
No.12ベストアンサー
- 回答日時:
まず、ちょっと文章が変ですよ・・。
「心理面は分かり得ないから、動機はさて置き」と言いつつ、「前にぶら下がった千載一遇の好機を捉え行動」などと、まさに行動の動機を憶測しているので。
また、「千歳一遇の好機」と言う動機を憶測しつつ、「何も無くて行動」と言う文脈も、繋がらないです。
むしろ、「千歳一遇の好機なので、突発的に行動した」なら、充分に辻褄が合うと解釈するのが、一般的かと思いますが・・。
更に、「何も無くて行動する」と言うのは、現代風に言えば、刑事責任を問う上での心神耗弱などに他ならず、「夢遊病でもない限りあり得ない」は言い過ぎです。
それはさておき、「単独犯行」に関しては、「説」ではなく、現時点では、ほぼ「信憑性が高い史実」と言えるでしょう。
少なくとも、犯行時や犯行前後には、共同正犯,幇助犯の存在は全く認められず、黒幕説や陰謀説における教唆犯的な存在も、貧弱な状況証拠を根拠とするものであって、有力な証拠はありませんので。
言い換えれば、説や憶測とか、黒幕説,陰謀説などに比べれば、遥かに妥当な推理,推察と言うところです。
また、突発性に関しては、「極めて突発的な犯行」なのか、「突発性も認められる犯行」なのか、要は程度の問題であり、これは仰る通り、光秀本人に正確には判らないことですが、それこそ「千歳一遇の好機」と言う点は、これも状況証拠の域ながら、かなり有力な状況証拠とされて当然です。
言わば、「目の前に財布が落ちていたから、ついネコババした」と同じ動機であって、これも推理,推察として妥当です。
あるいは、逆に言えば、「千歳一遇の好機」がなければ、「本能寺の変は無かった」と言う点は、まず間違いないところで、光秀が行動に及んだことと、確実に因果関係は認められます。
後は、それ以外の動機の動機の有無で、「怨恨説」やら「野望説」などが代表格。
これらにはそれなりに有力な状況証拠があって、充分に動機になり得るものですから、かつてはそれぞれが学説の主流を占めた時期もありますが、程度は判らないものの「突発性」に比べると、憶測の域を出ません。
従い、かなり妥当性の高い推理として、「突発的な単独犯行説」までが、現時点でほぼ間違いなさそうと言うのが、主流化している様ですが、「それ以外の動機は認めない」と言うほど、排他的な説ではないとも思います。
逆に、歴史学的にあまり相容れないのは、「動機説」と「黒幕説」で、「明確な動機がある上に、黒幕も居た」となると、もはや学術と言うより、歴史小説の世界になるからでしょうね。
光秀が尊王論者であるところに、朝廷が接近・・と言うのが、あるくらいかと思います。
ただ、歴史学者でもない個人的意見は、恐らく黒幕説を除く「複合説」と思ってて。
まあ光秀が尊敬する朝廷の誰かが、「信長は死んでくれないかな?」とつぶやいた程度の黒幕が居ても、良いかな?とも思います。
>「千歳一遇の好機」と言う動機を憶測しつつ、「何も無くて行動」と言う文脈も、繋がらないです。
回答者さんは「千歳一遇の好機」自体が動機となると思われたのでしょうが、私は光秀が何を、常日頃からの思いを遂げる「千歳一遇の好機」と思ったかを動機と見做しました。
>「千歳一遇の好機」がなければ、「本能寺の変は無かった」と言う点は、まず間違いないところで、光秀が行動に及んだことと、確実に因果関係は認められます。
これは仰るとおり私も大いに賛同します。
>個人的意見は、恐らく黒幕説を除く「複合説」と思ってて。まあ光秀が尊敬する朝廷の誰かが、「信長は死んでくれないかな?」とつぶやいた程度の黒幕が居ても、良いかな?とも思います。
私も、この回答者さんの見解に極めて近いです。ただし、光秀に大いに期待したうえでの意図的ではあるが責任を回避しようとしたつぶやきだと思います。何の証拠もありませんが、ある企みをもった人間の行動の通例に照らし合わせる限り、ということです。

No.13
- 回答日時:
お邪魔します。
個人的には明智光秀は天下を取ろうという野心で織田信長を死なせたのではないであろうという考えの者です。
明智光秀も家臣団を抱える武将という立場ですから、個人的な野心で大事を立てられないという立場だったからです。
何か、今日ではもはや窺い知れない事情があったのでしょう。
質問者さんが、朝廷と関係しているとお考えであれば、今日ではそれを否定出来る証拠も史料もありません。
いずれにせよ私は、明智光秀の個人的な理由に基づいて織田信長を討ったのではなく、今日ではもはやわからない理由があって「本能寺の変」を行ったのだと思います。
