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「英語を勉強したことがあります。」「留学することになりました。」などの「こと」は形式名詞と呼ばれています。
では、「あなたのことは覚えています。」「彼のことはよく知りません。」「日本のことが忘れられない」「それは素敵なことです。」などの「こと」はそれぞれ形式名詞でしょうか、実質名詞(普通名詞)でしょうか。
「こと」に関しての形式名詞と実質名詞(普通名詞)をどのように定義しているのでしょうか。

質問者からの補足コメント

  • 実はあるサイトに、「『大阪でのことは忘れないでください。』の『こと』は出来事の意味だから実質名詞だ」と書いてあったのですが、「ことは忘れないでください。」では意味が変わってしまうので、この「こと」も形式名詞ですね。つまり、そのサイトの表現は間違っているということですね。

    No.1の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2018/11/12 07:16
  • うーん・・・

    形式名詞と実質名詞の定義がよく分かりません。
    デジタル大辞泉には「その語の表す実質的意義が薄く、常に連体修飾語を受けて使用される名詞。」とあります。では、「大阪でのことは忘れないでください。」の「こと」が実質名詞なら、「大阪のことは忘れないでください。」の「こと」はどうでしょうか。「私のことは忘れないでください。」の場合はどうですか。これらは連体修飾語をとるとすべて「ことは忘れないでください。」となりますが、どこが違うのでしょうか。

    No.4の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2018/11/12 13:23
  • うーん・・・

    ①「あなたのすること」の「こと」は形式名詞だとされています。ところが、②「大阪で(あった、した、見た。起こった)出来事」は内容のある名詞(実質名詞)ともされています。
    では、「大阪であなたがしたこと」の「こと」は①と同じでしょうか、②と同じでしょうか。

    No.7の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2018/11/12 18:20
  • 「この記事を彼が書いたことは皆が知っています。」の「こと」はその前の行為を名詞化しているので形式名詞だというのは分かりますが、「彼が書いたことに賛成する人はあまりいません。」の場合の「こと」は書いた記事や論文の内容なので、実質名詞のように思いますが、どうでしょうか。

      補足日時:2018/11/12 21:39
  • つまり、「彼が書いたこと」の「こと」を体言化の「こと」と解釈すれば形式名詞で、書いた内容と解釈すれば実質名詞で、どちらとも考えられるということでしょうか。

    なお、デジタル大辞泉で、「こと」の 2⃣ 他の語句をうけて、その語句の表す行為や事態を体言化する形式名詞の 12 (多く「…ごと」の形で用いる)
    ㋐動詞の連用形、名詞、形容動詞の語幹に付いて、事柄としての行為や状態を表す。「考え事」「悩み事」「色事」「きれい事」
    ㋑真似をする遊びであることを表す。「まま事」「鬼事(=鬼ごっこ)」
    と書いてありますが、「考え事」「悩み事」「色事」や「まま事」なども形式名詞と理解するのには抵抗があるのですが、どうでしょうか。

    No.8の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2018/11/12 22:33
  • どう思う?

    お久しぶりです。日本語には分からないことが多いので困っています。微妙な説明を現地語でするのは難しいのですが、ネイティブ教師の立場としては説明できないことは恥ずかしいのです。

    「『大阪でのことは忘れないでください。』の『こと』は出来事の意味だから実質名詞だ」との意見がありますが、この「こと」は「行為」とも解釈できます。大辞泉には、『 他の語句をうけて、その語句の表す行為や事態を体言化する形式名詞。1 行為。仕業。「つまらない―をしでかしたものだ」』と書いてあるので、形式名詞とも解釈できるのでしょうか。
    『大阪でのこと』つまり、「大阪で喧嘩したこと」「大阪で愛し合ったこと」などは行為と言えるのではないでしょうか。

    また、大辞泉は、どういう理由や根拠で、「出来事」(つまり、起こったこと)が実質名詞で、「行為」や「仕業」(つまり、起こしたこと)が形式名詞としているのでしょうか。

    No.9の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2018/11/12 23:06
  • 大辞泉では、「こと:『もの』が一般に具象性をもつのに対して、思考・意識の対象となるものや、現象・行為・性質など抽象的なものをさす語。」とありますが、それでは、「こと」はほとんどが抽象名詞なのでほとんどが形式名詞になってしまうのでしょうか。形式名詞と実質名詞の区別は意味がないのでしょうか。

