架空の映画のネタバレレビュー

現代、哲学で解けている問題は何でしょうか?
また、解けている問題は何でしょうか?
代表的、主要な問題とその解とを教えていただけないでしょうか。

質問者からの補足コメント

  • 平たくお願いします。

      補足日時:2018/12/27 13:56
  • 質問内容の訂正です。正しくは、

    現代、哲学で解けている問題は何でしょうか?
    また、解けていない問題は何でしょうか?
    代表的、主要な問題とその解とを教えていただけないでしょうか。

    です。よろしくお願いします。

      補足日時:2018/12/27 14:00

A 回答 (23件中1~10件)

問:答えのない問いを立てることは可能か?


答:可能である。

一例として、観察できないものが存在すると言えるか?という問い。
「神は観察できないけれど存在する」という命題に真偽の答えはないので、答えのない問いを立てる事が可能である。
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この回答へのお礼

問の立て方が間違っているという事が指摘されることはままあるようですね。
言語のルールに反しているとか。
意味のない問と、意味がありげだが実はない問いと、重要な問いなどを区別できればいいのですが、それも簡単ではないですね。

お礼日時:2018/12/27 15:08

確かに、考え続けるから


楽しいんですもんね

なんも残らんけど(物質的)

なにかしら残ってますからね
(精神的?感覚的?)
その轍を、知ってか知らずか
通りますからね
避けて通れない道も確かにあるが
解決とまでは言えない
ベターとか、無難程度の道であったり
人が通らない獣道

道とすら呼べない
未知の道?
( ̄▽ ̄;)なんのことやら(笑)

ついつい楽しくて
連投の失礼、お許しくださいませm(._.)m

ではでは
失礼致します

(  ̄▽ ̄)にっこり
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この回答へのお礼

楽しんでいただけて良かったです^_^

お礼日時:2018/12/28 23:51

追記


m(._.)m
お礼を読んでね
景色も変わるが
時代も替わりますね
謎が謎を呼ぶから
哲学が楽しいのでしょうか?
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この回答へのお礼

なんで楽しいんでしょうね、言われてみれば、、、その理由が分からない。謎に取り組むと言う事自体が楽しいのだろうか。
それともそれが、本源的な問いなので楽しいのだろうか。
私はミステリーとか読まないんです。ルービックキューブも扱えない。
つまり、整合性やナゾナゾを楽しんでいるんじゃないんですね。
ただ、モノホンを知りたいと言う欲求があり、自分もモノホンになりたいと言う希望があるのでしょう。
それが流れるものなのか、定まっているものなのかはどちらかと言うとどっちでも良くて、無常観とも常住性とも、どちらとも交渉できる。

この血の通った豊かさと、雨後の透明感とが共在する中で、語りうるものはそう多くはない。
哲学ってのは、その人が歩いた一筋の痕跡のようなものかも知れない。
歩いているうちは景色も時間も移り変わるが、束の間に残されたその痕跡に、存在の揺らぎと証明が見て取れる。
哲学はその人本体では無いんだけれど、そこに見られる影や息遣いが、道の本質を現しているんではなかろうか。そこを歩いた人があった、と言うことです。何処かへと向かって。
轍すら残らぬような、堅固で滑らかな、しかもどこからでも通じるような広大な道があったとしても、そこを通る者が居なければ道とは呼ばれない。

歩いているから楽しいのかな。

お礼日時:2018/12/28 12:17

お待ちしていますちゃんだな❗✌

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(  ̄▽ ̄)ニヤリ


お邪魔します

無学な為
自分なりの言葉で語らせてもらいますね

哲学で解けている問題は

より多くの問題を造り出す
としか
言えないですね

無駄な考えなのか
人生を充実させるかは

人それぞれだと思いますね

(  ̄▽ ̄)にっこり

お邪魔しました
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この回答へのお礼

一つ問題を解けば、知らない事が十増えるってのがむしろ通常なのかなと思いました。知る事によって見える景色が変わるからです。

お礼日時:2018/12/28 10:44

おはよちゃんだ~だな❕



今日も宜しくちゃんだな❗

https://oshiete.goo.ne.jp/qa/10896866.html
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この回答へのお礼

素敵な写真ですね^_^

お礼日時:2018/12/28 10:42

キサラギXさんも、西周の犠牲者なんかね。

こやつがphilosophy(philo「愛する」+ sophia「智」)を「愛智学」と訳さずに、「哲学」なんて拙い訳をくっ付けちまったんで、「哲学とはなんぞや」ってな本を字面で惑わされている連中に書いて、哲学学者や哲学輸入業者の金儲けさせている。他にもこやつが"Right"を「権利」なんてデタラメに訳しちまったもんで、福沢諭吉が「こんな下手な訳が普及しちまったら禍根を残すことになる」と激怒していた。事実、今では「権利、権利」と捲し立て、利権を貪る連中があちこちに出てる。バカが学者連中に崇められると、ろくなことにならない。

愛智学ってえのは学ぶことに対する愛のことだ。愛に理屈なんてあるもんか。

  鳴かぬなら 抱いてあげよう ホトトギス

てえのが愛だ。みんな自分の生きざまに愛が欲しいんだよ。「私は学んだ。その愛に抱かれた」ってえのが愛智学だ。愛知学じゃないよ。別に愛知県に興味があるわけじゃないんだから。

