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私は30代の男です。

重い話になりますが、ご判断頂ければ幸いです。

突然ですが、私は自分を拳で頬を殴ってしまう癖があります。
あとは心の声で罵声を浴びせます。
・イライラした時
・ミスをした時
などが主となります。

私は常に自分という存在を嫌悪し憎しみの対象としています。
ですので、自分が不幸であろうと何とも思わない程の他人のような心持ちでいます。

常に対象は自分へと向かい、一切他人には向かいません。
ですので犯罪とは無縁だと思います。

どうも原因は、私は昔から大勢の人々に嫌悪され
いじめられてきました。
それが自分にも感化して波及してしまった気がします。

別にこの癖を治そうとは思っていません。
他人には迷惑をかけていないと思っているからです。

私は、心に病を抱えていると思いますか?

因にこのエネルギーが原因かどうか定かではありませんが、
急に油絵が描けるようになり、小説もいくつでも書けるようになりました。
油絵はデパートの展示会で表彰されるくらいです。
習ったこともなく学校では1でした。
別に自慢話ではなく、このような事象が表出してきました。

繰り返しますが、私は欠陥のある人間だと思いますか?
私は心に病気があるのでしょうか?

A 回答 (6件)

素人意見なのでうまい言い回しができませんが、そのことで悩んでおられるなら原因は


今まで自分で認めたくない自分を見過ぎたからではないでしょうか。
今までの自分が、本当の自分であるということから逃避したり、
自分はどうせこうだからどうでもいい、と過去の経験から思い込んでいるような。
そんな印象を受けました。

たとえば良い思いをすれば、そのあと突き落とされるからと、はじめからそういう事を避ける傾向にありませんか?

もし直したいという気持ちがあるなら、ご自分を大切にすることです。
いい思いを自分にさせて、自信をつけることだと思います。
もちろん意味のある形で。

いま絵が書けるようになったり、小説が書けるようになってきたのは
自分はこんなもんじゃないという心の叫びみたいなものがそうさせるんじゃないですか?
もちろんご自分でも気づいているからこそ、もうそういう人生は終わりにしても良いんじゃないかという気持ちが芽生えてるからこそ、ムクムクと本当の自分が顔を出してきたのじゃないのかなと。
作品を作り上げてるときに、そういうこと、感じませんか?

俺ってわりとやるじゃん?って思うのは悪くないですよね。
たくさん嫌な自分は見てきたんですから、作品だけでなくもっともっといろんなことにチャレンジしてみてくださいよ。
意味のあるトライは、失敗しても嫌な思い出にはなりませんから。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

自分を誉めるということは性格上難しいことです。

絵や小説は自己満足のつもりはありません。
ただ描ける(書ける)からしているだけなんです。
純粋に。

白いキャンパスや原稿用紙を見ると無限の可能性を見出してしまいます。
もの凄く脳がうれしがっているのが分かるんです。

お礼日時:2013/09/12 07:07

質問拝読しました



>心に病を抱えていると思いますか?

はい、あります

>油絵はデパートの展示会で表彰されるくらいです

素晴らしい!!

そのまま頑張れ!!

それでいじめた奴らを見返してやれ!!

気になるなら心療内科で「エゴグラムパターンテスト」をやってみてください
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。
返事が遅くなりましてすいませんでした。

お礼日時:2013/09/24 20:14

自分は病んでるのか?



ほんとうに病んでる人は、そんな自覚さえありません。

「オレは病気じゃない」と顔を真っ赤にして、否定するでしょう。

あなたはどう見ても、正常です。

自分を殴るのだって、他人やモノにあたりたくないからでしょ。

別におかしくはありませんね。

ぼくもやってたし。

なんというか、他人にあたると、後味悪いし、
モノにやつあたりすると、痛いんですよね。

だから、頬っていうね。

解決方法ですけど。

イライラの原因をなんとかすることです。

なにでイライラするんですか?

仕事がイヤなら、やめること。

人ごみがイヤなら、避けること。

イライラする場所には行かない。

イライラすることをしないことです。

ガマンなんてするもんじゃないですね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。
返事が遅くなりましてすいません。

あまり我慢しない事ですかね。
参考になりました。

お礼日時:2013/09/24 20:13

あなたが自責の念を強く持つ時の説明ですが、幸せを望まず、「常に自分という存在を嫌悪し憎しみの対象と」していると言いましたが、それと、油絵での表彰の話の間に、矛盾が感じられます。



人は一般的に幸せな結果を予想して行動を選んでいます。
昔の生活がどうであっても、それは現在の生活とは違うものです。何の影響も無いものです。

あなたの油絵を選んでくれた審査員に理由を聞いてみたいですね。病気など感じていないでしょう。
友人がポスターの絵の募集に応募して、入選しました。
審査員は池田満寿夫さんです。「僕が審査すると知っていて、幼稚園児が描くような絵で応募したのには驚きました。」と表彰の言葉を貰いました。あなたの油絵は何と言われたのでしょうか。