    また、準体助詞「の」のように文章や用言を体言化(名詞化)する場合の形式名詞「こと①」は、上記の抽象名詞「こと②」とは機能上の区別がされるべきだと思うのですが、どうでしょうか。

    「こと①」 「私は話すことが苦手です。」(この「こと①」は動詞「話す」を体言化する機能だけを持っているので本来の形式名詞とでもいうべきものだと思います。)

    「こと②」 「あなたのことは忘れない」(この「こと②」はあなたについての属性一般を抽象的に示しているので、形式名詞というよりは抽象名詞というべきものだと思います。)

    No.10の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2018/11/13 02:09
  • 形式名詞と実質名詞という区分にはあいまいさがあると思います。

    大辞泉では「こと」について、「 行為、仕業、ある対象に関連する事柄、言葉の内容や意味」などの場合は形式名詞とし、「自然または人事の現象、事柄、出来事、仕事、用件、状態や経過、事情、いきさつ、行事や儀式、生命」などの場合は実質名詞としています。これでは、解釈や受け取り方でどちらにも取れる場合があります。

    このようなあいまいな区分ではなく、「体言化名詞」と「普通名詞」に区分すべきだと思います。

    体言化名詞「こと」:準体助詞「の」のように体言化に使われる名詞。(ただし、準体助詞「の」と交換できない場合もあります。)
    普通名詞「こと」:実質名詞といわれるものと多元化名詞を除いた形式名詞といわれるものを合わせたもの

    「漢字を読むことは難しい。」の「こと」は「体言化名詞」
    「あなたのこと」の「こと」は「普通名詞

      補足日時:2018/11/13 20:06
  • では、「大辞泉」のように「こと」を形式名詞と実質名詞に区分することは間違いで、「こと」はすべて行為や事柄などを表す抽象名詞と考えるべきということでしょうか。

    また、準体助詞「の」というのも間違いで、この「の」も抽象名詞とすべきということでしょうか。
    その場合、「それは私のです。」の「の」のように、連体助詞「の」に抽象名詞の意味が加わっているもの(「の」=「のもの」)は何と呼んだらいいでしょうか。

    No.13の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2018/11/14 00:14
  • 格助詞は文の中での名詞の格を表す助詞なので、単に名詞と名詞をつなぐだけの「の」は格助詞にはあたらないと思います。ただし、例外として従属文の中で「が」と同様に使われるときだけは格助詞なので、「の」を格助詞という人もいますが、国立国語研究所発行の「日本語教育のための文法用語」では、「の」を連体助詞としています。

    「あの本は私のです。」の後者の「の」は連体助詞(格助詞)の「の」だけではなく、「の」=「のもの」という働きをしていると思います。つまり、「あの本は私のです。」=「あの本は私のものです。」と言えると思います。

    No.16の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2018/11/14 09:13

A 回答 (20件中1~10件)

#14です。



1.
補足欄を中心に読み直していたのですが、少し述べさせていただきます。
まずですが、大辞泉の分類は、次のように考えてよいのではないかと思います。
「こと」=【「もの」が一般に具象性をもつのに対して、思考・意識の対象となるものや、現象・行為・性質など抽象的なものをさす語。】である。
つまり、「こと」はすべて抽象名詞。
そのうち、【他の語句をうけて、その語句の表す行為や事態を体言化する「こと」】は形式名詞にあたる。
つまり、形式名詞以外の「こと」が実質名詞。
「こと」という抽象名詞には実質名詞と形式名詞がある。


2.
何かのご参考になるやもしれず、#10、アスナロウさんの下記ご見解について、若干の反論を述べさせていただきます。
同時に、「形式名詞」の定義に関して、大辞泉及び大辞林に対し異議を申し立ててみます。

>『大阪でのことは忘れないでください。』の『こと』も同じ<抽象(形式)名詞>です。<この「こと」は出来事の意味だ>というのは、「大阪でのこと」という個別の具体的な話者の認識を表す句、または文での【意味】をいっており、辞書で規定している語の意義ではありません。語の意義と文での意味を混同した混乱です。意義とは辞書に示す語の規範としての概念のことです。

