
No.5ベストアンサー
- 回答日時:
平城京・平安京時代の仏教は貴族の所有物でした。
したがって寺院の建立(こんりゅう)も、貴族の所在地である都や都周辺に集中したことが原因だと思います。
それ以降も一部の宗派を除き、権力と仏教は不可分な間柄にありましたので、
鎌倉や江戸のように幕府所在地もお寺が多いわけです。
京都が特に多いのは、平安時代~江戸時代初期まで、日本の政治の中心を長く占めていたことが大きいと思います。
(鎌倉時代でも幕府と朝廷の権力比は五分五分とはいきませんが七分三分でまだ朝廷に力がありました)。
No.4
- 回答日時:
おはようございます。
そもそもお寺って何ですか?
何処の町にも村にも必ずございます。
はっきり申上げてお葬式と法事以外はめったに行きませんが。
そんな疑問が長い間ありまして京都、奈良のお寺を観て周ってふと気が付いたのですが。
今も昔もお寺には変わりはないのですが、昔のお寺は今の大学病院に相当するのではないかと。
昔は今ほど医療が発達していませんから病に罹れば文字道理神頼みしかございません。
それが現世を救っていただける薬師如来であったり。
お亡くなりになれば阿弥陀様がお迎えに来てくださると。
一連の流れのようなものを感じますが。
そして現代は医療は医学として特化しましたし、学問は教育として特化しました。
そうしますと残った精神や哲学のような言葉で表しにくいものがお寺に残ったのではないかと。
京都、奈良のお寺を周る方、癒しを求めて、或いは歴史を遡る為、色々ございますが。
今でも高度医療の大病院は大都市に集中しておりますし、また病に罹る方の数も多いわけでして。
当時の大都市といえば奈良であったり京都であったり。
大学病院を出られた先生が地方に診療所を開く様にお寺も地方に同じ宗派のお寺が在るのではないかと。
当時の時代の権力とは無関係ではございませんが、そんな目で紅葉が盛りの京都、奈良を観ておりますが。
No.3
- 回答日時:
奈良・京都に有名な寺院が多いのは
都には有力な豪族が居を構えていたため
彼らたちは大きな寺院を建てることで
自分の力を誇示していたとか
授業で聞いたような聞かなかったような。
No.1
- 回答日時:
長い間、都だったから・・・
天皇と血縁関係のある人や公家、
将軍が住まいや隠居場所に「xx寺」
という名前をつけた・・・
というのでは回答になっていないでしょうか?
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