
あっていくのは 人間である。特にこの人間を 経験領域 Y の中より取り出
して その位置を捉えよう。

   人間存在 = Z 

とすれば 経験領域 Y に対して人間 Z が取る態度としての関係が いまの議
論では 《考える( Y-Z )》である。だとすれば 取りも直さず 非経験の
領域 X に対するわれわれ Z の関係は 《考える》ではない。ありえない。考
えてもよいが それが意味をなすかどうかは 分からない。

《考えても 分かるか・分からないかが 分からないもの(= X)》に対する
わたし Zi の関係は 一般にも 《信じる( X-Zi )》と称される。

これは 《考える( Y-Z )ではない》という意味で 《信じない・もしくは
無を信じる( nonX-Zi )》と名づけても 同じことである。そもそも X が 
経験世界で言う有であるか無であるか 分からないゆえ X=nonX であり ど
う表現しようと 《わたし Zi 》の勝手なのである。(信教・良心の自由という
公理)。

(言いかえると 《信じる( X-Zi )》は 無条件で無根拠においてわが心に
受け容れるという意志行為である)。

 
したがって わたし Zi は 信じる( つまり 信じないの場合も同じ )の対象
(したがって すでに非対象)を 

《空(欠如) 》 X-Za と言おうが 
《アミターバ(無量光)・アミターユス(無量寿)・ブッダ》 X-Zb

と言おうが 自由であろうし 

《神》 X-Zcとも 
《ヤハヱー》 X-Zd とも 
《アッラーフ》 X-Ze 等々とも 言い得る。

 
逆に 気をつけるべきは 信仰において 信じる対象は わたし Zi がわたしの
精神によって思考し想像して抱く神の像ではないということである。 すなわち
《神》といったことば・概念・想像は 《考える Y-Zi 》の問題である。

人間 Z が信じるのは 道徳規律でもなければ 倫理の信念でもなく 神という
言葉じたいでもない。神という文字でもなければ 聖典なる書物じたいでもなく 
むろん k-a-m-i という発音でもない。

X( X-Z )は Y( Y-Z )ではない。後者( Y-Z )には特に 精神と
その産物を含むゆえ この想像物としての神( Y-Z )と 想定上の神( X-
Z )とは峻別しなければならない。


  


§3 超自然 X が 経験世界 Y ないし人間 Z の歴史( ΣY-Zn )に介在しうる
か。

これに対する答えは むしろ簡単である。

絶対者 X を想定したときから すでにわたし Zi は その X による介入を受けて
来ている。もしくは 介入などありえないという形(=無神論 nonXーZi )にお
いて 関係が想定されている。

介入という表現が 適当でないとすれば わたしとその世界( ΣY-Zi )は 思議
すべからざる絶対者 X (= non‐X )に対して 開かれている。閉じられていない
ということが 重要である。考えても分からないことなのだから 閉めたり閉じ
たりするわけには行かない。

しかも ややこしいことには わたし Zi たる人それぞれによって その介入の
あり方( X-Y-Zi )は 決して一様でないことである。同一人のわたしにしても 
その人生のなかで さまざまに変化するかも知れない。(宗旨替えなどと言われ
ることが起こる)。

議論を端折るかたちになるが 問題は いまの介在のあり方について その基本
の形態を 一人ひとりが 明確に判断し 仮りに変化を受けたとしても・変化を
経ながらも その《信仰》形態を自分のもとで つねに 確認し得ていることで
はないだろうか。

信じる( X-Y-Zi )か 信じない( nonX-Y-Zi ) か これが いま確認すべき基本
の形態である。しかも この〔無信仰を含めての〕信仰の基本形態は変更しうる
けれど その時々の現在において明確に保持していることが 重要ではないだろ
うか。

いま一歩進めるならば  このおのおのの《信じる》の基本形態について 自身
が最小限度 言葉で説明しうるということが 望ましい。その点を一度明らかに
しておくならば そののちの話し合いにおいて 余計な誤解や不必要な対立を 
防ぐことができるからである。互いにみづから交通整理しつつ 社会におけるコ
ミュニケーションを円滑に進めることが望ましい。

信仰の基本形態からあとさらに具体的に展開されるという歴史( 人生 )の過程 
つまり言いかえると たとえば神 Xi が人間の歴史( ΣY-Z )に このように・か
のように介入したなどという過程 この問題は そもそも話し合い(《考える》)
では 埒が開かないものである。

