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先の大戦で、大国の中で太平洋戦争ではアメリカ、イギリス対日本が、ヨーロッパ、アフリカ、ソ連の各戦線ではイギリス、フランス、アメリカ、ソ連対ドイツ、イタリアが激しく戦火を交えました。

思うに、フランスは早々とドイツに侵攻されましたし、枢軸国の同盟国であるイタリアも早々に降伏しました。

また、ソ連にいたっては不可侵条約を破棄し、敗戦濃厚のわが国にぎりぎりで参戦し大勢の抑留や北方領土を奪いました。

これらはひとえに言って、国民性でしょうか?
つまり、フランス、イタリアなどは軍事的に粘りに欠け、ソ連は日露戦争のことを根に持ってこの時とばかりに強行手段に出た、と理解してよいのでしょうか?

ご意見、お聞かせください。

A 回答 (12件中1~10件)

近代戦争においては


①徴兵された国民の練度
②兵器の近代化と操作の練度
③地形や経済力などの要素
④戦略
が重要です。

第2次大戦のドイツ軍は、対フランス戦を最初から準備し自分たちに有利な状態で侵攻作戦を行っています。フランス兵の練度がドイツ兵と同じ程度であったとしても、兵器の近代化はドイツのほうが上で、タイミングを待って侵攻されたらひとたまりもなかった、ということです。これは日本の真珠湾攻撃も同じで、アメリカは真珠湾攻撃を事前に知っていたとしても日本軍が開発した「航空魚雷」は知らなかったため、予想よりも多大な損害を被った、わけです。

イタリアについては、そもそも近代化というか「近代国家化」が非常に遅れていました。そのため、国民国家になり切れておらず、①の練兵度は非常に低かったようです。ですから、敵を追うより女を追う方が得意なんて言われていたわけですが、ローマ時代からイタリア兵は「個人か少人数ならすごく強い」のは有名だそうです。
近代軍隊がそれを生かし切れなかった、のがすぐに降伏した要因でしょう。

ソ連は逆に民主主義的な国家を作らず、共産主義というエリート(共産党員)が国民を強制的に指導する体制になっていました。そのためソ連兵は「前に出れば敵に撃たれ、後ろに下がれば党員(軍の上官)に撃たれる」という状態で「敵なら撃たれる前に撃てば生き残れる」ので果敢に戦った、といわれています。

 ソ連が北方領土を取ったのは、たしかに「日露敗戦の雪辱」という点はあったのでしょうが、なによりもソ連共産党本部が「冬に凍らない港」を欲していたので、ドイツ敗戦後、半年かけてシベリア鉄道で兵員を満州側に送って、参戦したのが実態で、一般兵員は貨車にすし詰めで送られたようです。
 敗戦後、日本人がシベリア抑留で貨車で移動させられましたが、ソ連上層部の意識からすれば、兵員と同等だから特に待遇が悪いということではない、ということだったようです。

それともう一つ、欧米の軍隊は「略奪」が許されていたのも大きな特徴です。これは古代から同じで、占領地の人々から金銀などの資産を略奪し、女性を強姦するのは「勝者の権利」でした。
アメリカ軍がノルマンディのために大量の兵士を募集した時も「フランス女性がお礼にやらしてくれるぞ!」ということをまことしやかに喧伝していたのです。そのため、フランス解放後、アメリカ兵から若い女性を隠す必要が生じたのは事実です。

この点において日本軍は①相当なレベル(多分世界一)であり、兵器はそれほどでもなくても練度も世界有数だったといえるでしょう。④の戦略がまるでダメでも兵士の練度が高いので不幸な特攻などが可能であったともいえます。
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この回答へのお礼

やっと納得出来る回答に出合いました。先の大戦で勝敗・国を問わず多くの犠牲になられた方々にあらためて畏敬の念を表します。

お礼日時:2018/08/18 12:11

フランスについては皆さんがおっしゃる通り、自由フランス軍やレジスタンスはものすごく粘り強く戦い続けています。

イタリアが弱い弱いと言われていますが、個々の戦闘レベルでは陸海空いずれも結構頑強に戦ったようですよ。
 国民性でひとくくりに断じるのは難しいでしょうね。
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この回答へのお礼

そうなのですね。

お礼日時:2018/08/19 01:53

性格でしょうね

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第二次大戦、ソ連軍といえば人海戦術、で退却しようとすると督戦隊が後ろから友軍を機関銃で打ちまくるという、地獄の軍隊じゃないかな。

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国際連盟


史上初の国際平和機構である。
国際紛争において仲裁を行うための強制力を持つことが出来ず、紛争解決に独自の指導力を発揮できなかったと指摘される。ただ、世界における現実の紛争に必ずしも有効な解決策を提示できなかったとしても、史上初めて、国際機関として参加国の総意を以って意見を集約をするという理念は、評価されるべきものと考えられている。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%9A%9B …連盟の実態