あたしに役に立ったのは一つだけだね。カントが真偽の判断の混乱の原因が真偽の意味の縮退に在ったっちゅうことを論証して見せたことだ。「分析的真偽」と「綜合的真偽」は同じ「真偽」と名付けちゃっているがリンゴとトマトぐらい違うってことを明らかにしてくれた。要するにこの二つ違ったものが「真偽」という一言に縮退していたちゅうことを明らかにして、「分析的」だ「綜合的」ってな摂動を印加してその縮退を解いてくれたことだ。数学は「分析的真偽」を論じる学問だが、自然科学は全て「綜合的真偽」を論じる学問だっちゅうことを明らかにしてくれたんで、この二つをゴッチャにしないで済んで、あたしゃ涙流してカントに感謝したね。

でもそれだけだ。誰かさん「哲学」で愛以外で他に役に立ったものが一つでもあったら教えてね。あたしも知りたい。
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この回答へのお礼

なんか勢いというか、リズムがあって楽しいですね、猪突さんの進言は^_^
せいしゅう、、ではなくて、にしあまねでしたっけ。読み方くらいは思い出せた。
愛智学って呼び名だったらずいぶん楽しそうで、誰に気兼ねなくやりゃあ良いじゃん、だれでもウェルカムよって感じの学問だったかもしれませんね。音楽みたいに。
道理に通達する事が目的なんだ!高尚なんだ!って最初にとある学問を存在理由で縛って仕舞えば、頭の固い邪な連中はそれを冠に威張る事に懸命になって、学びからは遠ざかる。

ライツってのは、著作物に付いてるあれのことですかね。英語はほとんど知らないんでなんとも言えないですが、サインみたいなもんかと思ってました。学者連に崇められるバカがどんな人達の事なのかもサッパリ分からんのでこれもなんとも言えないですが、バカを崇めるのはバカと決まってる。

みんな自分の生き様に愛が欲しいってのは中々アツい事をおっしゃるなあ。猪突さんは偏屈なインテリかと思ってたけど、なかなかお優しい。自身、燃えた経験がおありなんでしょう。

リンゴとトマトの違い?そういやリンゴは物体の象徴として扱われる事がありますが、あのイメージってニュートンから来てるのかな?僕としてはリンゴはリンゴ色であって決して赤色なんてもんでは無いから、もっとよく見ろよ、同じ色なんて一つもないだろ?なんて度々思ってしまう。

鳴かぬなら 聴いてあげよう ホトトギス

僕はアツいのは嫌いじゃないですが、この位が丁度いいかな^_^

お礼日時:2018/12/28 00:18

哲学は学問の始まりですからねえ 哲学から色んな学問に派生して行ったのでしょう



それでも体系化できない問題 古くて今も尚分からない問題を哲学が解いているのでしょう

「知は力なり」とか「人間は考える葦である」とか「我思う故に我在り」とか「無知の知とか」

色んな言葉が出て 案外役に立っていると思いますけどねえ。

実存主義やプラグマティズムもそれなりの効果はあったでしょう。

しかし分かりにくいし 実際に具現化してみると 共産主義の唯物論の様に大変な犠牲を出す結果となりました

哲学は古い様で最先端の思春期にも影響する考えなのです。科学で原爆が出来たから

具現化して落としましたと言う訳にはいかないのです。

哲学が宗教と学問の間で、信じるだけじゃない思考の進化を続けることで分かって来るのです。

それに哲学や文学は証明が出来ないので 哲学者が死んだ後に認められると言うケースが多いのです。

哲学はニュートラルな学問ですから科学の様に直ぐには実現しません。が可能性はあると思います。
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この回答へのお礼

>科学で原爆ができたから具現化して落としましたと言う訳にはいかないのです。

その通り。

>哲学はニュートラルな学問ですから科学の様に直ぐには実現しません。

これは良い見解だと思います。なんでも目に見える実績や結果をすぐに求めて、金になるものだけをよいしょする傾向は良くない。そうやって大学の知性を枯渇させるのは思慮が浅いですよね。

お礼日時:2018/12/27 21:22

私は、「哲学」の門外漢ですが、私見では、「そんなもの、何一つ無い。

」のでは。

哲学者は、何一つ描かないし、作らない。
詰まり、「具現化」することをしない。

頭で考え、言葉で表現するだけのように思います。

Aの方の頭の中とBの方の頭の中と、「同じ言葉、表現をしても、同じと言う証明ができません。」
結局、頭の中に有る以上、全く「普遍性を持たない。」ように思います。

私は、哲学とは、暇人の道楽だと、狭小な偏見を持っていますが、
「具現化」出来ない以上、結局、なんの問題も解決出来ない。

貴方の神と私の神と、同じ神という言葉を使っても、結局は、
同一のものだという証明は出来ない、と思っています。
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この回答へのお礼

なるほど、クオリアの問題に似たようなことでしょうか。
哲学者たちは、古くには善を発見し、自己を発見し、政治システムを構築し、人間の人間らしい生き方を構築してきたと私は思っていますが、人々の要求することはいつも、”次”の事であり、今既に与えられていることについては振り返られない、評価されないのかもしれないと思いました。

お礼日時:2018/12/27 20:37

解けた問題なら、それは科学に昇華


しています。

解けない問題が、哲学として残存して
います。
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この回答へのお礼

アリストテレス辺りが分岐点だったのでしょうか。
ありがとうございます。

お礼日時:2018/12/27 20:32

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