もっとも これを逆に言えば やはりたとえば そんな介入などには 一切 目
もくれないのだという見解の提示(無神論)をも含めて わたし Zi の《神( X )
体験》ないし神学ないしいわば《 神 X 史観》については 自由に話し合えばよ
いと言える。そして そのとき コミュニケーションが成り立つかどうかは は
じめの大前提としての信仰の基本形態に合致しているかどうかによって判断され
るものと思われる。

もし問題があるとすれば その大前提についてあらためて 想定の仕方や規定の
内容を 議論しなおせばよい。

以上の定義だけの理論は 次が その心である。

  吾人はすべからく互いの差異を 自由に批評し合い コミュニケーション
  を進めながら つねにその差異を認め合わざるべからず。

質問者からの補足コメント

  • うまそうだ。


    昼まで 出かけます。

    No.25の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2017/11/04 09:00
  • №52つづき

    ★ 可能性ではなく原理的に、です。
    ☆ それは・つまり 原理的にという視点を持ち出すということは この世
    の中がすべては 相対的な関係として成り立っていると言っているのだと思
    います。

    それは そうなのでしょう。――でも それ以上のことは あまり言ってい
    ませんね。

    原理的にただしさ(変わらざる真理)が証明されないということは 相対的
    な世界で 可能性として妥当であったりなかったりするということなのでは?





    ★ 「マーフィー則」
    ☆ については 一面〔での妥当〕性を広げすぎだと言いました。




    ★ では、・・・1/87のアメリカの鉄道模型です。
    ☆ 実際のがいいです。実際のなら 鉄道全般が 好きです。

    No.52の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2017/11/07 10:36
  • 経験世界における真善美は 真偽・善悪そして美醜といった相対的な
    内容としてのものです。

    それらとは別に 想定として 絶対なる――非知なる――・真偽を超
    えた真理や 善悪を超えた・善悪の彼岸としての善と 美醜を超えた
    美があるという見方です。

    No.68の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2017/11/10 07:24
  • ようつべの前野氏の講義。――いま聞いたら 音が出ます。

    どうしてだったんだろう。イヤフォンの所為かも知れません。
    すみません。


    あらためて聞いてみます。

    No.66の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2017/11/10 08:52
  • 前野説は ダメです。

    能動的なチカラと受け身のチカラとの両方が 人間にはそなわっている。

    その受け身のほうを 全体にまで拡張したひとつの仮説である。からです。

    ニーチェにしても クリスチャンは 天国を志向しもう地上には生きてい
    たくはないと思っていると説きます。プラトンも イデアの世界を人は目
    指すべきだと言っている。両者は 同じ思想だと。

    ところが
    ▲ 神は 生きている者の神である
    ☆ とイエスは はっきりと言っています。ですから 誤解もはなはだし
    い。

    プラトニズムと一緒にしてしまうという誤解をした人びとのその思想を批
    判しているに過ぎない。

    つまり 聖書を何にも知らない。阿呆です。

    こういう事例は 例外ではないのです。



    マーフィ則も同じです。一面の事例を全体へと拡張しています。

    これは とても科学する心だとは言えません。

      補足日時:2017/11/10 16:02
  • 1. 前野説について。仮りにムイシキなる場からわれに 能動的および受動的
    な行動をうながす指令が来るとしましょう。つまり 全体として 《受動意識仮
    説》が当てはまると。

    2. そのときにも その指令を出す司令塔は ほかならぬわれである。・・・
    ということになるのでは? つまり ムイシキなる場は われである。

    3. そうでなければ そのムイシキと呼んだ司令は 超経験なる神である。

    4. けれども 人間は 神〔の霊なる場ないしチカラ〕を分有している。と想
    定されます。アートマン(霊我)あるいはブッダター(仏性)ないし神の霊です。

    5. このアートマンなるムイシキ司令は われにやどるという意味では われ
    のこと――わが心なる非思考の庭――であり ただし われの能力を超えている
    という意味では やはり神の霊なるチカラである。

    こういう問題なのでは?

      補足日時:2017/11/11 04:32
  • つづき

    ★ 我々は、時に、相手を思いやり、時に、意地悪をし、時に、相手の
    不幸を最高のイベントにします。
    ☆ それらすべてにわたって ひとの意志を踏みにじっていないかどう
    かや また同じことですが ヤマシサ反応に逆らっていないかどうか
    このリトマス試験紙が あてがわれます。区分されます。



    ☆☆ 抵抗も抗議も原状復帰も ナンセンスなことになります。
    ★ ~~~
    そのとおりです。
    ・・・
    手の付けようがないんですね。

    実際、兄貴のような考えでよくしていこうというのは不可能であると思
    います。
    ~~~
    ☆ ですから そういう自由度が――悪貨が良貨を駆逐するごとく――
    優勢であった時代・つまりじんるいの《前史》から やがて内なる開花
    とともに 《後史》に入ります。

    No.97の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2017/11/12 08:57
  • つづき

    ★ テトリス、コスモス、和の心の、神は調和的に人類の見方でした。正義の
    味方です。true justice.
    ☆ なぜ そうなりますか? 属性を考えて 真理・愛といったことを持ち出
    しましたが 《正義》は どうでしょう? 