不戦条約(パリ不戦条約)
第一次世界大戦後に締結された多国間条約で、国際紛争を解決する手段として、締約国相互での戦争を放棄し、紛争は平和的手段により解決することを規定した条約。パリ不戦条約とも。
1928年(昭和3年)8月27日にアメリカ合衆国、イギリス、ドイツ、フランス、イタリア、日本といった当時の列強諸国をはじめとする15か国が署名し、その後、ソビエト連邦など63か国が署名した。
この条約の成立は、国際連盟規約、ロカルノ条約と連結し国際社会における集団的安全保障体制を実質的に形成することになった。すなわち19世紀の国際法によれば至高の存在者である主権国家は相互に対等であるので戦争は一種の「決闘」であり国家は戦争に訴える権利や自由を有すると考えられていたが、不戦条約はこの国際法の世界観(無差別戦争観)の否定であり、一方で連盟規約違反やロカルノ条約違反をおこなう国に対しては不戦条約違反国に対する条約義務からの解放の論理が準備され、「どの国家にせよロカルノ条約に違反して戦争に訴えるならば、同時に不戦条約違反ともなるので、他の不戦条約締約国は法的に条約上の義務を自動免除され、ロカルノ条約上の制約を自由に履行できる」と解釈された(制裁戦争)。
この条約はその後の国際法における戦争の違法化、国際紛争の平和的処理の流れを作る上で大きな意味を持った。一方で加盟国は原則として自衛権を保持していることが交渉の過程で繰り返し確認されており、また不戦条約には条約違反に対する制裁は規定されておらず、国際連盟規約やロカルノ条約など他の包括的・個別的条約に依拠する必要があった。そのほかにも自衛戦争の対照概念たる「侵略」の定義がおこなわれておらず、第一次大戦で多大な効力を発揮した経済制裁(ボイコット、拿捕や敵性資産の没収等)が戦争に含まれるのか不分明であり、また戦争に至らない武力行使、国際的警察活動(海賊やテロリストの取締、とくに他の締約国内での武力行使を伴う)、中立国の権利義務など不明確な点を多く含んでいた。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8D%E6%88%A6 …

国際連合
第二次世界大戦を防げなかった国際連盟の反省を踏まえ、1945年10月24日、51ヵ国の加盟国で設立された。主たる活動目的は、国際平和と安全の維持(安全保障)、経済・社会・文化などに関する国際協力の実現である。
国際連合は、国際法の発達への貢献という役割を果たしてきた。国際人権法、国際人道法、国際環境法、軍縮など様々な領域で多数国間条約の締結を手助けしており、国連の関与の下に成立した多数国間協定(批准する国家を法的に拘束するもの)は500件以上に上る[128]。また、紛争の司法的解決を担う機関もある。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%9A%9B …
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 国民性と言っても、歴史の節々で、おのおの違うのではないでしょうか?
史上初の国際平和機構である国際連盟にしても 1920年 のことであり、まだ100年経っていない、おまけに必要事項が整備されないまま失敗している。法が整備されていないので、開発された技術がそのまま兵器に転用されそのまま兵が動かされたのではないでしょうか?
そこにあるのは、国民性などというものではなく、指導体制の性質ではないでしょうか? 『19世紀の国際法によれば至高の存在者である主権国家は相互に対等であるので戦争は一種の「決闘」であり ..』、至高の存在者双方なりが下を動員し戦争を起こし、分が悪くなると降参する、死傷するのは至高の存在者の下ということになるのではないでしょうか。
 抜け目があったから戦争にしたのか、国民性などというものではなく、過去において下を煽動する何かしらの体質、それも見逃せないのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

なるほど・・・です。

お礼日時:2018/08/19 01:54

フランス政府が最終的にはフランス奪還を果たしたことを、なんと見るのだろうね。


日本はあっさり占領されちゃったくせにね。
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昭和20年4月16日に沖縄で17歳で戦死した井花敏男が最年少だというのに、


どうして15歳、16歳を特攻隊にしたとか嘘をつくんだろうねぇ。
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>フランス、イタリアなどは軍事的に粘りに欠け


WW2のイタリアの戦績を観ると軍事的に粘りに欠けると評価されるのは仕方がない部分が確かにありますね。
その原因が国民性にあるかどうかは私には判らないです、
WW1で新兵器、戦車、潜水艦、飛行機の登場してから、それらの兵器を上手く使えていない、開発も上手くいっていないという事があったので、
ハード面で遅れを取っていてそれが弱さに繋がったのは確かですが、国民性との関連は判らないです。

フランスはWW2早々にドイツに降伏してしまいましたが、これはフランスの国防戦略を持っていて、ドイツの作戦がその弱点を上手く付いたからです。
フランスの対ドイツ防衛は、マジノ線という要塞地帯を構築して防御しようというもので、
ドイツは動かないマジノ線を迂回して、当時世界一・二位の機甲部隊が空陸一体の電撃戦を仕掛けた事がパリ陥落を素早く行ってしまいました。
フランス軍どころかイギリス陸軍自体が消滅してしまう危機もあったのですが、
ヒトラーが電撃戦の速度を遅くする命令をして、フランス軍の一部とイギリス軍は、イギリスに落ち延びて生き残ることができました。

このあと生き残った自由フランス軍はドゴール将軍の下、連合軍の一部として対ドイツ戦を戦うので、決して国民性が粘りにかけるとかはないですね。
フランスに残った海軍もドイツと連合軍に挟まれて結構気骨ある戦いをしています。

ソ連の対日参戦は、ヤルタ会談で米ソ英で決められていたことです。
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この回答へのお礼

詳細で参考になりました。

お礼日時:2018/08/19 01:58

日本の軍部が愚かだったのです。

飛行機の燃料がなく、15,16歳の少年達を特攻隊にしたのです。私は、特攻隊などを考えだした人が自ら特攻隊になるべきだったと考えています。
 日本も早々に降伏していれば南樺太、千島列島などを占領されなかったのです。日本は最後の一人まで竹槍で戦えと国民に押し付けていました。
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>フランス、イタリアなどは軍事的に粘りに欠け



最終的には連合軍に寝返ったイタリアはともかく、フランスの自由フランス軍とかレジスタンスの活動とか
知らないのですか?
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