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高3女です
日本史で第二次世界大戦のところやっていて、日本史の先生のお爺さんが元日本兵だったので日本史の先生が彼のお爺さんが戦時中に経験した話を授業中にしていました、それで先生は今日だけは絶対寝るなよ!って言っていたのに寝てる人いて、先生の話した内容はかなり重いものでした、そしたら授業後クラスの人たちが「どうせ、平和な時代に生まれてよかったねってはなしでしょ?w」とか「過去は振り返らない主義なんでw」とか「話つまんねーw」とか言っててかなりドン引きしました。
日本史って過去の過ちを学んでそれを二度と繰り返さないためにやるんじゃないんですか?
戦争を過去にあった出来事とだけ捉えて、今後戦争がおこらないなんて保証はどこにもないのにどうしてこんな軽い気持ちでいられるのか理解できません、それに負けはしたけど日本のために戦ってくれた当時の人々に失礼な気がします、正直私も戦争博物館とか行った時に遺品とか遺書とか見たくないな...とは思いました、でも目をそらしたらその人達が無駄死にになるような気がして...私が真面目に捉えすぎているだけでしょうか?

A 回答 (14件中1~10件)

あなたは普通。


彼らはドン引きしますね、私も。
先生たちも心折れちゃないですか?
聞こえるように言ったのですか?わざわざ来てくれた先生はショックですね。
言った彼らの上に、突然爆弾投下されるかもよ?
今の憲法じゃあ先制攻撃出来ませんからね。
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>日本史って過去の過ちを学んでそれを


>二度と繰り返さないためにやるんじゃないんですか?

 過去の過ちを学んでそれを
二度と繰り返さない為だけじゃありません

 <なぜ日本史を学ぶのか>
http://ambitiousaya.com/history-learn-why/

 例えば
アナタの様に「教訓」として、学ぶ人もいれば
単に「単位」を取るだけで学ぶ人もいます。
純粋に歴史に「興味」ある人だっています。
 目的なんて、人それぞれで
正しい、間違っていると決める事ではありません

>私が真面目に捉えすぎているだけでしょうか?

 価値観が、違うだけの話です。

過去があるから、現在があるので
まぁ~下記の様な考え方の人は
単純に学習能力が、欠如しているのでしょうねwwww
「平和な時代に生まれて・・・」
「過去は振り返らない主義」
「話つまんね」
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先生の教え方によっては変わるかもしれませんが、基本的には日本史の目的は、日本の歴史を教科書通りに「知る」ことになっています。

テストでも正しく知っていれば正解になるはずです。
つまり知識として記憶すればいいわけで、その歴史が正しいか正しくないかという観点は求められていません。これは他の教科でも同じです。教育全般が知識重視です。
そして企業は高学歴者を優先採用します。つまり知識の量=高収入になります。学習の目的がいかにより多くを覚え良い学歴を修め良い就職先に採用されるかになります。
こうしたことから戦争の良否や悲惨さなどは自らの栄達をまったく左右しないために無関心という人間になります。
倫理観を道徳程度でしか教えず、評価基準にもせず、知識量だけを評価基準にする教育方針が革まらない限りこの状態は変わらないでしょう。教育指針には人格が謳われていますが、教育現場ではさほど重視されず旧態依然の現状です。
ですから悩みを解消する方法など分かるはずもなく、先生自身が悩んで自殺するような社会になっています。
そろそろ変わってもいい頃でしょうが、まだまだかかりそうですね。
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大丈夫、大人からみたら『あーガキだなぁ』って思う程度です。

そういうやつが、どういう思考でそんなことを言っているのか程度は、手に取るように分かるものなのですよ。
それでも、長い人生の中でいつか何かの役に立つかもしれないって思って、いろいろ見せたり聞かせたり教えたり、そういうことをやってるんですよ。
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日本史って過去の過ちを学んでそれを二度と


繰り返さないためにやるんじゃないんですか?
 ↑
それもありますが、日本人という意識醸成が
メインです。
血と歴史を共有するのが日本人。
そうした国家的意図があります。