    つまり 否定しようとはしませんが 愛が 愛憎を超えたものであるように 
    正義も 正邪を超えたものなのでしょう。


    ★ ボジョレーヌーボー開けて待っててね。
    ☆ ワインも何も 飲まなくなったなぁ。

    No.102の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2017/11/12 17:52
  • ▲ ソシュールの思想 単行本 – 1981/7/15
    丸山 圭三郎 (著)
    https://www.amazon.co.jp/%E3%82%BD%E3%82%B7%E3%8 …

    ☆ ここに カラーは 二度 触れられていました。

    丸山は 好意的にその研究を取り上げています。

    カラーという名が 名であるので わたしは見過ごしたかも知れません。

    No.156の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2017/11/16 16:35
  • 回答者が  mpcsp079gooさんだと思ってお応えしました。

    間違えました。すみません。

    特に ニーチェの揚げ足取りをしているところなどは 相手を
    間違えています。

    ご海容のほどをお願いいたします。



    (補足欄は これで10回すべて使い果たしました)。

    No.176の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2017/11/17 14:12

A 回答 (290件中151~160件)


>この言いっ放しが 幼稚です。
ーーーー>
ニーチェはみな言いっぱなし。
そこがいいんですよ。
だから人気者です。
ただ、彼の人間の調査量はすごいですよ!
帰結なんかおまけですよ!
帰結だけでニーチェを見てはいけません。
とにかく帰結だけが広まりますが、私は興味ありません。
理屈を言うと、かえって安っぽくなるし間違いがでてきます。
それがニーチェが息が長い理由です。
21世紀はニーチェの世紀である、とも言われています。

フランスの思想家は多くがニーチェアンですね。
兄貴も、一気にニーチェに変更しませんか?

死刑の歴史を見ていると、人間獣というものの恐ろしさがわかってきます。



ーーーー
車折きの刑・八つ裂きの刑ですね。

▲ 犯人は・・・宗教と信仰のために犯行におよんだと言った
☆ んですよね? つまり 死刑を課する為政者の側では 宗教との
かかわりは どういうかたちに成っていますか?
ーーーー
ーー>
単なるイベントなんでは?
意味なんてないとおもいます。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。


★ ニーチェはみな言いっぱなし。
そこがいいんですよ。
だから人気者です。
☆ なるほど。世の中のすべては 《趣味と娯楽の問題》だ。



★ ただ、彼の人間の調査量はすごいですよ!
☆ 聖書の一節も知らない。

★ 帰結だけでニーチェを見てはいけません。
☆ 中身です。どう推論しているかです。



★ 21世紀はニーチェの世紀である、とも言われています。
☆ なるほど。公開処刑がなくなったから ニーチェの繰り
出すイベントでかろうじて楽しみを保っている・・・んです
かね。

★ フランスの思想家は多くがニーチェアンですね。
兄貴も、一気にニーチェに変更しませんか?
☆ いいえ。割り合い フランスでは アンチ・ニーチェが
多いですよ。



★ 死刑の歴史を見ていると、人間獣というものの恐ろしさ
がわかってきます。
☆ 宗教がらみの問題ではなく 初めっから そういう問題
だと言えばいいのに。




☆☆ 車折きの刑・八つ裂きの刑ですね。
★ 単なるイベントなんでは?
意味なんてないとおもいます。
☆ 発言に integrity がない。宗教は 勘違いだったと白状
しなさい。

お礼日時:2017/11/16 10:30

そこで、・・・


質問。

宗教に絡む殺人は誠に多いです。
戦争以上に殺されているかもしれません。
果たして宗教はなかったほうがよかったのでは?

