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歴史の教科書などでは大まかな出来事は学んできましたが、日本はどのようにでき人はどのように成長しどのように文化が成り立ったのかと言った、論理的な形では本質が理解し切れていないと思っています。
ですが自分でも調べてはいますがあまり良い情報ばかりではなかったため詳しく教えて頂からので有れば是非宜しくお願いします。

A 回答 (6件)

日本人に関する本、日本人が書いた本などを片っ端から読めば?

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いいご質問ですね。



ご忠告しておきますが、ほとんどの教科書会社は共産主義の会社ですので、教科書を読んでも事実に近い理解はできません。絶対にです。

オススメの本を書きますね。

小学館 学習まんが少年少女日本の歴史 1ー22
渡部昇一 読む年表 日本の歴史
倉山満 嘘だらけの日中近現代史
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その前に基本的な「国の成り立ち」を理解しているでしょうか?それが分かっていないと、日本の成り立ちも理解できないでしょう。



それを知るには「ヒューマン なぜ人間になれたのか」という書籍が最も分かりやすいと思いますが、NHKスペシャルで映像化しているので、そちらでもよいでしょう。

で、一応簡単に説明しておきます。
①人間社会の高密度化
 日本でも吉野ケ里遺跡などの縄文時代までは1集落最大200人程度だったとされています。これは「全員が身内で争いなく共存できる限界」だったからです。
 しかし農業が発達すると、労働集約すれば人口は増えるのに、人数が増えすぎて争いも増えてしまいました。
 ここでのちに「君主」と呼ばれるようになる指導者が登場し、支配者は警察権を握ることで社会から争いを排除していきます。これにより「社会の内側が安全」になるわけです。

②農耕と戦争
 農耕が一般的になると、労働者以上の作物を作れるようになります。つまり「農作業に関わらない人々」を食べさせることができるようになり、職人とか芸術家とか貴族が生まれます。その中には兵士もおり、農業地域を広げたり、隣の集落と水の取り合いで争ったりするのに「専門の軍隊」が出来ていきます。これを指導者が支配することで、その社会は「社会の外側が安全」になるわけです。

③君主
 このような形で指導者に巨大な権力が集まり、配下の人々が増えると民族が生まれます。民族同士が争うのは普通のことで、トロイの木馬の話など世界中に民族同士が戦う話があるわけです。

④国家
このような形で民族が集まる、または支配側民族と被支配民族の集団社会を国家とよぶようになります。

さて、ざっくりとですが、日本も①~③までの事が起きました。ただ各地の社会は日本では豪族と呼ばれます。なぜなら、今彼らはすべて日本民族になっているからです。

日本の特徴は「天皇という指導者の元に『すべての豪族が平等に国家作りに参加した』という事実」があることです。もちろん他の地域でもそういうことはあったのでしょうが、しかしそれ以外の異民族国家との戦争で滅ぼされたり支配されたりして、今では日本しか残っていないのです。

この部分の違いを世界の他の国と比べてみると、日本人の形成過程がどんなものだったか、理解できるようになると思います。
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そんな大きな問題をここで説明できると思っているのですか?研究者になって40年間は研究を続けて下さい。

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「日本人」という集団が、延べ数億人かけて作り上げてきたもので、一人一人がみな違う「個性」をもっているわけでですから「論理的な形での本質」なんて存在しないと思います。


誰の立場、どの勢力・集団の立場に立つかによって、歴史は多種多様な記述・表現がなされますから(支配者・勝者によって抹殺されたものも多いでしょう)、その多様で雑多な客観的全貌をつかむことはなかなか大変でしょうね。

>あまり良い情報ばかりではなかったため

その「良い情報」というのは何ですか? あなたの「主義・主張」にそった情報ということですか?
最初からそう言った「立ち位置、視点」を限定しては、#2 さんも含めて「論理的な形」での全体把握は難しいのではないでしょうか。
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無茶苦茶なことを考えているのですか? 


  「日本はどのようにでき、人はどのように成長し、どのように文化が成り立ったのか」
  「論理的な形では本質が理解し切れていない」

どのような事柄に関してでも、「論理的な形で本質を理解できたつもり」のことがありますか。
歴史でも、政治社会でも、経済でも、日本語でも、化学、電気、音響でも、「論理的な形で本質を理解できたつもり」のことがありますか。
数学関連で、良い情報をえて、「数学を論理的な形で本質の理解できたつもり」のことがありますか。

「人はどのように成長し」 どのようなことを考えていますか。 生物としての成長ですか。 文化や教養などの獲得のことですか。
10人、100人のような人を、現在生きている人と、120年前(1900年頃)生きていた人と、その時代差で、成長とかがあったと思ってますか。
論理的な形で、何かがわかった気分になったことでもありますか。

