dポイントプレゼントキャンペーン実施中!

卑弥呼って特定の場所にいた人物ではなく、全国各地の凄い優秀な巫女さんのことを指していたのでしょうか?

A 回答 (11件中1~10件)

まあ、確かに聖徳太子も特定の個人ではなく何人もの人の特徴や業績をひとりの人格に束ねたという説もありますし、それよりはるか昔の人である卑弥呼については何も確実なことは言えません。


ブッダのようにお墓がありそこに遺骨があったことでも確認されない限り、卑弥呼と呼ばれる巫女が何人か、あるいはたくさんいたのかもしれませんね。
まあ、それを裏付ける出土品や文献はなく、まったく想像の域はでませんが。
    • good
    • 0

そういう憶測で物を見ないでください。


正体がわからないから勝手に想像しているだけですよ。

日の神を祀る巫女。
魏に239年頃に使者を遣わす。
邪馬台国は大和朝廷。
だから大和朝廷の3世紀の時に日の神を祀る役職にいた巫女。
これでいいでしょう。
    • good
    • 0

『呼』の音はホ(ho)です。

コ(ko)ではありません。
卑弥呼の下2文字を巫女と読んでる説は、この時点で100%間違いです。

卑弥呼の音はピミホ(pi mi ho)となりますが、パ行は現在のハ行になっているので、1文字目をヒと読み変えるのはありです。
3文字目は実はやっかいで、当時の日本にはハ行の音が無かったことが知られており、何らかの日本語の音を聞いてホと中国の人が書いたことになります。でもって万葉集などを紐解くと、日本語のヲに呼の字を当てているものが散見されますので、卑弥呼は当時はピミヲ、現在風な読みならヒミヲ(またはヒミオ)を読むのが正しいようです。

あっと質問に答えておくと、卑弥呼を個人名ではなく何らかの役名などだったのではないかという説もいくつかありますが、2代後の台与の名が全く関係ないことから、ほとんど支持されていません。姫巫女の事だった云々の説はダブルでアウトですね。
敵対していた狗奴国の王の名が卑弥弓呼と、卑弥呼と非常に近い名前であったので、近い血筋の者と考えられることもあります。
何人も”卑弥呼”が居たという考えは正しくないでしょう。
    • good
    • 0

「こうでした」と断定できるほど確かな存在ではないよ。



なにせその存在は今のところ魏志倭人伝中の中にしかない。
その倭人伝自体、かなりいい加減なところがある。
    • good
    • 0

未だにわからないです。

奈良か、九州か、
。テレビやネットにない情報は大学教授か研究グループ、なんかから出るの待つしかないです。論文や文献、普通の人はそこまで閲覧できません。

個人特定ではなく、皇帝や総理の役職だったのかもしれません。

    • good
    • 0

卑弥呼の名前が出てくるのは、魏志倭人伝(正確には魏書烏丸鮮卑東夷伝倭人条)です。

ここで邪馬台国を宗教的な力で統一していた女王として描かれています。ですから、「全国各地の凄い優秀な巫女さん」ではありませんね。

ただ卑弥呼という名称は、あくまで魏の使者が日本語を音写した言葉です。ですから「ヒミコ」と当時の日本人が発音していたかどうかはわかりません。後世の「姫(ヒメ)」や「巫女(ミコ)」なりの言葉と関連性があるのではないかといわれていますが確定的な話ではありません。
    • good
    • 0

邪馬台国のリーダー的巫女が、代々ヒミコと呼ばれてたらしい。


他の豪族たち、ほとんど男性リーダーでしょう。
各地の豪族グループ内に卑弥呼に該当する女性がいた可能性は極めて低い。
    • good
    • 0

卑弥呼=日巫女とすれば、原則として1人だけだったと思われる。


天照大御神の象徴は、三種の神器のひとつである八咫鏡だ。
その八咫鏡を奉じ祀る専任・専属の巫女として、処女の貴人ひとりが日巫女に選ばれたのだろう。

八咫鏡は皇居内に安置されていたが、崇神天皇の御代に蔓延した疫病を鎮めるために皇居の外に出し、各地を巡幸したすえに、最後は伊勢神宮に落ち着くことになった。※その他、あまりにも神威が激しく天皇が身近にいては危険とされて、皇居の外に出されたという説。その頃は、皇室も、鏡や水面に自信の姿が映し出されると、あの世に魂を吸い取られる等の縄文的精神文化に染まったため、外に移されたという説などがある。

いずれにしても、八咫鏡は皇居の外に出されたが、その時に鏡に付き添った皇女がいて「斎宮」という称号を与えられた。初代斎宮は崇神天皇皇女の豊鍬入姫命で、その後も皇女・内親王が代々の斎宮を受け継ぎ、最後の斎宮は後醍醐天皇皇女の祥子内親王となった。

この「斎宮」の役割は、神性を持つ八咫鏡が外に出れば、八咫鏡が皇居の外に出れば、八咫鏡がある場所も「宮」となる。「斎宮」は<身を清めて神に奉仕する>という意味だ。つまり「斎宮」も「日巫女」も同じ役割だ。
であれば、皇居内に八咫鏡があったときも斎宮と同じ役割を果たした皇女がいたはずで、それが日巫女だろう。

あくまでも卑弥呼(日巫女)は、神宝の八咫鏡を祀っていた特定の巫女ひとりに対する呼称であり、しかも天皇に非常に近い皇族の未婚女性だったと考えられる。
    • good
    • 0

卑弥呼は姫巫女


聖徳太子は阿毎多利思比狐じゃなかったっけ?
    • good
    • 0

非巫女で巫女ではないかも!すみませんわからないのでダジャレで失礼します。

    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!