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下記のような例文の場合、「ニ」を入れると不自然に感じるものがあるのはなぜでしょうか。不自然さの程度に微妙な違いが出てくるのも不思議です。
 ×はかなり不自然(誤用?) △は少し不自然 くらいの判定です。

1)きのう発売した。
 ×きのうニ発売した。

2)あした発売する。
 ×あしたニ発売する。

3)先週発売した。
 ×先週ニ発売した。

4)来週発売する。
 △来週ニ発売する。

5)去年発売した。
 ×去年ニ発売した。

6)昨年発売した。
 △昨年ニ発売した。

7)来年発売する。
 来年ニ発売する。


【追加の質問】
 こういうことに悩むのはメンドーなので、「ニ」を入れるか否か迷ったら、「ニ」のかわりに「、」を入れればいいのでは、と乱暴なことを思いつました。
 上の1)〜7)の場合はそれでよさそうです。例外があったら教えてください。

 文法的な解釈に関しては下記をご参照ください。
【格助詞「は」】
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/9435602.html

『基礎日本語文法 改訂版』には、ほんの少しヘンなところがある気がします。それはどこかもあわせてお考えください。

質問者からの補足コメント

  • 当方の現段階(回答No.7時点)の考えは下記ぐらいです。

    【「カラ」と「ニ」番外編?】2020-09-16
    https://ameblo.jp/kuroracco/entry-12625442537.html
    【【板外編16】「カラ」と「ニ」の話〈2〉 辞書?】2020-09-12
    https://ameblo.jp/kuroracco/entry-12204782117.html
     ※コメント欄も重要です。

      補足日時:2020/09/21 18:19
  • あのー。
     どこのどちらさんなのでしょう。
     なぜNo.16のかたに書いた返信を引き継ぐかのように……。

     有名な文法辞典の説明に対して、

    >これを良く読めば、「相対的な時点」と「絶対的な時点」という区分に意味がないことが判りませんか?
     などと書かれても意味不明です。
     記述をよくよんで勉強してください。

    >何度も指摘しているのですが?
     誰が? どこで?

    No.18の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2020/10/07 19:12
  • https://ameblo.jp/kuroracco/entry-12634575038.html
     以下は一部の抜粋(重言)。
    ===========引用開始
    「今ニ始まった事ではない」は「今、始まった事ではない」にできなくはない。そう考えると「相対的な時点」と言えなくはない。ニにも読点にもできるのは原則どおり。

     ただ、「今に」の形で一語って気もする。

    https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E4%BB%8A%E3%8 …
     一般に使われる「今に」は「1」の意味だろう。「2」の意味はよくわからない。
     この「今に」は↑の「今ニ」とは違うだろうな。

    No.9の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2020/10/29 22:13
  • いったい何を書いているのだろう。
    「相対時間名詞と絶対時間名詞」を説明しているサイトをほぼ丸々持ってきて、どこを「アレンジ」したかの説明もなく、〈相対時間名詞と絶対時間名詞などという誤りに惑わされていては〉って……。
     いよいよホニャララなんだろうか。

    No.39の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2020/11/07 18:37

A 回答 (37件中1~10件)

全部違和感あります。

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この回答へのお礼

コメントありがとうございます。

 うーん。「全部」違和感がありますか。
 ではどう言えばよいのでしょうか。

お礼日時:2020/09/20 17:57

ニも「、」もいらないでしょう。

そのまま番号通りのほうがいいと思う。

「と乱暴なことを思いつました。」→「と乱暴なことを思いつきました。」
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この回答へのお礼

コメントありがとうございます。

 ニも「、」もいりませんか。
 なくてもいいでしょうね。
〈「ニ」を入れると不自然に感じるものがあるのはなぜでしょうか。〉という質問です。
 
「と乱暴なことを思いつました。」→「と乱暴なことを思いつきました。」
「キ」が抜けてましたね。
 ご指摘ありがとうございます。

お礼日時:2020/09/20 17:59

この理由については、



格助詞「に」の意義とは何か-機能主義言語論の混迷 Ⅱ
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/11904835.html

