1.
「万年筆」という個物について、シチュエーションに応じ普遍性・特殊性という異なる側面からの認識を我々はしていると思います。
(ア-1)「万年筆【というもの】は便利だ」⇒万年筆という個物について、普遍性の側面を捉えて認識している。
(イ-1)「【私の持っている】万年筆は捨てた」⇒万年筆という個物について、特殊性の側面を捉えて認識している。(他の人の万年筆ではないという意味での特殊性)
このように、助詞「は」によって表される個物について、普遍性・特殊性という異なる側面からの認識があることを、三浦つとむは自著「日本語はどういう言語か」で述べています。
ところが、助詞「が」によって表される個物は、あくまで個別性の側面から認識されるだけであり、普遍性・特殊性という側面から認識されることはない、と彼は言っている。
しかし、下記のような理由で、彼は間違っているのではないかと思います。
(ア-2)「万年筆【というもの】がショーケースに並んでいる」⇒万年筆という個物について、普遍性の側面を捉えて認識している。
(イ-2)「【私の持っている】万年筆が無くなった」⇒万年筆という個物について、特殊性の側面を捉えて認識している。(他の人の万年筆ではないという意味での特殊性)
2.
過去の関連質問では、一見、詳しそうな方からの回答もあったのですが、下記のような当たり前の内容しか回答されません。
※ 概念は個々の事物の持っている共通した側面すなわち普遍性の反映として成立する。すでに述べて来たように、【個々の事物はそれぞれ他の事物と異っていてその意味で特殊性を持っている】と同時に、他の事物と共通した側面すなわち普遍性をもそなえているので、この普遍性を抽象してとりあげることができる。※
しかし、『普遍性を抽象してとりあげることができる』のは当たり前のことです。
その際、捨象された特殊性が必然的に存在することになるわけだから、
個々の事物の持っている共通しない側面すなわち特殊性の側面を認識できる可能性は常に(=「が」と「は」に関係なく)存在していなければならないのではないか?
という(肝心の)疑問が解消できない。
三浦の説が誤りであると考えれば、その説明は不要になるのですが、三浦信者の方にとって、それは耐えられないことのようです。
三浦の説が誤りなのか、それとも
《どんな個物についても、「が」と「は」に関係なく普遍性・特殊性の認識を表わすことはできる。》
と考える私が間違っているのか。
みなさんのご見解をお聞かせいただければ幸いです。
言葉足らずの点も多いかと思いますので、補足質問は大いに歓迎いたします。
A 回答 (10件)
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No.1
- 回答日時:
意味不明のことを繰り返す念仏つコメントで埋められる前に……。
途方が下記に書いたコメントに対する回答はどこにもないのでしょうか。
【矛盾したことを言ってませんか?】
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/11283460.html
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
No.3
回答者: 1311tobi 回答日時:2019/09/07 21:43
当方が何か根本的に誤解しているのでしょうか。
「個別性」「普遍性」「特殊性」という分類は、適確な定義さえあれば、話し合いをする価値があると思います(個人的にはあまり興味はありませんが)。
ただ、それを「は」「が」の問題に絡めるのが、そもそもおかしいのでは。
大元にあるのは、下記ですよね。当方の腰は砕けたまんまです。
なぜか信奉者は具体的な説明はまったくしてくれません。
===========引用開始
しかもこれが「分かり易い解説」ですか。
素朴な疑問なんですが……。
〈A 定有の判断 (Urteil des Daseins)(個別性の判断)〉は3つに分類できるんですよね。
その分類とは下記なんですよね。
a 肯定判断――バラは赤い。
b 否定判断――バラは青ではない。
c 無限判断――バラは象ではない。
ゲップが出るほど繰り返されている
〈「が」は、対象の個別性の側面を捉え、「は」は対象の普遍性、特殊性の認識を表わす〉などというのはどこに行ってしまうのでしょう。
訳のわからない伝言ゲームの結果、どこで何がゆがんだのでしょう。
さらに言うと、異端の文法においては、「普遍性の認識」「普遍性の表現」のほかに「普遍性の判断」「普遍的概念」もあるんですね。もう何がなんだか。
===========引用終了
元々の「個別性の判断」は「が」とまったく関係がありません。
〈個別性の「が」〉ってどこから出てきたのでしょうか。まさか「個別性の判断」と「個別性の認識」はまったくの別物なのでしょうか。
当方が思うに、三浦氏が思いつきで〈「が」は、対象の個別性の側面を捉え、「は」は対象の普遍性、特殊性の認識を表わす〉とあてはめたけど、無理のある思いつきだった、というだけのことでは。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
