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ドイツの武装親衛隊と国防軍とは不仲であったと聞きます。実際には消耗した武装親衛隊に国防軍から補充を受けていたりしたようですが、部隊の運用は上手くいっていたのでしょうか?

A 回答 (1件)

ナチ武装親衛隊、いわゆる武装SSは総統閣下の私兵でありナチ党の戦闘部隊です。



第二次世界大戦以前は戦闘経験が無く、総統閣下の警護とパレードで行進するしかやる事が無かったので、その頃国防軍から「アスファルト兵士」と揶揄されていました。

それでも厳しい戦闘訓練が行われており、三人に一人は脱落、武器が無ければ格闘しナイフで刺す、ナイフが無ければスコップで打ちのめす、という命懸けの厳しい訓練です(訓練では木のナイフで寸止めです)

第二次世界大戦初頭での戦闘は、思った程成果を上げられず国防軍の足手まといでしたが、1941年の独ソ戦の頃になると上達して総統閣下の命令の元、最前線の突破口をこじ開けて国防軍が進撃しやすい様命懸けで戦う様になり、国防軍からは「有難い友軍」と言われる様になってきました。

戦場ではお互い協力しあって上手くやっていた様ですが、武装SSと国防軍で人員の奪い合いで揉めていた様です。

国防軍は国の軍隊なので徴兵によって確保しますが、武装SSは志願制となっていて希望しない限りは来てくれないという事でした。

そこであのヒューゴ=ボスがデザインした、あのカッコいい黒い制服を採用し、「親衛隊募集」のポスターを貼りまくったら若者が次から次へと殺到、血統による制限をしたものの国防軍からかなり文句を言われた様です。

なので国防軍から武装SSへの補充というのは聞いた事が無いですが、徴兵満期で除隊し武装SSに再入隊という人はいたと思います。

戦争中盤になると志願してくれるなら誰でもよくなり、最終的に武装SS隊員の60%は占領地域の志願兵、いわゆる外人部隊状態となり初期の親衛隊のイメージとは程遠くなっていました。

戦争末期になると、総統閣下は誰が見ても「そんなの勝てるわけ無いだろう」という命令をする様になり、武装SSは「総統は命令し我々は従う」という誓いを渋々受け入れ、結局敗北し撤退する様になってきました。

撤退する武装SSを総統閣下は「死闘命令を出しただろうが〜っ!死ぬまで戦えと言ったのに撤退しやがって!戦う気がね〜のかクソどもが!」と散々侮辱した為、「総統は我々を裏切った」と解釈され、軍服を捨てて手を挙げて投降する隊員が続出した様です。

この様な状態ですので忠誠心も無い、ヒムラー長官も総統閣下に内緒で連合軍と勝手に交渉するわで、戦争末期では正常な運用なんかクソ食らえ状態でした。
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この回答へのお礼

親切な説明をありがとうございます
大戦中盤以降の武装親衛隊の疲弊した師団には補充として、近隣の国防軍から人員を融通したと読んだ記憶があります

お礼日時:2020/03/07 12:19

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