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日本は第二次大戦の敗戦後、価値観が180度変わり、旧軍を悪とみなす風潮になったとされています。マスコミも負けた途端言うことがガラッ変わりました。でもそれを疑う人っていなかったのでしょうか?
 日本が負けてから政治もメディアも教育も、GHQの統制下にあることは国民も知っていたはずです。だからメディアがいくら「日本の軍部はこんなに悪かった!アメリカの民主主義は素晴らしい!」みたいなことを言っても、「今のメディアはアメリカに都合の良いことしか言えないよう統制されている。これは占領政策の一環で、国民を洗脳するための陰謀だ。」と疑ってかかるのが普通だと思います。なぜ当時の人は疑わずに180度違う価値観を受け入れてしまったのでしょうか。

A 回答 (18件中11~18件)

GHQについて、疑う人はいましたが、戦争を遂行した責任者たちが処刑されなかった人が率先してGHQに従いましたからね。

安倍首相の祖父の岸信介氏なんか米諜報機関のCIAからお金をもらっていたぐらいですから。

「今のメディアはアメリカに都合の良いことしか言えないよう統制されている。これは占領政策の一環で、国民を洗脳するための陰謀だ。」なんていう人は誰もいなかったのです。

「押しつけ憲法改正!」「普通の国に!」と叫んでいる人たちが、どうして反米にならないのか、いまだによくわかりません。
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本当のところはその時代を生きた人にしかわからないし、その時代を生きた人の中にも色んな考えがあるはずですが。



昭和のはじめから徐々に言論弾圧が進み、終戦時には完全な言論統制社会になっていました。日本を占領したGHQはそこをうまく利用した、いや利用しようと思わなくたって既に体制ができあがっちゃってるんだから、自らに都合のいい報道しかさせないことは容易だったはずです。そして国民も飼い慣らされてしまっていたはずです。

無邪気に何も疑っていないのではなくて、思っていても言えない言うべきでないと思っている、それに多くの人は、占領軍の統治に不満はあれど、嘘八百を並べて我が子や夫を死地に追いやった大本営よりはマシだと思っていたことでしょう。

あなたは「価値観が180度変わり」と書いていますが、日本が負けるより前から旧軍に愛想つかしていた人はたくさんいました。口に出して言えなかっただけです。だからこそ重しが外れたとき言うことが180度変わったのです。

私の祖父は一兵卒として陸軍の飛行機に乗っていましたが、あるとき機体のトラブルで緊急着陸した、しかしそこが海軍の基地だったためにガソリンを融通してもらえず、何日もそこに留め置かれてしまったそうです。祖父はそのとき「こりゃ日本は負けるな」と思ったそうです。もうとっくに物故していますが、まだ元気だった昭和の終わり頃、そんな話を私にしてくれました。
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まず、政治に関わりのある人は必ずしもGHQに賛同していたわけではありません。

憲法改正草案でも日本案があまりにも旧憲法と同じだったので、GHQが強制的に書いた、という事実もありますし、日本語を廃止することに抵抗した人など日本の国益を守るために頑張った人たちはたくさんいます。

政治に関わりのない庶民たちは「戦争に負けた」という事実が第一にあったわけです。ただ、これも地域によって差が大きく都市部は日々の生活で精一杯、地方の日常はあまり変わらなかったと思います。
ただ庶民の日本人の総意として「戦争に負けたのだから、潔く連合軍の指示を聞く」と言う責任感はあったと思います。

なぜこのような責任感があったかというと、日本人自体に「この戦争は国民全員が賛成したもの」という意識が共有されていたからです。
 #4さんが「祖父母に聞いたら・・」という内容を書いていますが、私も全く同じ経験をしています。そして「戦争を知らないモノが・・」の後はみんな黙ってしまうのです。

これはなぜだろう、と私なりに調べたのですが、特高などの問題がありつつも、戦争開始の前には「戦争をすべし」という投票を行っているんですね。太平洋戦争を開始する判断をした東条内閣は、1937年の衆議院選挙の後国政で様々な駆け引きがあって生まれた政権だったからです。
 この選挙の時にはすでに「アメリカと戦争すべし」という論調は新聞などによって焚きつけられていて、国民も投票で戦争推進の方向で投票したのです。

これらの事から当時の日本人全体が「戦争に負けたからGHQの指示に従う」という責任感を持っていたと私は考えます。
またそう思うもう一つの理由は「日本人が近代戦争のルール、というか異民族戦争の意味を知らなかった」ということが大きいと思っています。

大陸にある民族たちは古代から戦争を繰り広げてきていて「たとえ負けても民族が生き残れば勝ち」ということを知っていたのですが、日本は近代になるまで異民族戦争は白村江の戦い・元寇・朝鮮出兵ぐらいしか知らず、近代の日清・日露・第一次大戦などは全部勝利国だったので「戦争に負けた時にどうやって民族が生き残るか」ということを知らなかったのです。
その代り日本人にとって「戦争に負けること」は戦国時代の敗戦者が受けた罰でイメージされ、改易されたり、勝者の意志に従うことを強要されたり、場合によっては切腹・首うちも仕方がない、というイメージが強かったものと考えています。

だから勝者であるGHQの指示に全面的に協力する、ことになったのです。ちなみに、ポツダム宣言を受け入れた後の日本軍のように停戦命令をほぼ確実に守った軍隊は世界中ほとんど例がないし、マッカーサーが厚木基地から都内に向かう道の警備を行った日本兵がまったく反乱を起こさなかったのも非常に稀な例なのです。

