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大正時代の初め頃、父、母方の祖父は、20才代でした。
二人とも、鉄道会社に就職してます。
当時、地方では鉄道会社に勤務するのは、憧れだったのでしょうか?

A 回答 (5件)

当時はエリートだったと思いますよ...鉄道事業は世間に貢献してますからね

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この回答へのお礼

どうもありがとうございます、父方の祖父は農業や林業する家から分家して、鉄道会社に就職したそうです。兄弟の中で、一番、成績が良かったといいます。母方の祖父も、成績が良くて当時の国鉄に就職してます。
エリートだったのでしょうね。

お礼日時:2019/12/13 09:42

大正時代の地方鉄道って、新興ベンチャー企業なのですよ。

線路と電気がないんだもの。
明治末まで私鉄ってほとんどなく国鉄の国営事業で、大正時代に電力会社と地元実業家兼政治家によってダム建設と一緒に鉄道建設ラッシュがおきます。
電気を作るのにダムが必要で、ダムを作るのに線路が必要で、鉄道を作るのに土地が必要。

想像したこともない大事業が地元に舞い降りて、とんでもない大金と求人が発生し、見たこともない最新技術と未来の便利な生活が一緒にやってくるような状態で、
憧れる元の実績が鉄道会社にないので、やたら儲かるよくわからないスゲー最先端の仕事だったと思いますよ。
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なんとも言えません。


その人の立場や考え方次第です。

雇員(現場の労働者)ならば既に責任が重い上に低賃金、長時間労働、危険労働であることは常識でした。(本格的な労働組合の組織、ストライキも鉄道発祥です)

その代わり非番や明け番で自由時間があるので所謂半農半鉄など副業が出来るメリットもあります。

>大正時代の地方鉄道って、新興ベンチャー企業なのですよ。
資本家、起業家にとってはそうかもしれませんが労働者にとってはブラックとまでは言わないものの過酷な労働条件の職場です。

同じ鉄道員ならば第一はやはり国有鉄道です。
同じ条件でも国営ですから潰れる心配が無い、勉強がしたくて優秀なら鉄道学校の大学課程まで行けばそれなりの地位まで出世できるといった私企業の鉄道とは違うメリットがあります。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。たぶん、英語も出来たそうですので、鉄道学校に通っていたようです。切符きりや車掌していたようです。

お礼日時:2019/12/13 15:57

鉄道は一般庶民が日常的に目にすることができる近代化の象徴だった時代です。


地方でなくても憧れの対象でしょう。

明治時代は、近代化に富国強兵と日清日露の大戦争と、激変の時代でしたが、国家予算は基本的に過大な軍備と戦費に奪われ、国民を豊かにするための民生面には回らなかったため、国民の大半は極貧状態に置かれていました。

大正時代になると、第一次世界大戦終結後に軍縮時代を迎えると、ようやくお金が民生部門に本格的に回りだし、「大正ロマン」「大正デモクラシー」と呼ばれる暮らし向きも思想の自由も謳歌できる豊かな時代を迎えました。
鉄道や道路も、幹線だけでなく、多くの支線も整備され始め、地方も含めた日本全体の景気が上向いた時代を迎えました。
豊かになりつつあった日本に、欧米諸国の大企業もどんどん日本に進出し、投資を拡大することで、さらに好景気が拡大するという状況でした。
外貨稼ぎ頭の繊維産業などの他に、鉄道・トラックの輸送業、石炭・電気などのエネルギー産業、機械産業が花形産業として芽生え発展していった時代です。

私の先祖は、太平洋戦争前から戦後しばらくして死去するまで、地方都市のタクシー組合の委員長をしていたようです。
プロ野球読売巨人軍の伝説のエース沢村栄治と肩を並べた記念写真がありました。黒塗の自動車が何台も並んだ先祖の葬儀の写真もありました。
見たのは子供の頃ですが、タクシー組合の委員長は地方でもそんなに偉いのか、と感じた記憶があります。

考えてみれば、あの時代は自家用車なんてよほどな金持ちしか持たず、持っていても高級外車・運転手付きの人が多かったでしょう。
タクシーを使う人も相当な金持ちで、タクシーと云っても街を流しているタクシーなんてなく、呼び出して来てもらうハイヤーが主流の時代だったと思われます。一般人はまだ人力車を使っていた時代だったのでしょう。
当時のタクシー業とは、けっこう先端を行く職業だったのかもしれません。

昭和でも初めの頃の日本はまだそんな時代です。
大正時代の鉄道は成長産業であり、憧れの職業のひとつであったことは間違いないと思われます。
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じーさんが戦前の国鉄にいました。

お金の無い家には国鉄は憧れだった様です。大正時代はお金がないと当時の中学校(今の高校)に行けなかったので、小学校を出て高い倍率を勝ち抜き国鉄に入る。当時は国家公務員の事を官吏と呼んでいたそうで、10代にして小学校の校長先生と給料が同じだったと 自慢していました。車掌になった時に戦争にとられたと言ってました。じーさんが死んだあと国鉄の腕章が出て来ました。余程誇りにしていたのだと思います。
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