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三国志の話ですが、当時の蜀は関羽、張飛、趙雲、馬超、諸葛亮がいました。張飛一人で20000、関羽、趙雲、馬超の三人で30000、あと、諸葛亮の戦術で✖️10。姜維の戦術で×5
蜀は実質2500000の軍勢を従えていたことになります。この時魏総勢150000程度、呉30000。まず、呉に姜維と関羽二人でで攻め込んで呉を滅ぼし、同時に諸葛亮と張飛二人で魏に攻め込めば簡単に蜀が統一できたのではありませんか❓

A 回答 (8件)

戦は足し算引き算では答えが出ない問題です

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蜀が統一されたなら


ショック(蜀)
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この回答へのお礼

座布団一枚!

お礼日時:2019/03/07 14:17

残念ですが、姜維は孔明以外の将と関わっていません。

ので除外。
あと孔明は、どちらかというと内政の能力に長けていました。
北伐を考えれば分かりやすいですが、守りは上手・攻めは下手。

なので単純計算は出来ません。
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この回答へのお礼

え、そうなんですか?こうめいって攻め下手なんですか?けど、関羽とかたくさん豪傑いましたよね?だから蜀がかなり強かったのでは?

お礼日時:2019/03/07 14:18

中国は白髪三千丈の世界です。


鳳凰などは日本列島より大きい鳥です。

何事も大げさなのです。

日本だと、せいぜい宮本武蔵の数十人が
限度です。
西洋ではシラノの百人が最高です。

しかし、中国では千人、万人単位に
なります。

それは現代でも同じです。

習近平主席の「一帯一路」構想などは
ヨーロッパを含むユーラシア大陸を
中華圏にしてしまう、という壮大なものです。

壮大過ぎます。




簡単に蜀が統一できたのではありませんか❓
 ↑
妄想と事実は違います。
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この回答へのお礼

まじめにいきます。
たしかに・・・赤壁の戦い曹操軍100万・・・
秀吉朝鮮出兵時の明でも全軍で53万くらいしかいなかったのにこの時より人口が少ないしかも70%しか把握できていない曹操が・・・

お礼日時:2019/03/07 18:04

正史を読まれていたんですね。


ならば尚更「蜀」という国?が如何に「演義」「横山版」「吉川版」で美化されていたかが分かると思います。

赤壁にしろ「元々戦いがなかった」「風土病が曹操軍に蔓延した為、船を焼き払い撤退した」という説もあります。
そうでないと、曹操軍の名のある将が赤壁でほとんど亡くなっていないのはおかしい…というある意味の事実に基づいての説です。

関羽にしても個人の武勇は沢山伝わっていますが、一軍を率いる将として考えるとそこまでの戦績は残っていません。
これは趙雲に関しても同様ですね(趙雲は劉備より年上、という話もあります)。

どちらかというと関羽・趙雲よりも、張飛の方が軍を率いる才能はあったようです。
張飛の務めた「車騎将軍」の位は三公に次ぐもので、その下に「幕府」を持ちます。
…果たして世に有名な「傍若無人な張飛」に務められる職か?と言われると、それは違うでしょうね。

蜀の猛将はどちらかというと「個の強さ」に特化した将が多かったのでは?というのが個人的見解です。

結局の所「正史」にしても陳寿が「晋」の時代に編纂したもので、陳寿は元蜀の文官…。
蜀の楊戯(文然)が記した「蜀書」を基にしている事も考えると、多少の『蜀贔屓』もあったのでは?と言われています。
「魏」「呉」に対して「蜀漢」としたのも、『蜀が漢の正当後継国である』という陳寿独自の解釈である…という話も。

様々な憶測・推測が2000年近い時間の中で、歪曲して挿入された…と捉えるのが一番しっくり来るような気がします。

私は魏好きな野郎ですが、特に蜀アンチという訳ではありません。
三國志自体大好きで、ちょこちょこと色んな説を採り入れて楽しんでます。

長文失礼しました。
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この回答へのお礼

関羽と張飛はほんと強いですよね。彼らはやはり全身鋼鉄だったんですよね?

お礼日時:2019/03/08 07:13

まず、当時の人口から数を割り出すと実質的に10分の1以下と見るのが妥当かと思います。

横山光輝さんの三國志は吉川英治の三國志を土台に描いてます。それらの元になる元本は『三國志演技』と言う本です。正史の『三國志』ではありません。『三國志演技』は爆発的な人気になり、その影響はつい最近まで中国では、魏の曹操は最近まで悪者とされてました。関羽や張飛に関しては戦闘能力は抜群でしたが作戦を練る事や戦術に置いては、もう1つでした。関羽、張飛、趙雲が活躍してた前半は、一騎打ちから戦闘が始められましたが、関羽が陸損
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すみません。

途中で送信してしまいました。続きです。関羽が呉により領土を奪われてから戦闘の形が変わりました。つまり諸葛孔明や司馬懿の時代になったんです。蜀の国は頭脳戦を描けるのが諸葛孔明しかいませんでした。それに比べ魏や呉には沢山の軍師がいました。ですから、諸葛孔明と張飛が魏に攻め行っても負けてたと思います。日本の真珠湾攻撃のようなもんです。例えば、現在の会社に置き換えて見ると蜀の国は関羽、張飛、趙雲は職人であり経営能力があるのは諸葛孔明ただ一人で劉備は経営を丸投げしてた代表取締役って感じですかね?
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この回答へのお礼

え、張飛は蜀の技術により生み出されたサイボーグではなかったのですか?

お礼日時:2019/03/08 14:32

その考え方は根本から間違っています。



長坂で曹操軍に追われていた劉備軍団には関羽、張飛、趙雲、諸葛亮がいて、質問者様の計算でいうと劉備軍団には40万の軍勢がいた計算になるのですが、実際は5000の騎兵を相手に敗走を続けることになりました。
個人の能力が兵力の加算にならない実例です。

漢中攻防戦で張飛と馬超が出陣していますが、彼らはろくな功績を挙げられず、一時そろって敗走しています。
第一次北伐において趙雲の軍は、兵力において劣勢の曹真らの軍に敗北しています。
彼らが出てきたからといって必ず戦闘に勝てるわけではないという実例です。

そもそも蜀の人材がその能力で兵力の加算や倍率を設定できるのなら、魏や呉にもそれを適用しないのは不公平な計算です。
魏や呉にも優秀な人材が存在するのですが、もし同様に考えるならおそらく蜀の一人勝ちのような計算にはならないはずです。

でも、まぁ、反三国志の世界であれば、質問者様のいうようなことが成立しそうな気はします。
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この回答へのお礼

え、蜀の豪傑たちは全身鋼鉄だったのではなかったのですか?

お礼日時:2019/03/14 22:50

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