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結果を知っている後世の人間が歴史でIFを語るのはご法度かもしれませんが・・・
もし明治維新後の日本が徹底的な「不拡大政策」を推し進めていれば、太平洋戦争のような悲劇も回避できて日本は幸せになっていたのでしょうか?
(朝鮮や台湾への進出もあきらめ、ほぼ現在の日本領にとどまり、拡大を目指さない)

欧米列強のアジア植民地が固定化され、ロシアの南下が止まらない等、不拡大政策自体が無理だったのでしょうか。

A 回答 (9件)

どうだでしょう。

確かに不拡大政策であれば大陸でのゴタゴタに巻き込まれる(引き起こしたとも)ことはなかったのだろうけれど、それで国がもったのでしょうか。
 そもそも江戸期の日本の人口は3000万人前後で、明治期にこれが一気にほぼ倍増するという近代国家には他に例を見ない人口爆発が起こっているんですね。悲しいかな当時の技術では農産物の増産なんて人口の増加スピードには追いつけない。したがって明治の中ごろからは主食である米の輸入が始まっています。つまり、自給自足できた江戸時代と違って明治の途中からは食料を輸入しないと喰っていけない国になった。
 こういう状況下、国家経営が順調で外から食料を自由に買えるのであればいいのだけれど、大恐慌のあおりを喰らった状況で買えなくなったらどうするか。失業者の群れをどうするのか。大陸への拡大方針は確かに後で考えると失敗だったとは思うけれど、目的としてはロシアの南下阻止とかアジアの植民地化阻止とかいう戦略的なもの以外にも上のような理由もあったんだと思うんですよ。ではその時にそれをやらなくて国が保てたのか、国家破綻を防ぐことはできたのか、という疑問は解消しえないんじゃないでしょうか。
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この回答へのお礼

そういった観点もあったんですね。とても参考になりました。

お礼日時:2019/01/12 12:19

欧米列強のもつアジア植民地を侵略し得る実力をもつことを日露戦争によって日本が証明するまで、不平等条約の改正は実現せず、日本が欧米列強から対等に扱われることはなかったわけですから、不拡大方針を徹底して太平洋戦争のような事態を回避できたとしても、それで日本が幸せになったかどうかは疑問です。

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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2019/01/12 12:19

確かに清国は大国でしたね。


しかし、大国=一流国 ではないと思います。
最近まで、大国だが途上国 と言って隣国からODAを受けている国がありましたし。



A:>もし明治維新後の日本が徹底的な「不拡大政策」を推し進めていれば、太平洋戦争のような悲劇も回避できて日本は幸せになっていたのでしょうか?

B:>欧米列強のアジア植民地が固定化され、ロシアの南下が止まらない等、不拡大政策自体が無理だったのでしょうか。


↑のAとBですが、あなたの脳内の「不拡大政策」と「日本の幸せ」の定義や内容が不明です。

質問は「日本が拡大政策を取っていた」という前提でのものです。
回答を求めるなら、まずあなたがそれを証明して下さい。

不拡大政策とは、拡大政策を取っていない という事です。
そして ~していない、 ~は無い という完全な証明は不可能です。


私は日本は他国の拡大政策に抵抗(巻き込まれた?)していたのであり、それを不拡大政策を取っていなかったとは言えないと思ってます。(理由は後述)



このような話題では、日本が日露戦争以後も「矛を収めて居なかった」とか仰る意見もあるようですが、矛を収めず日本の権益を奪おうとした国に対抗するのは「拡大政策」なのでしょうか。

私は当時の日本が幸せであるには、他国も不拡大政策を取っていなければならないと思います。
そうでない場合、日本は現在の領土すら守れなかったと思います。

それとも、質問者様は当時の世界は平和を愛し諸国民の公正と信義を信頼するごりっぱな皆さんばかりで、日本だけがそうでなかったとお考えなのでしょうか。



>朝鮮や台湾への進出もあきらめ、ほぼ現在の日本領にとどまり、拡大を目指さない

「進出」の意味や内容が不明です。
それらへの「進出」の理由をご存じなのでしょうか。
そもそも進出だったのでしょうか。

日清戦争は朝鮮の独立の為でした。
独立後も「なるべく干渉はやめて朝鮮を自立させる」という方針でした。

一方、ロシアは↓のように考えていました。

朝鮮への清国の保護がなくなった朝鮮に、威を示し移民させる。それを日本が妨害するなら(朝鮮の独立を維持)衝突は免れられない。
シベリア鉄道が開通すれば、日本が露国に勝つ見込みはない。