「歴史の教科書などで大まかな出来事を学んだ」つもりならば、個々の出来事で、例えば、18世紀後半から19世紀半ばまで、詳細に出来事を学んではどうですか。 
で、当時でも(18世紀後半~19世紀半ば)の日本の人口は2500~2700万人、その多くは農民で、中流以上の農民は少しは文字が読め、加減乗除の計算もできていました。なお、広い意味で農民でもはっきしした身分差が別れていたのです。 瓦版のようなニュースは限られたところにしか発行されないので、世の中の動きなど出来事を知る機会は少なかったです。 日本以外の地域の情報をえる機会やそうした書物に巡り会える機会はほとんどなかったでしょう。 宗教?に関しても、宮参りや神事・祭りをし、宗門に属し、また何か願い事がある場合は祈願寺に行ったり、庚申様やお稲荷様にも頼み、占いや祈祷師に頼んだり、伊勢参り富士講のようなのもやってました。 全国にあったのではないものの幕末期には結構多くの一揆が起きてました。 たぶん、歴史の教科書でも概略が記載されていたのではないかと思います。 
http://kou.oita-ed.jp/oitaminami/2020/04/30/71%2 …
 このあたりの時代50~60年間では、人はどのように成長し、どのように文化が成り立ったのかを、なにか(論理的でも、論理的でなくても)自分で考えてみたらいかがですか。 明治になってからの50~60年間でも、8世紀の国分寺の造営の頃でも、社会がどんな状況だったか、どんな出来事があったのか、文化的なことで人々(8世紀だと450~650万人らしいです)はどうだったのか、衣食住、読み書きや宗教的な状況を調べて見てはどうでしょう。教科書にも一般人が仏教に接したのは10世紀以降と書かれていたろう思います。 仏教が6世紀に伝来し国分寺が造営され有力者が寺を造営しても平安仏教までの仏教信仰は、一般人にとってはほとんど無縁です。 それらを省略して、すっ飛ばして、人はどのように成長し、どのように文化が成り立ったのかなどはわかりません。

1790年(寛政2年) 寛政異学の禁
1791年(寛政3年) 江戸に町会所を建て、七分積金制を創設。
1792年(寛政4年) 林子平の『海国兵談』(前年に出版)による筆禍事件。島原大変肥後迷惑。
1789年(寛政元年) 光格天皇が実父典仁親王に太上天皇の尊号を贈ろうとするも、幕府に拒絶される。
1791年(寛政3年) 一条輝良、新たに関白となり、再度幕府に要求。
1793年(寛政5年) 議奏・中山愛親ら、関東へ下向して幕府の審問を受け、免職される。
1788年(天明8年) 京都天明の大火、皇居炎上する。
1789年(寛政元年) クナシリ・メナシの戦い。
1791年(寛政3年) 米国商船レディ・ワシントン号が、紀伊大島に来航。
1792年(寛政4年) ロシア使節ラクスマン、伊勢の漂民・大黒屋光太夫を伴い蝦夷地根室に来航、通商を要求するも幕府は拒絶。
1797年(寛政9年) イギリス船、蝦夷地室蘭に来航。
1797年(寛政9年) 昌平坂学問所(聖堂)を官学校とする。
1798年(寛政10年) 本居宣長、『古事記伝』を完成させる。
1800年(寛政12年) 伊能忠敬、蝦夷地を測量する。
1804年(文化元年) ロシア使節ニコライ・レザノフ、長崎に来航し通商を要求。
1807年(文化4年) 箱館奉行を廃止し、松前奉行を置く。
1808年(文化5年) 江戸湾(東京湾)沿岸の砲台修築を起工する。イギリスの軍艦が長崎に来航して補給を強要(フェートン号事件)。
1811年(文化8年) ロシアの軍艦艦長、国後島で捕らえられる(ゴローニン事件)。
1825年(文政8年) 異国船打払令(外国船打払令、異国船無二念打払令)。
1828年(文政11年) オランダ商館付のドイツ人医師シーボルトに諜報の嫌疑がかけられ、高橋景保ら処罰される(シーボルト事件)。
1833年(天保4年) - 1839年(天保10年) 天保の大飢饉
1834年(天保5年) 水野忠邦、老中となる。
1835年(天保6年) 竹島事件
1837年(天保8年) 大塩平八郎の乱。生田万の乱。アメリカ船モリソン号、打払令により撃退される(モリソン号事件)。
1839年(天保10年) 蛮社の獄
1842年(天保13年) 天保薪水給与令
1844年(弘化元年) オランダ国王ヴィレム2世、親書を送り開国を勧告する。
1846年(弘化3年) アメリカ使節ジェームズ・ビッドル、相模国浦賀に来航し通商を要求。
1853年(嘉永6年) 黒船来航:マシュー・ペリー艦隊、プチャーチン艦隊来航。
1854年(嘉永7年/安政元年) 日米和親条約、安政東海地震、安政南海地震。11月改元。
1855年(安政2年) 安政江戸地震(安政の大地震)、日露和親条約調印。
1856年(安政3年) タウンゼント・ハリスが下田に着任
1858年(安政5年) 井伊直弼、大老となる。 日米修好通商条約調印
1860年(安政7年/万延元年) 桜田門外の変。3月、改元。
1861年(万延2年/文久元年) 2月、改元。ロシア軍艦対馬占領事件、東禅寺事件
1862年(文久2年) 坂下門外の変、寺田屋事件、生麦事件
1863年(文久3年) 薩英戦争、八月十八日の政変、生野の変、天誅組の変、井土ヶ谷事件。
1864年(文久4年/元治元年) 2月、改元。水戸天狗党の乱、池田屋事件・禁門の変、四国連合艦隊下関砲撃事件。
1864年(元治元年) 第一次長州征討
1865年(元治2年/慶応元年) 「慶応」に改元。
1865年(慶応元年) 第二次長州征討
1866年(慶応2年) 薩長同盟
1867年(慶応3年) 大政奉還・王政復古
1868年(慶応4年/明治元年) 神戸事件、堺事件、「明治」に改元。
1868年(慶応4年) 戊辰戦争
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