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逸見政孝さんが最後に受けた手術について賛否両論が今だにあります。私は医師ではないから あくまで素人の意見ですが 癌宣告の会見をした時には既に逸見さんは末期の状態で、それを取り切る為にあの大手術をしましたが それはもう末期の彼には無意味だった。むしろ緩和ケアをした方がまだ長く生きられたと言う意見もありそれも納得出来るのですが 緩和ケアを選ぶと言う事は=完治を諦めて死を受け入れると言う事になります。今でこそ癌と共存しながら生きるというのもありますが当時は癌=死でした。私が彼なら大手術を選択したかもしれません。大手術も癌の完治は数%と事前に言われていたようですが、完全に諦め死を受け入れて緩和ケアを選ぶなら 数%の可能性にかけてでも完治を目指して生存したいと私なら思うからです。皆様は逸見さんの手術についてどう思いますか?

A 回答 (6件)

自身の選択なので、癌を何年も患っていたら緩和を選択してますかねー。


初めて病院に行って診てもらったら、
手術するでしょう、それしか考えられないですから、家族も僅かな生存にかけて望みますかねー、病院にどれだけの選択肢があるかにもよるな、
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なってみないと分からないというのが正直な意見です。


第三者と当事者では、そのくらい真剣度も切迫度も違うからです。

私自身そのような経験があります。
母の言によると私は事あるごとに「別に死んでも構わない」と言っていたそうです。
しかしある急性の病気で本当に心臓が止まりかけて以後、そのように思ったことは一度もありません。

あの時の苦痛と恐怖と無念さは、味わってみないとわかりません。
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部外者や第三者が言う話じゃ無いですよ。



逸見さん家族、医師が話し合い決めるべき問題ですし、その可能性の低さや危険を承知で受けたのですから。
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こればかりは、


何とも言えませんよね
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癌の宣告の逸見さんの受け入れ方と、医療医療側の相違でしょ、もっとしっかりとした説明があれば『今直ぐに取れば!』と困惑せずにすんだでしょう、でもこの世に0%はないし遺体を切り刻む訳でわ無いし、家族とのカンファレンスも必要でしたね。

でも最後は自身のまだ生きたいんだ!死人よりも廃人はまっぴら御免!が巳の生き様とゆう死生観だったと、私も同じく脳挫傷の頭がい骨をパッカリの手術までされて活きてるけど親族には『なぜあのまま逝かせてくれなかった!』と怒鳴りましたし怨んでます。
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よく覚えてます、9月6日に発表し、12月24日に。


私も100%手術しても治りませんと3ヶ所の病院から言われない限り0.1%でも治る可能性があれば手術します。
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