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車輪の下で なぜハンスは努力できなくなった?

車輪の下にとても共感している大学3年男です。
(以下、次の段落まで飛ばしていただいて構いません)
私自身、中学まで勉強がかなり出来る方で勉強自体も嫌いではなく、親や教師から褒められ、ただ曖昧な未来を目指している仲間をどこか心の底で下に見ていたような生徒だったと思います。(表向きは優等生で誰に対しても笑顔で振舞っていたと思いますが)。中学では塾にも通い始め、色々詰め込み教育をしてもらいましたが、他の人より吸収率が良かったためあまり知識を詰め込むことに対して大きな疑問を抱きませんでした。(疑問に思って色々調べる→テストまでに調べきれない疑問がでる→疑問は解決していなくてもなぜか丸暗記できていてテストは問題なく出来る また疑問ばかり抱くのはできない人間だからのような気持ちもありました。)
その後、県内で一番の公立高校に進み、勉強はなぜ?という理由を求めていく姿勢が大切という演説を聞き感激。それまでもそういった傾向がありましたが、自分は勉強で生きていけるんだという自信も手伝い、どんどん好きな方向に勉強が脱線していくようになりました。そんな私に方向転換させた高校ですが、実態はただの公立高校。他の中高一貫のスピードに負けないようにとにかく詰め込み&出来る生徒に合わせた授業(それはイコール塾に通う生徒に合わせることとほぼ同義)を行なっており、高校が謳っている理想に対し大きな反論はないけど、行われている毎日の実態のギャップに違和感を感じていました。
学力面ではどうだったかというと入学したばかりの頃の実力テストも下から数えた方が圧倒的に早い順位。結局授業も全くついていけなく、卒業時までそれはひっくり返ることはありませんでした(私は勉強が嫌いではないと思っていたことと、この高校に入った以上他に道がないと思っており、塾には入りませんでしたが、暇さえあれば勉強をしようとしていました)

(ここから質問に戻ります)
そういった自分がこのお話を読むとハンスがとても他人事には思えません。そして私なりにハンスや周りの人間はどういう考え方や行動を起こすべきだったのかと色々と考えています。その中で今一番聞きたい質問があります。
勉強で身を立てることが本当に一番良い人生であるかという議論はこの際置いておいて、もしハンスがそのまま学校で良い成績を保ち続けることを良い人生と仮定したとします。
作中ではハンスは、ハイルナーとの交流を重ね考え方が自由になっていき、勉強になぜか身が入らなくなったと思い始めますが、どうして勉強に身が入らなくなったのでしょうか?
客観的に考えれば、ハイルナーと交流し、新しい考え方を吸収しつつも勉強を続けるということもできたのではないかと思えてしまうのです。(まさにハイルナーのようにそつなくこなす人生があったのではないかという気持ちです)
と思いつつそれはハンスのような人間には難しいということは自分の経験からなんとなくわかります。

ハンスにそのような器用な生き方ができないのは、生まれつき性格や素質がないからでしょうか?
そうでないならどのようなマインドセットを持っていれば、しっかり勉強に取り組みつつ自由な生活を送れるのでしょうか?
(これは今の私自身が、今の大学で勉強を続けているが、どこか絶対的なものに思えず全てのことに身が入らない&ただのガリ勉で終わりたくないという自分自身の悩みとも重なっています)

文学に詳しい方、人生経験が豊富な方、ぜひご意見お聞かせ下さい。

A 回答 (4件)

昨日回答させていただいた者です。



ご質問の「どうしてハンスは勉強に身が入らなくなったか」についてです。

ご存知の様にハンスは非常に繊細な神経の持ち主です。ハイルナーが放校処分となる以前から、ハンスは校長に直接呼ばれてハイルナーと付き合うなと既に言われていました。そうした規則ずくめのうわべを重んじる神学校にハンスは既に違和感や疑問を感じていたと思います。
それで結局ハイルナーが脱走して、学校を去ることになります。
親友であり神学校で唯一本心で話せる相手を失ったハンスにはこのことは決定的な打撃でした。
これをきっかけにハンスは神経のバランスを失っていきます。