何かのお役になれれば幸いです。
No.11
- 回答日時:
当初のお話から逸れますが・・・。
私は、質問者さんと違い、井沢氏と呉座氏なら、全面的に呉座氏支持です。
井沢氏が「小説家として」「フィクションとして」語るなら、全くお好きにどうぞ、なのですが、それを「歴史の真実」「歴史家が隠している事実」などと言うから、おかしなことになるんです。
真実だ事実だというなら、証拠が無ければいけないのです。
「証拠など残すものですか」と言うなら、朝廷も家康も秀吉も「推定無罪」としか言いようがありません。
貴方なら、「証拠は無いけど、オマエの祖先は極悪な犯罪者だった!」と言われたら、ああそうですかと納得しますか?「証拠も無いくせに、バカを言うな!」と言いませんか?
> 証拠がないから人形の全体形は分からないままという窮屈で馬鹿馬鹿しくもある分野のような気がします。
これは違いますよね。
同じ黒幕説でも肝心の黒幕が誰であるかにいろんな説があるところを見ても、黒幕説は、「誰もが確からしいと納得できるような常識的な」説明になってないわけです。
人間とサルは形状が近しく、人形と人間は形状が近しい(ことが多い)から、最も確からしい常識的な解釈として、人形の全体像は・・・と推測するのとは、レベルが違います。
別に、光秀が黒幕無しで単独で行動していたとしても、説明はついているんです。単に「それじゃツマラナイ」と言う人が、黒幕だ、陰謀だと仰っているだけのことです。
しかも、その証拠など無い!残っているわけが無いだろう!と言われてしまっては、そりゃあ、「・・・ロマンですね」としか答えようがありませんよね。
ちなみに、学者間でもちょくちょく喧嘩してますので、別に「学者の論は仮説として(丁重に?)扱います」とは限らないですよ。
それなりに証拠を出していれば別でしょうけど、井沢氏レベルの説なら、学者でも丁重には扱ってもらえないかと。
もちろん、井沢氏のお説を証明する一級資料が出てくれば、話は別です。
歴史学は資料の発見によって主流の説が塗り替えられていくものです。
今、「最も確からしい」と言われている説だって、今後どうなるかは誰にも分かりません。
ただし、井沢氏の場合、既に新資料の発見によって否定されている過去の説を強固に主張されている部分があるので、そういったことをお分かりになっているかどうか、怪しいものですが。
井沢氏が、証拠もないのに「歴史の真実」だの「歴史家が隠している事実」などと言うのは仰るとおり、いくら当人に自信があってもおかしなことですが、敢えて際立つ表現をしないと本が売れないこともあるでしょう。
もの書きの鈴木眞哉氏と藤本正行氏の共著 「信長は謀略で殺されたのか」 は謀略説に共通する以下の5つの特徴を挙げているようです。
①黒幕が事件を起こした動機には触れても、黒幕とされる人物や集団が、どのようにして光秀を勧誘・説得したかの説明がない(光秀が同意せず、逆に信長に通報する恐れがある)。
②実行時期の見通しと、機密漏洩防止策への説明がない。
③光秀が謀反に同意しても、重臣たちへの説得をどうしたのかの説明がない。
④黒幕たちが、事件の前も後も、光秀の謀反を具体的に支援していない事への説明がない。
⑤決定的なことは、裏付け史料がまったくないこと
この本に一介の読者が次のような批評を載せています。
「従来の様々な謀略説に欠陥があるのはご指摘の通り。確かにいずれの説にも欠陥がある。それは唱えた研究者の欠陥であり、謀略がなかったという本質が証明されたわけではない。(謀略説への批判は)考えの足りない研究者の揚げ足取りに過ぎない。むしろ、生き残りをかけた当時の武将たちに謀略がないとする方が無理がある。お人好で生き残れる時代ではなかったという理解を欠いている」 ( )内は私の記載
このかたは井沢氏に類する考えをお持ちのようです。
陰謀論者からすれば、①~⑤は簡単に反駁できるでしょう。例えば①の(光秀が同意せず、逆に信長に通報する恐れがある)にしても 「光秀に謀略を単刀直入に打ち明け協力を求める馬鹿がいるものか。じわじわ話を持ち出して光秀の感触や本心を探るのが先だろう」 というふうにです。
陰謀論者にとって自説は、歴史学者が 「確からしい」 としている学説と同じく、考えの足りない彼らが嘲って言うロマンなどでは決してなく、充分にあり得る仮説なのです。
ちなみに、呉座氏の 「中世の陰謀史」 についても徹底して批判している人がいます。