No.10
回答者: 1311tobi 回答日時:2019/09/08 20:34
No.3のお礼には
>「が」と「は」の違いについてーその8 番外編(2)
>の質問文冒頭に、およその経緯をお示ししておりますのでご参考まで。
とあります。
当方が見る限り、あれは三浦氏の考えをまとめたものでしょう。
当方が疑問視しているのは、〈A 定有の判断 (Urteil des Daseins)(個別性の判断)〉には「は」と「が」の話(念仏コメント中に登場する「話し」と〝同義〟です)などまったく出てきません。
〈A 定有の判断 (Urteil des Daseins)(個別性の判断)〉に使われているのは「は」ですし。
そこで、〈無理のある思いつき〉と思ったのです。
No.6のお礼を見るに、やはり常人には理解できないもの、ということでよろしいでしょうか。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
大元の〈A 定有の判断 (Urteil des Daseins)(個別性の判断)〉に使われているのは【は】ですよね。
それをもとに、〈「が」は、対象の個別性の側面を捉え〉になるのは、誰かが間違っているんですよね。
1)大元が間違っている。
2)翻訳者が間違っている。
3)引用したブログの書き手が間違っている。
4)三浦氏が間違っている。
5)三浦氏の論を孫引きしている信者が間違っている。
そこがわからないと、考えるだけ時間のムダでしょう。
ご回答ありがとうございます。
> 大元の〈A 定有の判断 (Urteil des Daseins)(個別性の判断)〉に使われているのは【は】ですよね。
それをもとに、〈「が」は、対象の個別性の側面を捉え〉になるのは、誰かが間違っているんですよね。
:
〈A 定有の判断 (Urteil des Daseins)(個別性の判断)〉が大元なのかどうか、提示したご本人からの返事がないので、なんとも言えません。
手を変え品を変え質問しているのですが、ノラリクラリで一向に埒が明かない。
なので、
>(三浦が)それをもとに、〈「が」は、対象の個別性の側面を捉え〉
:
たのかどうかも確定できず、というのが現状ですかね。
そもそも、個人的には〈A 定有の判断 (Urteil des Daseins)〉という概念自体になじみがありませんで、ここからは攻めにくいと感じている。
「が」と「は」の違いについてーその8 番外編(2)
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/11282190.html
で三浦の誤りを根拠を挙げて述べたつもりなので、この切り口で展開している最中です。
>そこがわからないと、考えるだけ時間のムダでしょう。
:
個別性・普遍性・特殊性という用語を提示した方が、論理の通じる御仁であるなら、論理的な会話によって、ある程度の地点までは辿り着けるかと期待していたのですがね。
ご本人との会話に、合理的な返事が返ってこなくなってきたので、おそらく限界なのだろうと考え、改めて質問し直したような次第です。
さて、どうなりますことやら。
No.2
- 回答日時:
>《どんな個物についても、「が」と「は」に関係なく普遍性・特殊性の認識を表わすことはできる。
》と考える私が間違っているのか。
質問者の考えが間違っています。
言語は対象を概念として表現します。
《どんな個物についても、「が」と「は」に関係なく普遍性・特殊性の認識を表わすことはできる。》というのは、主語が欠けています。何が、「が」と「は」に関係なく普遍性・特殊性の認識を表わすことはできるのか不明です。■
ご回答ありがとうございます。
>《どんな個物についても、「が」と「は」に関係なく普遍性・特殊性の認識を表わすことはできる。》というのは、主語が欠けています。何が、「が」と「は」に関係なく普遍性・特殊性の認識を表わすことはできるのか不明です。
:
主語は「話者」ですね。
>『普遍性を抽象してとりあげることができる』のは当たり前のことです。
その際、捨象された特殊性が必然的に存在することになるわけだから、
個々の事物の持っている共通しない側面すなわち特殊性の側面を認識できる可能性は常に(=「が」と「は」に関係なく)存在していなければならないのではないか?
:
という点が質問の骨子なのですが、ここに関してはどう思われますか?
No.3
- 回答日時:
No.2 のお礼に答えて
>主語は「話者」ですね。
話者は絵であろうと、音であろうと何でも表現できます。
出来るか否かの問題ではなく、何を表現するか、言語の場合は概念により表現し、個別性、特殊性、普遍性の概念、判断があるということです。
>個々の事物の持っている共通しない側面すなわち特殊性の側面を認識できる可能性は常に(=「が」と「は」に関係なく)存在していなければならないのではないか?
