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自分は精神を病んでる患者ですが、ふつーは「腫れ物扱いを嫌がる」のが普通らしいですが、

自分は「腫れ物扱いしてほしい、って言うか腫れ物を肯定?」してますが、それってメンタルが弱いって事ですか?寧ろガツガツとキツイ本音言われるのが大嫌いです!!!

なので「腫れ物扱いや遠慮の物言いを肯定する」ってのはメンタルが惰弱ですか?普通は「腫れ物を肯定」等しないですよね?やはりメンタル惰弱ですか?お願いします。。

質問者からの補足コメント

  • うーん・・・

    キツイ本音をガツガツ言われるとイライラしてしまってしかたないです、だから「遠慮の物言い」とかをしてよ!!

    とか言ってしまいます、やっぱりメンタル弱いですか?「本音が有りがたい」とは言いますが、気持ちが理屈に追い付かないです、お願いします。

      補足日時:2019/11/03 06:47
  • すみません、カテゴリーが変なとこに誘導されました、ごめんなさい。

      補足日時:2019/11/03 06:48
  • うーん・・・

    意味がわからないです、あなたは何を言いたいのでしょうか?意味不明です、わかりやすくお願いします。

    No.1の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2019/11/03 06:59

A 回答 (4件)

言動は優しくてもルールは厳格にするというのが腫れ物扱いしないってことならわかるでしょうか?

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この回答へのお礼

そうなんですね、、なら言葉を誤解していたのかな?まあ、ありがとう御座います

お礼日時:2019/11/05 08:24

失礼な言い方をされたら、腹を立てて当然ですよ。



また、他の人が言われている場合でも、気分が良くないものです。

しかし、発言した人のミスかもしれませんし、自分の誤解かもしれません。

まずは、悪意があるのか確認しましょう。

そして、謝罪を受け入れ、こちらも謝罪に対するお礼を言って、水に流すのが普通です。

メンタルの強さという話ではありません。

礼儀や思いやりの話でしょう。


理想的には、

悪意があると確認出来てから、怒るのが正常です。

そうはいきませんから、

怒りを感じたら、力を抜いて、一呼吸置く習慣(訓練)が大事になります。

また、

本当に悪意があると分かった場合でも、

相手の状態を思いやって怒りを収める。

自分に出来ることはないかと考えて、助けてあげるべきです。

ここまで出来て健康な人でしょう。


もし、

悪意を確認していないのに、怒りが収まらなくなったり、

悪意が無いと知っても、怒りが収まらなくなったり、

確認もしていないのに悪意があると決めつけたり、

仕返しをしないと気が済まないとなれば、

健康ではないと思いますよ。

体もしくは心の病気を疑うべきでしょう。


病気であることが分かったら、社会での営みは一時中断し、治療に専念する。

このときは、治療以外のことを考えないようにすると、治りが早いわけです。

逆に健康な人と張り合おうとしたり、

自分の病気を負い目と感じていると、悪化する場合が多いですよ。

「今のうちに治そう。

 だけど、自分の体を急かしてはいけない。

 一生かけても寄り添って、付き合ってあげないと行けない。

 世界中で、それが出来るのは僕だけだから。」

と言う姿勢でいると良いと思います。


では健康な人とはどういう人なのか?

相手の方の事情を知ろうとし、思いやる余裕がある人の事ですよね?

「傷ついた仲間を守り、復帰するまで踏ん張って、持ち場を守る。」

これが出来て初めて健康であると言えます。

それが出来ない心理状態であれば、

その本人が気づいていないだけで、既に病気にかかっています。

「あれ、そういう人多いよ?」

そうです。

現代では、ほとんどの人が健康を損なっているそうです。


専門医から受けた研修によると、

仮面ウツという自覚のない人を含めると、若者の100%がウツ状態だそうです。


ですので、

一見して健康に見えても、そうでない人が沢山いるんです。

自分が病気だからと言って、他人を健康だとしてはいけません。

貴方を責める人がいたら、その人も病気である可能性が極めて高いんです。

その人は、正にこれから自分が病気だと気が付いて、

医者に掛かり、貴方と同じように治療をすることになります。

そういう人と出会って、腹を立てて、ストレスを貯めたら損でしょう?

健康な人と張り合って病気を悪化させるどころか、

病気の自覚が無い”自称健常者”と張り合って病気を悪化させることになります。

これ以上のギャグはありませんから、ほおっておきましょう。


本当に難しいのですが、

大体のメンタル疾患の初期症状には、自覚がないようです。

私も酷くなるまで分かりませんでした。

酷い場合は、気が付くまで20年かかるそうです。

その場合は、20年かけて病気が悪化し、20年かけて治療をする。

人生のなかで40年もの大事な時間を失ってしまいます。

10年で気が付いた人は、10年かけて治す時間が必要であり、20年を失います。

それでも20年で済む分、他の人よりマシであったと言えます。



先ほど若者の100%と書きました。

つまり、今現在治療をしていない人は、もっと悪い状態になります。

常に恋愛をしていないと不安になったり、

中年になって、人生に張り合いがなく、寂しくなったり、

結婚をした後、浮気が治らなかったり、

子供が出来た後、子供をペットの様に扱ったり、逆に虐待したり。

既に異常が見られています。

それでも、

「そういう人多く見かけるから、特に自分が悪いわけじゃないよね?