ですかね・・・
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。


★ 宗教に絡む殺人は誠に多いです。
☆ そのとおりだと思います。

もっとも 宗教と言えば けっきょく生活全般にわたってかかわって
いますから 何でもかでも 宗教がらみだと見られてしまうという別
の問題もあるかとは思いますが。



★ 戦争以上に殺されているかもしれません。
☆ 戦争にも 直接・間接にかかわっていました。



★ 果たして宗教はなかったほうがよかったのでは?
☆ オシヘは 経験思想であり《考える》ものです。神ではありませ
ん。

強いて言えば 神に到る上での補助線です。偶像だとも言えます。

ですから もしこの補助線や偶像を神として 信じなさい(つまり無
条件で無根拠にて 心に受け容れなさい)と説くなら その宗教は
アウトです。絶対的に 人間性に悖ります。

というのが わたしの宗教批判です。



★☆ ですかね・・・

お礼日時:2017/11/16 10:22

ついでにさらにこの本から引用します。


https://note.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/n70181
で2つの例を紹介します。
上はローマ帝国でのキリスト者の処刑、
下はトルコでの処刑です。


写真は確かエルサレムです・・・
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この回答へのお礼

残忍ですね。



街の絵は よさそうですね。街の風景は 好きです。



ご回答をありがとうございます。



質問に回答は来なかったんですか?

お礼日時:2017/11/16 10:16

137です




この本(死刑全書)は思想の本ではなく資料の本ですが、
多くの聖人たちの処刑シーンが出てきます。
人がどうして殺されるか?が満載です。

知ってますか?イギリスでは、1800年代、死刑は6歳以上に適応されたそうです。
スプーン1本盗んだ幼児がどんどん殺されます。絞首刑です。
信じられますか?
タイバーンにある処刑場・・・

ロールスロイスの工場です
きれいでしょう?
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

★ 137です
☆ そうですね。あと100だなんて言うんぢゃないでしょうね。



★ この本(死刑全書)は思想の本ではなく資料の本ですが、
多くの聖人たちの処刑シーンが出てきます。
人がどうして殺されるか?が満載です。
☆ そして 宗教は?



★ 知ってますか?イギリスでは、1800年代、死刑は6歳以
上に適応されたそうです。
スプーン1本盗んだ幼児がどんどん殺されます。絞首刑です。
信じられますか?
タイバーンにある処刑場・・・
☆ アガサ・クリスティーのミス・マープルや名探偵ポワロでも
首吊りの刑は 頻繁に出て来ますし そこでの(20世紀半ばご
ろの)人びとの意識は むしろ当然だといった気配が感じられま
す。

子どもの処刑は 知りませんでした。




★ ロールスロイスの工場です
きれいでしょう?
☆ そうなんですか。昔でも すでに大きな工場はあったはずで
すが こじんまりとしていますね。

お礼日時:2017/11/16 10:12

つづき・・・



四頭の強健な馬を先頭にして、行列がグレーヴ広場に到着した。それらの馬は、処刑の前日にシャルル=アンリ・サンソンが四三二リーヴルという大金で買ったものだった。ダミアンは袋から出され、一つ目の台に引っぱり上げられた、その間にサン=ポール教会の司祭が祈りを唱えた。ダミアンは横たえられ、半円形の二つの鉄の止め金で固定された。止め金は脇の下と足のつけ根で体を固定し、処刑台の下にねじでとめられた。ジルベール・サンソンは、ダミアンの手に襲撃に使ったナイフを握らせ革紐で縛った。それから、炭火が赤々と燃える火鉢に近づいた。火鉢からは硫黄の鼻をつく蒸気がもうもうと立ちのぼっていた。受刑者はすさまじい叫び声をあげ、いましめのなかで身をよじった。五分後、彼の手はもはや存在しなかった。彼は頭をあげ、歯をならしながら手の切れ端を見つめた。硫黄の火傷が血をとめたので、切断されたところからは出血していなかった。そこで執行人の助手たちがダミアンのいましめを解き、地面に寝かして服を脱がせ、半ズボンだけにした。レグリという名の助手が炭火で燃やした長いやっとこをつかむと、犠牲者の胸、腕、腿を締あげた。そのたびにやっとこが肉片を引きはがし、恐ろしい傷を残した。それらの傷には、他の助手たちが融けた鉛や炎をあげる樹脂や溶けた硫黄を流していった。グレーヴ広場全体に肉の燃える吐き気をもよおすような臭いがたちこめていた。

歴史家のロベール・クリストフはこう書いている。「苦痛に正気を失って、ダミアンは拷問者たちを励ましているように見えた。傷つけられるたびに、『もっと! もっと!』と叫ぶのであった。彼はよだれをたらし、泣き、その見開いた目は眼窩から飛び出しそうだった。とうとう彼は気を失った」。彼が意識を取りもどしたときには、二つ目の処刑台に降ろされていた。こちらの台はもっと小さく、高さは一メートルもなかった。苦痛に疲れ果てて、彼は意識がないように見えた。それから手足を広げて、中心を釘づけされた二枚の厚板つまり一種のⅩ十字架の上に置かれ、上半身を二枚の板できつくはさまれた。二枚の板は十字架に固定され、四肢につながれた馬の一頭が全身を引きずっていかないようになっていた。鞭を持った助手が各自の馬を進むべき方向へ導いた。シャルル=アンリ・サンソンの合図で、恐るべき四頭立ての馬がそれぞれ反対方向へ走り出した。綱がぴんと張りつめ、手足がぐいと引きのばされた。受刑者は恐ろしい叫び声をあげた。三〇分ほどたったころ、手足の力を弱めるため、シャルル=アンリ・サンソンは足につけられた二頭の馬に方向を変えるように命じた。囚人に「スカラムーシュの足開き」をさせる、つまり両足を体にそって左右に高く上げさせるためである。四頭の馬は平行して同じ方向へ引くことになった。大腿骨がついに折れたが、手足はまだ抜けず引きのばされたままだった。