「こと」が抽象名詞であるのはすでに述べたとおりですが、形式名詞ではないと思います。
「形式名詞」の定義については、大辞泉も大辞林も似たり寄ったりですが、【それ自身では実質的意味を表さない語】だけで語釈として十分ではないかと思います。
【連体修飾語を受けて名詞としての機能を果たす】という要素も併記されている点が極めて不満ですね。
なぜなら、「連体修飾語を受けていても、それ自身で実質的意味を表す語」は存在すると思うからです。

『大阪でのことは忘れないでください。』は、
『大阪での [ 出来事 ] は忘れないでください。』という実質的意味を表わしているので実質名詞である、というのが私の考え。
<この「こと」は出来事の意味だ>に関して誤解があるようです。
『語の意義と文での意味を混同した混乱』でもありません。
私が申し上げたのは、<この「こと」は、出来事を意味する語として使われている>ということです。
つまり、文での意味のみならず、語義も「出来事」だ、ということ。
少なくとも、文での意味で [ 出来事 ] という実質的意味を持ち得ているなら、それは実質名詞と呼ばれるべきではないか、ということでもあります。

『大阪のことは忘れないでください。』という文での「こと」は、大阪の内容・様子・風景など「大阪の属性に関する事柄」を(一般的には)意味しています。
何か具体的な「出来事」を指しているわけではない。
つまり、「大阪」という語が無ければ実質的意味を持ち得ない語として使われている。
それゆえ「形式(名詞)」なわけです。
『大阪でのことは忘れないでください。』とは明らかに異なる「こと」の用法でしょう。
『大阪のことは忘れてもいいけど、大阪でのことは忘れないでください』といった文についてもご検証いただければ幸いです。
以上、若干独断が入り過ぎたかもしれませんが。
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前回の投稿のあといろいろ考えたのですが、ここに書くと質問者に迷惑になる気がします。


 質問者や他者のひとつのコメントに対して、ホニャララなコメントを連投する人がいるからです。

 実は先に書いた質問で納得できずに、当方が続きの質問を書きました。 
 すると同様のコメントが連投され、話がヘニャララになりました。
 どうにかなりませんかね。困ってしまうのは、当人はホニャララな自覚がないことです。
【「~あまり、~」の使い方について】
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/10529075.html

 そんなわけで、コメントを書く気が失せています。
 
 少し余計な〝こと〟を書きます。
 質問者が、コメントに対して「補足」の形でコメントするのはなぜなのでしょうか。
 何が何に対する返信なのかわかりにくくなり、非常に読みづらくなります。まして、その間に夢が見に長いコメントが続いていると、全体像がつかめません。ふつうに書いてもらえませんか。
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No.16の回答に寄せられた補足コメントにお答えします。



No.17にも記したように、連体というのは、体言に連なるという機能、形式の名称で語の意義を表すものではありません。名詞と名詞をつなぐというのは、語と語の関係、資格の認識の表現でこれこそが格助詞の意義です。

連体助詞などという品詞はありません。そんな品詞を挙げている辞書はなく、「日本語教育のための文法用語」は教育の方便として命名したものと思いますが誤りです。国立国語研究所は生成文法やら記述文法やらのその時の流行を取り入れ形式主義・機能主義的な文法論を説いているのであまり当てにするのは考えものです。一度、「通言語的連体修飾」の研究報告会に出席しその機能主義的な発想の誤りを指摘したことがありますが、理解されませんでした。

ちょうど、大島資生『日本語連体修飾節の研究』(ひつじ書房:2010年)を読んでいるところで、【現代語における主格「の」について】や【補文構造に現われる「こと」と「の」について】他で格助詞と抽象名詞の「の」が混乱し、因果関係を逆転して論じており一度きちんと批判しなくてはと考えているところです。

<例外として従属文の中で「が」と同様に使われるときだけは格助詞>などというのは、正に因果関係を逆点した誤りで、主節であろうと、従属節であろうと単語の品詞は格助詞で、「が」と同様の意味を持つと品詞が変わるのではなく、文の中での使用法が「が」と類似の動作主を表す場合に主格と捉えられるものに過ぎません。

先にもコメントしたように、語は意義を表すもので、その意義により文に使用されて機能するもので、単語の本質である意義と文での意味を取り違え、ごた混ぜにすると混乱してしまいます。「の」=「のもの」という働きではなく、「私【の】の=もの」の格助詞「の」が省略されているものです。