認識の可能性は対象が存在すればあるだけです。
認識は表現されなければ、言語ではありません。
■
No.4
- 回答日時:
質問者の質問自体が、 誤った認識に基づくものであることを指摘しておきます。
>1.
「万年筆」という個物について、シチュエーションに応じ普遍性・特殊性という異なる側面からの認識を我々はしていると思います。
話者の認識は表現対象に対する認識で、「万年筆」という個物については個別性の認識でしかない。
シチュエーションに応じではなく、話者の表現の必要に応じ対象を概念としてとらえて言語に表現するもので、その概念がまず、個別的概念か、特殊的概念か、普遍的概念かに区別することができるし、これらの概念の自己自身による規定作用としての判断も、個別的判断か、特殊的判断か、普遍的判断かに区別することができる。そしてこれらの判断は当然に肯定判断や否定判断と認識構造において結びついているものである。
判断そのものが立体的なのであって、対象を全体の中で位置付けるときには特殊性として捉えながらも、さらにその特殊な存在がある属性を持っているか否かについては肯定したり否定したりするわけである。対象の立体的な構造が判断の立体的な構造を導き出すことを、反映論としてつかめないような不可知論的な判断論では、こうした立体的な構造の関係を理解できない。
ましてや、質問者のような粗雑な理解で単語を並べても全く論理性がありません。
>(ア-1)「万年筆【というもの】は便利だ」⇒万年筆という個物について、普遍性の側面を捉えて認識している。
「個物について、普遍性の側面」ではなく、「万年筆という対象について、普遍性の側面を捉えて認識している。」である。個物についてであるかどうかは、シチュエーションによる。
>(イ-1)「【私の持っている】万年筆は捨てた」⇒万年筆という個物について、特殊性の側面を捉えて認識している。(他の人の万年筆ではないという意味での特殊性)
捨てたのであれば、「【私の持っていた】万年筆は捨てた」で、話者の記憶にある万年筆であり、個物ではなく話者の記憶の対象に過ぎない。「意味での特殊性」ではなく、万年筆のありかたとしての特殊性である。
>このように、助詞「は」によって表される個物について
個物ではなく、対象、概念である。
>助詞「が」によって表される個物は
個物ではなく、対象、概念。
>あくまで個別性の側面から認識されるだけであり、普遍性・特殊性という側面から認識されることはない、
対象の個別性の側面を捉えた結果、「が」と表現されたもので、因果が逆転している。言語は概念の表現であることが理解できず、個物がそのまま丸ごと表現されるという奇妙な思い込みによる誤った発想である。
>(ア-2)「万年筆【というもの】がショーケースに並んでいる」⇒万年筆という個物について、普遍性の側面を捉えて認識している。
当然、ショーケースに並んでいる個物を個別性の概念として表現しているのである。
質問者は、言語に表現されるのが概念であることが全く理解できず、認識対象と個物を固定的に結び付ける根本的な誤った理解をしています。■
ご回答ありがとうございます。
初心に帰るべく、貴ブログ
「ことば・その周辺」にて紹介されている三浦の言説を再読しています。
わかるようになった部分もある一方、どうしてもわからない点も多々あり。
とりあえず、2点、質問させてください。
1.
概念(3)――個別概念(普遍概念・特殊概念)
http://okrchicagob.blog4.fc2.com/blog-entry-60.h …
>「万年筆はますます普及している」というときの「万年筆」は、個別的な存在ではなくて全体を問題にしている。さきの私の「万年筆」が個別的概念であるのに対して、この全体をとりあげた「万年筆」は普遍的概念あるいは一般的概念とよぶべきものである。これと同じことは、鉛筆やボールペンについても成立するのであって、「鉛筆」「ボールペン」などの概念にも、個別的な事物をとりあげた個別的概念もあれば、全体をとりあげた普遍的概念もあるわけである。
:
「万年筆(というもの)はますます普及している」という意味に捉えてよいと思います。
そこで、
・万年筆(というもの)が私の必需品だ。
この場合の万年筆は普遍性の側面として捉えていますか、それとも個別性ですか?
2.