を参照ください。まず、<格助詞>とは何かを理解しないと話が始まりません。単なる、現象論に基づく思い付きを並べていては、理解、解決の糸口に立つことさえもできません。

この場合の<格助詞>「に」は時間的な位置づけの認識を表すもので、

ここ【に】その本があります。
友達【に】本をもらいました。
大阪【に】行く予定です。

などは空間的な位置付けの認識を表しており、時間的な位置づけとの対比が理解できると思います。これを、「に」は<到達【点】>を表すなどとピント外れな解釈をしていては全く理解不能になるしかありません。

なお、挙げられた「文法的な解釈」は単なる現象の解釈で、論理的な解明にはなっていません。

例文について具体的に説明しておきます。

1)きのう発売した。
 ×きのうニ発売した。

この、「きのう」は時点ではなく話者の現在との相対的な時間関係を表し、いわゆる<代名詞>が空間的な関係認識であるように時間的な関係認識を表す、<関係詞>として使用されています。同じ形式の<名詞>としての「きのう」ではないので、格助詞「に」で位置付けることはできません。

2)あした発売する。
 ×あしたニ発売する。

これも1)と同じです。

3)先週発売した。
 ×先週ニ発売した。

これも1)と同じです。

4)来週発売する。
 △来週ニ発売する。

この「来週二」の「来週」は名詞として使用されていますが、「二」による位置づけの根拠が不明確で、「来週ニは発売する。」と「来週」の特殊性を明確にすれば文意が明確になり適切、自然な表現になります。

5)去年発売した。
 ×去年ニ発売した。

「去年ニ」と<名詞>で時点を位置づけ、「発売した」の対象として示されただけで、それが何かが示されていないため文意が不明です。「去年ニ発売したのは少し早過ぎた」のように具体的な内容が伴えば適切な表現です。

6)昨年発売した。
 △昨年ニ発売した。

 5)と同じです・

7)来年発売する。
 来年ニ発売する。

 4)と同じです。

このように、時の<関係詞>としてではなく、<名詞>として<格助詞>「に」で時間的な位置づけを表す場合には、いわゆる目的語としての意味付けが明確に示されないと意味不明な文となり不自然な感じになります。


>>【追加の質問】
 こういうことに悩むのはメンドーなので、「ニ」を入れるか否か迷ったら、「ニ」のかわりに「、」を入れればいいのでは、と乱暴なことを思いつました。
 上の1)〜7)の場合はそれでよさそうです。例外があったら教えてください。

これは、日本語の意味が理解できない奴シロウトのお遊びでしかありません。
例外というか、どのような表現が適切かは、上記【に】説明の通りです。■
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この回答へのお礼

意味が通じない「お念仏」コメントなんだから、リンクくらいちゃんと張ってください。ますますわけがわかりません。

「来年に」のニと
「上記に」のニの区別もつかないんですかね。 

(n´Д`)ハー

お礼日時:2020/09/21 19:55

>△来週ニ発売する


来週の金曜日「に」発売する
>△昨年ニ発売した。
昨年の9月「に」発売した
>来年ニ発売する。
来年の春「に」発売する、来年「に」なれば・・・・
ズバリ言われていますね、現象論。
表面上だけをとらえています。
格助詞「に」は時間、空間の位置を示します、そのほか他動詞の目的格の表示にもなります。
例文はすべて、ぎごちなく感じます、文章で表現の途中なら使えるものもありますが、例はすべて言い切りですね。
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この回答へのお礼

コメントありがとうございます。

 ↑に書いたとおりです。
 文法的な解釈に関しては下記をご参照ください。
【格助詞「は」】
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/9435602.html

 例文はすべて、ぎごちなく感じます、
>昨年の9月「に」発売した。
>来年の春「に」発売する。
 っておかしいですか?

