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を学ぶためにこのカテに来ています。

哲学は総ての基盤だと。

四つのkeywordを挙げて
端的に説明してください。


(欲張りなのはご容赦を)

「思考の技術」の質問画像

A 回答 (2件)

確かに、



>哲学は総ての基盤だと、

思われていた時代がありましたね。それは人間が成長する仕方とよく似ています。幼児の時に言葉を覚えますが、それが思春期の頃になると、理屈や理念の世界があることに目覚める。要するに屁理屈を言いだすようになる。それで成長が止まってしまう人も中にはいるでしょうが、普通は大人になると理念よりも重要なものがあることを、いろいろな痛い経験をしながら判ってくる。それは事実の世界です。

経験の未熟なものはまず理念を頭でこねくり回し、人はどうあらねばなぬ、自然はどうあらねばならぬ、と論じ始め、それで事実の世界を整理しようとする。ところがそれではうまくいかないことを経験で認識し始めます。そして、理念や理屈をこねくり回す前に、「ところで人はこいう時どう振る舞ってきたんだ」とか、「自然てどうべきかではなくてどうあるのか」という事実の世界を一先ず観測して、その観測事実に基づいて、あとから理屈や理念を後出しジャンケンのように付けてゆくのが筋ではないかと分かるようになってきた。

事実、人類は言葉を使い出して、最初のうちは、理屈だ理念だ哲学だと語り出した。その数十万年にも及ぶ経験の結果、今から2500年ほど前にある意味理念の世界が極限に到達した。それが、孔子や釈迦やソクラテスやそれから500年ほど遅れてイエスです。彼らは人類の師と呼ばれ、いまだに彼らを凌駕する人は出ていないと考えられているようです。そして、彼らは「人間はどうあるべきか」という理念を語った。その同時期にアリストテレスは「自然はどうあるべきか」という理念を語った。

ところが、その後2000年も経っても戦争も病気も無くならず、世の中一向に良くならなかった。そんな痛い経験をして行くうちに、人間が大人に成長して行くのと同じように、人類も、

「ちょっと待てよ、人間はどうあるべきかという理念や哲学を語る前に、そもそも人間はどうあるのかという事実をまず認識しようじゃないか」

と言い出した。それがマキャベリです。そして、政治学という社会科学が誕生した。また同時期に、「自然はどうあるべきか」という理念や哲学を語る前に、そもそも「自然はどうあるのか」という事実をまず認識しようじゃないかと言い出した人がいた。それがガリレオです。そして、自然科学が誕生した。すなわち、人間一人一人も人類も、まず未熟な段階では、

 理念や哲学による理屈づけが先、事実があと、すなわち、哲学 => 科学

という順序で世界を認識してきた。しかしその後、色々な経験をして成長を遂げた結果、

 事実が先、理念や哲学が理念や哲学による理屈づけがあと、すなわち、科学 => 哲学

という順序で世界を認識するように進化してきたのです。その傾向は20世紀以降著しく、特に量子力学や相対性理論の発見以降、世界の認識に対する哲学者の未熟さが白日のもとに曝け出され、世界認識に対する哲学者の権威の座を科学者たちに譲渡してしまったというのが現状です。事実、20世紀以降世界の認識における重要な進歩は哲学者ではなくて、科学者によってなされてきたのが歴史的事実です。

哲学者は人間の性として、どうしても自分の育ち至った経験を通した思索によって、さらに我々が通常使う言語によって、我々の経験を外挿して世の中を認識しようとします。ところが、自然界の認識には、日常言語ばかりでは不十分であり、数学という特殊言語を駆使しないと認識不可能なことがあることが判ってきました。例えば、世界を認識するのに例えば長さがや大きさなどを数値で表し、それを比較すれば、論理的に解ると思っていた。ところが、事実はどうなんだという自然科学の発達で、我々が世界を認識するには「数」そのものでなくて、そのような長さや大きさに対応した「演算子」なる実態がそのような数値で表される量の裏に潜んでいることが本質であることが明らかにされました。このような世界認識に対する事実の発見は、日常言語を使いながら頭に浮かび得るどのような整合した論理的思索をしても、発見できるものではありません。

事実の認識は、カントの言う「総合的真偽の判断」に基づいた認識であり、 理念の認識は「分析的真偽の判断」に基づいた認識です。だから、如何に理念の分析をしても事実の世界は認識できないのです。

科学者に比べて哲学者の未熟さを揶揄って見せた一例として「ソーカル事件」をググってみてください。

もう一点のkeywordに関してですが、哲学は人間の言語で語ります。そして各言語にはそれ特有の個性的な文化がある。例えば質問者んは日本語を話し、日本語をみながら育ってきました。そして、日本語は、漢字という表意文字であり、ひらがなやカタカナは表音文字です。さらに漢字には音読みと訓読みがある。このように日本語は他の言語界では考えることすらできないような多次元的で多様な言語空間を持っているのです。ヨーロッパ語のような表音文字しかない一次元的な単純な言語空間ではない。

当たり前なことですが、多次元空間ではその次元を制限して、より低次元の世界を見ることができる。例えば3次元空間に住む我々は2次元空間を見ることができます。ところが、我々は4次元空間を見ることができません。同じように、多次元に住む日本人は表音文字しかない一次元的ヨーロッパ人のみている世界を簡単に認識できますが、その反対にヨーロッパ人には日本人の見ている多次元的な世界認識を理解することは至難の技なのです。

