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江戸幕府滅亡の原因は倹約令による景気の悪化だと思うのですがこれも原因の一つでしょうか

A 回答 (7件)

滅亡の原因は、江戸幕府単体のせいではないよ、薩摩や長州の人達が世界の地勢学的観点から、徳川慶喜幕府勢を追い詰め転覆させた。

勝海舟 岡本健三郎 岩倉具視 伊藤博文 別府晋介 西郷隆盛など
列強に対して江戸幕府では国が滅ぶことを、皆知ってた

時代の流れですかな。
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江戸幕府は滅亡していないよ。

面倒になってたたんだだけ。
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全く見当外れです。

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この写真は大政奉還前の物です。

「江戸幕府滅亡」の回答画像4
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何故か西郷隆盛と勝海舟が一緒に写ってるし 真ん中やや下の法に幼少期の明治天皇まで写ってるの解る?

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江戸幕府の滅亡の真の原因は「国内経済が過熱しすぎて、農本主義的な統治ができなくなったから」です。



江戸時代の末期になると、幕府だけではなく各藩の財政が悪化していきます。しかし、封建主義は「農地から上がる収穫を基礎にした財政」であるので、加熱する市場経済・商品経済を抑えられず、また市場や商品流通から税収を得る方法も持っていなかったので、年貢のコメの値段が高くならず、その代り商品の値段が上がり続けることで、財政がどんどん悪化していったのです。

また、土地からの収益つまり年貢を得る農本主義なら農民を土地に縛り付けておくことができますが、商品経済になると農民は「儲かる商売」に手を染め、辛い農業を営む農民が激減するので、商品流通に税金をかけるのもできなかったのです。

倹約令というのは、その結果「幕府が農本主義を壊さないで出来る数少ない政策」で、もうひとつ良く行われたのが徳政令で幕府や藩の借金を棒引きにすることでした。

倹約令はすでに江戸の中期には出されています。つまり江戸の中期になると元禄文化などで商品経済が力を持ち始めたということです。これらをギリギリまでコントロールしていましたが、幕府はともかく各藩は借金まみれで、一部の大藩を除けばすでに幕府を支える力はなく、結局黒船来襲による開国と外国貿易が明治維新に向かう幕末を始めることになったのです。
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それだと「明治政府は第一次大戦後の大不況が原因で滅びた」とも言えることになります。


「じゃあなんで失われた20年があっても戦後日本体制は崩壊しないのか?」とも。

歴史の因果関係を解きほぐすことは容易なことではありません。
たいていの場合客観的資料が圧倒的に足りないからです。
このような非常に漠然としている問いに、少なくとも学術的な答えはいまだ出せません。

なにしろ、薩長でさえ、倒幕ができると確信を持てたのは戊辰戦争・鳥羽伏見の役のあとです。
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