No.15の説明を良く理解して下さい。■
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No.16に若干補足させていただきます。



>>「大辞泉」のように「こと」を形式名詞と実質名詞に区分することは間違いで、「こと」はすべて行為や事柄などを表す抽象名詞と考えるべきということでしょうか。

先の通り、形式名詞と実質名詞に区分することは間違いですが、「こと」はすべて行為や事柄などを表す抽象名詞というのはもう少し明確にする必要があります。
「こと」が表すのは、行為や事柄など一般を抽象的に実体概念としてとらえた抽象名詞です。

>>「それは私のです。」の「の」のように、連体助詞「の」……

連体というのは文での機能(働き)を表す形式的な捉え方で、品詞名称ではありません。
「そこ【の】本をとって下さい」「それは私【の】です」の場合、「そこ【の】」の「の」は格助詞で、「そこ」と「本」の支配、所属の関係認識を表します。「それは私【の】です」の「の」は「本」を意味する抽象名詞の「の」です。もう少し具体的に表現する場合は、「それは私のものです。」となり、「【の】もの」の「の」は格助詞の「の」で、次の「もの」が先の抽象名詞「の」を「もの」として具体的に表現しています。この場合は、いずれも「の/もの」は本という実体を意味しています。リンゴを指して、「その赤い【の】」を下さいという場合の「の」もリンゴを意味する抽象名詞です。

これに対し、「学校を休んだ【の】は、風邪のためです」の「の」は「学校を休んだ」という内容を媒介的に抽象的な実体として捉え「の」と表現したもので、具体的な実体が対応するわけではありません。抽象名詞「の」にはこの二種類の使用法があり、後者の媒介的な実体把握の方が多く使われています。形式主義・機能主義的な言語観ではこうした抽象名詞「の」の使用法を正しく捉えられず混乱しています。
詳しくは、先の三浦つとむ『日本語の文法』(勁草書房)を参照下さい。■
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>>「大辞泉」のように「こと」を形式名詞と実質名詞に区分することは間違いで、「こと」はすべて行為や事柄などを表す抽象名詞と考えるべきということでしょうか。



先にも回答した通り、辞書も現在の形式主義、機能主義的な言語観に基づき解説しているので、随所に誤りがあり注意が必要です。単語「こと」はすべてというか、単語でしかなく形式名詞と実質名詞に区分するのは語の意義と文での意味を混同した間違いです。

>>準体助詞「の」というのも間違いで、この「の」も抽象名詞とすべきということでしょうか。

No.13で次のように説明した通り、誤りです。
準体助詞「の」というのは、「もの」と「こと」の区分も超えて抽象的な単なる実体概念を表す抽象名詞「の」のことで、これを格助詞と形が同じであることから助詞に分類した誤った区分と名称です。抽象名詞「の」が文章や用言を体言化(名詞化)するなどということはできません。語はそんな機能はもっていません。言語は話者の表現であり、「の」は抽象的な実体概念を表現する語で、話者が具体的な対象や句や節の内容を媒介的に抽象的な実体として捉えなおし「の」と表現するものです。

>>連体助詞「の」に抽象名詞の意味が加わっているもの(「の」=「のもの」)は何と呼んだらいいでしょうか。

連体というのは文での機能をいうもので、品詞の名称ではありません。<連体助詞「の」に抽象名詞の【意味】が加わっている>のではありません。「僕【の】本」「僕【の】もの」の「の」は格助詞「の」で、「の【もの】」は格助詞「の」+抽象名詞「もの」と、単語が連結されたもので句になっており、これを結び付けたのは話者の認識による媒介で、「の」=「のもの」ではありません。■
この回答への補足あり
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NO.10補足コメント への再説明



先ず言語表現とは何かが理解されていないので説明します。
抽象名詞ではなく普通名詞である猫について考えてみましょう。

ねこ【猫】
① 食肉目ネコ科の哺乳類。体長50センチメートル 内外。毛色は多様。指先にはしまい込むことのできるかぎ爪がある。足裏には肉球が発達し、音をたてずに歩く。夜行性で、瞳孔は円形から針状まで大きく変化する。本来は肉食性。舌は鋭い小突起でおおわれ、ザラザラしている。長いひげは感覚器官の一つ。ペルシャネコ・シャムネコ・ビルマネコなど品種が多い。古代エジプト以来神聖な動物とされる一方、魔性のものともされる。愛玩用・ネズミ駆除用として飼われる。古名、ねこま。【大辞林】