陰謀論者にとって学説とはあくまで学問の世界で通用する説に過ぎず、おそらく世故に長けた現実派の彼らにとっては 「あんたたち勝手に遊べば?」 といったところでしょう。
陰謀論は不滅だといえるでしょうね。
No.10
- 回答日時:
江戸時代にはノイローゼや鬱などは知られていませんでしたからね。
光秀が討ったのは討つに十分な理由があったからだろうと、信長も極悪人にされ、無かったエピソードも作られ、裏に誰が居たなどということにされ、光秀の謀反もさもありなんと納得されるものにされたのです。
研究がすすんで、無かったエピソードは否定され、人物像がそれぞれちゃんと分かるようになると、江戸時代に言われていたことはどうやら全くのデタラメだったということが分かったのです。

No.9
- 回答日時:
光秀ならば単独で信長を討った後どういうことになるかは十分予測できるはずで、
それにもかかわらず実行に及んだのは、そう計算の上ではないというのが「突発」の根拠です。
もちろん光秀の心境を客観的に証明するものがないと、仮説の域を超えませんが。
で、当時の光秀を取り巻く状況で、光秀をそういう衝動的な行動に駆り立てた要因になりうるものとして、
①林道勝や佐久間信盛の追放
②毛利征伐に際し、同格のあるはずの秀吉の与力とされた不満
③家康饗応や甲州征伐などのおりの、信長の叱責のありかた
などがあります。
また、それらの背景として、信長と光秀の性格の不一致が挙げられます。
現代でも独裁社長や強権部長の下につくのはつらいものですが、当時は命そのものにもかかわる問題だった以上、さらなるストレスだったはずです。
秀吉のような人間関係の巧者、家康のようなずば抜けた現状認識を把握する力の持ちのなら臨機応変に対応でき、時に甘えることもできます。
しかし光秀はそうでなく、信長との性格の不一致がもはや心身症というところまで発展していた、という可能性があります。
それに上記①~③のような最後の一押しが加わり、衝動的な行動となった、というわけです。
でも、証拠はないのであくまで仮説です。
もちろん朝廷陰謀説もです。
呉座勇一氏と井沢元彦氏の論争はご存知だ思います。井沢氏は学会の資料第一主義をこっぴどく批判してきましたから、呉座氏も腹に据えかねていたのでしょう。学問の世界では裏付け(証拠)は欠かせませんから、資料第一主義になるのは仕方ありませんので、井沢氏が学会の解釈が的外れだと尖るのも理解できますが、批判は当たらないように思います。
ただ、学者は、もの書き諸氏や素人の論が、自らの論よりいかに上手く説明が付くものであっても、それはロマンだと小馬鹿にするように見受けられますし、一方、学者の論は仮説として(丁重に?)扱います。
ある日、驚愕するような資料の発見でもあれば、もの書き諸氏や素人の溜飲が下がるかも知れませんね。
No.8
- 回答日時:
> 学会のいう”突発的”とはいったい何なのかを知りたいのです。
「学会の言う」は分かりませんが、少なくとも、呉座さんの仰っているのは、No.7で私が書いたような内容だったはずです。(前に何かで呉座さんが書いてらっしゃるのを読んだ記憶が・・・。)
前々からの確執や動機があったことを否定しているのではなく、あくまでも「行動が」(もしくは「行動を起こそうと決意するのが」)突発的だった、という意味です。
呉座勇一氏の「中世の陰謀史」を現在取り寄せ中で、読まないうちの質問でしたが、呉座勇一氏のいう突発的とはそういうことだったのですね。
何でもって(どういった理由で)行動を起こそうとしたかは、証拠がないから書いてないだろうと想像しています(笑)。
どうもありがとうございました。
No.7
- 回答日時:
No.4です。
> このうちの「突発説」は、光秀が文字通り発作的に本能寺を襲ったという説です。
私の知っている限り、幾ら「突発説」と言っても、全く何も動機もないのにいきなり「今が好機だから」って襲ったわけじゃないはずですよ。
いろいろ積もり積もったものがあったけど、とは言え、進んで策略を立ててどうのこうのというほどじゃなかった。
ところが、いい感じに行けそうな状況になったから、「よっしゃー!」とばかりに急に決断した、という流れだったはずです。
仰るとおりだと思います。
それで、No.5さんの回答へのお礼に書きましたように、学会のいう”突発的”とはいったい何なのかを知りたいのです。
No.6
- 回答日時:
信長がいなくなってくれて結果的に得をするのは誰か?
