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いつも大変お世話になっております。

質問タイトル通りなんですが、
『平安時代〜江戸時代に、夢占い師は存在したのでしょうか?』
また
『偉人が〇〇の夢を見て、歴史が変わった』などの逸話があれば教えて欲しいです。

宜しくお願い致します。

A 回答 (3件)

夢占い自体は中国の三国志の時代に全書(下記参照)があるくらい大昔からある事です。


https://ja.m.wikipedia.org/wiki/周公解夢全書

日本でも古事記や日本書記に既に記述が見られています。
ただし夢占い師と言うような専業の者は存在せず、行動の判断に使われているものです。
後醍醐天皇が楠木正成を取り立てるに当たって夢の童子の一言を基にしたと言う「太平記」の記述があります。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます!!(^^)周公解夢全書知りませんでした!!

お礼日時:2019/03/06 15:25

平安時代に、誰かが夢に出てきたら、相手が自分のことを想っているから自分の夢に出てくると考えていたようです。

和歌なんかには、いくつか詠まれてたような。

昔、七夕神社(福岡)のことをちょこっと調べたときに、肥前国風土記に、夢でそれが女性の神であることがわかった云々という由来がありました。夢占いとは違うかもしれませんが、古さとしては結構古いほうでしょう。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます!!(^^)和歌で調べてみるとまた何か発見できそうですね...参考にさせていただきます!!

お礼日時:2019/03/06 15:24

古文では、夢占いを「夢解き」という。



『大修館 全訳古語辞典』によれば、

(引用始め)
古典文学と夢
 古典文学には夢の話がたくさん出てくるが、夢に対する考え方は、現代とはかなり違う。

 そのひとつは、夢に現れるのは、現れた人が夢を見ている人を思っているからだと考えられていたこと。『伊勢物語』で、東下あずまくだりしている在原業平ありわらのなりひらが駿河するがの国で京へ帰る知人に託して、

  駿河なる宇津うつの山辺やまべのうつつにも夢にも人に逢あはぬなりけり〈九段〉

と京の恋人に詠んでやったが、これは

  あなたは現実(うつつ)にはもちろん、夢にも現れてくれませんね(私を思っていないのでしょう)

と恨んでいる歌である。

 次に、夢で見たことが実現すると信じられていたこと。
 夢見る少女である『更級日記』の作者は、夢に仏様が現れて、「早く仏道のお勤めをしなければ将来困ることが起きますよ」と告げたのにそうしないで物語ばかり読んでいたので、夫に先立たれた。早くお告げのようにしておけばよかったと後悔している。
 また『源氏物語』で、明石あかしの入道は娘の明石の君が生まれるとき、自分の手に須弥山しゅみせんを捧げ、山の左右から月と太陽が輝き出る夢を見たが、それは娘の生んだ姫が中宮になり、その子が天皇になることを告げるものであり、後日そのとおりのことが実現したのだった。

 夢は多くは神仏のお告げであり、その実現が信じられていたので、夢が何を表すかということを判断する「夢解き(夢合わせ、夢占(ゆめうら)とも)」が重要になり、それを職業にする人も出てきた。
 悪い夢を見たとき、災害が来ないように、また吉夢に変えるようにまじなう夢違(ゆめちがえ)もよく行われ、『宇治拾遺物語』には、他人の見た吉夢を夢解き女を説きつけて買い取り、立身出世した話まである。「夢」がなかったら古典文学の多くは成り立たない、といってよいほどである。
(引用終わり)




夢は買うこともできた。「夢買い」という。
源頼朝の妻である北条政子には、有名な夢のエピソードがある。
Wikipediaから引用しよう。

 『曽我物語』によると二人の馴れ初めとして、政子の妹(後に頼朝の弟・阿野全成の妻となる阿波局)が日月を掌につかむ奇妙な夢を見た。妹がその夢について政子に話すと、政子はそれは禍をもたらす夢であるので、自分に売るように勧めた。当時、不吉な夢を売ると禍が転嫁するという考え方があった。妹は政子に夢を売り、政子は代に小袖を与えた。政子は吉夢と知って妹の夢を買ったのである。吉夢の通りに政子は後に天下を治める頼朝と結ばれたとする「夢買い」をした。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます!!『夢買い』は初めて聞きました!どれも為になるもので大変参考になります!!

お礼日時:2019/03/06 15:24

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