人間に対して、病気だとか、血管があるとかいうのは間違いです。
「ただ、そこに、幸せではない状況の人が居るだけです。」と言った精神科医の言葉を紹介します。

あなた自身が幸せを感じる行為、言動が変化して来たのなら、多くの人に幸せを分けるでしょう。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。
確かに、私には矛盾があります。
それは不幸と幸福を同時に願っていることです。
自分が苦しんでいるときも、名声を得たで有ろうときも、どちらも嬉しい気がします。
僕は一生、孤独に生きると思います。
一生苦しむと思います。

私は産まれてくるべき人間であったのかと自問する時があります。
ひょぅとしたら、何かの間違いで産まれるべきでなかったに産まれてしまったのかと。

絵のお話ですが、特に何も言われませんでした。
「あなたのもうがままに描きなさい」とだけでした。

お礼日時:2013/09/12 07:02

こんにちわ。

読んでいると淡々とされていて、冷静にご自分のことをある程度判断されているように聞こえます。社会的にも問題はないようですが、過去に大勢に嫌悪されていじめられていたという経験によりやはり心が傷つき、その傷が癒えていないようにお見受けします。
おそらく、記憶のフラッシュバック(記憶が断片的に突然思い出されるなど)などで苦しんでおられるのではないでしょうか。それと、あまりに辛い時に、心がまるで自分から遊離してしまうような事もあるそうです。そういう時は、まるで外から自分を眺めているように見ている。とテレビでみたことがあります。
これらの現象は厳しい場面に出くわすと全ての人に当然起こり得ることです。
また、ご自分が悪かったからだと思っておられるかもしれませんが、「大勢」・・というところを考えるとそうではないと思われます。
現在のいじめ問題も、実情は犯罪的なものであり、必ずしもいじめられるほうに問題があるのではないと報告されています。
ただ、その時の怒りをご自分に向けることで、自分の中で折り合いをつけるしかない。
そのような状態に置かれていたのではないかと察します。
これは、学校や教師に問題があります。もう少しつっこむと、日本の教育自体に問題があります。この辺りは現在、有志による社会的な活動もされているところです。必ず変革されなければならない問題の一つなので、この辺りも訴えている政党なども出てきていますし、提言もされているところですので必ず影響させます。

質問者様の仰るとおり油絵や小説などの芸術方面での開花は多分そのことがきっかけになっているのかもしれませんね。思う存分吐き出すというか、表現されるのがいいのではないでしょうか。表彰されるのはすごいです。

欠陥といえば、私の考えでは欠陥のない人は一人もいないと、これまで出会った人を思い出してもつくづく感じます。もちろん自分も含め。私などはイライラすると物をバフン!!と投げつけたりします。
扇風機を壊したこともあり、その後はなんともいえない脱力感で自分を責める。こんなことの繰り返しです。
嫌なことを言ってきた人の事も忘れられませんね!ま、一人や二人ではありません。
「今に見てろ!」とか嫌がらせしてやろうかなどと考えたりします。
無言電話をしてやったこともありますよ。ええ!
倍返し!とはなりませんでしたが・・・
逆にこんな私をどのように思われますか?
やっぱり、欠陥人間でしょうね
わたしは攻撃的なところがあるなと、自分でも思います。

欠陥人間でも、人間欠陥があるのが普通ですから。
それは病気じゃないですよ

病気だという輩がいたら、そいつが病気なのです。
質問者様は極めて健全です!だから、いじめられたとも言えます
いじめの加害者は子供とはいえ彼らは立派な犯罪者です。
全てのいじめの対象者はいわゆる良い子です。

いじめた側あなたを嫌悪した側にむしろ病的な問題があったということです。
それを教師が矯正できなかった、その教師も心の病気だったでしょう。

衝撃的なことの連続だったのではないかと思われるので
頬を殴る、自分を罵倒する、、それは・・・無理には止められませんが

でも、どうかご自分を大事にしていただきたいなと思い。キーボードを叩いております。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

実は本当の苦しみはもうなくなりました。
ご指摘の通り、あまりの苦しみに耐えきれず遠くに放り投げてしまいました。
それから、自分をまるで他人のような錯覚でもって見ています。

果して自分は生きているのか?
と時々思う節があります。

多分、自分を憎み・軽蔑しているのは
自分自身を於いて他にはないと思っております。

お礼日時:2013/09/12 22:43

イライラした時やミスをした時は誰でも自分を責めます。

ただ、自分を責めているかどうかは傍目には分かりません。
過去の出来事、つまり周りの環境からそうなったのであれば、治そうとしなくても周りの環境が変われば自分でも気づかない内に改善されるかもしれません。私は貴方が心の病気にかかっているとは思いませんが、辛いと感じることがあれば心療内科に行ってみてもいいかもしれません。ただ、だからと言って心の病気ではなく病気は確認と休憩。お薬はお守り。くらいに気軽でいいと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

実は心療内科には通っています。
「統合失調症の可能性はあるが、それにしては自分をあまりに客観視出来ている」といわれ、
判別できなみたいです。

僕も薬は依存するものではなく、上手く利用するためのもの
だと考えています。

お礼日時:2013/09/12 22:37

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