他にも、質問者様は清国滅亡後の大陸に発生した政権の数や、それらの日本との関係をどのようにお考えなのでしょうか。


質問者様は日本が台湾を領有した理由や経緯をご存じでしょうか。
漂着した外国人を虐殺するような原住民がいる島と、自国内での事件なのに責任を取らず再発防止の措置を取ろうともしない清国。
航路上にそのような地域があることを日本は放置できるでしょうか。



無知が、日本を貶めて自分だけ良心的日本人を気取ろうとしている まで読みました。
(こういう、IFと称して自分では何も考えず、他人様に丸投げしてネタを出しただけで、何かを語ったつもりになっている人の質問の名を借りた御高説にはうんざりしています)
「明治維新の時に国是として不拡大政策を掲げ」の回答画像7
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この回答へのお礼

ちょっとわかりにくいですね。

お礼日時:2019/01/12 12:18

>欧米列強のアジア植民地が固定化され、ロシアの南下が止まらない等、不拡大政策自体が無理だったのでしょうか。



無理だったと思います。
まず日本は明治維新で近代化を進めるとすぐに隣の李氏朝鮮に「近代化しないか?」と声を掛けています。「不拡大政策」を取るならこの行為自体をやめる必要があったでしょう。

しかし、当時の日本はシベリアを東進して日本海にたどり着いたロシア・清をむしばむその他の列強国と直接対峙しないために「李氏朝鮮になんとしても緩衝地帯になってほしい」という願いがあったわけです。

結局、李氏朝は日本の申し出を断り、清朝に事大することによって(日本から見れば)自体を悪化させたため、結局清政府(とその後ろで権益を得ている列強国)と朝鮮半島を巡って戦うことになったわけです。

そして日清戦争で勝ち、下関条約の第1条は「朝鮮国の清国からの独立」だったわけですから、そもそも明治政府が不拡大政策を行うのは無理だったと私は考えます。

これは現在でも実は同じで「なぜ日本は韓国に甘いのか?」という質問の答えになる部分です。日本は韓国を自分の側に引き付けておく必要があり、それによって共産党中国やソ連(当時)さらには北朝鮮の侵略的影響を軽微な状態で済ませることが出来たからです。

明治政府が不拡大政策を行い、戦後の日本政府が韓国に甘い政策を行わなければ、いずれも対馬が沖縄並かそれ以上の軍事基地になっていて、日本海を守るために莫大な予算が必要になったでしょう。

明治政府にそんな余裕はなかったですし、戦後の日本もできなかったわけですから、不拡大政策も戦後の日韓友好も避けて通れなかった、と言えると思います。

ただ、まあ近年は「韓国は大陸側に取り込まれた」として、日本海防衛を固める意思ができつつあるようにも感じます。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2019/01/12 12:17

高杉晋作等が、上海に出かけ、そこで


奴隷化した中国を目にして、このままでは
日本もこうなる、ということで明治維新に
突入しました。

それ以降は、なんとしても植民地にはならないぞ、
という行動の連続でした。

日清日露戦争は、対ロシアの侵略を防止する
為の戦争です。

朝鮮半島にロシア軍が駐留するようになったら
日本の安全保障はどうなるか、火を見るよりも明らかです。

日本は欧米列強のように、地球の裏側まで
乗り込んだ訳ではありません。
近隣諸国を押さえて、防波堤にしようとしただけです。




太平洋戦争のような悲劇も回避できて日本は
幸せになっていたのでしょうか?
  ↑
そうはなりません。
欧米の侵略に対抗するか、おとなしく
植民地にされてしまうか、二者択一しか
選択肢が無かったと思われます。


当時の米国は、1930年に続く大不況の真っ只中でした。
GDPは1/2に、株価は1/10に落ち、国民の1/4が
失業し、あちこちで暴動が発生していました。
ルーズベルトは、ニューデールなどの政策を打ちましたが効果は
はっきりしません。

これに加えて、当時は社会主義運動が盛んに
なりつつありました。
うかうかしていると、体制すら崩壊しかねません。

また、米国は英国フランスなどにも大量の資金を
貸し付けており、彼等が敗戦になれば、貸し金が焦げ付く
可能性がありました。

それでどうしても戦争をやる必要があったのです。
戦争は最大の公共事業ですから。その証拠に戦後、米国
経済は見事な復活を遂げています。

これは私の偏見ではありません。
米国歴史学の権威チャールズ・A・ビーアド元コロンビア大教授は
公文書を調べて、ルーズベルトが巧妙に日本を戦争に引きずり込んだ
過程を明らかにした本を出版しましたが、これは事実上の発禁処分
にされてしまいました。