あわよくばという視点から信長排除の動きに陰で協力するぐらいならやりかねない人物?
実行犯の光秀は、常日頃から信長に虐められて鬱積を溜めていました。
家康も妻子が、武田氏と繋がっているとの嫌疑が掛けられ、自らの手で殺害、少なからず恨みがありました。
比較的可愛がられたと言われている秀吉も『サル扱い』には内心で頭に来ていたでしょう。
しかもこれらの家臣団は信長がいなくなれば次代の覇者になれるかも知れないという立ち位置にあります。
実際、備中攻めの最中に本能寺の変の報を聞いた秀吉は、ただちに毛利方と和睦を結んで、城主清水宗治の切腹を見届けた後、明智光秀を討つために軍を姫路へ引き返し、山崎の合戦で光秀を討ち取り天下人になりました。
他にも、実は天皇家では?という説もあります。るのです。というのも、信長のそばにいた宣教師のルイス・フロイスは、信長の性格を著書の中でこう表現しているのです。『彼は日本のすべての王侯を軽蔑した』。つまり信長は、本心では、天皇を始めとした貴族たちのことを馬鹿にしていたのですね。その態度にプライドの高い天皇家が激高した、というシナリオはあり得る気がします。
人間心理に立ち入った場合、光秀の謀反の動機を上手く説明できますよね。
でも、学会とやらでは、証拠がないとロマンとして全て切り捨てられます。確かに学問の世界は裏づけ(証拠)なしには何を言っても通りませんし、そうあるべきだと思いますが、事実で満たされた広大な海のなかで証拠というちっぽけな島の幾つかだけをもって、ああこう論じ合うのも因果な職業だと思えてなりません。
No.5
- 回答日時:
黒幕説が否定されたとすると、残るは
怨恨説と、恐怖心説、野望説ですね。
野望説だと、御指摘の通り、何かしっくり
きません。
怨恨説にも引かれるモノがありますが、
ワタシは恐怖心説を支持します。
これは、信長は一族を優先する人事を行っており、
長年信長に仕えていた佐久間信盛、林秀貞達が追放され
成果を挙げなければ自分もいずれは追放されるのでは
ないかという不安から信長を倒したという説です。
私も、これは動機として大きい気がします。
ただし、学会は「突発的な単独犯行」が主流だそうですから、学会のいう”突発的”とは何なのかを知りたいのです。
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私は光秀の謀反は朝廷と関係しているように思っています。証拠がない? 証拠など残すものですか。
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その場合、野望説はあり得ないし、また、光秀が怨恨を晴らすためだけに行動に移るような底の浅い軽率な人物であったとも思えません。
光秀の置かれていた諸々の状況による焦燥感の中、謀反に一歩を踏み出す精神的支柱としては大義名分が不可欠だったと思われます。その屋台骨は、何といっても光秀の尊王思想であり、たとえ公家による巧妙なそそのかしがあろうとなかろうと、その思想は思わず転がり込んだ絶好の機会を前にした光秀に日頃の信長への鬱積を弾けさすに充分な名分となり得たように思います。