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哲学するにあたって、「情」は不要なのだろうか。
或いは事がらに依りけり、なのでしょうか。

よく分からないので、意見を聞かせてください。

☆ こんな質問を立てたのは、哲学するにあたって情は必要なのではないだろうか、と思ったからですが、漠然としているのです。

宜しくお願いします。

質問者からの補足コメント

  • 皆さま、回答ありがとうございました。

    私にとっては全てベストアンサーでした。

    有り難うございました。

      補足日時:2019/02/09 22:39

A 回答 (22件中1~10件)

そうですね。

過去をどのように消化するかが、その人の哲学の基礎になると言えるかも知れません。そういう意味でも、個人の哲学形成に、その感情はかなりのファクターを占めていることになると思います。
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あっ!そう言えば、以前私がおっしゃっている質問に投稿した時に、すぐ後から私の回答へ賛同して下さった方ですね!その節はありがとうござ

いました!
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この回答へのお礼

昔を懐かしむ心情は、二度と体験できないからでしょうね。
良い思い出は「それに比べて」と現在を否定する文言になりがちです。

また、二度と同じ思いはしたく無いと云う過去を持つ人は、その事柄次第で状況が変化した現在を肯定する人がいるかと思えば、「だから社会が悪い」と云ったような心情のままの人もいるはずです。

okumさんの回答を見てこんな事を考えていました。

お礼日時:2019/02/09 08:54

いくつかのオンライン辞書を見ましたが 《情け》と《情》とは どちらも


互いの意味を――用例のひとつとして――持ち合うかたちですね。

中で次の定義・説明は 分かりやすいと思いました。

▲ (コトバンク:なさけ) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
https://kotobank.jp/word/%E3%81%AA%E3%81%95%E3%8 …

△ 世界大百科事典 第2版の解説

1.(☆ 現代語一般) 《他にはたらきかけるあわれみ,思いやりなど,
人間としてのあたたかい心づかい》をいう。


2.(☆ 原義) もとは,《他人に見えるようなかたちを伴う心づかい》
をいった
2-1. ので,親子,兄弟,夫婦などの間については用いられなかった。


3.(☆ 意味が一般性を持つようになった) のち,《人間らしい思い
やり》〔を表わした〕
3-1. から転じて、《みやび,情趣,風流などを理解する洗練された
心》をいうようになり,
3-2. さらに《風情,趣向など》をさすことばとして用いられた。


4.(☆ さらに転義) また中世以降,《男女が惹かれあう心,恋心》
をいったり,
4-1. 《情事や好色の心》をさすことばにもなった。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

☆ (2)の原義から来て 《おなさけ》と言ったりするとき そこには
《上から目線を帯びている》とも見られます。

その一面と《同情》とがむすびついた意味合いのナサケも生じたのではな
いか。
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この回答へのお礼

情けない!と云う投げかけの言葉もありますが、これは親が子によく使うように思います。

有り難うございました。

お礼日時:2019/02/09 08:31

理性的って言葉はあって


感情的って言葉もある

理性とは理論であって
理論とは人間の感情を公正に
等しくしたい為に
産まれたと思ってるから
理性的で感情を殺して無くしてるわけではなく
感情をニュートラルな状態にしてるだけだから

感情をはぶいた理論は
自然が相手では
無いかな?

暴論なんやけどね

哲学の元に感情あり
感情があるからこそ、哲学がうまれた

こんな感じですね
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この回答へのお礼

なるほど。

そこの所を私は、人間の動物性をコントロールする為に理性が生まれた、と云ってみたいです。

根っこに感情がある、という視点ですよね。

有り難うございました。

お礼日時:2019/02/08 12:51

個人的な意見ですが


哲学と情は
同じものだと思います

だから
要りますね
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哲学的なカテは大好きな門外漢ですが見境いなく失礼します。


私自身の「哲学」の定義は、「世界」と「個人」との関わり方の問題だと思っています。つまりそこから「個人は世界をどう認識するのか」「人はなぜ他人を理解する(愛する)ことができるのか」等々の課題が出てくるのだ、と理解しています。従って高名なカントやヘーゲルなどの哲学者はひとつの方法論を示した(そんなに勉強した訳ではありませんが)に過ぎず、その正解はひとつでなく、人の数だけ(あるいはそれ以上)あるのだ、と思っています。だからこそ哲学は難しく面白いのだと考えています、
すみません前置きが長くなりました!ご質問の件ですが、私自身は、人間というフィルターを通して世界と対峙する以上、否応なく人間の特性である「情」が絡んでござるを得ないと思います。
ですがあなたが、なぜ「哲学に情けは必要ではないか」と思われたのか、その情況が分からないのて判然としません。そこに非常に興味を覚えますので、できれば補足で結構ですので、その辺をもう少しご紹介いただけないでしょうか?よろしくお願いします。
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この回答へのお礼

この質問は、だいぶ前(もう30問ぐらい前)の「《昔はよかった》は、所詮年寄の繰り言か」という質問に回答?なんぞをしていた時にふと思ったのです。でも、その気持ちが漠然としていたので、皆さんに聞いてみようと思いました。