このような事例から日本人自体が「敗戦を受け入れること=GHQに従うこと」だと思っていたから、180度価値観が変わったことを素直に受け入れたのだと思います。


ただし、教育の現場についてはちょっと違います。それは共産主義の影響が戦前からあったことです。実際GHQも日本が赤化(共産化)しないようにするために昭和天皇の処刑をやめたぐらいで、その代り戦前に特高に捕まっていた共産主義者たちをだいぶ開放しています。

かれらの一部は教育組織に入り込んでいて、その後日教組などの組織で共産主義的な教育を行うようになっていきます。戦前まで共産主義とは無縁だった教師たちも「教え子を再び戦場に送るな、青年よ再び銃を取るな」というスローガンに共鳴し「日本を戦前に戻さないため」と言う理由で、今でいう自虐史観=共産化の布石でもある、を行った可能性はかなりあると考えています。

今日本がだいぶ右傾化していると言われますが、それもある意味当たり前で、なぜなら「戦前の責任感を持った人(GHQに逆らわないで、日本がもう戦争してはいけないと考える多くの人)」が居なくなってきたからです。
 今の日本は「戦争していいと思ったら負けちゃった」という罪の意識が無くなってきたので「普通の国」という思考がタブーなく考えられるようになってきているのです。

それがいいかどうかは別ですが、右翼的な考えの人がいるなら「また負けることもあるよ」とは指摘しておきたいです。
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>なぜ戦後の日本人はGHQを疑わなかったのか?



疑いましたよ
だから、それに従わなかったですし
公用語を英語にする政策というのも、日本の文盲率が低すぎるので、拒否する事になりましたし

戦後は、まず食べる事暮らす事に必死でしたから、そんな相手を疑う余裕なんか無かったです
アメリカを批判できるようになったのは戦後20年経った高度成長期に入ってからですし

まず、日本はアメリカに負けたでは無く、戦争が終わったというのが一番大きな認識でしたから
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子供のころ、そういう類のことを言うと祖父母世代に「戦争を知らんもんが!」と怒られました。



「アメリカと戦争すれば負けることなんか分かっていた」とも言っていました。
「じゃ、どうして反対しなかったの?」と聞くと、またもや、
「戦争を知らんもんが!」

「でも、みんなで反対って言えばよかったじゃない?」と突っ込むと、
「そんなこと言ったら特高に引っ張られて拷問されて殺されるわ。戦争を知らんもんが!」でした。

お上(支配者)に反対してはいけない、反対してもムダ、という精神が沁み込んでいたのでしょう。
今も日本には、そういう精神風土はありますね。
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疑わない人が疑う人よりも多かっただけのこと。



疑う人がいなかったなんて、トンデモ認識どこから出たんですか?
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疑うも疑わないも「占領」(=支配)されたのですから従うしかないのです。

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あなたみたいに口に出さなかっただけ、出せなかっただけですよ


景気も上向きでしたしそれでも良かったのでしょうね
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私もそう思います。
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http://www.garbagenews.com/img17/gn-20170613-01.gif
「"食うため、生きるために!"を、自分自身の指針として頑張る」のは《のんびりとも言える》と考えるのであれば別ですが、《温泉に浸かってのんびりと》《一日景色を楽しみ海岸でのんびりと》《ビールを飲みながらテレビでものんびりと》のようなのんびりの時間帯を人生の多くの時間で過ごせるのは、多分、現代が一番でしょう。
https://www8.cao.go.jp/youth/whitepaper/h26honpen/img/z1_4_13.gif
職場になじめない、学校になじめない、就活が希望のように進まないという理由で無職で親元にいられるのであれば、それをのんびりした時代の証とも考えられらるでしょう。
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No.5 回答者: Mocojima_Z さんが、回答日時:2019/03/05 16:42 に
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詳しくは冊封(国)で調べてみてください。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%8A%E5%B0%81

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朝鮮が清の冊封から脱したのは日清戦争の結果で、
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一般の方にも読める「朝鮮紀行」(講談社学術文庫)には
この時に無理やり独立することで清の庇護下から解放させられて
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現在の韓国では、属国ではなく「兄弟国」という表現が多いのですが、
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E6%9C%9D%E5%95%86%E6%B0%91%E6%B0%B4%E9%99%B8%E8%B2%BF%E6%98%93%E7%AB%A0%E7%A8%8B

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現在の中国がチベットなどを侵略するのは
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そんなこと、これっぽっちも考えていないと思います。
理由は簡単です。秀吉の朝鮮侵略の悲惨な結果を知っているからです。

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家康と秀忠は秀吉と同時代に生きていたので、二度とアホなことはしませんでしたが、その教訓を忘れてしまった平和ボケの人々は、明治に入って中国侵略を開始しますが、秀吉の朝鮮侵略から得られた軍事的な反省をなにひとつしていなかったため、最後は悲惨な結果になっています。
日清日露戦争は短期間の戦争であり、当時の日本は、欧米の先進的な兵器に関する各種技術を導入していたため、時代遅れの兵器相手に勝てるのは当然ですが、先進的な欧米諸国ではすでに確立していた兵站システムが全く構築されていなかったことが、日本の決定的な弱点と言うか特性なのだろうと思います。

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