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第一次世界大戦前のヨーロッパにはオーストリア・ハンガリー帝国という大国があり、開戦の原因を作った国でもあります。
オーストリア皇帝のフランツ・ヨーゼフ1世と日本の明治天皇の治世はほぼ同時期ですが、第一次世界大戦前(1910年前後)の両国の国力(軍事力・経済力)を比較すると、どちらの方が上だったと言えるでしょうか。

当時の人口はどちらも5000万人前後であり、ほぼ同じだったようです。
オーストリア・ハンガリー帝国の芸術や文化は有名ですが、国力に関してはよくわからないので質問しました。

A 回答 (2件)

経済力はオーストリア・ハンガリーの方が日本より断然上で


一人当たりGDPでは日本の倍程度ありました

また日本の国策重工業企業に比べオーストリア・ハンガリーでは

ボヘミアのシュコダ
上オーストリアのシュタイヤー・マリンヒャー
ハンガリーのガンツ
などの有名企業がありました

日本ではあまり知られていませんが

1896年に欧州初の地下鉄はハンガリーのブタペシュトに敷かれ

第一次世界大戦後ですが
世界初のジェット機のターボプロップエンジンもハンガリーのガンツ社が開発しました

第二次世界大戦後、日本の鉄鋼業界は世界に飛躍することになりますが
その切っ掛けを作ったのは第二次世界大戦後にオーストリアから技術導入したLD転炉でした
Lはオーストリアのリンツ
Dはオーストリアのドナヴィッツ
からその名が来ています

またオーストリア・ハンガリーのオーストリア部分(オーストリア・ハンガリーはオーストリア、ハンガリーの連合国家で双方内政不干渉)では
1907年に男子普通選挙が施行され、ドイツのビスマルクが世界で初めて施行した社会保険制度も真似て施行していました

一方、日本の都市部では士官学校や兵舎から排出される残飯を弁当にしたものを日々の糧とする貧民窟がいくつも存在し、農村も小作人が極めて貧しい生活を強いられ、結果として満州の現地農民から土地を奪いそこへ貧農を移住させることとなるのです

経済力や国民生活ではオーストリア・ハンガリーの方が日本より上ですが

軍事に関しては
多民族国家オーストリア・ハンガリーには問題点があります

外征戦争ありきの日本とは違いオーストリア・ハンガリーの軍隊は対外戦争は避けるべき軍隊でした

1848~1849年の諸民族の反乱による内戦に対してはラデツキー、ハイナウ、クロアチア人のイェラチッチのような有能な指揮官に恵まれ鎮圧することができました

オーストリア・ハンガリーは連合国家のためにオーストリア、ハンガリー双方に国防軍(陸軍)が存在
その他に共通軍(海軍を含む)が存在します

オーストリア・ハンガリーでは3年間の選抜徴兵制が施行され、最初の1年は共通軍所属、後の2年はオーストリア、ハンガリーそれぞれの国防軍に所属します

1個連隊でも単一民族でなく、三つの民族が共存する場合があり
反乱を防ぐためにも定期、不定期で郷里以外に駐屯地を移さなければなりませんでした

撃て、気を付けなど簡単なドイツ語単語40位を覚えさせ指揮語とすることは出来ても
連隊の生活用語はそれぞれの民族言語
それを指揮する将校は必ずしも同一民族とは限りませんから
将校はバイリンガルでなければならず
1904年の統計では将校の47%がドイツ語以外にチェコ語を話せました

なぜチェコ語か
チェコ語が他のスラブ民族言語の入門語として学ばれからです

ドイツ系、ハンガリー系、そして古くからパンデュール(クロアチア猟兵=軽歩兵)として伝統のあるクロアチア系を除き
将校を除き、他の民族の忠誠心には疑問符が付きます
(例外として1846年のポーランド人の独立蜂起に対しポーランド貴族から農奴のように過酷な労務を強いられていたルテニア人=ウクライナ人が逆蜂起し皇帝軍に味方してポーランド貴族の邸宅など襲いポーランド人の独立蜂起を潰した事例もありますが)

従ってドイツ系、ハンガリー系、クロアチア系が実際の人口比率に比べ徴兵されている比率が高く、結果として不平等が生ずることになりました

結局、国民国家でないオーストリア・ハンガリーでは上記三民族以外には何に対して忠誠を尽くすのか
ハプスブルク王家?
民族意識の高まる19世紀半ば以降ではきつい話ですね

確かにロシアよりは諸民族の自由度ではオーストリア・ハンガリーの方が上でしたが
短期ならともかく
長期の外征戦争を起こした時点で結果は見えてきてしまいます
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海軍力では日本は上昇傾向が強かっ他時期ですが、オーストリアは現状維持がやっとでした。


時代的に日露戦争時に、英国が戦艦ドレッドノートを竣工させ、それまでの戦艦(日本の三笠等)を一挙に旧式艦にしていまいました。
日露戦争後に日本はそのドレッドノートに対応する戦艦を建造していったのですが、オーストリアはそれっぽいド級戦艦(色々な欠陥があった)をようやく完成させることができただけでした。

この頃のオーストリア帝国軍は、非常に戦争が下手(作戦指揮が悪い)なのと装備の質も旧式で悪く、
いざWW1が始まって戦闘が開始されると、陸戦では軍の装備の悪さからロシアに対して敗戦続き、海軍も母港に引きこもりがちで自慢のド級戦艦も出撃するとイタリアの魚雷艇に沈められるなど、戦績が良くないです。
ロシアも革命の足音がすぐそこまで聞こえている時期で、決して強くなかったのですが、そのロシアにもオーストリア軍は苦戦しています。

日本は日露戦争という実戦をすぐ前に経験していて実力が十分だったのですが、オースリア=ハンガリー帝国は国力を失いつつある時期だったためか、軍としては陸も海でも不振が続いていますね。
地中海で船団護衛をした日本海軍と実際に戦火を交えているかどうかがよく判らないのですが、地中海に派遣された日本艦隊は連合国内では評価が高かったです。
オーストリア軍はどうも…国の勢い自体もなく軍もあまり良い評価が無いですね。
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