私の頭では哲学の定義なんて持てるわけが無いので、その辺りはカバーして貰えると助かります。

有り難うございました。

お礼日時:2019/02/08 12:46

細かい話をすれば、"なさけ"と言うと、それは"じょう"の良い一面と思われます。


例えば、情けない奴だ、などと言えば、当然の体裁すら保てないある種のヘタレを指します。情けはある方が良いわけです。又、情け深い人だと言えば、温情に厚いことを言います。

一方、情(じょう)には、良い意味だけではなく怨嗟など否定的な心情も含まれている様に思います。喜怒哀楽、また広く悲苦憂悩まで含んであるのではないでしょうか。
そして、情(なさ)けない奴でも人間は人間ですが、情(じょう)が無ければ人間かどうかが疑わしくなる。

で、改めて本題に戻りますと、怨みや怒りがある状態では、哲学どころでは無いだろうと思います。しかしながら哲学的態度を平静さと近似するものとして捉えているなら、哲学的態度が怨みや怒りを鎮める可能性は大いにあるかもしれません。いや、むしろそうであってこそと言えるでしょう。
平静な時、情はどの様であったか、省みるのも良いと思います。
平静であることは楽しい。


追伸:中世の言葉遣いを考察するのも面白いでしょう。ただ今回の題では、言葉は現代通用する意味で使うので良いでしょう。
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この回答へのお礼

成る程、です。

情けは人の為ならず、なんて諺がありますが、これは誤解され易い表現だからその内に、誤った解釈が通用する様になりそうですね。

人の為ならず、というのは人の為ではない、という意味で言い換えれば、情けをかけておけばいずれ良い事がある、という意味のことわざだけど人の為にならない、と読めてしまうから始末が悪いです。

“平静であることは楽しい” こうした心持ちは霊性に依るものと思います。

お礼日時:2019/02/08 12:22

№14からの――ナサケは 情とは別〔だった〕という説の――つづきです。



▲ (大野晋:なさけ(情)) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
11. つまり なさけは そうした心からの情愛ではない よそからの心
づかいを示す何かである。だから『源氏物語』に こんな一節がある。

  男はさしもおぼさぬ事をだになさけのためにはよく言ひつづけたまふ
                          (源氏・賢木)
  〔男はたいして愛情などを感じていないことについてですら なさけの
  ためには あれこれ言葉をつくすものだ〕。

12. つまりなさけとは はたから見た目に分かる心づかいの形 かっこ
うである。相手の女に向かって 私はあなたに心をつかっていると形に見せ
るためならば 男はいろいろと言葉を使うというのが紫式部の観察であった。
そして 紫の上と明石の上との付き合いを なさけだと紫式部は把えたので
ある。


13. こうして なさけについては 「うはべの」「うはべばかりの」
「見る目の」などと 表面に見えるものとされている例は少なくない。鎌倉
時代の『宇治拾遺物語』に「なさけは交はしながら 心をばゆるさず つれ
なくて はしたなからぬほどにいらへつつつ(応答̪̪シナガラ)」とある。




14. ナサケを分析してみよう。なさけとは 「なさ」と「け」とに分解
できる。塚は「築(つ)く」という動詞の名詞形。縄(なは)は「なふ」と
いう動詞の名詞形であるように 「なさ」とは 「為(な)す」という動詞
の古い時代の名詞形とみられる。

 ☆ 未然形は 不定法= to 不定詞 として 名詞形であり得る。

15. そして 「け」とは 嬉しげ 悲しげ 清げ 寒げなどのゲの古形
で 他所(よそ)からみた様子 形という意味である。

16. 「なす」とはつとめてする 作り出すという意味だから なさけと
は 「つとめて作り出す形」というのが 最も古い意味と考えられる。


17. つまり いやな相手に対しても つとめて 形だけでも作って心を
示す態度 それがなさけの最も古い意味と考えられる。・・・


18. しかし漢字「情」の意味は「忄(こころ)」と「青(キラキラ光る
もの)」との複合で 人間の真情ということである。

19. だから 「情」は本来なさけとはかなりちがった意味の字だった。
しかし日本語のなさけにあたる適切な漢字がなかった結果 日本人は「情」
をなさけと読み またなさけを「情」と書いた。

20. ところが使ううちになさけが漢文によく現われる「情」の本来の
意味にひかれるようになり 真情 情愛の意味に使われだした。・・・

21. だから人と人との付き合いや 相手を求める人間に必要なものは
ナサケだとする人は ナサケを真情の意味にとっているのだろう。しかし
ナサケは もと 相手に対してつとめてする愛情のそぶりだった。

22. とすれば その そぶりだけでも必要であるということになるの
だろうか。


(大野晋:『日本語の水脈』 1993  Ⅰ くむ 第三項目)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
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この回答へのお礼