お礼日時:2020/09/20 18:26

この手の悩みは"今に始まったことではない"でしょう。

現象を自分の言語感覚だけで判断するのでは客観性がない一方で、理論を振りかざすのも中途半端な理論しかない現状では虚しいですね。
 文法理論は生成文法の出現によって統一された理論への期待が一度は高まったものの、詳細を詰めていこうとすると混迷しまくって、今では慣用句の集積という辞書ベースの話になっている。「統一された理論」とはほとんど対極にある訳です。
 「正しい言葉」を(完璧ではないけれども一応)規定するのが規範文法ですが、規範文法は調査と統計で構成するんです。文法理論がいわば解体状態にあるのなら、ますます調査と統計で当たるしかない訳で、その結果は時代と場所によって必然的に変転する。ところで日本語の規範文法はというと、もちろん影も形もない。というのも、そもそも「文法的に正しい」という概念が大抵の人には理解されないんですから、調査にならない。(「花子はめくらだ」を「文法的に正しくない」と判定する人が圧倒的に多かったりするんです。)
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この回答へのお礼

コメントありがとうございます。

>この手の悩みは"今に始まったことではない"
 そのとおりだと思います。
 ↑に書いたように、文法辞典にも詳しく書いてありますし、おそらく論文もあるでしょう。
 そう記述に疑問を感じるので質問しています。

>現象を自分の言語感覚だけで判断するのでは客観性がない
 ですから質問しているのですが。

 本題に対するコメントをお願いします。

お礼日時:2020/09/21 16:01

質問に対する回答ではありません!、を承知の上で、敢えて・・・。


富士山の山頂で、家庭でご飯を炊くのと、まったく同じやり方でご飯を炊けば?。
やったことありませんが聞くところでは、生煮え?芯のあるご飯になるらしい。
これが現象です。
その現象をとらえて、まったく同じにやったのに、不思議だ、おかしい・・と騒いでいるのが質問者です。
高尚なつもりの理屈をこねている質問者にはあまりにも簡単すぎて理解不能かも。
現象をとらえるにも、最も大切なものがあります、その時の状況、環境です、これが異なれば現れる現象も結果もガラリと変わることもあります。
理屈をこねるときの基礎にも該当するのかな。
富士山頂の環境、地表に比べ気圧が低い、これを頭に叩き込めば、水は100度以下で沸騰、だから、100度にはならない→十分加熱できない、で、なんの不思議もなくなります。
自分の体を動かすほか、視覚、触覚、聴覚、味覚、嗅覚の5感で感じる情報は脳で処理され、その結果を認識します、これらの処理をする脳の働きは犬や猫も持っています、自分の体の動きは脳は先刻承知ですね。
助詞の有無で何が違う、こんなことを処理、考える脳は異なる部分の働きになります、犬や猫にもあるとは思いますが人間に比べ未発達です。
文法の助詞の理解で、もし「助詞の意味?」、という認識があれば、それが間違いのもとにもなります。
助詞単独では意味がありません、だから助ける、詞なんですね、敢えて表現するなら示唆、暗示、意識を向ける・・・そんな表現が浮かびます。
落語の時そば。
弥太郎は昨日の兄貴と全く同じことっをやりましたが、1文損していましが、当人は全く気付いていません。
環境設定が問題、時刻が一時?早過ぎたのです。
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この回答へのお礼

>質問に対する回答ではありません!