一時間も懸命に引っぱって馬たちは汗だくになり、さんざん鞭でたたかれすっかり疲れ果てていた。ジルベールとシャルル=アンリ・サンソンは不安にかられた。あまり働かせたので馬の一頭は倒れ、なかなか起き上がらせることができなかった。しかし叫び声と鞭に駆り立てられ、馬たちはまたしばらくのあいだ全力で引かされた。

サン=ポールの司祭は気を失い、多くの見物人も同様の状態だった。しかしすべての者がそのように気が弱かったわけではなかった。

ロベール・ド・ヴィルヌーブがその著書『刑罰博物館』でこう述べている。「ダミアンが叫び声を上げているあいだ、女たちは金持ちの物好きにフェラチオを行っていた」カサノバはその『回想録』で、ティレタ・ド・トレヴィーズ伯爵が、窓から身を乗り出して処刑を眺めている貴婦人をうしろから四回もものにしたさまを長々と伝えている。シャルル=アンリ・サンソンはとうとう外科医のボワイエに、市役所に行って判事たちに「太い筋を取り除かなければ手足を抜くのは不可能だ」と伝えてほしいと頼んだ。ボワイエは必用な許可を得てもどってきたが、肉屋がするように肉を断ち切ることのできる先のとがったナイフが見つからなかった。とうとう下僕のレグリが斧をとり、手足の関節に振り下ろした。血が噴き出し、下僕にはねがかかった。

ふたたび鞭がうなり、馬たちが全力で走りだした。今度は二本の腕と一本の足が抜け、一気に空中をとんだ。そのあいだにも裂け目から血が勢いよくほとばしり出て舗道をぬらした。

足が一本だけとなったダミアンは、まだ息をしていた。髪が逆立ち、数分間で黒から白へ変わっていた。いっぽう彼の胴体は痙攣し、何人かの目撃者によると、唇はなにやらしゃべろうとしていた。彼はまだ息をしているうちに、火刑台に投げこまれた。ヴォルテールが言うには、「荷車七杯の薪が必用だった」。さらにロベール・クリストフはこう書いている。「この日、人々の心のなかでフランス革命が始まった」

これらすべて、「光の世紀(啓蒙時代)」のさなかにおきたことである。二度とふたたび行われることのなかったこの驚くべき殺戮ののち、ジルベール・サンソンは死刑執行吏の職務を放棄した。甥のシャルル=アンリは手際の悪さを非難され、数時間牢屋に入れられた。ダミアンの判決には、彼の家を取り壊し、建て直すことを禁じると記されていた。妻と娘と父親は王国を離れなければならず、もどってきたらただちに死刑に処されることになった。兄弟と姉妹は名前を変えなければならなかった。

アミアンの町は世間をはばかって、「卑劣な君主殺しの名とあまりにも似ている」ため、町の名を変えると申し出た。

民衆といえば、この出来事を快く思わなかった。上流の人々の多くはのちになって、哀れな男が死ぬのを見るために法外な値段でバルコニーを借りた代償がいかに高くつくか知ることになる。

大革命のときには、いくつかの古い刑罰とともに、四つ裂きは消滅した。それ以来、罪人たちはもはやあまりの野蛮な刑罰を受けることはなくなり、ギロチンに上がるときには一枚の黒い布で頭を包んでもらえるようになった。
ーーーー


おわり
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。


▲ 大革命のときには、いくつかの古い刑罰とともに、四つ裂きは
消滅した。それ以来、罪人たちはもはやあまりの野蛮な刑罰を受け
ることはなくなり、ギロチンに上がるときには一枚の黒い布で頭を
包んでもらえるようになった。
☆ なぜ 消えて行くことになったか?

宗教は なお蠢いているとすれば どうして消えたか?

民衆の興味や趣味が変化したのだろうか?

