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高校生・世界史
名誉革命のお話です。

クロムウェルが独裁政治を行いそれを見兼ねた議会が王政復古をし、処刑されたチャールズ1世のフランスへ追放された息子のチャールズ2世がイギリスへと王として呼ばれます。
その後、またチャールズ2世は専制政治をして議会と対立しますが、その時チャールズ2世はフランスへ返されたのですが?それとも処刑?

語彙力がなく途中文章おかしくてすみません。。

A 回答 (1件)

歴史とは、直接の生き証人はいないので、「記録されたもの」が唯一の根拠です。

「記録」されていなければ誰にもわかりませんし、「記録」もそのときの支配者が自分に都合の悪いことは抹殺するので、結局「歴史は支配者による公式記録」となってしまい、実際の姿は闇の中ということが多いです。
ご質問の内容は「英国王室」に関するものなので、記録はかなり残っていると思います。

クロムウェル死去後の王政復古で王位についたチャールズ2世(1630~1685)は、議会と対立したものの(というか、議会の中にもカトリック派と反カトリック派がいた)、1685年に亡くなるまで王位をまっとうしたはずです。(死亡するまで王位についていた)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%A3 …

名誉革命(1688)は、次のジェームズ2世(1633~1701、在位1685~1688、チャールズ2世の弟)のときであり、ジェームズ2世はフランスに亡命しています。(フランスのルイ14世は従弟にあたる)
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この回答へのお礼

丁寧な解説ありがとうございます。
参考にさせて頂きます!

お礼日時:2018/06/30 10:32

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