三浦つとむ『認識と言語の理論 第一部 認識の発展』(1967年刊)から
第二章 科学・芸術・宗教 (3) 概念と判断の立体的な構造
http://okrchicagob.blog4.fc2.com/blog-entry-335. …
A 定有の判断 (Urteil des Daseins)(個別性の判断)
これは判断のもっとも単純な形式であり、直接的な判断である。この判断においては、個々の事物についてある一般的な属性が肯定的もしくは否定的に立言されるから、「内属の判断」でもある。「述語はその基礎を主語に有(も)つところの非自立的存在という形式を持つ」のである。それは三つに分類される。 a 肯定判断――バラは赤い。 b 否定判断――バラは青ではない。 c 無限判断――バラは象ではない。
:
バラは赤い
バラは青ではない
バラは象ではない。
などが「個別性の判断」とされているようですが、「は」が個別性の判断を表わす場合もあるということですか?
三浦は、あるいはアスナロウさんはどのように捉えているのですか?
No.5
- 回答日時:
No.4 のお礼に答えて
>初心に帰るべく
言語は話者の認識の表現である。
という当然の事実が論理的に納得できるよう、最初からきちんと理解して下さい。
パラダイム転換は容易ではありませんが。
なお、引用されたブログは当方のブログではありません。
>・万年筆(というもの)が私の必需品だ。
この場合の万年筆は普遍性の側面として捉えていますか、それとも個別性ですか?
「が」は個別性の認識を表わすもので、(というもの)などというのは不適切な付加です。
筆記具は色々あるが、「万年筆が私の必需品だ。」という個別性の認識を表わすものです。
>などが「個別性の判断」とされているようですが、「は」が個別性の判断を表わす場合もあるということですか?
三浦は、あるいはアスナロウさんはどのように捉えているのですか?
ここで記述されているのは、ヘーゲルの概念論での判断の分類をエンゲルスが纏めたもので、判断の類別の内面的な真実性と展開を明らかにしたもので、「は」「が」について述べているわけではなく、この類別を基に唯物論の反映論の立場から概念の在り方と判断の関連を明らかにし、日本語の「は」「が」の意義を明らかにしなければならないということです。
客観的観念論を説くヘーゲルには反映論の発想はありません。
■
ご回答ありがとうございます。
>言語は話者の認識の表現である。
:
・鯨は哺乳類である。
と言う場合、「言語」「話者の認識」とは何か?
お手数ですが、大事な点ですのでお知らせいただけますか。
頭悪いので、少しづつ理解していくために、まずこの点について簡潔、かつ的確にお答えいただければ有難い。
No.6
- 回答日時:
No.5の回答に関して。
===========引用開始
ここで記述されているのは、ヘーゲルの概念論での判断の分類をエンゲルスが纏めたもので、判断の類別の内面的な真実性と展開を明らかにしたもので、「は」「が」について述べているわけではなく、この類別を基に唯物論の反映論の立場から概念の在り方と判断の関連を明らかにし、日本語の「は」「が」の意義を明らかにしなければならないということです。
===========引用終了
当方のNo.1のコメントからひきます。
===========引用開始
大元の〈A 定有の判断 (Urteil des Daseins)(個別性の判断)〉に使われているのは【は】ですよね。
それをもとに、〈「が」は、対象の個別性の側面を捉え〉になるのは、誰かが間違っているんですよね。
1)大元が間違っている。
2)翻訳者が間違っている。
3)引用したブログの書き手が間違っている。
4)三浦氏が間違っている。
5)三浦氏の論を孫引きしている信者が間違っている。
===========引用終了
結論としては、1)〜3)は間違っていない(「は」と「が」の問題とは無関係)。
それを、「は」と「が」の問題に結びつけた三浦氏の思いつきが強引で無理があった。
それをウノミにした信者も同様、ということですね。
その信者がブログを著作権侵害で丸写しするのは、「三浦氏の思いつきが強引で無理」なことに気づいていない、ということですね(無関係の話をわざわざ持ち出したのですから)。他者から見れば矛盾点が多いのですが、認めたくないのでしょう。
そりゃ、いくらやり取りしても噛み合わないはずです。考えるだけ時間のムダ。
こういう指摘をしても、意味不明の否定をするだけで、具体的な説明がいっさいないのですから。
三浦氏の論自体は一理あるのかな、と思っていたのですが……なんだか残念な話です。
ご回答ありがとうございます。
三浦は、ヘーゲルの判断論に続いて、エンゲルスや武谷三男氏の理論を取り上げ展開しているようです。
なので、「定有の判断」自体を彼がどのように捉えていたのかは、わたしにはよくわかりません。
ただ、翻訳者が、「は」「が」の問題とは関係ないと考えていたことは確かなようですね。
個別性・普遍性・特殊性という視点は、文を理解する上で極めて重要な分類だろうと思います。
三浦の解説を読ませてもらうかぎり、どうも概念の定義と語の定義が混同されているような印象を受けます。
いち素人としては気軽にそういったことも言えないので、アスナロウさんに確認しながら徐々に進んでいきたいのですが、肝心な点になると例によってだんまりを決め込まれるので、ほんとリンダ困っちゃいますね。(笑)
No.7
- 回答日時:
No.5 のお礼に答えて
>「言語」「話者の認識」とは何か?