これが、語「猫」の意義です。これは、猫の普遍性を捉えた概念で、規範としてのその意義が説明されています。

これに対し、
「我が家の猫はタマと言います。」の猫は我が家で飼っている具体的な三毛猫のことで、猫1です。

「家の近くに時々、ブチの野良猫が現れます。」の猫は野良猫の猫2です。

漱石の『吾輩は猫である』の、まだ名前のない猫は漱石が空想した猫で猫3です。

これらの、猫1~3は、すべて異なる個別の猫で、猫1,2は具体的な個別の猫で、猫3は空想の抽象的な猫で、これらの猫が表す内容はそれぞれの文の意味です。つまり、規範としての猫の概念により、話者が認識した個別の概念が媒介され表現されたものです。

辞書が説明しているのは、猫という普遍性を抽象した概念で、個別の猫を説明することはできません。猫1はタマという名前を持ち、小さくて色は白く、甘えん坊で体温を持った具体的な個別の猫ですが、それは具体的に記述されなければ不明で、話者は認識していても必要がなければ表現しません。生物の授業で猫と言うときは普遍概念としての猫を直接取り上げる場合もあります。

このように、言語による表現は、対象の普遍性、一般性を捉えた規範としての概念により、話者が認識した個別の対象の概念を文法という規範を媒介とし表現するものです。言語表現はあくまで、対象の普遍性、一般性を捉えて、概念を媒介とし表現するものです。

辞書ではなく、図鑑の場合は猫の絵や写真が載せられています。これは個別の猫の視覚による感性的な像で、具体的な猫の視覚像のサンプルを表現しています。この直接感性的な表現の場合は規範は不要ですが、個別の視覚的な対象しか表現できず、漱石が空想した心の中の猫を直接表現することはできません。このように概念による言語表現と直接感性的な写真や絵による表現はそれぞれの特殊性が異なり、一長一短があります。

これで判るように、抽象名詞の「こと:1」「こと:2」が表すのは個別の意味で、抽象的な実体概念の単語の意義+個別の具体性を内容としています。文法で取り上げるのは、規範概念としての語「こと」で、話者はこれを媒介として個別の具体的な概念を文として表現します。個別の具体的な猫を語「猫」という概念により表現するのと同じです。猫について、だから辞書の表現はあいまいで、不明瞭だなどとは言いません。

文法では、「こと」という単語の規範概念としての語の意義が抽象的な内容なので、これを抽象名詞と呼ぶもので、個別の文に表現された語は具体的な対象を取り上げ表現しています。具体的な内容に触れず、「ことがことだけに慎重に進めよう。」と言ったり「それはどういうことなのだ?」と内容を質問する場合もあります。

このように、単語の意義と文での語の意味は異なる概念で、この区別と関連を正しく理解できずに混同すると混乱してしまいます。■
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#8です。



>つまり、「彼が書いたこと」の「こと」を体言化の「こと」と解釈すれば形式名詞で、書いた内容と解釈すれば実質名詞で、どちらとも考えられるということでしょうか。

おっしゃるとおりの意図です。

>「考え事」「悩み事」「色事」や「まま事」なども形式名詞と理解するのには抵抗があるのですが、

「他の語句をうけて、その語句の表す行為や事態を体言化する」という注釈の解釈ですが、「こと」だけでは意味が通じなくなる場合は形式名詞かな、と単純に考えています。
「(考え) 事をしている」
「(悩み) 事がある」
「(色) 事に耽る」
「(まま) 事をする」
『(大阪の) ことは何でも私に聞いてください』

一方、
『(大阪での) [ 出来事 ]は忘れないでください。』
という意味での、
『(大阪での) ことは忘れないでください。』
は実質名詞。
場所を表わす格助詞「で」が影響しているような気もしますね。
「こと(出来事)」が独立した形になっている。
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補足コメントにお答えします。



「こと」はNo.10に記した通り、物質一般を抽象的な実体として捉えた「もの」に対し、行動、行為、事態を抽象的な実体として捉えた語です。そして、この「もの」と「こと」の区分も超えて最も抽象的な実体概念を表すのが抽象名詞の「の」です。これらは抽象の程度が異なります。