31代米国大統領のフーバーが、ルーズベルトを、日本を無理矢理戦争に
引きづり込んだ狂気の男、と評した書見を残しています。
彼は、ルーズベルトは真珠湾を知っていた、とも書き残しています。

マッカーサーは戦後、あの戦争は日本の自衛戦争であったと
米国議会で証言しています。

ハルノートのハルは、真珠湾攻撃を耳にして躍り上がって
喜んだ、という側近の証言が残っています。
「これで戦争ができる」
また、パル判事は、あのような要求を突きつけられたら
モナコのような小国でも銃を持って立ち上がっただろう
と述べています。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
最近の反日は全て許されるという支離滅裂な韓国を見ているとロシアに任せておいた場合の歴史を見てみたいです。

お礼日時:2019/01/07 07:13

清国は、当時、世界の一流国でした。


そのちょっと前、明治維新が有り、ちょんまげと刀で、やあやあ!と言っていた、ルーベンレン「日本人」が、世界の一流国だった、清国に、大勝したのだからたまりません。
その上なな、南下策を講じるロシアと、朝鮮での利権をめぐつ、大激突、
ハルピン近郊の二〇三高地で、クロポトキン率いるロシア軍を、破り、それを機に中国東北部一帯の権益を日本軍が掌握し、後に、前述の満洲帝国建国に、繋がりました。
更に、当時、世界最強と言われた、ロシアのバルチック艦隊を東郷元帥率いる帝国海軍が水陸両方に跨り、大勝利を占め、一躍、日本は、世界の強豪国に、成り上がりました。
当時、世界の誰しもが、日本みたいな、成り上がりの弱小国が、他国との戦争に勝つなんて、思いもよらなかったでしょうね。
しかし、歴史は変えられません。
確かに、日本も、そこで、矛を収めて居たら、歯舞、国後など、北方領土は、盗られて居ませんでしたよね。
もしもや、もしかしての話は、置いて、これから日本が国際社会にどう、立ち向かって行くかが、これからの課題と、しんじます。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2019/01/06 23:52

日露戦争に、日本が勝った時、市井では、連日、提灯行列が出来たものです。


その前に、日清戦争を日本が、清国を相手に、日清戦争を起こし、黄海海戦に、大勝し、その結果、日本は、台湾を領有。
日露戦争でも勝利した日本は、南樺太を領有した。
第一次世界大戦では、日本は勝利し、青島を99年間租借条約を結び、パラオなど南洋諸島を、信託統治しましたが、第二次世界大戦では、日本は、連合国に敗れ、かつて、領有していた、それらを全部無くし、その上、北方4島もロシヤに取られたままです。
これらは全て、日本が拡大政策をとり続けた結果です。
明治に、日本は、韓国を併合し、昭和になってから、中国大陸に、進出。
満洲傀儡帝国を世界の反対を浴び乍ら、建国。
それらのツケが未だに燻っています。
明治から昭和にかけて、日本は、南太平洋や、中国大陸、更に、ベトナムや、インドネシア、フィリピンなどに権益を有し、不拡大どころか、拡大の一路を辿り、今日の、結果を招いています。
まあ、韓国が横暴な行為に今、走っていますが、これも日本が38年の長きに亘り、韓国を占領していた結果が現在を、招いています。
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この回答へのお礼

仰る通りですね。
最初の勝利での「戦争って儲かるじゃん」がずっとつきまとったような気がします。
日清戦争で大苦戦していれば歴史も大きく変わってたかもしれませんね。

お礼日時:2019/01/06 23:20

全ては徳川300年の鎖国政策の結果です。

長い鎖国の間に日本は世界に取り残された。焦ったんでしょうね、当時の人々。おっしゃる通り確かに悔やまれることが多すぎました。
私の父も入隊しましたし伯父はシベリア抑留もから帰還。でもその大きな犠牲の上に今の幸せがあることをひとえに感謝するしかありません。
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この回答へのお礼

ありがとうございます

お礼日時:2019/01/06 21:59

今でも中国がこじ開けようとしてますからね


太平洋戦争が回避出来たとしても幸せにはなっていないと思います。
無理だったでしょう。
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この回答へのお礼

ありがとうございます

お礼日時:2019/01/06 21:58

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