言語とは、規範を媒介とした話者の概念認識の表現です。
話者の認識とは、客体の感覚器官による反映に始る現実の世界の映像であり模写です。
それは個人の認識から、社会的なものへと発展していきます。■
ご回答ありがとうございます。
1.
>言語とは、規範を媒介とした話者の概念認識の表現です。
>話者の認識とは、客体の感覚器官による反映に始る現実の世界の映像であり模写です。
:
「鯨は哺乳類である」
【と言う場合、】「言語」「話者の認識」とは何か?
と質問したのですが???
わざと論点を外すのは、何か理由がおありでしょうか?
とりあえず、
「話者の認識」=鯨という客体の、(話者の)感覚器官による反映に始まる現実の世界の映像であり模写だ、ということですね。
この文に対応させる場合、「言語」は、どのように関係してきますか?
2.
>「が」は個別性の認識を表わすもので、(というもの)などというのは不適切な付加です。
筆記具は色々あるが、「万年筆が私の必需品だ。」という個別性の認識を表わすものです。
:
・万年筆は私の必需品だ。
と言う場合はどうなりますか?
No.8
- 回答日時:
No.7 のお礼に答えて
1.
>「鯨は哺乳類である」
【と言う場合、】「言語」「話者の認識」とは何か?
言語は表現で、「鯨は哺乳類である」という文が言語表現です。
「話者の認識」は鯨という類概念(普遍性)の認識の普遍的な判断です。
2.
>・万年筆は私の必需品だ。
と言う場合はどうなりますか?
万年筆という特殊な文房具に対する必需品という特殊的な判断の表現です。
■
ご回答ありがとうございます。
>万年筆という特殊な文房具に対する必需品という特殊的な判断の表現です。
:
どういった意味で『特殊な文房具』なのですか?
No.9
- 回答日時:
No.6 の回答に答えて
>「は」と「が」の問題に結びつけた三浦氏の思いつきが強引で無理があった。
思い付きとしか理解できないレベルが問題です。
言語とは何かを理解する能力もなく、単細胞的な形式論理に依拠し、辞書の解説を立てにしたり、横にしたりして並べるのが解釈、理解と盲信しているようでは何の進歩もありません。
我楽多の山をゴミ屋敷宜しく陳列するのが精々デショウ。■
No.10
- 回答日時:
#8 のお礼に答えて
>どういった意味で『特殊な文房具』なのですか?
良い質問です。
回答に記した通り「万年筆という特殊な文房具」です。
もう少し判り易く言えば、文房具、筆記用具としての類の特殊性です。
参考:
つぎに、類としての普遍性を考えてみると、これは個別的な事物のすべてをつらぬいているという面から見て、たしかに普遍性であるにはちがいない。けれども類とよばれる存在はきわめて多種多様であって、その意味で類としての普遍性それ自体はいずれもひとつの個別的な存在としてあつかわれることになる。「万年筆」という類、「鉛筆」という類、「ボールペン」という類など、個別的な存在としての類が多種多様にあって、さらにこれらに共通した普遍性を対象とする「筆記用具」というヨリ高度の普遍的概念も成立している。そしてこの普遍性に対しては「万年筆」「鉛筆」「ボールペン」などの個別的な存在としての類はそれぞれ特殊性をそなえた類としてとらえかえされることになり、これらは特殊的概念の性格を与えられることになる。さらにこの『筆記用具」も、「文房具」という普遍的概念に対しては特殊的概念であるというようにヨリ低い類からヨリ高い類へと対象の立体的な構造をたどって認識が発展し、抽象のレベルが高くなっていく。そしてそれにもかかわらず、これらの概念は超感性的な点で共通しており、言語表現でも同じ語彙が使われるのである。
(三浦つとむ『認識と言語の理論 第一部』 p.90 )
こうした点の理解が重要です。■
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