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映画で真田十勇士を率いて家康を討つ幸村を描くテレビ映画を見ました。
最後の場面で大阪城炎上後、関東に凱旋する家康を幸村が襲い、
家康は一人ボッチで逃げ延びたのですが、幸村が追いかけて家康の首を切り落として終わりという形でした。幸村は鉄砲で撃ち殺されて絶命。十勇士の多くは幸村の影武者として斬り死に。
でも才蔵と三好清海入道が草の者として生き残ったように見えたなあ。
でも徳川の天下変わらずが歴史ですね。

あれは作った人の願望ですかね。三好清海入道が女でキリシタンという切り口が気になりました。
視た人がいたら、感想聞かせてください。
あくまで忍者空想小説。娯楽映画の世界。史実は別。

質問者からの補足コメント

  • 回答は具体性と深みを期待します。

      補足日時:2020/01/30 12:48
  • 質問で忍者空想小説と断っています。
    テレビ映画というのは過去に映画となり、テレビで再放送ということでしょう。
    実際、何度かテレビでは再放送の番組ですね。

    回答者にお願いします。非難・中傷・攻撃はおやめください。家康はフグを食べて死亡とされています。でも家康は影武者がいて死亡の仕方に様々の異説が出て、いろいろな形で描かれたドラマあり。
    その謎をいくつか情報求めたまでです。

      補足日時:2020/01/30 13:26
  • NO5の方には厚くお礼申し上げます。世に英雄不死伝説は多いです。
    義経ジンギスカン説はその一つ。ほかにも安徳天皇が壇ノ浦で死なずに平家の生き残りに守られて各地に落ち延びて平家落人を作られたとか、今年大河ドラマの主人公である明智光秀が天海僧正とか、
    豊臣秀頼が大阪城で死なずに九州に落ち延びたとか、様々な正史では死んだことになっている人が実は生きていたという伝説はたくさんあります。
    ここでは今回取り上げた真田幸村の映画ではラストシーンで幸村が家康を襲い、首を斬り、その後、銃撃で幸村死亡という結末でした。勿論そうなればいいなあという作者の願いがかかるシーンで終了となったのでしょう。この映画は所詮小説。史実ではないのでその点は小説の中の話となります。
    家康に戻ります。死因は鯛の天ぷらを食べて食中毒死という説のほかにも諸説ありますが、ともあれ、病死説が一般的です。ありがとうございました。

      補足日時:2020/02/01 21:25

A 回答 (5件)

冬の陣の時、講和して陣払いの最中の家康に夜襲を仕掛けたら、家康の首が間違いなく取れると幸村が進言したが、反対されてあきらめたという話もあります。


夏の陣の時、家康の影武者が何人か用意されていたという話もあります。
十勇士の中に、幸村そっくりのがいて、影武者役だったという話もあります。
十勇士のメンバーは、書物によって若干の入れ替わりがあります。
猿飛佐助が生き残ったという話は多い。架空の人物っぽいから、そこで想像を膨らませてるのでしょう。
千姫が城を脱出して徳川の陣に到着してますから、秀頼脱出の可能性もありました。脱出できたのに、死を選んだという流れで描いてるのが多い。

家康は、鯛の天婦羅をいつもより多めに食べた夜に倒れてますが、そこから少し回復して実際に死亡するまでにかなりの日にちがあり、いろいろやってますから、異説が出てもおかしくないでしょう。
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この回答へのお礼

貴重な情報ありがとうございました。感謝します。

お礼日時:2020/02/01 23:33

大正時代くらいまでは持て囃された話でしょう。

真実だと思っている人もいたでしょう。でも書かれている話は完全なウソです。楽しむためのウソなら、まあそれはそれでいいのですが。真田十勇士というのが存在しません。勿論、家康の首を幸村が斬ったなどとは初耳です。
娯楽と断っておられるのですから、これ以上の文句は言いません。
他の話を。真田幸村が家康の本陣を襲ったのは事実です。家康の旗印が倒れたのは、三方ヶ原で武田信玄に敗れた時とこの大坂の2度だけです。家康が、真田日の本一の兵、といったのもわかります。3度も本陣を崩されて、腹を切ろうとまでしたのですから。
幸村に追われているときに、後藤又兵衛が現れ、駕籠(多分輿の間違いでしょう)に槍を一刺し。輿は一散に逃げて、堺の小さな寺に入りました。恐る恐る扉を開くと、家康が串刺しになって死んでいた。合戦中ですので家康が死ぬと大変です。慌ててそこの土に埋めました。ほとぼりが冷めてから掘り返して、江戸まで運んだそうです。
後藤又兵衛は前日の道明寺の戦いで死んでいます。だから有り得ないのですが、堺の寺に、東照宮があったのです。日光でおなじみの東照宮、家康の象徴でしょう。戦災で焼けて復興されなかったのですが、確かに東照宮はあったそうです。そうなると、そこで家康が死んだのは本当かも、という気持ちもします。
幸村が薩摩の船で、秀頼とともに落ち延びたとか、様々な話はあります。源義経が、北海道から樺太、満州と逃れ、山脈を越えてタタールに入り、ジンギスカンになった。真面目に話す人もいます。その子孫がのちの世に清帝国を作った。清和源氏だから、清だ。信じますか。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。コメントに所見を述べておきました。

お礼日時:2020/02/01 23:34

>あれは作った人の願望ですかね。



歴史小説・歴史ドラマも含めて、フィクションを書くときは必ず世界観を設定する。
でないと筋が支離滅裂になってしまう。

マンガの新連載を考えるとわかりやすい。
プロの漫画家ともなれば、自由に描けと言われれば話の10本や20本はたちどころに描ける。
そんな才能がなぜ苦しむかというと、「売れる」マンガを描かなければならないからである。

「こういう話を撮りたい」という願望はもちろん原動力だが、それ以上に「売れる話を撮る」というフィルターが大きく存在する。
その兼ね合いで筋書きが決まる。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2020/01/31 08:16

何度も観ました。

真田好きにはたまらない大胆な脚色。好きな映画です。
萬屋さん演じる汚く年取った家康が敵役として好。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。確かに何度見てもいいです。
徳川が倒せず、豊臣が滅びたのは無念でしょうな。

お礼日時:2020/01/31 08:15

映画に面白みを持たせるための脚色ですね。

きっと。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2020/01/30 12:47

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