これがご質問の「どうしてハンスは勉強に身が入らなくなったか」の回答です。
現実のヘッセのようにハイルナーの要素もハンスが持っていたならば、あるいはハンスはうまくやってゆけたのかも知れません。
ハイルナーの行った脱走行為は現実のヘッセが実際に行ったことです。

再回答させていただきました。
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この回答へのお礼

たくさんの解答ありがとうございました。山田さんの意見や他の意見も調べながら考えてみました。
現時点での結論としては「ハンスはハイルナーほど身体全てを投げ出す度胸がなかったから」ではないかと考えます。これはヘッセの別作品の解釈(https://blog.tinect.jp/?p=18741
)や山田さんの指摘点「ハイルナーのように(逃げるときはとことん)脱走してみる」から考えました。
今の私に応用するとしたら脱線してしまう自分自身を認め身を投げてみるということでしょうか。(本当に脱線で本線の問題が解決するか不明ですが笑)
山田さんもこの本が好きということは私と同様にハンスに自分を重ね合わせるところがあるのかもしれないなと思うと少し心強くなりました。
解答ありがとうございました

お礼日時:2019/07/08 20:26

お邪魔します。

車輪の下は私の愛読書ですので。

上手には言えませんが、ヘッセ=ハンス、ではなく、ヘッセ=ハイルナー+ハンス、であると思います。
つまり主人公はハンスですが、ハイルナーも若いヘッセのもう一つの分身を表しています。
若いヘッセには、ハンスとハイルナー二人の要素があったことが高橋健二などの伝記に書かれています。

そして、ハンスには母親がいませんが、これもまた実際の若いヘッセとは異なります。
若いヘッセは母親の愛情に包まれていました。それはヘッセ自身よく折に触れて書いています。
ところがハンスには母親がいません。

ハンスが神経を病んでゆくことは実際のヘッセと同じです。
そして神学校を中退して職人に就くこと、これも実際のヘッセが体験したことです。

結局ハンスはお酒に酔っ払い河に溺れて亡くなりますが、実際のヘッセはくじけることなく職人業を転々として、結局世界的な作家として身を立てます。
これは一体、何を意味しているのでしょうか?

私は、上手に言えず申し訳ありませんが、「車輪の下」という「作品の中では」主人公ハンス・ギーベンラート少年は確かに亡くなりますが、読み終えた私たちの脳裏では、ハンス少年はなんと生き生きと「生きている」ことでしょう、小説という作品の中では主人公は亡くなりますが、読んだ人々の頭の中では主人公は生きています。
このことが、ヘッセが伝えたかったことなのではないのか、と、私は考えるようになりました。

ですから、ハンス少年は生きているということになるのだと思います。

何だか私自身よくわからない乱文を書いてしまい、誠に申し訳ございません。
また、ご質問の答えにもならず、すみません。

以上、何かのお役になれれば幸いです。
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大学生は車輪の上ですね。

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ヘッセ自身は錠前屋などにはならず本屋の弟子で本を読みふけっていたことはご存知の通りです。

車輪の下はヘッセの初期の作品で「ペーター・カーメンチント」のすぐあとあたりです。私にはヘッセが「書き易い悲劇」を書いた様に思われます。神学校に二番で合格したものの父親は知的で無く何を勉強するべきか教えて貰えない、ハンスも神学校の教師に馴染めない。ハイルナーは知的な家庭の子なので自由自在に生きられるがハンスはその世界が見えない、結局うつ病になってしまった。ここまではヘッセ自身が知っている世界ですがヘッセはハッピーエンドを作るだけの社会経験が無い、結局ハンスを殺してしまった。私も読んだときヘッセは社会経験が少なすぎると思いました。
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この回答へのお礼

ヘッセが本当に社会経験が少ないと断定してしまうと、本当に詳しい方に反論されて怖いですが、たしかに その後を書けなかった、書くのが難しかったから物語の都合上殺したという解釈は納得しました。ご回答ありがとうございました

お礼日時:2019/07/08 20:12

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