11.同情、に近い“行為”の様に思いました。
12.なさけをかける側には、余裕がありそうです。
13.相手の状況を見据えながら、だからクールになさけをかけることができる、という事の様で。
14.15.16.17.情、となさけはだいぶ違った意味というか、使われ方をされている様ですね。
18.なるほど。
19・20・21・言葉は使われ方で意味が変わってくるんですね。なさけ=そぶり?
22.何に対して「必要か」と疑問に思っているのかがわかりませんでした。

有り難うございました。

お礼日時:2019/02/08 08:25

《なさけ》は 一筋縄では捉えがたい・したがって 扱いにくい言葉だと思


われます。

▲ (大野晋:なさけ(情)) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
1. 「ようぶってくだはりました。わて はじめてなさけのこもった痛み
を知りました。すんまへん」などと使われたなさけは真情ということだろう。

2. 「悪女の深なさけ」というのも 相手に執着して愛情が深く 離れて
いかないことをいう。

3、 なさけは男女の間のことにも使う。西鶴の『好色一代女』には 「な
さけ目づかい」という言葉がある。

  なさけ目づかひとて 近づきにもあらぬ人の辻立ちにも見かへりて

という。向こうからくる男を避けもせず 町角に立っている男にも秋波をお
くる。その女の色目づかいを「なさけ目づかい」といっている。


4. こうした使い方は もっと古く平安時代の漢文訓読の中にもある。
「人 木石にあらざれば 皆なさけあり」とは 人間は木や石ではないのだ
から 誰でも感情を持つの意で ここにいう情けは胸のうちに働く人間的感
情の意味であり みづから光をはなつ真情ということである。
・・・

5. 〔真情という意味だけでは解釈のつかない語例〕
たとえば「武士のなさけ」とか「そっとしておいてやるのが男のなさけ」な
どと言う場合・・・。弱点をつかれ 追い込まれている相手 逃げられずに
窮している相手に対して それを見くだす位置にいる者が その窮状を思い
やる気持ち その色合いがなさけには含まれている。

6. ジャングルの中で いつも恩を着せられている兵士が 上級の兵士を
実力でやっつけ 「もうおなさけは沢山だ!」と叫ぶ(『野火』大岡昇平)。
こうしたなさけは上から下へのおめぐみ 慈悲である。

7. 形ばかりのおめぐみは「おなさけです どうか助けて下さい」と懇願
するときにも使われるが こうした「形ばかりの相手への思いやり」という
意味の例は 古い時代にさかのぼると意外に大きく現われてくる。

8. 『源氏物語』には なさけという言葉は百回以上も使われている。し
かしこれは 肉親の間の愛情を示すには一度も使われていない。

9. そして 葵の上とか六条御息所 あるいは紫の上と明石の上というよ
うな第一夫人と夫の愛人との間で なさけを見せるとか なさけを交わすと
かの形で使われた。親子 兄弟の間では使われず 第一夫人と愛人とが仲よ
く付き合うことをいう場合に なさけという言葉が使われる。

10. ・・・第一夫人とその〔夫の〕愛人・・・その二人は当然心の底に
生物的な憎しみと嫌悪を抱き合っている。それを抑えて 互いにうわべの思
いやりを見せあう。そうしたうわべの思いやりすら交わすことのできない女
たちの中で 紫の上と明石の上とが こころよげに付き合いをする。それが
立派だと『源氏物語』ではしきりにほめる。

11. つまり なさけは そうした心からの情愛ではない よそからの心
づかいを示す何かである。・・・

(☆ まだまだ続きますが 取り合えずにでも この辺で)。

(大野晋:『日本語の水脈』 1993  Ⅰ くむ 第三項目)
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この回答へのお礼

1.捻じれた心の縒りを戻そうという心情の事ですね。
2.これは、1.とは真逆と云える情けかも。
3.良くも悪くも情、に力あり。そんな感じです。
4.文明の利器は、人を木や石にしてしまうのでしょうか?
5.思いやりの心、ですね。
6.う~ん、慈悲というのでしょうか?
7.それだけ情けに飢えている時代だったの?
8.興味をそそられますね。
9.なるほど。情けとは他人に与えるものなんですね。
10.こうなると、一筋縄ではいかなくなりますよ。
11.或る時は・・・またあるときは・・・しかしてその実体は
   情の正体は、多羅尾伴内だったのか!
   納得です。

お礼日時:2019/02/07 15:34

追加です。



愛とか情とか倫理とかいった「善」を価値としない哲学は、人間を幸せに
導くことはできないと思います。
幸せの定義については別途。

>「倫理が消えれば、そこへ人は流れ着く」と云うところが分かりませんでした

「善」のない哲学は、人が社会の中で人のことを「上か下か」ということ
でしか見ることのできない「猿山の猿」のような社会を作ってゆくだろう
と考えているということです。

これは、ひょっとしたら猿に失礼なのかもしれません。
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この回答へのお礼

善=思いやり精神

やっぱり基本は“情”と云う事になるのでしょうか。
だからこそ、目立ってはいけないと。

“情”の無い剛力は、弱者にとっては“悪”なのでしょうね。

有り難うございました。

お礼日時:2019/02/07 14:47

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