 できれば質問に関する回答をお願いします。
 当方は富士山の山頂で炊飯する趣味はありません。
 いったい何をたとえようとしているのでしょう。

お礼日時:2020/09/21 16:03

No.5の方がおっしゃるように、考えるとたいそう難しい問題になりそうです。

しかし、単純化すれば、話は分かりやすいと思います。
「一昨日」「昨日」「今日」「明日」「明後日」毎日変化していく前後関係を取り上げると、「本日」が次の日になると、一日ずつずれてしまうから、時間を固定した話はできません。それに対して「2020年(令和2年)9月21日午後4時46分」は一回きりの日であり、歴史のなかに残される、年月日や時刻です。これには「ニ格」をつけても、意味が分かる状態です。また、この年の9月第4週月曜日は一度きりの日でです。
 「今日」発売した。」は本日だけ通用します。「2020年(令和2年)9月21日」
<に>発売した。」は、相当長期間でも通用します。「に」が使えるか、どうかは
そのどちらかで決まります。
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この回答へのお礼

コメントありがとうございます。

『基礎日本語文法 改訂版』(益岡隆志・田窪行則)くろしお出版 1991
 にある〈相対的な時点〉〈絶対的な時点〉の話ですね。
 あの辞典は「理由」は説明してません。
 OKAT さんの説明がわかりやすいかもしれません。
 そこまではわかります。

 質問しているのは、〈相対的な時点〉のなかでニがつくものとつかないものがあるのはなぜ、ということです。

5)去年発売した。
 ×去年ニ発売した。

6)昨年発売した。
 △昨年ニ発売した。

 意味は同じなのに、6)だと「△昨年ニ発売した。」になるのはなぜでしょう。
 さらに

一昨年発売した。
一昨年ニ発売した。

 なら、ニがあってもなくてもOKになる気がします。なぜなんでしょう。

お礼日時:2020/09/21 18:11

>当方は富士山の山頂で炊飯する趣味はありません。


 いったい何をたとえようとしているのでしょu
案の定ですね。
応用力も理解力もありません。
例はすべて一つ前、一つ後、ですね。「に」ついては簡単に説明するときは時間・空間の位置を示すと説明されます。
現在位置をすでに基準にして、一つ前後、改めて位置を示す必要ありますか、ありません、自らも言っていますね、「に」ではなく「、」にしようかと、「、」スラ不要で十分通用しています。
犬・猫並みとは言いません、犬・猫が使っているのと同じ脳の分野しか使っていません、宝の持ち腐れ。
時そばの与太郎、環境の時刻が異なっていることに最後まで気づきません、それが落語のネタになります。
落語のネタ?、わかりやすく言えば笑い者です。
回答者の多くは、それを気づかせようとしています。
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この回答へのお礼

いったい何をたとえようとしているのでしょう。
 もう少しわかりやすく具体的に書いていただかないと意味不明です。

お礼日時:2020/09/21 18:04

No.5へのコメントについてです。



「今に始まった事ではない」のニはどうなんだよ、ということを、もっともらしい回答をなさる方々に説明してほしい、ってことです。
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

そういうことでしたか。
 できればもう少しわかりやすくお願いします。

>もっともらしい回答をなさる方々に説明してほしい
 ということは当方の考えは求めていないのですね。
 
 とりあえずはパスしておきます。

お礼日時:2020/09/21 20:54

No.7 へのお礼に答えて



>>質問しているのは、〈相対的な時点〉のなかでニがつくものとつかないものがあるのはなぜ、ということです。

No.3 他で詳述したように、時点が相対的なのは時点自身の属性ではないということです。

現在との相対的な時間関係としての<関係詞>として使用するか、特定の時点を表す<名詞(つまり実体認識)>として使用するかの相違で、<名詞>の場合は空間的な位置付けの場合と同様に、<格助詞>「に」で時間軸に位置づけするということです。

同じ「一昨年」という形式の語を、相対的な時間関係の認識を表す<関係詞>として使用するか、絶対的な時点の認識を表す<名詞>として使用するかという話者の対象のとらえ方、つまり認識の相違だということです。

同じ対象は種々な側面、関係を持っており、どの側面を捉えるかの相違だということです。

「親子」も実体でもあり、「親子(関係)」という関係の側面を捉え表現することもできるということです。

理解できますか?■
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