お礼日時:2017/11/16 10:06

つづき・・・



*ラヴァイヤックの処刑ののち、民衆がまた四つ裂きを目にすることができるまで一世紀半ほど待たなければならなかった。そのとき四つ裂きにされたのはロベール・フランソワ・ダミアン、ヴェルヌイユーサントリューズという地方のブルジョワ夫人の元下僕で、パリのイエズス会士たちの召使もつとめていた。

一七五七年一月五日、ヴェルサイユの城で、この性格異常者はルイ一五世の右脇腹をナイフで切りつけた。そのときの国王はトリアノンに行くため馬車に乗ろうとしていた。寒さが厳しく、国王は着ぶくれしていたうえに、裏に毛皮のついたコートを二枚着ていたので、ナイフの衝撃は和らげられた。

国王は出血したが傷は軽かった。国王付きの外科医のラ・マルティニエールが傷を調べ、それほど深くないし危険でもないと診断した。

ダミアンはその場で逮捕された。同じヴェルサイユ宮殿で、彼はただちに数人の衛兵によって真っ赤に焼いたやっとこで拷問をうけた。国璽尚書(こくじしょうしょ)のマショー・ルイエ自ら衛兵たちに手を貸した。

ナイフの刃に毒がぬられていたといううわさが流れたため、国王は告解を行い、終油の秘蹟を要求し、自室ミサをあげさせた。しかし彼はなんともなかった。何人かの証人によると、それと反対に、国王は「あまり苦しめないように」頼んだのであり、すべては仕事熱心な判事たちと宮廷の人々が考えたことだという。しかし国王は非難されても仕方がなかった――民衆は実際に非難した。判決がでたあとで恩赦を与えなかったし、「たいした傷を負わせたわけではなかったのに、あれほど恐ろしい最期をとげさせた」のだから。

ヴェルサイユからパリ高等法院の監獄に連行されると、ダミアンは狭い独房に閉じ込められ、一〇〇人の兵士が牢獄の警備にあてられた。当局と国王は背後で大きな陰謀が進行していると信じていたのである。

精器を噛み切って自殺しようとしたので、ダミアンは常にベッドに縛りつけられていた。丈夫な革紐で手足をがんじがらめに縛られ、革紐は天井に埋めこまれた環で固定された。「紐が解かれるのは、やむにやまれぬ欲求を満たすときだけであった」。彼はそうして二か月も縛られていた。

共犯者を自白させるため、一〇時間にわたり通常および特別尋問が行われた。彼は口を割らず、どんなにひどい拷問を受けてもこう繰り返すだけだった。「国王を殺す気はなかった。その気があれば殺していたさ。神が国王に罰を与え、それで国王がすべてをもとにもどし、再び国を平穏に治めるように、切りつけただけだ」。胃に大量の水を入れられ(著者注:同書によれば、フランスでは当時、通常尋問で九リットル、特別尋問で一八リットルもの水を飲まされた!)、腕をやっとこで切り裂かれ、足首を足枷で砕かれ、胸と手足を真っ赤に焼いた鉄で焼かれても、彼はあいかわらず同じことを言い続けた。

特別尋問がすむと、彼はもはや動くことも立っていることもできなくなっていた。彼は頭だけ出して皮袋に入れられ、袋の口を縄で縛られた。高等法院の判事たちの判決を聞くため、下僕たちがそうして彼を運んでいった。判決は一五〇年前にラヴァイヤックの前で読まれたものとまったく同じであった。「被告をグレーヴ広場に連行し、そこの設けられた処刑台の上で、胸、腕、腿、ふくらはぎを焼いたやっとこで締め付けること。ナイフを握り君主殺しの罪を犯した右手は、硫黄の火で焼くこと。やっとこで締めつけたところには、融けた鉛、煮えた油、火のついたタールと樹脂、硫黄を溶かしたものを流すこと。それがすんだら四頭の馬で引かせて手足を引き抜き、体を燃やし灰にしてまくこととする」

処刑は午後四時にグレーヴ広場で行われた。まさに人の海といってよい大群衆が朝から待っていた。屋根の上にまで人々がいた。貴族たちは金貨四〇ルイを支払ってまで、二階と三階の窓を借り切った。

広場の中央に柵でスペースが作られており、兵士たちがまわりを取り囲んでいた。その真ん中に二つの処刑台があったが、いずれもそれほど高くなく、むしろ幅が広いと言えるものであった。