 大丈夫だよね?」

とやってしまうわけです。


例えば、

彼氏彼女を得るのに夢中になったり、

その成否にかかわらず、

過度に異性へ憧れを持ち、理想を押し付けるのは異常ですよね?

まずは同じ人間として、他人を尊重できる自分に成長すべきです。

こうした節度が無くなっていれば、

脳の中に存在すべき安全機構が壊れていることになります。

これらを放置して大丈夫なんでしょうか?

大丈夫じゃないでしょう。

既に異常があったのに、昨今の流行りとして放置するのは非常に危ないと思います。

「男女七歳にして席を同じにせず」

と言うのはやりすぎですが、子供を守る一つの方法に思えますよ。


道徳に出てくる聖人のような振る舞いが出来ないと思ったら、病気を疑う。

「聖人なんて目指していない。ごく一般の常識人でいいんだ。」

と言う方は自分の異常を放置する言い訳をしており、異常なんですよ。

「成れるに越したことはない。何も損をしないし。

 まあ、今は出来ないけど、死ぬまでにはああなりたい。」

と言うのが本当のところのでしょう。

これが言えなくなったらどこかおかしいと思います。

(まあ、私がそうでしたけど。

 今の考え方は、「出来なくても目指すべき」と思っています。)


質問者さんの場合は、

お医者に掛かって治療中ならば、まずは安心でしょう。

これから酷くなる運命の人が、

貴方に対して強気な発言をしても、気にしない事です。

「自分の事に集中する。」

道徳的(=健康)な心を得るには、練習が必要です。

もっとも大切な物は体(自分の体、次は他人の体)です。

もっとも大切な心は、自分の体の各部位、臓器や筋肉を思いやる気持ちです。

「よくやってくれてる。

 一つ一つの細胞が休みなく動く。凄い。

 これが俺だったら愚痴が出て、逃げ出してたかもしれない。

 それなのに、俺は自分の気持ちを満たしたくて、

 必要のないことばかりを体にさせてきた。

 体に怒られても仕方がない。

 酷い時は、病気にかかった体を恨んで、叱りつけてきた。

 つまり、これってパワハラの心だよな。

 ここから反省して、今後は感謝の声を(心の中で)かけよう。」

とすることです。

私はこれをやって初めて回復に向かいました。

やってみると、

普段から無理な姿勢をしており、

何かに気を取られている自分に気が付きます。

「ああ、とくに足に力を入れる必要が無い。

 それなのに、体の奴は純粋だから、

 必要なんだろうと思って頑張っている。

 俺の無神経のせいだ。

 楽な姿勢に変えてあげないと。」

こんなことに気が付くようになりました。

ここから始めないと、立派な大人になれません。

普通に出来ている人がいるとは思えません。

例えば、

「糖分を取ると体に悪いと言われているから、俺は我慢をする。

 だから健康に気を使っている。」

と言う人が多いでしょう。

これでは体のほうもやり切れませんよね。

「必要が無いのに摂取すれば、体にそれだけ無駄な仕事をさせる。

 体の奴は、俺の気まぐれだって知らない。

 そんな酷い事を普段からしている自分は、幸福になる資格が無い。

 そんな自分が社会の不条理や他人の思いやりのなさについて訴えたら、

 体の方が『それをあんたが言うんですか?』と本気で怒るだろう。

 脳に血液を送るのを拒否するようになるだろう。

 だから、精神が弱くなるだろう。

 そして、社会からドロップアウトするだろう。」

と考えを改めないといけませんよ。

うつ病の人の脳をサーモスタットで撮影すると、青く映るそうです。

つまり、温度が低い。活性化していない、血液が送られていないわけです。


さて、心が追い付かないと悩んでいますよね。

私もそうでしたよ。

そうなる前に体を思いやらなかった。

命がけで守るべきなのに、他人に迎合した瞬間があったんです。

いまは仕方ないですよ。

すべての不快感は錯覚です。

それくらいは、受け入れて、体に謝り続けましょうよ。

それすら嫌だと言っていると、それ以上に頑張っている体が許してくれません。


治療と言うのは、

体に治させるのではなく、

体に感謝をし、それまでの自分を反省して謝り続けることです。

他の人と比較して自分が異常かどうかを考えるのは、(今は)必要ありません。

「ああ、やっちゃった。仕方ない。」

とし、

「ああ、この気分の悪さも錯覚。すごいな錯覚。本当みたいに感じる。

 しばらくすると収まるはず。きっつー。」

とやるしかありません。

私はそうしていました。

そして、半年に一回くらい、本当に気分が良くて心が晴れる日があります。

このときに、

「いつもこういう気分でいられるなら、何もいらない。

 今の自分(=自我)すらいらない。こういう自分になりたい。」

と願うんです。

すると、段々とそういう日がくる頻度が増えます。

最後の方は、加速度的に良くなり、

それまでの人生を超えて立派な自分を獲得していますよ。

体の心配(感謝をし、体を主人とし自分を下僕と位置付ける)を始めてから、半年から1年でしょう。

逆に言えば、体への感謝をしなければ、一生治りません。

そういう病気だと思いましょう。


以上、ご参考になれば。
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腫れ物扱い=キツくしない


じゃないと思うんです。
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腫れ物扱いしないというのとガツガツいうのは違うんじゃね?

この回答への補足あり
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