私が真面目に捉えすぎているだけでしょうか?
  ↑
真面目は確かですが、過ぎる、という
ことはありません。
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客観的に分析すれば、


歴史というのは過去に何が起こったかを探求する学問であって、
あくまで客観的事実だけが対象です。

客観的事実そのものには善も悪もありません。
善悪そのものが、人の心で作り出された主観的なものだからです。
なので、それを決めるのはあくまで受け取る人間の心です。

また、客観的事実にそういう色付けをして教訓を引き出すなどの作業をするのは、哲学とか宗教とか倫理という、人文系の学問の役目です。

あと、人の価値観もものの考え方も千差万別で人の数だけあります。
大人になれば、思いが通じないなどというのは日常茶飯事、むしろ通じれば成功、という感じです。
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日本は法律で戦争はいけないと言う立場を採っていますから、ちゃんと聞くべきでしょう。



ただ、戦争は国際法上、国家に認められた行為です。
これを頭ごなしにいけないと決めつけるべきではありません。

良く考えるのは正しいですが、無関心はいただけません。
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>私が真面目に捉えすぎているだけでしょうか?



先生のお爺さんがわざわざ時間を割いて来てくれるわけですから、敬意を払うのは当然です。ただ、その一個人の証言を「歴史的事実」と捉えるのは誤りです。

人は70年も時間がたてば記憶違いも起きてきます。そしてその記憶違いが「真実」と脳が信じることも良くあります。人の記憶という証言だけで裁判をすれば冤罪事件が発生するのは自明で、歴史を学び「過去の過ちを学んでそれを二度と繰り返さない」というのも、証拠に基づく歴史の知見を行わないと、証言だけで証拠に基づかない裁判で冤罪事件が発生するように、証言を中心とした誤った歴史認識によって誤った結論が導きされ、日本の未来を誤る。と言う事も起こりえます。

そして、重要なのは、現在の価値観で判断してはならないということです。戦時中の問題は、当時の戦時国際法を元に、当時の日本や日本兵の行った事が戦時国際法的に正しかったかどうかで、「その行為は正しい」「その行為は誤りだった」を判断すべきです。「勝てば全ては正しくて、負ければ全ては間違い」という考えは間違っています。当時の日本軍の行動が、全て正しいというのも間違いですし、全て間違いというのも間違いです。

特に、今の日本の教育は、「当時の日本軍の行動は全て間違いである」という方針が支配的です。このような間違った歴史認識では、「過去の過ちを学んでそれを二度と繰り返さない」も正しく行えません。当時の日本軍の行動が正しいかどうかは、当時の戦時国際法で判断すべき事で、現在の価値観で裁いてはなりません。



あなたのその生徒への反応は、ごもっともな事ですが、証言を歴史の真実のように捉えているような気がしまして、そこだけ気になりました。
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質問者様に送りたい良い言葉があります。



「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ。(オットー・フォン・ビスマルク)」

愚かな者は歴史に学ぶということをしません。問題なのは「愚かな者が国の指導者になったとき」です。この言葉を作りだしたビスマルクは今でも人気の高い初代ドイツ宰相でかれは「私はむしろ、最初から自分の誤りを避けるため、他人の経験から学ぶのを好む」とも言い足しています。

愚者はどこにでもいますし、彼らを啓蒙することは無駄な努力です。そういう人もいる、そういう人たちが集まり、ポピュリズムに走ると、ナチズムや太平洋戦争のようなことになるのです。

なお、日本が宣戦布告した時は、まだ大政翼賛会はできておらず、宣戦布告の国会承認は普通選挙で選ばれた議員たちが行いました。つまり今の日本と同じであり、当時の国民には戦争を開始し敗戦に至った責任がある、ということも知っておくほうがいいでしょう。

いや、当時は徴兵制があって徴兵される男子のみの投票選挙だったことを考えれば、その責任は今の国民よりももっと重かったし、戦争に駆り出されたのは必然だったともいえるかもしれません。
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そうだね

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