一つ目の処刑台は罪人の手を焼き、焼いたやっとこで肉を締めつけるためのものであった。二つ目のもう少し低い台に、罪人の体を縛りつけて四つ裂きにするのだった。処刑を行う二人の男は、ランスの執行吏にしてパリの名誉執行吏であったジルベール・サンソンと、その甥であるパリの公式執行吏シャルル=アンリ・サンソンであった。シャルル=アンリ・サンソンはこの有名な死刑執行吏の家系で最も名の知れた執行吏となったが、当時わずか一九歳であった。数年後、彼はルイ一六世の処刑を行うことになる。二人の男は、執行吏の伝統的な服装である青い半ズボンをはき、刑架と黒い梯子の刺繍をほどこした赤い上着を着て、淡い紅色の二角帽をかぶり、剣をさしていた。二人を補佐する一五人の助手と下僕はそれぞれ黄褐色の皮の前かけをしていた。


つづく・・・
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

犯人が言うには:
▲ 「国王を殺す気はなかった。その気があれば殺していたさ。神が
国王に罰を与え、それで国王がすべてをもとにもどし、再び国を平穏
に治めるように、切りつけただけだ」。
☆ というのなら 宗教がかかわっています。では 死刑を課する側
は どうですか?



公開処刑については 権力の側としては 人びとに対する見せしめの
ためにおこなうのでしょうし 民衆の側では それよりも娯楽として
の要素があったかも知れません。

そういう事情は つねに・どの民族でも普遍的にあったと言わずとも
おおむね 一般的である(または そういう部分があったことが 一
般的である)と思われます。

ところで そこにどういう宗教の要素がからんでいますか?

お礼日時:2017/11/16 09:58

死刑全書の内容は、古代からの死刑に関する記録(文書や画像)


をできるだけ集めただけのものです。これ以上のものはないくらいに。
したがって著者の意見は最小にしてあります。
少し紹介します。

著作権法にのっとり関連部分を引用します。
四つ裂きの刑の部分を引用します。

ーーーー
四つ裂きはトラキア人のあいだでも行われていた、とヘロドトスは述べている。ガリアに侵入したほとんどすべての民族においても同様であった。六世紀のゴート族の歴史家ヨルダネスによると、アマラリク王は脱走兵の妻を荒馬で四つ裂きにさせたという。
*ミシュレは『フランス史』のなかで次のように書いている。「パリの高等法院はぞっとするほど残忍な熱意を示し、情けないことに刑罰で公のご機嫌をとろうとして、この死にかけた悲惨な肉体に、殺さずに苦痛を与えることのできる刑罰を次々に科した」。処刑そのものについては以下の通りである。

「彼が柱に縛りつけられると、執行人がやっとこで両方の腿から肉を引きちぎり、次に両腕から肉をはぎ取った。四本の手足つまり四本の骨は、四頭の馬に引かれることになった[・・・]。馬に乗った四人の男が馬に強く鞭を入れ、四肢につながれた綱を激しく引っぱった。しかし筋肉はもちこたえた。執行人は大きなきざみ包丁を持ってこさせ、上下の肉を大きく切り取った。そこで馬たちはなんとか仕事をやりとげることができた。筋肉がきしみ、はじけ、そして裂けた。生きている胴体が地面にころがった」

そしてミシュレはこうつけ加える。「それ以上生かしておいても仕方がないので、執行人は首を切らなければならなかった」



*それ以外に何度か未遂のテロがおきたのち、一六一〇年五月一四日にフェロヌリー通りで、ラヴァイヤックが短刀で二回刺した。今回は、国王(アンリ四世)は死んだ。

犯人は弓兵たちにとり押さえられた。彼も宗教と信仰のために犯行におよんだと言ったが、だれにナイフを渡されたのか自白させるため、ひどい拷問にかけられた。しかし無駄であった。この男にもむごい刑罰を科すべきであると、人々は考えた。マリ・ド・メディシスは生きたまま皮をはぐように強く勧めたが、四つ裂きよりも恐ろしい刑罰はなかったので、そうすることに決まった。

彼は通常尋問と特別尋問を受けたのち、処刑のまえに、ルイ一五世を襲撃したダミアンとまったく同じ方法で様々な虐待を受けた。硫黄、溶けた鉛、煮えた油、火のついたタールと樹脂で焼かれてから、「体中を」切りきざまれ、最後にグレーヴ広場で四肢を引き裂かれた。処刑は長い時間続いた。というのもラヴァイヤックは背が高く、力も強かったからである。一時間近くも引っぱり、馬たちがへとへとになっても、手足はまだ抜けなかった。ようやくもだえ苦しむ胴体だけとなるには、さらに長い時間が必要だった。

つづく・・・
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

車折きの刑・八つ裂きの刑ですね。

▲ 犯人は・・・宗教と信仰のために犯行におよんだと言った
☆ んですよね? つまり 死刑を課する為政者の側では 宗教との
かかわりは どういうかたちに成っていますか?