>>「こと」はほとんどが抽象名詞なのでほとんどが形式名詞になってしまうのでしょうか。

先にも記した通り、形式名詞という名称は実質名詞に対し形式のみで実質のない語と言う意味で名付けられたものですが、形式のみで内容を持たない語などというものは存在せず、誤った捉え方でありネーミングです。正しくは内容が抽象的な実体認識の語なので、抽象名詞と呼ぶべきものです。

したがって、

>>形式名詞と実質名詞の区別は意味がないのでしょうか。

というのは、意味がないのではなく、<形式名詞>という名称が不適切で、実質を抽象した実体概念を表す抽象名詞として区分しなければいけないということです。

>>準体助詞「の」のように文章や用言を体言化(名詞化)する場合の形式名詞「こと①」は、上記の抽象名詞「こと②」とは機能上の区別がされるべきだと思うのですが、どうでしょうか。

準体助詞「の」というのは、「もの」と「こと」の区分も超えて抽象的な単なる実体概念を表す抽象名詞「の」のことで、これを格助詞と形が同じであることから助詞に分類した誤った区分と名称です。抽象名詞「の」が文章や用言を体言化(名詞化)するなどということはできません。語はそんな機能はもっていません。言語は話者の表現であり、「の」は抽象的な実体概念を表現する語で、話者が具体的な対象や句や節の内容を媒介的に実体として捉え「の」と表現するものです。

「私は話すことが苦手です。」と言う場合、話者が私の「話す」という行為を媒介的に抽象的な「こと」という実体として捉え直し表現したもので、語自体は抽象名詞です。「こと①」というのは辞書に記された規範としての語の意義ではなく、「私は話すこと」という個別の句、文での意味を取り上げているということです。

「あなたのこと」の「の」は格助詞で、関係認識を表し、「あなた」に関係、属する「こと」を捉え表現したもので、「こと」という規範としての語の意義は抽象名詞としての実体概念ですが、それを使用して、話者が認識した個別の特殊な「あなたのこと」を媒介的に表現したもので、これは個別の意味を表しています。「こと②」というのは、この文の固有の意味を取り上げたもので、規範としての辞書に示されている「こと」の意義が文の中に表現され、意義が意味に変化したのではなく、話者のその時の個別の認識された概念を媒介し意味として表現しています。この意義と意味の関係を正しく捉えないと混乱します。意味とは何かは先に紹介した書を参照して下さい。

現在の言語道具観という言語観に基づく文法論による理解では、話者により個別に認識された概念と、言語共同体の共同規範としての語の意義による表現の媒介の構造が正しく捉えられないために、語が直接に文の中に入り意味に変化したと捉えるしかなく、質問されているような誤解、混乱が生まれることになります。■
この回答への補足あり
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少し補足させていただきます。



言語は話者の認識の表現で、語は規範としての意義を表すもので、体言化する機能を持っているわけではありません。文はこの語義他の言語規範を媒介にして話者の個別の概念を表すもので、言語を道具のように考えいる現在の文法論の言語観自体が誤っており、これに引きずられて思考しているため、他の多くの回答に見られる混乱が生じてしまいます。

言語を現象や機能ではなく、表現としての本質を捉え論理的に展開、思考しなければなりません。■
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体言化する機能、つまり体言ではないものを体言化するものであれば「こと」は形式名詞です。

「思うこと」など用言を伴う場合が考えられます。

体言化というよりその全体像を「もの・こと」として把握しようとする場合、例えば「あなたのこと」は抽象的な「あなた」を具体性を帯びたものとして捉え返そうとしています。意味は表現者のそのように把握したい意図にあるのみで、発語された言語自体にはその気持が形式として残るだけです。つまり、この場合も実質的な意味がないので形式名詞です。

>「こと②」 「あなたのことは忘れない」(この「こと②」はあなたについての属性一般を抽象的に示しているので、形式名詞というよりは抽象名詞というべきものだと思います。)

この「こと」は抽象化しているのではなく「あなた」という抽象的なものを「もの化」する働きであって、言わば手触りを求めての表現です。だから「抽象名詞」というよりむしろ逆に「具体化名詞」と呼ぶべきものです。
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