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先日落語について、同様の質問をさせていただきましたところ、多数の有益なご教示をいただいて大変ありがたいことだと思いました。俳句も日本独特のものであると思います。日本語を母語としてない人の間でも関心がもたれているということも聞きますが,芸術としてというより言葉として考えた場合、特に芸術に興味を持たない普通の市民などはどんな感じを持つものなのでしょうか?もちろん芸術としての観方についても知りたいと思います。

A 回答 (6件)

短詩は大体どこの国にもあるので、日本の短詩という捉え方でしょう。

日本人が思うほど特別ではありません。
勿論、季語の存在や5・7・5のシラブルを生かした日本語独特の表現を国民の誰もが知っているだけでなく、作ることも出来る点は自慢してもいいでしょう。海外にも俳句を読む同好会や義務教育期間中に俳句を教える学校もあります。

文学作品としては西欧では8シラブルx10行などさまざまな形式の詩があり、韻を踏む手法に慣れていますので俳句を自分たちが理解できない世界の文学という捉え方はしていないと思います。昔の人は現代の人間に比べれば庶民も即興で歌を歌う機会が多かったので、すばらしい短詩があります。

スペイン人の俳句
http://www.alu.us.es/l/luicorvas/apdo10-2.htm

参考URL:http://www.toyomasu.com/haiku/http://www.alu.us.es/l/luicorvas/apdo10-2.htm
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この回答へのお礼

結構海外でも認められているのですね。有難うございました。

お礼日時:2005/02/01 09:32

欧州の人とよく話をする機会がありますが、特に芸術関係でなくても日本の詩形式として俳句を知っている人は多くいます。

Googleでは"haiku"を検索すると2百万以上もヒットしますね。

欧州言語では詩の形式として押韻が最も一般的なので、音節数による形式は珍しいということもあると思いますし、欧州では一般の人に詩や詩作についての関心が日本より高いということもあるかと思います。

私の経験ではある趣味についての英語のBBSで、そこは日本とも文学とも全く関係のない分野だったのですが、あるとき参加者の一人が突然その趣味に関する俳句を詠み始め、そうしたらわれもわれもと続いて驚いたことがあります。

ただ、5-7-5音節で詠むことは知っていても、季語を入れる、あるいは季節を詠むという基本があることはあまり知られていないように感じました。
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この回答へのお礼

俳句にも受け入れやすい面とそうでない面の二つがあるということでしょうか。とても興味深いお話を有難うございました。

お礼日時:2005/02/01 09:34

Gです. kaitaradouさん、こんにちは!



また私なりに書かせてくださいね。

下に2つのURLを張っておきました。 これらは私が回答したい句に関しての質問です。 参考になれば嬉しいです。

そこでも書いたように、Haikuとして英語の単語として存在します。 学校でも教わります。 

しかし、日本のように季語が決められているわけでも、かなの数と言う数え方も出来ないため、音節やリズムによって長さを決めています。

単語としては2-3-2の形を取ることが覆い様に思われますが、単語の持つフィーリングないしイメージを重要視する事になります。

Haikuをこよなく愛する人は少数ながらいますが一般人はというと昔学校で聞いた事があるなぁ、と言う程度の理解が普通だと思います。

まずは下の質問を参考にしてください。

これでいかがでしょうか。 分かりにくい点がありましたら、補足質問してください。

参考URL:http://okweb.jp/kotaeru.php3?q=1110228, http://okweb.jp/kotaeru.php3?q=597606
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この回答へのお礼

日本語を母語としない人達が日本語の特質に対応しようと努力しているような感じを受けました。日本人としてももう少し日本語に誇りと自信を持ったほうが良いとも思いました。ご教示のサイトも拝見して勉強したいと思います。ありがとうございました。

お礼日時:2005/02/01 09:39

フランスでも俳句の認知度は高く、俳人の中では とりわけ 松尾芭蕉がよく知られているようです。



参考URL:http://www.big.or.jp/~loupe/links/fhisto/fhisinx …
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この回答へのお礼

フランス人が特別に俳句に興味を持つわけが何かあるのでしょうか?ご教示有難うございました。

お礼日時:2005/02/01 09:41

kaitaradouさん,私は実際にドイツに俳句を通して友人を持っております。

ドイツには”ドイツ俳句協会”が全国的組織されております。昨年,その友人から
の提案で,日本人2名,ドイツ人2名,アメリカ人1名で同一テーマで俳句を作り,日本語,ドイツ語,低地ドイツ語(北ドイツ地方の言語)及び英語の4言語にて,発表いたしました。また,昨年4月,現地で,芭蕉,一茶,子規などの俳句を,”低地ドイツ語”,”日本語,”標準ドイツ語”にて,”低地ドイツ語”の研究”の集まりで,”詠む”機会を持ちました。俳句は”世界で一番短い詩”として考えられておるようです。いわゆる,5-7-5の形式を出来る限り守る人達と,自由形式で”Haiku"を作る人達の二つの,流れがあるように思います。”季語”は日本とは気候がヨーロッパでは異なるので,やや違うのでは?と感じてります。芭蕉,一茶,子規などを”古典ハイク”として,尊重しているようです。ヨーロッパ語の特性で,5-7-5は”母音”で数えているようです。日本人のドイツ文学/語学の専門家で俳人の方や在独の日本人もドイツ俳句協会と交流が,かなり行なわれておるようです。
俳画, 俳文,また,などを試みておられるドイツ語ハイク作家もかなりの数おられます。あわせて,短歌,川柳の研究,創作も,WEBで見る限り,”結構あるなー”,と感じております。
私の僅かな経験からの感想/見たことを書きましたが
参考になりましたか?
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この回答へのお礼

何か心が踊るようなご教示と感じました。しらなかった世界を観た感じがいたします。有難うございました。

お礼日時:2005/02/01 11:41

現地校で”習う”俳句なんて、poetryのバリエーション程度(具体的には、haiku, cinquain, diamante, limerick)。

だからその程度の内容で、存在は理解するけど、それをどうどう受け止めるかって言ったらね、

できない。

と知り合いのアメリカ人が聞いたら言ってた。

つまり、どう頑張ったって、日本語が分からない限り、擬似的な英語俳句なんて意味ないんじゃないかって。比較の対象にもならないから。

逆に英語のpoetryの美しさはそれらの単語以外にかもし出すニュアンスからくるものがあるから、それを英語学習者にこれってすばらしいだろっって主張してもきょとんとするのが日本人なんだって。

形を真似して英語俳句を楽しんでいる人はいるようだけど、それって本来の俳句とは別もの。

普通の市民が俳句を聞いても日本語だから???となり、英語の俳句を読み上げたら、”ふぅーん”と言う程度。何が良いのかさっぱり分からないって。

そんなもんでしょ。だからと言って俳句は日本人にとってとても芸術的なことと理解してもらえるけど、日本語を知らないと分かろうとしても無理だってことだわ。

世界では日本の芸術の一つとして認められているけど、日本語が分からないと俳句そのものが楽しめない事も事実。何か他の期待はあるんですか?one of manyに過ぎないだけよ。
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この回答へのお礼

ご感想有難うございます。お互いの存在を認めるためにはどれか一つの存在になりきらないと無理だと思っています。あなたのご意見はどうなのでしょうかと思いました。

お礼日時:2005/02/01 11:46

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