お礼日時:2017/11/16 09:49


ーーーー
☆ 《仮説法( abduction )》というのは 推論の方法であり仮
説した内容( 想定 )について そのあともろもろの現実のことが
らと照らし合わせて 合っていたら ひとまづ――経験合理性とし
て――受け容れられるとなるはずのものです。
ーーーー
ーー>
この方法が≪よい≫という判断に根拠はありますか?
信頼がおける、あるいは幻想ではない、という根拠はありますか?
根拠なんていりませんか?


ーーーー
 無神論も まったく同等の信仰形態のひと
つであると。
この一般および個別の絶対性理論は 『一神教』のほうの議論にも難な
く当てはまります。
ーーーー
ーー>
これは何とか納得・・・うん


ーーーー
★ こう
☆ って 《ちから》のことかい?

チカラへの意志?
・・・
わたしには 得るべき何の成果も情報も ニーチェにはあり
ません。
ーーーー
ーー>
いや、
「すべては趣味と味覚の問題である」(ツァラトゥストラ)
という帰結です。



ーーーーーーー
「断定や確定こそが誤謬である」ーーニーチェ
~~~~~~~~~~~

☆ 何のこっちゃ? 推論した範囲で その内容を検証すればよろしい。

その前で・その周りをただ眺めながらほっつき回っている。だけでは ま
なびは ありません。
ーーーー
ーー>
なるほど、論理的な判断はナンセンスとか、すべては趣味・趣向の帰結である、
というのが、ニーチェの帰結です。私の帰結でもあります。
正に反兄貴なんですよね。
「神とは何か?・・・・フルボッコのご批判を」の回答画像133
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。


★ この方法(仮説法)が≪よい≫という判断に根拠はありますか?
☆ いくつかある内のひとつの方法だと思います。

言いかえると 扱う対象が経験事象ではないので この想定という
方法を用いるということにもなります。

その有効性は もし無いと考えるときには その批判をおこなえば
よいわけです。

根拠は 経験合理性です。(相対的なものです)。




★ いや、
「すべては趣味と味覚の問題である」(ツァラトゥストラ)
という帰結です。
☆ そう言やあ 人びとの関心を引くだろうと思って言っているだ
けだと思う。

内容の説明がありません。

《事実などなく あるのはすべて解釈である》という命題は すべ
ては 主観にもとづくという意味で ひとつの共有しうる真実です。
(相対的な真実です)。




■ 「断定や確定こそが誤謬である」ーーニーチェ
☆☆ 何のこっちゃ? 推論した範囲で その内容を検証すればよ
ろしい。

★ なるほど、論理的な判断はナンセンスとか、すべては趣味・趣
向の帰結である、
というのが、ニーチェの帰結です。私の帰結でもあります。
正に反兄貴なんですよね。
☆ 例証を提示するとよいでしょう。

それに いくら《断定》と言っても あくまで見直しをするという
含みをもった相対的な判断としての命題です。当たり前のことです。

なぜ《誤謬》かは 説明していません。


この言いっ放しが 幼稚です。

お礼日時:2017/11/16 09:38

それから・・・


死刑全書も読んでちょ!
https://www.amazon.co.jp/%E5%9B%B3%E8%AA%AC-%E6% …

死刑の歴史というより、宗教の歴史だぜっぜっぜーー



兄貴よ
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。


どうもレヴューを読んでも 中身の紹介がはっきりしませんね。

つまり 拷問を伴なう死刑が どう宗教とかかわっているのか。



よく分かりませんが 例の魔女狩り。これも 宗教がからんでいるか
どうか はっきりしません。

それを推し進めたのは 民衆であって――都市よりも村の人びとであ
って―― むしろその風習をとがめた(または 積極的に促すことは
控えた)のは 宗教当局であったとも聞いています。

教会の思わくに逆らって民衆が うごいたのではないかと。




――それこそ これは 一面的な見方でしかないかも知れません。で
すが もっと詳しい解説が欲しいです。



★ 死刑の歴史というより、宗教の歴史だぜっぜっぜーー
☆ という内容が どのように解説されているかについてその解説が
のぞまれます。



何でもかんでも読めばいいという話にはならないぢゃん。

お礼日時:2017/11/16 06:25

いい図書館ですね。


まさか国会図書館?

そんな本があるなんて・・・
驚きだぜ!
「神とは何か?・・・・フルボッコのご批判を」の回答画像131
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この回答へのお礼

愛知県図書館。

たぶん たいていの――市町村のではなく県単位の――図書館にはある
んぢゃないかな。

お礼日時:2017/11/16 05:52
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