私は、質問さんが例として挙げたkeywordsがどうして、そんな単純なアルファベットという低次元言語で表されているものだけなのか、理解に苦しむところです。
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この回答へのお礼

ボリュームのあるレベルの高い回答に短文のお礼という事は、このカテにおいては回答を十分理解咀嚼してない事になるかも知れません。

実は添付した画像のキーワードはあくまで例、それも単なる思いつきであり、回答者の方それぞれが実践している思考技術の片鱗を伺いたかったのです。私は母語も十分に使いこなせていませんね。反省。

そして、
chototuさんの回答を読んで、自分の聞きたかったことは思考の技術ではなく、自意識の制御技術ということが分かりました。
感情、身体も含めた自分、自意識を常に安定してコントロールして、明晰な思考と感情と体を取り戻すにはどうすれば、という思いから出た質問なのでした。

教養たっぷりの回答を消化吸収しきれずにお礼しており、少し申し訳ない感じです。でも大変学ぶことが多いご回答でした。ありがとうざいます。

~~~~~
たた、最後の日本語における文字種の豊富さが、思考力、認識力、視野の多元性を支えているという考え方にはやや同調しかねます。それはなぜかを説明するには、いま時間が不足しておりまたの機会にしたいと思います。

お礼日時:2018/09/25 23:38

§1. relation



1. 世界は 《場》から始まった。

2. ゆらぎを起こし デコボコが出来る。

3. そこから 単体が飛び出る。

4. 場と単体とは 地と図とである。

5. 単体どうしも 場を土壌として関係しあっている。

6. つまり すべては 《カカハリ(関係)》としてある。

§2. entity

7. 場から突出した単体を とくに存在と言う。

8. 存在は 存在どうしの関係である。

9. ヒトなる存在は この関係を認識する存在である。しかもこの
認識をうながす自由な意志をそなえた主体である。と知った。

10. カカハリは人にとって 場やもろもろの自然環界との関係で
あり 人どうしの社会的関係を形成している。

11. 人は カカハリという基礎の上にさらにマジハリ(交通)を
もおこなう。

12. ひとは 世界という場が 移ろいゆかざるを得ないものと知
って孤独になる。孤独になるが それは やはり孤独〔どうしの〕関
係だと知る。


§3. origin

13. ひとは 言葉を持って話し合って社会生活をいとなむ。

14. 言葉には あやまち得る自然でふつうの生活におけるスサノ
ヲ人間語がある。

15. ひとは あやまちを繰り返さないようにまなぶ。学習の結果
あやまち得ないアマテラス普遍語を持つようになる。

16. 世界をどう捉えるか? 人それぞれの主観の中に共通の公約
数となる要素を見つけ出すのだし その認識とそして対象としての世
界の事実とをなお照らし合わせて 認識の妥当性を得ようとする。

17. その普遍性があると見なされた事実認識は アマテラス科学
語である。

18. そして人の世界観は さらに事実認識の上に それぞれ主観
としての良し悪しなる判断をそこに付け加える。

19. 人間の社会的な関係を良し悪しで判断した結果の普遍性のあ
る認識は おもに倫理をあつかうところのアマテラス人格語を成す。

20. 《ことば》の起源は いつどのように始まったかはさておい
て その基本は 次の構造を成している。:

《あやまち得る S 人間語 - あやまち得ない A 普遍語(科学語&人格
語)》の連関


§4. prime

21. 《思考の技術》として重要なことは 現実世界を思考し知る
ためには 《ことばの基本構造》をじゅうぶん把握することである。

22. いわゆる客観性のある科学語を用いるのだが それだけでは
だめである。人間語という土壌の上に浮いたものと成りがちだ。

23. 人格語は苦労して培ったとしても じっさいにはあんがいそ
の人格が薄っぺらい印象をふりまくことをまぬかれないものである。
同じく浮いてしまうゆえ。

24. 人間の全体・わたしなる存在のすべてを土台として自己表現
する《 S - A 連関》をそなえたことばをしゃべるのが よいと考えら
れる。

25. なおそのためには 《読む》ことである。

26. 世界を読む。人を読む。なかんづくおのれを読む。わが心を
読む。その中から おのが思惟が生まれて来る。という技術。
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この回答へのお礼

ありがとうざいます。
実は添付した画像の単語は、あくまで自分の思いつきを書いただけで、知りたかったのは、みなさんが常に意識、あるはい実践している思考方法、自意識の制御方法がどんなものかという事でした。感情や身体も含めた自意識というものを常に安定して稼働させる方法を掴むために、思考、自意識制御の基本を4つのキーワードで掴めないか、と思ったわけです。

ブラジュロンヌさんのやや詩的な回答は、質問者の思いつきのキーワードにやや無理やりこじつけた様子が感じられ、私の教養、理解力のなさとあいまって、いまひとつピンとしませんでした。(失礼)。もちろん質問の至らなさもあります。申し訳ありませんでした。

ただ、凝り固まった思考をほぐし、これはなんだろうと考えるヒントを与えてくださるもと思っています。
ありがとうございました

お礼日時:2018/09/25 23:47

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